第三十八話


「これは尹(いん)の宮の復讐(ふくしゅう)だよ。左大将はおそらく、十七年前の陰謀(いんぼう)の証拠を握(にぎ)っていた。それを知った尹の宮は左大将に取り入り、巧妙(こうみょう)に画策(かくさく)して左大臣を追い落とすようにしむけた。そして今度は左大臣に入内話を持ちかけ、命婦(みょうぶ)におまえを隠すように言ったんだ」

「そんな!では、なにもかも……」


「おまえが姿を消すことで左大臣に捕(つか)まったと思いこんだ左大将は、兄の口を封(ふう)じるために隠し持っていた証拠を使おうとするだろう。尹の宮の狙(ねら)いは、その証拠を手に入れることだったんだ」

 高倉(たかくら)は一歩二歩あとずさって、今にも叫び出しそうな口元を押さえた。

 大きく見開かれた目には、その後の顛末(てんまつ)を予期して恐怖が張りついている。

「尹の宮は邸に火をかけ、混乱に乗じて証拠を手に入れようとしたんだろう。でもそれはうまくいかなかった。そして最後には、自分の手を汚すことも辞(じ)さなかった!愚(おろ)かな――!」

 唇をかみしめたセイラの双眸(そうぼう)が、カッと灼熱(しゃくねつ)色に染(そ)まった。

 それは一瞬のことだったが、高倉は怒れる不動明王(ふどうみょうおう)の姿を見たと思った。

「セイラさま!女御(にょうご)さまはそのことを……」

 ――ご存じだったのでしょうか?

 すがりつくような目で、少納言はそう尋(たず)ねていた。

 セイラは伏(ふ)し目がちに首を振って、

「尹の宮の謀(はかりごと)のことなど、女御さまはご存知なかっただろう。でも左大将が亡くなった時、犯人が誰かは察(さっ)しておられたはずだ。そしてそれは、女御さまのすべての希望を奪い去った――」

「いいえ、いいえ……」

 高倉は弱々しくあらがって、

「そんなはずありませんわ!左大将さまを亡き者にした方が、あんなにおやさしく微笑(ほほえ)まれるはずがございませんもの――!」

「微笑(わら)っていた?尹の宮が……」

「ええ。今朝早く女御さまのご遺体(いたい)が見つかって、宮中は大騒ぎになりました。私はすぐ慈恵寺(じけいじ)に使いをやって……もしや、セイラさまも……?」

「ああ。慈恵寺に行って庵主(あんじゅ)にお会いしてきたよ」

「そうでしたか、それで……」

 謎がひとつ解(と)けると、高倉はいくらか落ち着きを取り戻して先を続けた。

「あれはお午(ひる=正午)ごろでしたわ。渡殿(わたどの)で尹の宮さまとすれ違い、ごあいさつをいたしました。尹の宮さまは、私の目が赤いのにお気づきになると、
『嘆(なげ)くことはない。楊(よう)姫は御仏の住まう浄土(じょうど)に旅立ったのだから。憎しみや怨嗟(えんさ)の業火(ごうか)に焼かれているのは、現(うつ)し世にいる私たちの方だ』そうおっしゃって、私をつくづくとご覧(らん)になり、『おまえにもいろいろつらい思いをさせてしまった。でも、それも終わりにする時がきたようだ』と――」

「終わりにする時が――尹の宮は、そう言ったのか……」

「はい。私はわけがわからず、なにを終わりにするのです?とお尋ねいたしました。そうしますと尹の宮さまは、
『おまえが気にするようなことじゃない』とだけお答えになってそのまま行きかけ、ふいに立ち止ってこちらを振り返られました。その時の尹の宮さまのお顔……今でも目に焼きついておりますわ。まるで子どもの頃のように屈託(くったく)のないほがらかな笑みを浮かべられて、『今度生まれ変わったら、また三人でかくれんぼしよう――』そう、おっしゃいましたの……」

