第二十六話


 この最悪の取り合わせに、セイラは思わず頭を抱(かか)え込んだ。

 ふだんは人あたりもよく、声を荒げることのない権(ごんの)中将だったが、三位(さんみの)中将だけは例外だった。


 そりが合わないとでもいうのだろうか、お互いになるべく相手をさけて通っているので、二人が顔を合わせることは滅多(めった)になかったが、いったん顔が合ってしまうと、耳をおおいたくなるような舌戦(ぜっせん)が繰(く)り返された。

 三位中将の同性愛(どうせいあい)嗜好(しこう)は、宮中では有名な話だったが、セイラが参内(さんだい)するようになってからはひそかに機会をうかがっているとのうわさも流れ、セイラびいきの権中将としては、それだけでも気が気ではなかった。

「美しきものは愛(め)でるもの、愛(め)でるとは触(ふ)れること……ではないですかな、権中将殿?風雅(ふうが)を解(かい)さぬ御仁(ごじん)には、それが少しもわからぬとみえる。のう、背(せ)の君」

 そう言いながら、三位中将はセイラの長い髪をすくい上げ、さらさらとこぼれ落ちる感触を楽しんだ。

 ギョッとしたセイラが身を引くより早く、権中将がセイラの腕を強引に引っぱった。

「風雅と申されるが、はて風雅とは、色狂いのことでございましたか。あなたの邸の上は、毒気に当てられて悪食(あくじき)のカラスもよく飛ばぬというではありませんか。そのようなおぞましいところに、聡明なセイラ殿がまいられるとお思いか?」

「それでも、なんの雅趣(がしゅ)も妙味(みょうみ)もない貴殿(きでん)の邸よりはましと思うが?」

 気がつくと、喧騒(けんそう)を聞きつけた殿上人(てんじょうびと)が、いつのまにか渡り廊下(ろうか)に鈴なりになって、二人の言い争いを見物していた。

「これは一体どうした騒ぎですかな?おやっ、あそこにいるのは月の君では……?」

「明日の宴(うたげ)に、どちらが月の君を招(まね)くかで、三位中将殿と権中将殿が争っているのですよ。もともと、あの二人は仲が悪かったですからねえ。それに月の君がからんでいるとなると、これはただではすまないかもしれませんよ」

 三人を遠巻(とおま)きに見ながら、口さがない殿上人は、興味しんしんで好き勝手なことをささやきあっている。

「月の君が宴にまいるというのは本当か?いや、私は権中将殿の宴に招かれているのだが……」

「実は私も、お二方の宴に声をかけてもらっているのですが、できれば月の君がまいる方にうかがおうかと思っているところですよ」

「おお、それはいい!ならば私もそうしよう」

 私も、私も――という声が風にのって聞こえてくるにおよんで、二人の争いは、いよいよ引くに引けないものになってしまった。

 とはいえ、セイラにしてみれば、こんなことは他愛(たあい)もない意地の張り合いとしか思えない。

まともに仲裁(ちゅうさい)する気にもなれずにいたが、ここまでみんなに注目されてしまったのでは、セイラ自身がはっきりとした態度を示さなければ、ことはおさまりそうにもなかった。

「――三位中将殿」

 と、意を決したセイラが口を開きかけた時――

「ただ今から、帝がお渡りになられます」

 という先触(さきぶ)れの声がして、集まっていた者が次々と平伏していくようすが見えた。

 にらみ合いを続けていた三位中将と権中将も、あわててその場にひれ伏し、最後にセイラが庭先にひざまずくと、紫宸殿(ししんでん)に通じている渡り廊下に帝が姿を現した。

 数名の侍従(じじゅう)を従えているような衣擦(きぬず)れの音が近づいてきて、清涼殿(せいりょうでん)に遠ざかっていく気配がした時、ひとりの蔵人(くろうど)が庭に降りて、三人のいる方にやって来た。


「月の君、主上(おかみ)よりのお言葉を申し伝えます。明晩、承香殿(じょうきょうでん)にてもよおされる宴にまいるように、とのおおせでございます」

 それを聞くと、三位中将と権中将は、えっ!とばかりに顔をあげた。

 だが、それよりも驚いたのはセイラの次の返答だった。

「せっかくのおおせではございますが、わたくしには先約がありますので、それはお受けできませんとお伝えください。三位中将殿にもそう申し上げて、宴のお招(まね)きを辞退させていただくところだったのです」

