第四十三話
「危ない!セイラさま――!」
とっさに飛び込んでいった安積(あさか)の烏帽子(えぼし)が吹き飛んだ。
セイラは、よろけた安積を抱きかかえて、
「大丈夫か!?安積!」
「烏帽子が飛んだだけです。セイラさまこそ、おけがはございませんでしたか?」
「ああ、おまえのおかげだ。今のは……」
「ぼくが見てくる――!」
セイラが見つめる先――光が現れた林の奥に向かって、ぼくは駈(か)け出した。
「篁(たかむら)、追わなくていい!」
「おまえが狙(ねら)われたんだぞ、セイラ!相手の正体をつきとめなくていいのか!?」
「追っても無駄(むだ)だと言ってるんだ。おそらくもうあのあたりにはいないだろう」
「いない……?そんな――!」
セイラの厳(きび)しい目は、言葉以上のなにかをぼくに伝えていた。
さっきの光といい、相手はおそらくただ者じゃない!
「若君、セイラさま。これをご覧(らん)ください」
安積は、光で吹き飛ばされた烏帽子(えぼし)を手にしていた。
「烏帽子の紐(ひも)が切れるほどの衝撃(しょうげき)があったのに、焦(こ)げ目やなにかが貫通(かんつう)した痕(あと)は見られません。一体あの光は……」
「バカな!烏帽子に疵(きず)ひとつないなんて……」
これはどういうことだ……。
あの光は、セイラの命を奪(うば)おうとしたのではなかったのか?
「手がかりなら、この連中から少しは聞き出せるだろう」
セイラは、転がっている賊(ぞく)のひとりの胸ぐらをつかんで上体を起こした。
多羅丸(たらまる)と呼ばれていた男だ。
「聞いたことに答えてくれたら、腕を元どおりにしてやる。なぜ私たちを狙った?」
「し…知らない男が、オレたちのところへきて……この道を今から牛車(ぎっしゃ)が通りかかる。その牛車には、お宝がどっさり積まれてると……なぜそんなことを教えると言ったら、あいつは……牛車を襲(おそ)ってくれたら、試(ため)してみたいことがあるって……」
「試してみたいこと?」
「それがあの光か……」
「なにをするかは言わなかったが……あんたらのお仲間の誰かだろう。貴族の格好をしてた。色白のやさ男で……その割には、へへっ…度胸(どきょう)がすわってたがな……うぎゃあ――!!」
いきなり、セイラが多羅丸の腕をねじった。
痛みに耐(た)えかねて、多羅丸があたりを転げまわる。
「約束通り関節(かんせつ)ははめてやった。もう二度と私たちの前に現れるな!」
そこへ、綺羅(きら)さんを乗せた牛車が戻ってきた。
「セイラ――!篁――!」
「綺羅さん!まだ来るんじゃない――!」
声をかけた時はすでに遅く、牛車はすぐそこまできていた。
それまで転げまわっていた多羅丸が、それに気づくと鎌(かま)を手に猛然(もうぜん)と駆け出した。
多羅丸は、大きな体に似合わないすばしこさで轅(ながえ=牛車の前に出ている二本の棒)を飛び越え、簾(すだれ)をはねのけて顔をのぞかせていた綺羅さんの首を締(し)めあげ、喉(のど)もとに鎌を突きつけた!
「綺羅さん――っ!!」
「へへっ。形勢逆転だな、天女さんよ。腕を治してもらったことは…まあ感謝してるが、この姫さんの命が惜しかったらそこをどいてもらおうか。お宝は、牛車ごといただいていく」
「フッ。そんな話をまだ信じているのか?」
セイラは冷笑を浮かべて、一歩前に進み出た。
「宝はない。おまえたちは貴族の男に騙(だま)されたんだ。嘘だと思うなら、牛車の中を覗(のぞ)いてみるがいい」
多羅丸が後ろを振り向いたその時――隙(すき)だらけになった腕に綺羅さんが噛(か)みついた!
「痛――っ!この女、なにしやがる!」
逆上(ぎゃくじょう)した多羅丸が、綺羅さんを殴(なぐ)りつけようとした瞬間――
たった今までここにいたはずのセイラが、多羅丸の背後から強烈な手刀(しゅとう)を浴びせていた!
