第四十一話


「セ…セイラ!ぼくをからかってるだろ!もうよせったら……あれっ?」

「どうした、篁(たかむら)?」

 篁の視線の先に目をやると、年の頃(ころ)は三十歳前後、色白で切れ長の目をしたどこか冷たい感じのする男が、右大臣(うだいじん)に伴(ともな)われてやってくる。

 縹色(はなだいろ=藍色)の袍(ほう=上着)と浅縹の指貫(さしぬき=はかま)は、七位の官位をあらわしていた。

「へえー、安倍(あべ)殿も一緒だ。いつ伊勢(いせ)から戻ったんだろう?」

「安倍殿…?」

「陰陽師(おんみょうじ)の安倍晴明殿だよ。父上がご一緒のところを見ると、今上(きんじょう)のご意向(いこう)を受けて清涼殿(せいりょうでん)を祓(はら)い淨(きよ)めにきたんだろう。このところ宮中では凶事(きょうじ=人の死)が続いたから……」

 陰陽師はセイラと篁に気づくと、右大臣になにかをささやいた。

 それから二人の方へ近づいてきて、セイラの前に平伏(へいふく)した。

「いきなりのご無礼(ぶれい)をお許しください。陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい)と申します。セイラさまが降臨(こうりん)なされたことは聞きおよんでおりましたが、そのお姿はまさしく神奈備(かむなび)の言い伝え通り……この晴明ご尊顔(そんがん)を拝(はい)することが叶(かな)い、ありがたき幸せに存じます」

 それを聞くと、セイラはさっと顔色を変えた。

 ――が、すぐに貼(は)りつけたような笑みを浮かべて、

「ずいぶん大仰(おおぎょう)な物言(ものい)いをなさる方ですね。とりあえずお立ちください。それでは、私があなたをいじめていると思われます」

「これは……私としたことが、早合点(はやがてん)してしまったようで……」

 陰陽師は、いかにもがっかりした顔で立ち上がった。

「セイラさまは記憶を失くしておられましたな。では、まだなにもご存知(ぞんじ)ない……おいたわしや……」

 セイラは、一層(いっそう)にこやかな笑顔をつくって、

「同情していただくほど、
『なにもご存知ない』わけでもありません。ただ……」

「安倍殿、その神奈備(かむなび)の言い伝えとはどのようなものですか?」

 話に割(わ)ってはいった篁の問いかけに、セイラのにこやかな仮面がはがれた。

「篁、向こうの方で誰か呼んでるんじゃないか?」

「えっ…」

 言われて篁が目を向けると、紫宸殿(ししんでん)の先、月華門(げっかもん)の下に立っている顔見知りの姿が見えた。

「あれは、音羽(おとわの)中将殿……ぼくになんの用だろう」

 篁が去ると、陰陽師はため息をつき、憐(あわ)れむような目でその背中を見送った。

「あの公達(きんだち)は、右近衛(うこんえの)少将殿ですね。やれやれ……行った先で、誰にも呼ばれていないことがわかったら、少将殿はがっかりなさるでしょうね」

 セイラはそれに耳をかさず、冷ややかな態度で応じた。

「あなたは誰から神奈備のことを……?」

「ああ、そのことでしたら別に不思議はございません」

 陰陽師は向き直ってにっと笑った。

「実は私の母が、神奈備の出身でして……邑(むら)の者なら、セイラさまのことは皆存じ上げております。神奈備へは、もうまいられましたか?」

「まさか、本当にあったなんて……」

「疑っておられたのですか?」

 愕然(がくぜん)とするセイラに、陰陽師は意外な顔をして眉(まゆ)をひそめた。

「それでは邑の者は救われません。一日も一刻も早く、セイラさまのお越しを願っておりますものを……。セイラさまが降臨なされた目的も、神奈備の神剣を取り戻すことだったはず」

「神剣(しんけん)?言い伝えには、ただ石とだけ……」

「あっはっは。もちろん、これは私が勝手にそう思いこんでいるだけのこと。その石は、もしかしたら剣の柄(つか)のようなものだったのではないかと……」

「…………」

 とまどい沈黙するセイラを、陰陽師は、病人の容体(ようだい)を診(み)る薬師(くすし)のような冷静さで見つめていた。

「……安倍殿」

「セイラさまが安倍殿…とはこそばゆい。晴明とお呼び捨てください」

「では晴明殿、神奈備のことは誰かに話しましたか?」

「とんでもございません」

 陰陽師は口元をほころばせて、

「あなたさまがいつ現れるかは、誰にもわからないことでした。あの物語が語り継(つ)がれるようになってから、少なくとも数千年の時がたっているでしょう。よもや私が生きている間に、セイラさまが降臨なさるとは想像もしないことでした。セイラさまが現れなければ、言い伝えもただのお伽噺(とぎばなし)にすぎません。他の者に話して聞かせたところで、笑い飛ばされるだけです」