 とたんに、渡り廊下のあたりがざわざわとしはじめた。

 蔵人ははじめ耳を疑って、信じられないというようにセイラを見返すと、顔をしかめて思い切り渋面(じゅうめん)をつくった。

「月の君、これは主上の御意向(ごいこう)です。ご命令と受け取ってくださってもよろしい。お断りするなどもってのほか!おわかりいただけましたら、わたくしについてこちらにおいでください」

 そういうと、蔵人(くろうど)は返事も待たずにスタスタと殿上口(てんじょうぐち)に向かった。

 セイラは肩をすくめて大きくため息をつくと、権中将に両手で拝(おが)むようにわびて、足早に蔵人の後を追った。

 後に残された三位中将と権中将は、呆気(あっけ)にとられて、ぽかんと口を開けたままセイラを見送った。

 蔵人の後について殿上の間を通り抜け、清涼殿の奥に通じる鳴板(なるいた)を過ぎると、そこに帝はひとり立っていた。

 なに気なく庭をながめている風をよそおってはいるが、御座所に向かわず、渡り廊下を見通せるこんな場所で待ちかまえていたのを見ると、セイラと蔵人との会話を立ち聞きしていたのは明らかだった。

「月の君をお連れいたしました」

 声をかけられて振り向いた帝は、蔵人が引き返していく後ろ姿を見ながら、セイラを側に呼び寄せた。

「困っているのを助けてやろうとしたせっかくの好意を、無にするつもりだったのか?セイラ」

 口調は非難めいていたが、その目はおもしろそうに踊(おど)っていた。

「そのようなありがたいご配慮(はいりょ)とは知らず、おそれ多いことを申しました」

 平伏したまま受け答えをするセイラのほうも、言葉は神妙(しんみょう)だったが、言外(げんがい)に帝の悪ふざけをなじる響きがまじっていた。

 案の定、帝は思い出したようにクスクスと笑い出した。

「そなたを横取りされたと知った時の、二人の顔が目に浮かぶようだ」

「やはり、意地悪をなさったのですね」

 ジロッと見上げたセイラの首筋に、いつの間にか、帝の腕がまわされていた。

「三位中将なんぞに、易々(やすやす)と抱(いだ)かれているそなたが悪い。助けてやった礼はしてもらうぞ、セイラ」

 はっと息をのむ間もなく、セイラは唇をふさがれていた。

 とっさに身を引こうとしたセイラの耳元に、帝は押し殺した声でつぶやいた。

「左大臣は、まだ動かぬか?」

 一瞬、動きを止めたセイラは、素早く帝を振り返った。

「はい。なかなかに用心深いとみえまして……」

「うむ。正親町(おおぎまち)めが、とうとう右大臣までその気にさせたようだ。なにか手を打たなければ、このままでは……」

 いらだちをおさえきれないように、帝は眉宇(びう)を引き寄せた。

 その横顔を見つめていたセイラの口元が、ふいにほころんだ。

「では、左大臣殿にこうおおせになられてはいかがでしょう?」

 ひそひそとなにごとかをささやいたとたん、帝の顔色がさっと変わった。

 思わずにらみつけたセイラの目には、自信に満ちた不敵(ふてき)な光がやどっていた。

 その光を食い入るように見つめて、帝はフッと目元をゆるませた。

「くれぐれも浮気はするなよ。セイラ」

 冗談とも本気ともつかないように言って、セイラの髪の毛をくしゃくしゃにかきまわすと、帝は快活(かいかつ)な笑い声を立てて奥の間へ消えていった。

 あきれ顔でその後ろ姿を見送っていたセイラが、立ち上がってふと後ろを振り返ると――そこに、尹(いん)の宮がいた!

 簀子縁(すのこえん)の端に、ひっそりと立ってこちらを見ている尹の宮を見た時、セイラの心臓はドキンと音を立てた。

 今しがたの、帝との密談を聞かれたのではないかという、一抹(いちまつ)の不安が胸をよぎった。

 その不安を打ち消すように、つばをひとつ飲み込んでなに食わぬ顔をよそおい、側を通り過ぎようとした時、さげすみをこめた尹の宮の声が飛び込んできた。

「このような場所で人目もはばからぬ抱擁(ほうよう)とは、月の君は遊女のように、宮中で色香(いろか)を売られるおつもりか?」

 ピタリ、とセイラの足が止まった。

 背中を向けているそのようすからでは、表情までうかがい知ることはできなかったが、しばらくして振り向いたセイラの顔には、それまで見たこともない妖艶(ようえん)な微笑がたたえられていた。