多羅丸の身体は、一間(いっけん=約一・八メートル)ほども宙を飛んで草むらに沈んだ。
「もう大丈夫だよ。怖かったろう、綺羅姫。けがはないかい?」
「あたしは平気。どお、あたしも少しは役に立ったでしょ?」
首を締めつけられていたせいで、ケホケホと咳(せき)こみながら綺羅さんが言う。
「ああ、綺羅姫に助けられたよ。でも頼むから、もうあんな無茶はしないでくれ。いつもうまくいくとは限らないんだからね」
「大丈夫よ、あたし強くなるって決めたの。いつまでも守られてばかりじゃないわ」
綺羅さん、なんて顔してる……。
二人のところへ行きかけて、ぼくは足を止めた。
わかっていたはずだ、綺羅さんの気持ちは……。
なんでもないって顔するんだ……!早く――!
「それよりセイラ、あれなにかわかる?」
綺羅さんが指さした先を追って振り返ると、巨大な獣(けもの)が道を塞(ふさ)いでいた!
体の長さは十尺(約三メートル)を超え、肩までの高さは六尺半(約二メートル)ほどか……。
ピンと立った耳の内側には黒い二本の角があり、濡(ぬ)れそぼった大きな瞳、黒みがかった褐色(かっしょく)の毛色をしている。
見た目の特徴(とくちょう)からすればカモシカと言えなくもないが、大きさが並はずれていて毛色も少し黒過ぎる気がする。
突然の獣の出現に、それまでうずくまっていた賊も、腕の痛みを忘れて一斉(いっせい)に逃げ出した。
その獣が、ガックリとひざ折(お)れた。
よく見ると、獣の像(ぞう)がしだいに薄れてきて、道の向こう側が透(す)けて見えている。
「弱っているのか……」
セイラはつぶやいて、恐れるふうもなく獣の傍(かたわら)へ寄っていった。
「おまえ、どこから現れた?」
たてがみのような褐色の毛並(けな)みに触(ふ)れながら、セイラが言う。
獣は吼(ほ)える気力もないのか、わずかに首をまわして目でなにかをさし示した。
「……そういうことか」
獣の正体は、式神(しきがみ)だった。
牛車が引き返した時、式神はその場にとどまっていた。
そこへ襲ってきた賊どもの刃(やいば)によって、どさくさのうちに切り刻(きざ)まれてしまったのだろう。
もはや紙人形のうちにとどまっていられなくなった式神は、瀕死(ひんし)の状態でぼくたちの前に現れたのだった。
「クッ!ここまで来て、道案内役を失ってしまったら……」
セイラは切れ切れになった紙人形を拾い集め、悔(くや)しさをにじませた。
「どうすればいい、セイラ。早く助けないと……ぼくたちだけじゃ、神奈備(かむなび)に辿(たど)りつけないよ」
「この札を再生するのは無理だ。中に複雑な呪文が書かれているし、無くなっているところもある。陰陽師(おんみょうじ)でもない私には……」
「それでもなにか手段はあるはずよ。そうでしょ、セイラ!」
ぼくたちにつめ寄られて、セイラは苦渋(くじゅう)の色を浮かべた。
「生身(なまみ)の身体を持たない式神を癒(い)やせるかどうか、わからないけど……」
そう言って、集めた紙片を空に飛ばし、式神の大きな目を見つめた。
「なにもしないでいるよりはましだ。おまえも、そう思うだろ?」
セイラは、式神の肩に両手をおいた。
肩と言っても、実体(じったい)があるわけじゃない。
式神が横たわっている向こう側の景色が透(す)けて見えているくらいだから、実際に触(ふ)れている感覚はないのだろう。
その手のひらがおかれている肩が、柔らかな光で染(そ)めあげられる。
ぼくも綺羅さんも、なにが起こるか固唾(かたず)をのんで見守った。
セイラの不思議な力を目の当たりにするのは、あの左大臣邸の炎上以来だ。
さっきの多羅丸を倒した時の動きといい、もともとセイラにはそういう力があったけど、最近は特に凄(すご)みを増してきている気がする。
記憶を失くしたせいで、自分の中に眠っている力を忘れていたのかもしれない。
だとしたら、なにがセイラの力を――
「わあ、虹色に輝いてる!」
光は少しずつまわりに広がっていき、やがて身体全体が光につつまれると、式神は苦悶(くもん)の表情で悲鳴を上げた。
「どっ、どうしたの?なんで苦しんでるの?」
「身体(からだ)が大きくなってる、のか……?」
『……精気(せいき)が強すぎます……このままでは…破裂(はれつ)する………』
どこからか、そう言っている声がした。
耳で聞いたというよりも、頭の中に直接響(ひび)いてきた感じだ。
「セイラ、聞こえたかい!?」
「ああ、聞こえた……今、気を調整(ちょうせい)…している」
額(ひたい)に汗を浮かべながら、セイラは徐々に式神(しきがみ)の本来の姿を取り戻していった。
そして――
「見て!こんなにしっかり触(さわ)れるわ」
「ほんとだ、見事に実体化してる……まるで血が通ってるみたいだ」