 高倉は、声もなく泣いていた。

 尼寺(あまでら)でたわいもなく遊んでいた頃(ころ)の思い出が、脳裏(のうり)に浮かんだのだろう。

 あれほど仲のよかった三人の運命が、どうしてこれほどねじれてしまったのか――

 因果(いんが)とはいえ、尹の宮や楊姫になんの罪があったというのか――

 割り切れない苦(にが)い思いばかりが、高倉の胸を締(し)めつけた。

 だが少納言(しょうなごん)にとって、問題はそんなことではなかった。

「今のお話、どういうことですの?高倉さまと尹の宮さまは……」

「幼なじみだったのよ、楊姫さまと……三人でいつも遊んでいたわ」

「ですが、女御さまはそんなこと一言も……」

「女御として、主上(おかみ)のお気持ちや尹の宮さまのお立場をお考えになったのでしょう」

「そんな……!敵(かたき)同士かもしれないのに……」

「そうね。でも幼い頃にはそんなこともわからなかったわ。一緒にいる時がただ楽しくて……それがどうして、こんなことに……」

 こみ上げてくる嗚咽(おえつ)を手でふさいで、高倉は倒れるようにうずくまった。

 その高倉のもとに、少納言が駆け寄る。

「高倉さま!あたくし、つまらないことを……お許しくださいませ、お許しくださいませ……」

「セイラは、知っていたのね……」

 綺羅姫は声をうるませて、蒼(あお)ざめた顔を見上げた。

「残酷(ざんこく)な忌(いま)まわしい因縁(いんねん)って、このことだったんでしょ!?」

「ああ。でも知るのが遅(おそ)すぎた……私はなにもできなかった!」

 セイラは、力の限りこぶしを握りしめた。

 左大将の焼死(しょうし)を女御がどう受けとるか、尹の宮にわからなかったはずがない。

 にもかかわらず、女御が自(みずか)ら死を選ぶという取り返しのつかない犠牲(ぎせい)を払うことになっても、復讐を遂(と)げようとするとは予想もしなかった。

 心のどこかで、尹の宮を信じていたのかもしれない。

 女御を失えるはずがない、と……。

 それが裏切られた今、セイラの胸中には虚(むな)しい怒りだけが残った。

「終わりにする…って、尹の宮はまだなにかする気かしら」

「おそらく、左大臣を殺して自害(じがい)するつもりだろう。直接手を下さずとも、女御さまも殺してしまったようなものだ。尹の宮に少しでも思い出を大切にする気持ちがあるなら、平然(へいぜん)と生きていられるはずがない」

「尹の宮を捕(とら)えなくていいの?そりゃあ、左大臣はセイラを殺そうとしたし、助ける価値もない奴だけど……」

「蛇蝎(だかつ=ヘビとサソリ)の争(あらそ)いに、興味はない」

 セイラはバッサリと切り捨(す)てた。

 すると突然、高倉が平伏(へいふく)して、橋の上に頭をこすりつけた。

「お願いでございます!どうか…セイラさまのお力で、尹の宮さまをお救いくださいませ――!!」

「救う…?どうやって?」

 セイラは、乾(かわ)いた酷薄(こくはく)な笑みを浮かべた。

「今さら、どう救うっていうんだ?楊姫は亡くなった!もう誰にも止められないよ!!」

 銀糸の髪が揺(ゆ)らめき、堪(こら)えていたセイラの怒りが爆発しかけたその時――

「あのさァ…ずっと気になってたんだけどォ、女御さまがセイラにあてた文には、なんて書いてあったの?」

 間のびした真尋(まひろ)の声に、セイラはハッとした。

「ああ…。文には――」

 セイラは顔に手を当て、冷静になろうと努(つと)めながら、

「私に伝えたいことがあると――」

 その女御との対面は、もう二度と叶(かな)わない。そして――

「女御さまは、ずっと以前から私のことをご存じだったらしい。伝えたいことと言うのはたぶん……」

「へぇー、女御さまがセイラのことをご存じだったなんて、意外だな」

 変なところで感心している真尋を、綺羅(きら)姫はキッとにらんで、

「じゃあ、女御さまが亡くなって、記憶の手がかりはもう……」

「――いや、もうひとり」

「誰かいるの――!?」

 二人が声をそろえて言うと、セイラは手をおろしてじっと虚空(こくう)を見すえた。

「ああ。尹の宮が知っている」

 一瞬、その場がしんとした。

 その尹の宮も、もうすぐ命を絶(た)とうとしている――

「思い出しましたわ。去り際(ぎわ)に尹の宮さまがおっしゃったこと……あれはきっと、セイラさまのことだったんですわ……」

 高倉がつぶやくと、全員が一斉(いっせい)に振り向いた。

「どなたのことをおっしゃっておいでなのかわからず、うっかり失念(しつねん)しておりましたが……そうですわ、あれはセイラさまのことをおっしゃっておられたに違いありませんわ」

