第二十九話


 世俗
(せぞく)を離れて暮らす尼(あま)といっても、セイラをはじめて見る者にとって、異彩(いさい)をはなつその容色(ようしょく)は、当然のように人目を引かずにはおかなかった。

 あっという間に尼たちに取りかこまれたかと思うと、大騒ぎのうちに、セイラは濡
(ぬ)れた衣服をすべてはぎ取られてしまっていた。

「まあ、女物の袿
(うちぎ)がよくおにあいですこと」

 尼の物らしい小袖
(こそで)と袿を着て現れたセイラを見て、庵主(あんじゅ)は娘のように若やいだ声をあげた。

 セイラは気恥
(きは)ずかしそうに顔を赤らめて、進められた座に腰を下ろした。

「なにぶんにも尼寺のことゆえ、お召(め)し物が乾
(かわ)くまでの間はご辛抱(しんぼう)くださいませ。さっ、白湯(さゆ)を召し上がれ。冷えたお体が温(あたた)まりますよ」

 尼のひとりが、運んできた椀
(わん)をセイラの前に差し出すと、庵主はにこやかにすすめた。

 その椀の温
(ぬく)もりを手のひらで感じながら、白湯を一口ふくんで、セイラはほーっと息を吐き出した。

「なにやら生き返ったような心地
(ここち)がします」

 庵主は、ほほほ……と軽い笑い声を立てた。

「寺の中がこんなに華
(はな)やいだ雰囲気になったのは、久しぶりのことですよ。これもセイラさまのおかげですね」

 そう言って目を細めると、庵主は外の気配
(けはい)に耳を澄(す)ました。

 雨は依然
(いぜん)として、小止(こや)みなく雨戸をたたき続けている。

「たしか、綺羅
(きら)姫さまと篁(たかむら)さま…とおっしゃいましたね。この雨の中を厭(いと)いもせず馬を走らせるなど、セイラさまにとってはよほど大切なお方なのでしょうね?」

 澄み切った眼差
(まなざ)しを向けられると、セイラは、心にいささか後ろめたいものを感じないではいられなかった。

「ええ。二人とも私の大切な友人で、命の恩人です。自分のことをなにも思い出せずにいる私が、こうしていられるのも、すべて二人のおかげだと思っています」

 庵主は共感したように大きくうなずいた。

「大切に思っている方がいらっしゃるというのは、幸せなことです。それはどんな時でも、心の支
(ささ)えとなってくれますからね。こう申し上げる尼にも、御仏(みほとけ)の他に大切な方がいると申しましたら、セイラさまはお笑いになりますか?」

 セイラの胸がドキンと大きく跳
(は)ね上がった。

「いいえ……ですが庵主のお心を御仏と張りあうほどのお方ならば、さぞやすばらしい殿方
(とのがた)なのでしょうね」

「まあセイラさま、年よりの尼をそのようにおからかいになるものではありませんわ」

 庵主は頬
(ほほ)を上気させて、少女のようにコロコロと笑いころげた。

「殿方ではございませんのよ。今は登花殿女御
(とうかでんのにょうご)となっておられる楊(よう)姫さまのことです」

「楊姫――!?」

 大きく見開かれたセイラの瞳
(ひとみ)が鋭く光ったのを、庵主は別の意味あいで受け取ったようだった。

「ほほほ……わたくしのような尼が、女御さまのお名を存じ上げているのを、いかにも不思議に思われますか?」

「いえ、そんなことは……」

 つぶやくように言った後で、セイラはにこりとした。

「ただ、殿方だとばかり思っていたものですから……」


     
               


 命婦
(みょうぶ)が尹(いん)の宮邸に尼の姿で入っていった時、セイラの脳裏(のうり)に浮かんだのは、権(ごんの)中将から聞かされた話だった。

『尹の宮殿のお邸に、朝早く寺の尼が入っていくのを、時折
(ときおり)見かけるという者がいます……おそらく昔なじみの尼ではないかと……』

 命婦が、昔なじみの尼であるはずがなかった。

 ――が、邸を訪
(たず)ねる口実として、周囲の目をごまかすために、以前尹の宮があずけられていた寺の尼をよそおっていたとしたら……。

 その尼寺こそ、セイラが探していた尼寺に違いない――!