ふさふさした毛の感触(かんしょく)からは、体温のぬくもりまで伝わってくるようで、これがさっきまで透き通って見えて見えていた式神とは思えなかった。
『――残念ながら、私に血が通っていたのは遠い昔のことです』
式神は、首をもたげてぼくを見つめた。
「おまえ、話せるのか!?」
『私に人の言葉を操(あやつ)ることはできません。あなた方の心に、直接意思(いし)を伝達しているのです。この方がくださった精気(せいき)のおかげで……』
黒い大きな瞳がセイラに注(そそ)がれる。
セイラはひとつ吐息(といき)をついて、額の汗をぬぐった。
「疲れたよ。気を送り込むより、加減(かげん)する方がずっとむずかしい」
「でも、うまくいったじゃない。ほんとは、もうダメかもしれないって思ったけど……やっぱり、セイラってすごいわ!」
「そう言ってくれるのは、綺羅(きら)姫だけだよ」
奇跡のような力を誇(ほこ)るでもなく、どこか翳(かげ)りのある目をしてセイラは微笑(わら)った。
「綺羅さんだけじゃないよ、ぼくもいる。ぼくだって左大臣邸でセイラに助けてもらった。セイラにはすごい力がある、まわりの者を助ける力が……」
「助ける力……か」
セイラはうつむいて、手のひらを見つめた。
「ありがとう、篁。少し気が楽になったよ」
ぼくには、セイラの心の中はわからない。
でも、もしかしたらセイラは、力を使うことを避(さ)けていたんじゃないか――そんな気がした。
ぼくたちと変わらない人間であろうとして……。
天女でも神でもない、ただの人間でありたくて……。
「まだ、おまえの名を聞いてなかったね」
セイラが言うと、式神はお辞儀(じぎ)をするみたいに首をかがめて、
『私の名は黒角(くろつの)。式神となる前は、大峰山(おおみねさん)を守護する精霊(もの)でした』
「大峰山…?では、神奈備(かむなび)もその山中のどこかに……?」
『ある、と言われています。私は行ったことはありませんが、獣たちがよく話しておりました』
「そうか……」
しだいに現実味を帯(お)びてきた邑(むら)の存在に、セイラの頬(ほほ)がこわばる。
「おまえが囚(とら)われていた札はもうない。このままおまえを自由にしてやりたいけど、その前に私たちを神奈備まで案内してくれないか?」
『霊魂が消えかかろうとしていたところを救っていただいたのです。お断りできるはずがありません。喜んでご案内させていただきましょう』
「でも、この姿じゃ目立ちすぎるわね」
『ご心配にはおよびません。この身は精霊、姿を変えることなど――』
黒角は立ちあがって、空に向かい高々と跳躍(ちょうやく)した。
その身体(からだ)が細く長くのびて、くるくると宙で渦(うず)を巻く。
しばらくすると、それは手のひらにのるくらいの小さな光の玉になった。
玉は、目を向いたまま硬直(こうちょく)している安積(あさか)の鼻先をかすめ、御者(ぎょしゃ)台に座っている鳶丸(とびまる)と乙矢(おとや)のまわりを一周して牛の頭上に止まった。
『さあ、まいりましょう』
都を出て三日目の朝――
ぼくたちは、一晩世話になった受領(ずりょう)の邸(やしき)を後にした。
これからいよいよ、吉野山を過ぎ大峰山(おおみねさん)にわけ入っていく。
でもその前に、どうしてもセイラに確かめておきたいことがあった。
盗賊(とうぞく)をそそのかし牛車(ぎっしゃ)を襲(おそ)わせたのが貴族と聞いてから、ぼくの中で気にかかっていたことだ。
そしてセイラは、ぼくが最も恐れていたことを口にした。
「篁(たかむら)が思っている通りだよ。あの閃光(せんこう)を放ったのは、私を助けてくれた貴族だ」
「敵、だって言ってた……?」
綺羅(きら)さんがこわごわと聞き返す。
「ああ。安積の烏帽子(えぼし)に痕(あと)が残らなかったのは、衝撃(しょうげき)を最小限に押さえたからだろう」
「つまり、セイラを殺す気はなかった…ってこと?」
「じゃあ、なんのために――?」
当然わいてくるその疑問に、納得のいく答えはセイラにもなかった。
「その貴族には、セイラと同じ不思議な力があるの?」
「濁流(だくりゅう)から私を助け出し、傷を癒(い)やしてくれたことを考えると、相当な能力の持ち主だね」
「宮中にそんな貴族がいたなんて、とても信じられないな」
「うん。内裏(だいり)では見たことがない顔だった」
「直衣(のうし=貴族の普段着)を着てたって言ってたわね。身分のある者で内裏で見かけないって言ったら、都を離れていた貴族とか零落(れいらく)した宮家(みやけ)とか……そんなところかしら」
「それだけじゃ、どこの誰ともわからないよ」
なにかがおかしかった。
会ったこともないはずのセイラが、敵……?