「いかにも。好意を寄せてくださるお方は、どなたであろうとありがたいもの。尹の宮殿とて、お望みとあらば……」

 すうっと差し出した手を、尹の宮のあごに軽く触れると、セイラは自(みずか)ら唇を近寄せていった。

「特別に、夜伽(よとぎ)のお相手もおおせつかりましょう。わたくしのことで、知っていることを寝物語にお聞かせくださるというのでしたら……?」

 尹の宮は、魅入(みい)られたように身じろぎひとつできなかった。

 二人の顔が重なり、唇と唇が今にも触れあいそうになった時、チラリと誘うような流し目を送ると、突然セイラは笑声を爆発させた。

「もっとも、あなたが簡単にその気になるとは、とても思えませんが……」

 クルリとひるがえって遠ざかっていくセイラの、冷たく乾いた笑声を聞きながら、尹の宮はいつまでもそこを動けなかった。

 わずかに触(ふ)れたセイラの手は、とても人間のものとは思えない、しびれるような霊気(れいき)を放っていた。

 神か、魔――そうとしか言い表わしようのない、畏(おそ)れにもにた気持ちの一方で、その手は逆らいがたい誘惑に満ちていた。

 尹の宮は、崩(くず)れるようにその場にうずくまって顔をおおった。

 その背中が、小刻(こきざ)みに震(ふる)えていた。



   
                


 翌夜、承香殿(じょうきょうでん)では華やかな宴がもよおされた。

 その夜のセイラは、帝の求めに応じて琵琶(びわ)を奏(そう)することになっていた。

 盃が重ねられ、ひときわにぎわう殿舎(でんしゃ)に、やがて嫋嫋(じょうじょう)とした音色が響きわたり、聞く者の心を奪った。


 雅(みやび)やかなその音色は、かぐわしい初夏の風にのって、闇を縫(ぬ)い、内裏(だいり)の隅々(すみずみ)にまで流れてゆくのだった――

 そんなにぎわいとは無縁(むえん)に、新たに東宮御所となった桐壺(きりつぼ)の殿舎は、ひっそりと静まり返っていた。

 正殿の中庭には、庭火が焚(た)かれ、東宮坊舎人が夜通しの警護(けいご)にあたっている。

 その御所の警護にも、左大臣が東宮坊大夫を降りた影響が表れていた。

 本来なら、火焼屋
(ひたきや=東宮御所を警護する夜番が、かがり火をたいて見張りをする小屋)や帯刀(たちわき=舎人で帯刀している人)らのつめ所である陣屋(じんや)がもうけられ、大勢の舎人(とねり)が警護しているはずだったが、物の怪騒ぎがあった夜からなにごともなく日がたつにつれ、警護する者の数はめっきり減って、今ではわずか二人だけになっていた。

 琵琶(びわ)の音色は、その二人の耳にも、風にのって届けられた。


「おい、あれは月の君が弾(ひ)いてるんだぜ。なかなかどうしてうまいもんじゃないか」

 年かさの舎人が、もうひとりの若い舎人に声をかけた。

「へっ!見てきたわけでもないあんたに、どうしてそんなことがわかる?」

「どうしてってお前……昨日の一件を知らないのか?」

「昨日……?なんかあったのか?なあ、オレにも教えてくれよ!」

 若い舎人は、うわさ話となると、がぜん目を生き生きと輝かせた。

 それを見ると、年かさの舎人はもったいぶったように、ゴホンとひとつから咳(ぜき)をした。

「だったら教えてやるが、昨日殿上(てんじょう)の間の前庭で、どっちが月の君を宴に呼ぶかで、三位中将さまと権中将さまが大げんかをなさったのさ」

「うん。それで?」

「ところがそこに主上(おかみ)が通りかかって、どっちとも決めかねている月の君に助け舟を出されたんだな。つまりどっちを選んでも、もう一方には遺恨(いこん)が残るだろうから、それならってことで、主上が月の君を今日の宴にお招きになったのさ。さすがは主上のかしこいご配慮(はいりょ)だっていうんで、大した評判になったらしい。だからよ、あの琵琶を弾いているのは、その月の君に違いあるまい?」