 そう推理してこの尼寺にやってきたのだったが、予想を裏切って、庵主とかかわりがあったのは登花殿女御だったということになる。

 ――すると、尹の宮があずけられたのは、この尼寺ではないのか……?

 セイラのおもわくは、微妙
(びみょう)に狂いはじめていた。

 そんなセイラの心の内など知るはずもない庵主は、いい話し相手が見つかったことがうれしそうに先を続けた。

「この尼寺にまいる以前、わたくしは楊姫さまの乳母
(うば)をしておりましたの」

「乳母を?では庵主は、高倉
(たかくら)のお母上……」

「まあ!セイラさまは高倉をご存知でしたか?」

「えっ、ええ……」

 その高倉が、今は行方
(ゆくえ)知れずに――とは、さすがに言えなかった。

「では姫さまに……楊姫さまにもお会いになりまして?」

 庵主は、期待にパッと顔を輝かせた。

「はい、一度登花殿
(とうかでん)にうかがったことがあります。たおやかで、とてもお美しい女御さまでした」

「ええ、ええ……そうでしょうとも。姫さまのお母上柚生
(ゆう)姫さまも、それはお美しい方でした。なればこそ、今は左大将となっておられる公成(きんなり)さまに見染(みそ)められ、楊姫さまがお生まれになったのですが……それが、あのようなことに……」

 つらい過去を思い出したのか、庵主はふいに、声をつまらせて涙を落とした。

「まあ、わたくしとしたことが、お恥ずかしいところをお目にかけてしまって……」

 袖口で涙をぬぐう庵主に、セイラはやさしい目を向けて、

「いえ、お気になさらないでください。それよりも、そのお話をもっと聞かせていただけますか?」

 落ち着きを取り戻した庵主から、セイラが聞き出せたことは、楊姫が生まれてすぐ左大将に見捨てられた柚生姫が、母子二人でつましく暮らしていた頃の話や、ある日やってきた左大将が、なかば奪うように楊姫を連れ去ったこと、そして、生きがいを失くした柚生姫は病に倒れ、間もなく亡くなってしまった――というようなことだった。

「公成
(きんなり)さまが、それまで顧(かえり)みようともなさらなかった楊姫さまを、突然引き取ったのは、当時東宮であらせられた帝がご元服(げんぷく)なさるのを機(き)に、楊姫さまを入内(じゅだい)させようというお考えからでした。公成(きんなり)さまのご一族には、につかわしい年頃の姫がいらっしゃらなかったのです。ですから……お邸に引き取られた後の楊姫さまは、それは厳しい教育をお受けになられたようで……頼る者とてなく、大きなお邸に住んでいても、姫さまは少しもお幸せそうではありませんでした。たびたび泣きながらお邸を抜け出してきては、柚生(ゆう)姫さま亡き後、わたくしが身を寄せていたこの慈恵寺(じけいじ)にやって来ておりましたの」

 庵主は、寂
(さび)しそうに笑って目頭(めがしら)をおさえた。

「入内なさって東宮妃
(とうぐうひ)になられてからも、年に一、二度はこの尼寺に参詣(さんけい)なさっておいででした。本来であれば、いずれは皇后(こうごう)にもなろうというお方が、軽々しく出歩いてよいはずがございませんのに、この尼に会うことだけが唯一の楽しみと申されて……」

「楊姫さまは、こちらでどなたかとお会いになる、というようなことはなかったのですか?」

「滅相
(めっそう)もございません。姫さまはお部屋の御簾(みす)の中にいらして、この尼ととりとめのない話をしては、静かにお帰りになられるのが常でした。ただ……」

 庵主はそこで、なにかを思い出したように遠い目をした。

「姫さまにはひとつだけ、幼い頃からの念願
(ねんがん)がございましたわ。そのことをお話になる時の姫さまは、それはそれはなつかしそうにしていらっしゃいましたのよ」

 庵主の笑顔につり込まれるように、セイラの目元がフッとゆるんだ。

「それは、ぜひうかがってみたいものですね」

「あらっ!まあ、どうしましょう。姫さまにかたく口止めされておりましたのに……」

 庵主は、恥
(はじ)らうように軽く口元をおさえたが、それといって拒(こば)んだりはしなかった。

「たあいのない、不幸せなおさな児
(ご)がつい思い描いてしまうような夢ですわ。でも姫さまは真剣に信じていらっしゃいました。この世に、いつの日か舞い戻ってくると約束された、それはそれは美しい神さまがおられる――と……。その神さまが、もし楊姫さまが生きている世に現れてくだされたなら、この尼も姫さまも、みなが幸せに暮らせるように、きっとお願いするのだと……。これは誰にも内緒(ないしょ)よ、とそれは大真面目(おおまじめ)におっしゃられて……うっうっ」