「尹の宮は、なんて言ったの!?」

 綺羅姫に急(せ)かされると、高倉は視線を上げて、

「会えてうれしかった、あの方にお会いすることがあったらそう伝えてくれ――と……。まるでセイラさまが生きておられるのを、わかっていらしたみたいに……」

「セイラのこと、嫌いじゃなかった…ってこと?」

「あっ……」

 その瞬間――

 セイラの心にわだかまっていた疑問が、みるみる氷解(ひょうかい)していった。

 はじめから敵意(てきい)などなかったのだとしたら、あの物の怪騒ぎがあった夜、なぜ尹の宮は懐(ふところ)に刃(やいば)をしのばせ殺気(さっき)を向けてきたのか――

 邪魔者のセイラを脅(おど)すためでなく、注意を引いて、自分がしようとしていることを止めてほしかったのだとしたら……。

 復讐(ふくしゅう)と思い出――相反(あいはん)する二つの心に揺(ゆ)れながら、助けを求めていたのだとしたら――!!

「ねえセイラ、ほんとにこのままでいいの?尹の宮はセイラが一番知りたいことを知っているのよ!」

「そうだね、投げ出すのはまだ早いかもしれない。尹の宮に……質(ただ)したいことがある!」

 ――その時、夜空の北側にぼーっと赤い雲が出現した。

「姉さん、あれ見て!どっかの邸(やしき)が燃えてるよ!」

「まさか――っ!?」


 綺羅姫は数日前の光景を思い出し、怯(おび)えた目でしだいに広がっていく赤い雲を見つめた。

「――左大臣の邸だ!時間がないっ!!」

「あっ、待ってセイラ!あたしも一緒に――」

 走り出したセイラを、綺羅姫は急いで追いかけようとした。

 だが、セイラの足は止まらない。

「私は先に行く!綺羅……は、……を……裏側に…………!」

 切れ切れの言葉を残して高々と舞い上がると、セイラは流星のように闇に消えていった――


             
   
                       


 勅命(ちょくめい)が下り、検非違使(けびいし)を引き連れて篁(たかむら)が三条の左大臣邸を包囲(ほうい)したのは、日も暮れかかる頃だった。

 広々とした邸の門扉(もんぴ)は固く閉ざされ、
『喪中(もちゅう)につき来客お断り』の札が掲(かか)げられている。

 篁はかまわず、大声で罪状(ざいじょう)を記(しる)した書状(しょじょう)を読み上げた。

「東宮に対する反逆ならびに侍従(じじゅう)セイラ謀殺(ぼうさつ)の罪で、左大臣を捕縛(ほばく)する!御所に侵入した賊(ぞく)の取り調べにより、その証拠は明らかなり。これは勅命(ちょくめい)である!速(すみ)やかに門を開放せよ――!」

 その頃、邸内(ていない)では左大臣がむずかしい顔で尹(いん)の宮と話し込んでいた。

 尹の宮は、篁が到着する少し前、火急(かきゅう)の要件があると称(しょう)して門をくぐった。

 そこでどんな密談(みつだん)が交わされていたかは、知る由(よし)もない。が――

 家令(かれい)の報告で、勅命が下り邸が包囲されたと知った左大臣は驚き怒り、呪(のろ)いの言葉を吐きつくした後、途方(とほう)に暮れた。

 出頭(しゅっとう)すべきか、それともこのまま謹慎(きんしん)しているべきか――

 もとより、罪を認めるつもりなどない。

 だが、東宮御所に忍び込ませた郎等(ろうどう)のことは、どう言い逃(のが)れすればいいのか――

 家令に、身じまいを整える時間がほしいと返答させたまま、半時
(はんとき=一時間)がたち一時(いっとき=二時間)がたとうとしていた。

 この決断力のなさが、左大臣の命取りとなる。

 尹の宮の車副
(くるまぞえ=牛車の前に出ている二本の棒の左右でお供をする者)として、邸内にいた二人の従者が、夜陰(やいん)に乗(じょう)じて邸に火を放った。

 壮麗(そうれい)な炎の棺(ひつぎ)が、憎しみも真実も、すべてを飲み込もうとしていた――


             
   
                       


 篁は業(ごう)を煮やした。

 半時ほどは、今少し今少し…と扉の内側から懇願(こんがん)してきた家令の声もしなくなって、邸内は静まり返っている。
 
 日はすでにとっぷりと暮れて、月が徐々に青さを増していった。

 ――もう、待っていられない!