「……そうですか。ではあなたに、ひとつお願いしたいことがあります」

「私にできることでしたら、なんなりと……」

「私はその邑(むら)に行ってみるつもりです。ですが、このことが宮中の者に知れたら、私はもうここにはいられなくなるでしょう。あなたには、今後も神奈備のことは口外(こうがい)しないでいただきたいのです。一切、誰にも一言も……もし……」

 セイラは言葉を切って、相手を射すくめるように目を光らせた。

「もし、誰かに話すようなことがあれば、あなたも都にはいられなくなるかもしれません。あるいは、孤島で生涯を暮らすことになるかも……できればそんなことはしたくないのですが、あなたを陥(おとしい)れるくらい私にはたやすいことです」

「なにやら脅(おど)されている気分ですね」

「そう取っていただいてもかまいません」


      


「それから……?安倍晴明はどうしたの?」

「笑ったよ」

「笑った?」

「ああ、大爆笑さ。自分にはまだやらなくてはならないことがある。都から追いだされるのは勘弁(かんべん)してほしい……そう言ってね。大した自信だ」

「自信?セイラなんかこわくない――って、思ってるってこと?」

「たぶんね。言葉つきは丁重(ていちょう)だけど……実際、相当な力の持ち主だってことは確かだ」

 その日、九条の別邸(べってい)にやってきたセイラと篁は、東の対屋(たいのや)で綺羅(きら)姫と会っていた。

 牛車(ぎっしゃ)の中ではなにも聞き出せずに不満をつのらせていた篁が、ここぞとばかりにつめ寄ると、セイラはあっさりとわびて篁がいなくなってからのことを話した。

 セイラの前には、古びた草紙(そうし)が置かれてある。

 篁と綺羅姫は、意味ありげなその草紙に目を奪(うば)われつつも、セイラが話す陰陽師とのやりとりに耳をかたむけていた。

「それが、ぼくに聞かせたくなかった話?でもここで言ってしまったら……」

「篁に聞かせたくなかったんじゃない。あの場を注目していた宮廷人に聞かれたくなかったんだ。おまえがいたら、神奈備のことを根掘り葉掘り聞き出そうとするだろう?」

「それは、まあ……」

 そうまでして守りたい秘密が、神奈備にはある――

 篁は、これほどよゆうのないセイラをはじめて見る気がした。

「……で?神奈備ってなんなの?」

「綺羅さん、今の話を聞いてなかったの?邑(むら)の名まえだよ!」

「そのくらいわかってるわよ!あたしが言ってるのは、その邑がどんなところでなぜセイラが行こうとしてるのかってことよ」

「神奈備の言い伝え……それが気になってるんだろ、セイラ?」

「安倍殿は、どこまで知っているのかな……私が現れた目的は、神奈備の神剣を取り戻すことだと言っていた。それが本当なら……」

「セイラが知りたがっていた、この国に来た理由がわかったことになるわね。でも、どうして今まで黙ってたのかしら?知っていたんなら、もっと早く言ってくれたってよさそうなものよ」

「安倍殿はセイラが吉野(よしの)に現れた頃、ちょうど入れ違いで伊勢神宮に旅立ったんだ。都に戻ってきたのはつい最近だそうだ」

「それにしたって、うさんくさい話だと思わない?数千年も続いている邑なんて、ほんとにあるのかしら?戦乱に巻き込まれもせずに……?もしそれがほんとなら、この平安の都ができるずっとずっと前からあるってことになるのよ」

「結界(けっかい)が張られているらしい。だから常人(じょうにん)には見えないんだと言っていた……」

 セイラは、去り際(ぎわ)に陰陽師から言われたことを思い出していた。


『ああ、邑にまいられるおつもりでしたら、場所はおわかりですか?』

『………おそらく、吉野近辺の山間(やまあい)のどこか――』

『ほう…』

 陰陽師は、目に称賛(しょうさん)の色を湛(たた)えて、

『邑には結界(けっかい)が張られていて、常人には見えません。だからこそ、何千年の時を騒乱(そうらん)に巻き込まれることなく、やりすごしてこれたとも言えますが……たとえ場所がわかったとしても、邑の者以外は中に入ることさえむずかしいでしょう。ですがセイラさまなら、結界に惑(まど)わされることなく通り抜けられるはずです。ご出立(しゅったつ)の際(さい)は、邑の入り口まで私の式神(しきがみ)に案内させましょう』