 庵主は、いつしか声をおし殺して泣いていた。

 セイラはさすがに胸がつまって、ギュッと目をつぶった。

 登花殿女御の半生
(はんせい)は、決して幸せなものだったとは言えないだろう。

 人の世の禍福
(かふく)が、あざなえる縄(なわ)のようなものだとしたら、不幸せだった半生をおぎなってあまりある幸せな時が、これから女御にやってくるのだろうか――

 セイラは、自分も否応
(いやおう)なしに、その重い責任の一端を背負(せお)わされているように思えてならなかった。

「思えば、姫さまが一番楽しそうにしていらしたのは、そんなお話をしながら、この寺の境内
(けいだい)で、童(わらべ)らと遊んでおられた時だったような気がします。ご生母(せいぼ)を亡くされて、頼りない身の上になられたばかりだというのに、姫さまは、お伽噺(とぎばなし)の中の神さまを今日か明日かと、目を輝かせて待ち望んでおられましたの……」

 袖を濡
(ぬ)らしながら、庵主がしみじみとそう話すのを聞いていたセイラは、急に、胸の内がざわざわと波立ってくるのを感じた。

 この時セイラの関心は、ただひとつのことに向けられていた。

「童ら……とは?この尼寺に、楊姫の遊び相手になるような女
(め)の童(わらわ)でもいたのですか?」

 庵主は顔をあげて、不思議そうにセイラを見つめた。

 取り立てて聞くほどのこととも思えないのに、それを尋
(たず)ねるセイラの声は、少し鋭すぎるように思えた。

「女の童、というわけではございませんが、先の庵主はお心の広いお方でしたから、寺の尼のお子たちや、近くに住む童
(わらべ)らがよくこの寺にやってきておりました。ですが姫さまは人見知りをなさる方でしたので、もっぱら乳姉妹として一緒にお邸に引き取られたわたくしの娘や、時々訪ねて来る先の庵主のお子と遊んでおられたようでしたが、それが……?」

 ――先の庵主のお子――!!

 セイラは思わず声をあげそうになって、大きく息を吸い込んだ。

 それをゆっくりと吐き出しながら、いぶかしそうに見つめる庵主に、嫣然
(えんぜん)と微笑(ほほえ)んで見せた。

「これは、奇遇
(きぐう)ですね。先日人づてに、さるお方が幼い頃に尼寺で遊んだことがある、というお話をうかがったばかりなのですが、その、先の庵主のお子とおっしゃるのはもしや……」

 庵主は、そのことであったかと、ようやく納得
(なっとく)がいった顔でうなずいた。

「ええ。その方は、セイラさまもよくご存知のお方だと思いますよ」


     
               


 右大臣邸
(うだいじんてい)では、宴(うたげ)の準備が大わらわで進められていた。

 明け方からの激しい雷雨は、一時は宴を催
(もよお)すこともあやぶまれるほどだったが、未の刻(ひつじのこく=午後二時)を過ぎたあたりから小降りになってきた雨を見はからって、邸中の者を総動員しては、幔幕(まんまく)や宴席が着々と調(ととの)えられていった。

 ここで一気に、讃良
(さら)姫の入内(じゅだい)をおし進める世論を盛り上げてしまおうという、この宴にかける正親町大納言(おおぎまちだいなごん)の並々ならぬ執念(しゅうねん)のほどがうかがえるようだった。

 雨上がりを待って、慈恵寺
(じけいじ)から戻ってきたセイラは、ひどくむずかしい顔をして西の対屋(たいのや)にこもると、しばらくして一通の文をしたためはじめた。

 それを、ちょうど書き終えたところに、簀子縁
(すのこえん)を小走りに近づいてくる足音がして、戸口に縹(はなだ)色の水干(すいかん)を着た安積(あさか)が現れた。

「セイラさま。若君が至急、西北の対屋までお越しいただきたいとのことです」

 声を落として、口早にそう告げた安積の態度からは、秘密めいたにおいが感じられた。

「西北の対屋って……今は使われていない空き部屋じゃないか。そんなところにどうして篁
(たかむら)が……?今宵(こよい)の宴は、寝殿(しんでん=母屋)の南庭で催(もよお)されるはずだろ?」