 門を押し破ってでも突破(とっぱ)しようとした、その時――

 上空がほのかに明るんで見え、それとともに人の悲鳴や怒号(どごう)が聞こえてきた。

「一体、なにがあったんだ……?」

 押し破るまでもなく、直後に門は内側から開けられ、次々に人があふれ出してくる。

 見ると、邸はそこら中が火に包(つつ)まれ、もはや突入(とつにゅう)するどころではなくなっていた。

 邸から逃げ出してくる使用人を、残らず捕(と)らえておくことはできない。

 篁は焦(あせ)り、苛立(いらだ)った。

「左大臣を捜(さが)せ――!!ひとりずつ顔をあらためろ!絶対に逃すな――!!」

 目を皿のようにして、門を飛び出してくる者の中から左大臣を捜す。

 そうしている間にも刻々(こくこく)と時は移り、火の手はますます勢(いきお)いづいていった。

 だが、左大臣の姿は見当たらない。

 もう邸内に残っている者はいないかと思われた頃、大きな荷物を背負(せお)ってよろよろと門を這(は)い出してきた男がいた。

「おい!左大臣はどうした?まだ中にいるのか!?」

 篁が尋(たず)ねると、男は激しく咳(せ)きこみ殺気だった目を向けて、

「知りませんよ!それどころじゃない、こっちは命からがら逃げてきたんだ!」

「くっ……!」

 篁は悔(くや)しさをにじませて、邸門(ていもん)に襲(おそ)いかかる炎を見つめた。

 ――と、突然!

「それを知りたければ、私と一緒に来い、篁!」

 背後からなつかしい声がしたと思うと、すれ違いざま篁の腰から太刀(たち)を引き抜いて、またたく間に前を行く銀髪の人影――

「セイラ……生きてたのか!!」

 篁は迷わず後を追って、火の粉が降り注(そそ)ぐ門をくぐった。

「待てよ、セイラ――!」


             
   
                       


 火焔(かえん)は、すでに建物全体を覆(おお)いつくしていた。

 ――遅かったか!!

 思わず弱気になりかけた時、母屋の蔀
(しとみ=板戸。格子の裏に板を張り、風雨を防いだもの)がセイラの目にとまった。

 上下開きの蔀がしっかりと閉じられているせいか、そこだけはまだ完全に炎に征服されていなかった。
    
 ――あの中なら、生きているかも……。

 セイラは、今にも焼け落ちそうな正面の階(きざはし)を一気に飛び越え、妻戸(つまど)へ急いだ。

 だが、妻戸は中から錠(じょう)が下ろされているのか、体当たりしてもびくともしない。

 やむなく、蔀(しとみ)が燃えかかって脆(もろ)くなっているところを捜し、裂帛(れっぱく)の気合(きあい)で斬りつけた。

 ドーンという衝撃音がして、蔀は火の粉をまき散らしバラバラに砕(くだ)けて吹き飛んだ。

 部屋の中が見えるようになると、そこに尹の宮がいた――!