『なぜ、そこまで……?』

『ふっ。おかしなことをお尋(たず)ねになる……それが邑のためであり、セイラさまのためでもあるからですよ』

 その言葉を信用したわけではない。

 ――が、探す手間が省(はぶ)けるならと、セイラは申し出を受けることにした。

「記憶が戻ったわけじゃないから、安倍殿の話をすべて信用することはできないけど、少なくとも神奈備について言っていることに嘘(うそ)はないと思う。この覚書(おぼえがき)に書かれてあることともつじつまが合う」

「ねえ。それさっきから気になってたんだけど、なんなの?」


「これは左大臣邸が火事になった夜、尹(いん)の宮が渡してくれたものだ。神奈備(かむなび)の言い伝えが書いてある」

「尹の宮が持っていたのか!?」

「ああ。まだ文字のなかった時代、口伝えで伝承(でんしょう)するしかなかったものを、近年になって誰かが書きとめたものだろうと言っていた。どういうわけか、それを尹の宮の母上が持っておられた。尹の宮は幼い頃、子守唄がわりによく読んでもらったそうだ。そして母上亡き後、それを楊(よう)姫に読んで聞かせた……だから、二人は私のことを知っていたんだ」

「その中に、セイラのことが書いてあるの?」

「読んでみればわかるよ」

 セイラは草紙(そうし)を取って、綺羅(きら)姫に差し出した。


      