「実は、そのことで、少々お耳に入れたいことが……」

 安積はセイラに近づいて、なにごとかをそっと耳打ちした。

「えっ!讃良姫が――!?」

「はい。しかも、とんでもないおまけつきで……」

「おまけつき?」

 安積について、セイラが西北の対屋にやってきてみると、そこには苦
(にが)りきった表情の篁が、御簾(みす)の向こうをにらんで座っていた。

 夕闇につつまれた室内は薄暗く、御簾の向こう側はほとんどなにも見えなかったが、それにもかかわらず部屋の明かりを極力
(きょくりょく)落としてあるのは、この事態を家人(かじん)に知られまいとする篁の配慮(はいりょ)だろうと思われた。

「セイラ!」

 安積に続いて、部屋の入り口に現れたセイラを振り返った篁は、ほっとした声をあげた。

 セイラはひとつうなずいて、篁のとなりに腰を下ろすと、御簾の向こうに声をかけた。

「お久しぶりです、讃良姫。ご機嫌はいかがですか?」

 やさしく話しかけられると、御簾の中からかすかに聞こえていたすすり泣きの声が止んだ。

「――セイラさまは、篁兄さまのように私をお責めになりませんの?」

「責める?……なぜです?」

 セイラは、ほがらかな笑顔を浮かべた。

「むしろ、私は驚いているくらいですよ。そろそろおむかえをさしあげてもよい頃だと思っていたのが、どうして讃良姫にはおわかりになったのかとね」

「まあ、セイラさま!それは本当ですの?」

「もちろんです。入内
(じゅだい)のお話も二、三日中にはすべて白紙に戻るでしょう。ですから、讃良姫がお邸に戻られても、もうなんの心配もありませんよ。そうだね、篁?」

「うっ、うん……」

 篁の返事は、どこか歯切れが悪かった。

 セイラは、それを少し妙だと思いながらも、讃良姫の身を気づかってのことだろうと受け取った。

「それにしても、どうして急にお邸に戻ろうと思われたのです?こんなふうに突然現れたのでは、篁が心配するのも無理はありません。真尋
(まひろ)も、連絡ぐらいくれればいいのに……」

 そこで、はじめてセイラは、真尋の姿が見えないことに気づいた。

「そういえば真尋は?讃良姫とご一緒ではなかったのですか?」

「あの、セイラさま。私……真尋さまには内緒
(ないしょ)でまいりましたの」

「えっ!まさかおひとりで――?」

 思わず絶句
(ぜっく)したセイラの耳に、それよりもっと信じられない声が飛び込んできた。

「讃良姫を連れてきたのは、あたしよ。セイラ」

 言うが早いか、暗い御簾の中からさっと飛び出してきた人影があった。

「綺羅
(きら)姫――!?」

「へっへえー。セイラ、お久しぶりね。二人とも全然会いに来てくれないから、あたしの方から来ちゃった」

 呆気
(あっけ)にとられて、ぽかんと口を開けているセイラの前に座り込むと、綺羅姫はなつかしそうに満面の笑みをこぼした。

 セイラはとっさに安積を振り返った。

 『おまけつき――』とはこのことかと、言外
(げんがい)に尋ねたつもりだった。

 簀子縁にひかえていた安積は、渋
(しぶ)い表情でそれにうなずいた。

 篁は困惑
(こんわく)を隠(かく)せないように、眉(まゆ)をひそめている。

「ははっ。相変わらず元気そうだね、綺羅姫」

 セイラは珍
(めずら)しくうろたえながら、この場の状況を把握(はあく)しようとあせった。

 安積が綺羅姫のことをあまりよく思っていないのは、セイラにもわからないではなかった。

 北の方
(かた)が綺羅姫との結婚に強く反対している以上、右大臣家の家令(かれい)としては、やむをえない心情と言えるだろう。

 まだ三十路
(みそじ=三十歳)前の、家令(=執事)の中では一番若い安積にとって、北の方の意向(いこう)は帝の命令よりも絶対だった。

 その問題の姫が、殿方
(とのがた)の邸にこっそり忍び込むなどというまねをしたとあっては、いかに讃良姫を送り届けるためとはいえ、安積の心証(しんしょう)がよくなるはずもない。