 なにごともなかったかのように、扇(おおぎ)を片手に端然(たんぜん)と座(ざ)している。

「最後に、あなたに会えるような気がしていましたよ、月の君」

 死を覚悟(かくご)した者の、てらいのない沁(し)み入るような笑顔だった。

 セイラは近づいていって、傍(かたわ)らに横たわる左大臣に目をやった。

「死んではいません。逃げようとしたので、当て身をくらわせただけです。左大臣には、地獄まで道連れになっていただくつもりなので……」

 うつ伏(ぶ)せになった身体(からだ)を一瞥(いちべつ)して、尹の宮はくすっと笑った。

「ひとつだけお尋(たず)ねする――」

 セイラは、尹の宮の首筋(くびすじ)に太刀を近づけて、

「なぜ、左大将を殺したのです?殺す必要はなかったはずだ、楊(よう)姫は――」

「楊姫は私が殺したようなものだ、と……?」

「違いますか?楊姫はあなたを慕(した)っていた。その楊姫の心を、あなたは復讐(ふくしゅう)という最も残酷(ざんこく)なやり方で踏(ふ)みにじった!だから――!!」

「それは違います」

 見上げる尹の宮の目に、不思議なひたむきさがあった。

「いや……あるいは、半分はそうかもしれません」

「半分…?ふっ、なにを言っている。それ以外どんな――」

「悪いことが重(かさ)なりすぎたのです。楊姫も、私も……」

 二人の視線が、真っ向(こう)からぶつかりあう。

 怒れる赤い目と絶望に沈む暗い目――

 やがて尹の宮は、まつ毛を伏(ふ)せて静かに語り出した。

「……あれは昨年の秋、私が昇殿(しょうでん)して間もない頃でした。渡殿(わたどの)で左大臣と左大将が話しているのを、偶然(ぐうぜん)耳にしたのです。左大将はある証文を盾(たて)に、大納言の位(くらい)を左大臣に要求していました。その時はじめて、私は十七年前の謀反(むほん)が仕組まれたものだと確信し、左大将が重要な証文を隠し持っていることを知りました。私はそれを知るべきではなかったのでしょう。でも知ってしまった……その時から、復讐などとうの昔にあきらめていた私の胸に、鬼が住みついたのです」

「……それでも、あなたの心には迷(まよ)いがあったはず。あの物の怪騒ぎがあった夜、私を脅(おど)したのは、それをとめてほしかったからではないのですか?」

 尹の宮は、唇の端(はし)に自嘲(じちょう)の笑みを刻(きざ)んだ。

「私はあなたに、ただ私を見てほしかっただけなのかもしれません」

「あなたを――?」

「管弦(かんげん)の宴(うたげ)の時のあなたは、神々しいほどに美しかった。そんなあなたをたやすく手中にしている主上(おかみ)に、私は嫉妬(しっと)さえしました。あなたがなぜこの世に現れたかさえ、主上はわかっておられない。でも私なら……!本来なら私と主上の立場は逆だったはず。あなたも楊姫も、手に入れるのはこの私のはずだった!その思いが日ごとに私を苦しめ、気づいた時、鬼はもう私の手に負(お)えなくなっていました」

 セイラは言葉もなく、茫然(ぼうぜん)と立ちつくした。

 尹の宮の告白は衝撃(しょうげき)的で、それ以上に謎に満ちていた。

「あの日、邸が放火されたと知ると、左大将は真っ先に部屋の隅にある厨子
(ずし=両開きの扉のついた戸棚)に駆け寄りました。その中の書物をかき出し、二重底の奥からなにかを取り出そうとした……それが例の証文だということはすぐにわかりました。捜さなくても本人が自ら隠し場所を教えてくれる、そのために火を放ったのですから」

「関係ない者まで巻き込まれて、焼け死んでいたかもしれないんですよ」

「災難は、誰にも突然降りかかってくるものです」

 突き放した口調に、セイラはムッとした。

「十七年前右大臣が抱(いだ)いた野望(やぼう)が、子どもだった私の身に降りかかってきたように……」

 尹の宮は、かすかに聞こえるふくみ笑いを漏(も)らした。

「あんなにあわてた左大将は、見たことがありませんでしたよ。長年使われていなかったせいか、二重底の蓋(ふた)がほんのわずかしか開かなくなっていたのです。料紙(りょうし)にくるんだ分厚(ぶあつ)い包(つつ)みが取り出せるはずもない。赤鬼が引きつけをおこしたような顔で、躍起(やっき)になって蓋をこじ開けようとしていましたが無駄でした。思いあまった左大将は、厨子(ずし)を持ちあげて力まかせに床に叩(たた)きつけました。底板が割れて、包みが転がり出るのが見えた時――」

 尹の宮の顔から、すっと笑みが消えた。



  次回へ続く・・・・・・  第三十九話へ   TOPへ