 綺羅姫は、おそるおそる草紙を手にした。

 なにかとても怖いことが書いてあるような、そんな気がした。

 篁と目を合わせ、勇気をふりしぼって中を開く。

 それは、世にも不思議な物語だった。

 ――これは遠い遠い昔、

   氷に閉ざされた大地にくらしていたわれらの祖先が、

   あたたかい住み処(か)を求めてこの地にやってきたころのこと。

   ある時、突然空に光があらわれ、光とともに大きな羽のある白い神が降ってきた。

   長い月色の髪、宵闇(よいやみ)色の目をしたそのきらきらしい神は、

   あちこちに深手(ふかで)をおい、命の火が消えかけていた。

   いわれなき災(わざわ)いがふりかかることを恐れた邑(むら)の者は、

   傷の手当てをしてひたすらに回復を祈った。

   やがて、深い眠りから目覚めた神は、邑びとを見てたいそう驚かれた。

   傷が癒(い)えると、神は邑のようすをご覧(らん)になり、さまざまな知恵をお授(さず)けになった。

   獣をひと突きでしとめる剣(つるぎ)、夜を照らすびぃーどの火、てぱの壺(つぼ)、

   それらはすべて、われらの神がお授けになったものだ。

   邑(むら)は豊かになり、獲物(えもの)に困ることはなく、水の神日の神さえがわれらの神に従った。

   月日がたち、神は身のまわりの世話をしていた女をめとって、子が生まれた。

   邑びとは御子(みこ)の誕生を喜び、猪(しし)をほふって祝いの酒をまわした。

   神の妻となった女は、子が無事に生まれたことに気がゆるみ、

   ある夜、打ち明け話をした。

   神が倒れていたそばで、きらきら光る石を見つけました。

   神のものかもしれないと思いながら、今まで黙っていたことをお許しください。

   これがその石です。お受け取りください。

   それは、丸くて細長い形をしていて、白銀の輝きを放っていた。

   神がそれを手にとると、

   たちまち石から光の柱が現れ出で、屋根を突きぬけその先は雲にまで達した。

   神の身体はまばゆい光につつまれ、

   月色の髪は、背丈(せたけ)にあまるほどにのびてきらめきを放った。

   おごそかな音色(ねいろ)と芳香(ほうこう)がただよう中で、神は言われた。

   私はすべてを思い出した。もはやここにとどまることはできない。

   それを知った邑の者は、女を責めた。

   どうして石を見せたのか。

   そんなことをしなければ、神はいつまでも邑にいてくださったものを。

   記憶が戻り空に帰るという神を、われらにとめることはできない。

   いや。ひとつだけ、方法がある。

   邑長(むらおさ)は、神が眠っている間に石を持ち出してくるよう女に言った。

   その石に呪(まじな)いをかけて、大いなる力を封じこめてしまおう。

   それでも神のご意思が変わらなければ、一命をなげうってでも神をお止めするのだ。

   それはおまえがやらなければならない。

   別れの日、石を手にした神は女に言った。

   これは私のものではない。私のものはどこにあるのか。

   それは神の石ですが、呪いがかけられているので空へは帰れません。

   神は悲しい顔をして、手のひらの上で石を砂つぶに変えた。

   汝(なれ)がそう言うなら、石は汝(なれ)にあずけて私はこのまま空へ帰ろう。

   女は驚いて、いかないでくれと頼んだが、神は聞き入れなかった。

   どうしてもお帰りになるというなら、私は邑のために死なねばなりません。

   残される赤子をあわれと思って、どうか邑におとどまりください。

   女は月色をした赤子の髪をなでで涙を流し、剣でのどをかき切った。

   女が邑の犠牲(ぎせい)になったと知った神は、嘆(なげ)き悲しんだ。

   おまえたちはなんということをしたのだ。

   赤子が成長すれば、私と同じように母がいる邑を守ったものを。

   妻が死んだ今となっては、赤子を邑に残しておくことはできない。

   私は赤子を連れて空に帰ろう。

   神は血の色に染まった目で邑長をご覧になった。

   人の命を軽々しくあつかった報(むく)いは受けねばならない。

   おまえたちがしたことを忘れないために、私はこの邑を地上から隔絶(かくぜつ)する。

   おまえが持っている石は、この邑に預(あず)けておこう。

   私が再び戻ってきた時に、おまえたちの過(あやま)ちは赦(ゆる)される。

   邑長は恐れおののきながら神に言った。

   神が戻ってまいられたことを、われらはどうやって知ればよいのでしょう。

   せいら。そう名のる者が現れたら、それが私だ。

   神はそう言い残して赤子をかき抱き、ひとすじの光となって空に帰っていった。

   後の世を生きる者よ。ゆめゆめ忘れてはならない。

   われらは神の怒りに触(ふ)れし者。

   常(つね)の行(おこな)いをただし、神をむかえる用意をおこたるな。

   神の石を守りお返しすることこそ、神奈備に生まれた者の使命なれば―― 


 (作者注=本文はひらがなで書かれていますが、読みやすいように漢字表記をまぜてあります)

「むごい話ね……」

 物語につり込まれて、目頭(めがしら)を押さえながら綺羅姫がつぶやいた。

「邑のために、愛(いと)しい人の前で死ななければならないなんて……」

「問題はそこじゃないよ、綺羅さん」

 篁(たかむら)は青い顔をして、ある一文を見つめていた。

「問題なのは、この古い草紙の中にセイラの名まえが出てくることだ。しかも目や髪の色まで同じなんて……このことを、尹の宮や楊姫が知っていたとしたら……」

「尹の宮は、私を神と呼んだよ」

 二人のぎょっとした視線を痛いほどに感じて、セイラは青ざめるよりも苦笑した。

 当然の反応だろう。

 神であれバケモノであれ、人とは違う異質な存在(もの)であることにかわりはない。

「セイラは、これを読んだ時驚かなかったの?」

「驚いたさ、とってもね」

 セイラは、寂しそうに笑った。

「できれば偶然が重なっただけの、ただのお伽噺(とぎばなし)であってほしかった。でも今日安倍殿に会って、神剣を取り戻しにきたはず――と言われた時、妙に納得している自分がいたんだ。本当にそうなのかもしれないって……」

「じゃあ、取り戻しに行きましょう!」

「そうだね、もしかしたらセイラの記憶も戻るかもしれない」

 この展開は予想外だった。

「綺羅姫、篁……」

 たとえどれほど異質(いしつ)であっても、存在を受け入れてくれる者がいる。

 それだけのことが、どうしてこんなにも心を震(ふる)わせるのか――

「なーに、その顔。まさか自分ひとりで行くつもりだった…なんて言わないでよね、セイラ」

「内裏(だいり)へは、なんと言って届けを出そうかな……セイラ、邑の場所はわかってるの?」

「あ…ああ。案内してくれる者がいる。おおよその場所は吉野と熊野の間あたり…かな」

「だったらこうしましょ!あたしが熊野詣(くまのもうで)に行くことにするの。あんたたちはその護衛(ごえい)についていくのよ!」

「綺羅さんが、願かけ……?」

 およそあり得ない話だと言わんばかりの篁に、セイラはくすくす笑って、 

「いや、案外いい考えかもしれない」

「でしょ!」

 綺羅姫はにんまりとした。


  次回へ続く・・・・・・  第四十二話へ   TOPへ