 だが、篁まで浮かない顔をしているのは、どういうことか――

 実は、篁にしてみれば、それどころではないというのが本音だった。

 綺羅姫がわざわざ会いに来てくれたことが――と言っても、セイラ目当てだとわかっていたが、たとえそうだとしても――うれしくないはずはなかったが、今夜ばかりは日が悪すぎたというほかはない。

 なにしろ、ただでさえ宴の客の中に、左大臣の息のかかった者がいないかどうか神経をとがらせているというのに、肝心
(かんじん)のセイラからは、まだなにもはっきりした話を聞かされていなかった。

 ――綺羅さんには悪いけど、今はのんびり話しているひまはないんだ……。

 その気持ちは、そのままセイラの気持ちでもあった。

「だけどどうして、綺羅姫が讃良姫と……?」

「それはね、桔梗
(ききょう)のお手柄(てがら)なのよ」

 綺羅姫は、久しぶりにセイラに会えたことがうれしそうに、弾
(はず)んだ声で話しはじめた。

「真尋のようすが、どうも最近おかしいって言ってきたのよね。日頃は面倒
(めんどう)くさがってあまり出歩くことがない真尋がよ、ここのところ毎日のように、参内(さんだい)から戻ったかと思えば、すぐにどこかに出かけてるようだって……。それで、真尋付きの女房に話を聞いてみたら、九条の別邸(べってい)に通ってるって言うじゃない?これはどう考えてもあやしいってピンときたのよね」

「なるほど。綺羅姫は勘
(かん)がいい」

 セイラは苦笑するしかなかった。

「まさか真尋が、身分違いの恋人を別邸にかくまってるなんてあるわけないし、考えられることっていえば、あんたたちがあたしに内緒で、なにか企
(たくら)んでるんじゃないかってことぐらいでしょ?そう思って昨日、別邸に行ってみたら、そこに讃良姫がいたってわけよ。あたしだって最初はびっくりしたわ。真尋がほんとに、どこかの姫君をさらってきたのかと思っちゃった」

「まあ、綺羅姫さまったら……」

 御簾ごしに、クスクスと讃良姫の笑い声がこぼれた。

「真尋さまはそんな方ではありませんわ。私に、それはよくしてくださいましたのよ」

「そうね……真尋は、きっと讃良姫に同情したんだと思うわ。篁とセイラに頼まれたってこともあるだろうけど、あの子って、どこか抜けてるわりには、変に情け深いところがあったりするから……」

 綺羅姫は、御簾の中の讃良姫に、姉としての複雑な笑顔を向けると、さっとセイラを振り返った。

「それにしても、讃良姫からだいたいの事情は聞いてたけど、強引に結婚させられそうになった相手が帝だったとはね……。さっきの話聞かせてもらったわよ、セイラ」

 セイラは、ひょいと肩をすくめた。

「でも、もうすんだ話だよ。そう言わなかったかい?」

「あたしが許せないのはね――!」
 
 綺羅姫はズイと身を乗り出した。

「セイラにご執心
(しゅうしん)の帝が、この上さらに、姫を入内させようとしてたってことよ。それじゃあ、あんまり浮気性が過ぎるってもんじゃない?それとも帝は、セイラのこと、もうきっぱりとあきらめてくれたの!?」

 いきおいに気圧
(けお)されして、セイラが目を丸くしていると、御簾の中から、ひかえめな驚きの声があがった。

「綺羅さん!」

 たまりかねたように、篁が叫んだ。

「今上
(きんじょう)は、このたびのことにはなにも関与(かんよ)しておられないよ!すべては兄上の独断(どくだん)でしたことさ。それだって、あんなことさえなければ――」

 思わず口をすべらせそうになった篁を、すばやくセイラの手が制した。

「あんなこと……?」

 小首をかしげた綺羅姫を見て、セイラは強引に話を引き戻した。

「いや、大したことじゃないんだ。それよりも、どうして急に讃良姫が戻ることになったのか、その理由をまだ聞いてなかったね」

「ああ、そのことね……」

 綺羅姫はふうっと息を吐きだして、チラッと御簾の方を盗み見た。


  次回へ続く
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