しかも、セイラと同じような力を持っている貴族なら、今まで騒がれなかったはずがない。
そんな貴族が本当にいるんだろうか?
「貴族じゃないかもしれない……」
――えっ。
まるでセイラに心を読まれたような気がして、ぼくはドキッとした。
「でも……直衣(のうし)を着てたんだろ?」
「一瞬だったけど、その男の顔が浅黒く見えたことがある。もしかしたら、肌の色を変えているのかもしれない」
「えええ―――っ!!」
ぼくと綺羅さんは同時に叫んでいた。
「きゃ――っ!」
その時、突然牛車が止まって、ぼくたちは外に放り出されそうになった。
「どうした、安積(あさか)!?」
「もっ、申しわけございません若君。あの爺(じい)さんが、急に飛び出してきて……」
牛車から降りると、そこはもう里のはずれで、吉野山が眼前に迫(せま)っていた。
安積が怒鳴(どな)りつけているのは、くたびれた筒袖(つつそで)の垂直(ひたたれ)に萎烏帽子(なええぼし)、括袴(くくりはかま)姿の老人で、両手を広げて道を塞(ふさ)いでいる。
「おまえさま方、どこへ行きなさる?お山へ行くには、ちと道が違うでのう」
「ぼくたちは吉野山に行くんじゃないよ、お爺さん。この先に用があるんだ」
「この道の先には狐(きつね)の森がある。悪いことは言わん。やめておきなされ」
「狐の森…?」
「狐どもにたぶらかされるで、そう呼んでおる。その森に入ったら里の者でも道に迷(まよ)う。中にはそれきり戻らぬ者もおった。おまえさま方のような都のお人が行くところではない」
「道に迷う?そうか……おーい、黒角(くろつの)!この道じゃないとだめなのか――!」
牛車の前を行っていた黒角は、老人を飛び越えてぼくの肩口(かたぐち)に寄ってきた。
『狐の森を抜けなければ、神奈備にはたどり着けません』
「だったら行くしかないか……でも、おまえは迷ったりしないんだろ?」
『わかりません。狐の森を抜けられるかどうかは、神奈備があなた方を受け入れるかどうかにかかっています』
「ふーん。それも結界(けっかい)っていうやつかな……」
ぼくが光の玉と話しているのを見ると、老人は驚いて腰を抜かした。
「おっ、おまえさまは一体……」
老人には、黒角の声は聞こえていない。
だから、黒角と話しているぼくは、この老人の目には特別な人間に見えているんだろう。
なんだかこそばゆい感じがする。
本当に特別なのはセイラや黒角で、ぼくにはなんの力もないっていうのに……。
「お爺さん、この光の玉は黒角と言って大峰山の精霊なんだ。ぼくたちの道案内をしてくれている。だから心配しないで、そこをどいてくれないか?ぼくたちには、どうしても行かなきゃならないところがあるんだ」
老人は起き上って、道端(みちばた)の切り株(かぶ)に腰を下ろした。
「危険を承知で行くと言われるか……ふう。なんのために?」
「友だちの記憶を取り戻しに――」
牛車に戻ると、ぼくの顔を見るなり、セイラと綺羅さんはほーっとため息をついた。
「どうしたんだい?二人とも青い顔して……お爺(じい)さんならぼくが話をして――」
すると、突然セイラが唇(くちびる)に人差し指を立てた。
「今は黙って……!安積、牛車を出してくれ。できるだけゆっくりと……」
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