 若い舎人は急にケラケラと笑い出した。

「かしこいご配慮だって?そりゃ、主上がうまいこと言って、二人から月の君をまんまとかっさらったってことじゃないか」

「しーっ!声が大きい」

 年かさの舎人は臆病(おくびょう)そうに、キョロキョロとあたりを見まわした。

「滅多(めった)なことを言うもんじゃない。誰かに聞かれたらどうするんだ!」

「左大臣さまに見かぎられちまった、物の怪つきの東宮さまの御所になんて誰も来やしないよ。それより、月の君を横取りされた二人の方はどうしたんだい?」

「相手が主上じゃあきらめるしかないやね。だが、権中将さまはそれでもご機嫌だったっていう話だ」

「へえー、そりゃまたなんで?」

「月の君は最初、権中将さまとの約束があると言ってな、いったんは蔵人(くろうど)が伝えた主上のお招きを断ったらしい。権中将さまにしてみたら、まんざら悪い気はすまい?」

「ふーん。主上のお招きを断るなんて、またとんでもないことしたもんだな。へたをしたらそれだけで……うへぇ!」

 若い舎人は首を切るまねをして、怖気(おぞけ)をふるった。

「そこが月の君にしかできない大したところさ。他の公卿(くぎょう)や公達(きんだち)だったら、まず許されないだろうがね。主上の御威光(ごいこう)も恐れず、権中将さまの面目(めんもく)も立てたってことで、月の君の人気はますますあがったそうだ」

「けっ。月の君月の君って、宮中の貴族どもはみんなどうかしてるぜ。いくらきれいな君か知らねえけどよ、オレだったら男より女の方がずっといいがな。柔らかくって抱きごこちもいいし、おっぱいだってちゃんと……。あれっ、あんた今笑ったか?」

「いいや?」

「おっかしいなあ。確かに今、誰かの笑い声が聞こえたと思ったんだがなあ……」

 若い舎人は、何度も首をかしげて、あたりの闇を透(す)かして見た。

 夜空を見上げると、細い月がそろそろ中天にかかろうとし、中庭の桐(きり)の梢(こずえ)をぼおーっと明るく照らしている。

「おいおい、変なことは言いっこなしだぜ。そうでなくったってここの東宮さまには……」

 年かさの舎人は、おそるおそる後ろを振り返った。

 御所は相変わらずしんとしたまま、物音ひとつない。

「ははっ。やっぱりオレの聞き違いだったらしいや」

「あんまり脅(おど)かすない。こっちは肝(きも)がちぢんだぜ」

 ほーっと安堵(あんど)のため息をついた年かさの舎人は、今度は妙に意味ありげな目つきで若い舎人をのぞき込んだ。

「さっきの話だがな。お前、月の君を近くで見たことがあるのか?」

「いいや。人のうわさで聞いたことがあるだけだが、女みたいになまっちろい顔して、薄気味悪い紫の目ん玉がついてて白髪みたいな頭してるんだろ?それくらいはオレだって……」

「やっぱりな……」

 年かさの舎人は、わけ知り顔でうなずいた。

「だからお前はなんにもわかっちゃいないっていうんだ。わしは一度、間近で月の君を見たことがある。ありゃあ、どんな女よりもきれいだった……。あの水晶玉のような目に、魂を吸い取られてしまいそうな気がしたもんだ。あんなにきれいな人間がこの世にいるわけがねえ。御仏の使いだって言われるのがわかる気がしたよ」

「へえー、そんなもんかねえ」

 うっとりと酔いしれたように話す年かさの舎人の言葉を、若い舎人はそのまま信じる気にはなれなかった。

 その時――

 突然、桐壺(きりつぼ)の御所から、ヒィーッという押し殺したような悲鳴が上がった。

 とたんに、それまで眠っていたように静かだった御所に、あわただしい足音が入り乱れ、取り乱した声とそれを叱責(しっせき)する声とが飛びかった。

 二人は顔を見合わせると、反射的に御所に駆け出していた。


   
                


 東宮坊舎人の姿が見えなくなると、御所の裏手の床下から、ぬうっと這(は)い出してきた黒い影があった。

 貴族の邸にかかえられている郎等(ろうどう)のような、直垂(ひたたれ)を着たがっしりした男だ。

 男は周到(しゅうとう)にあたりを見まわして、人の姿がないことを確かめると、体ににあわないリスのような敏捷(びんしょう)さでその場を立ち去ろうとした。

 その男の目の前に、いきなりなんの前ぶれもなく、ボォーッと燐光(りんこう)を放つ人型が現れた。

 それはさながら、地の底から這(は)い上がってきた亡霊とも見えただろう。

 さすがの豪胆(ごうたん)そうな男も恐怖に足がすくみあがり、われを忘れて悲鳴を上げそうになった。

 ――と、

 その口を、すばやくのびてきた亡霊の手がふさぐと、もう一方の手で、すかさず男の右腕を後ろ手にねじりあげた。

 骨が折れるかと思われるほどの腕の痛みが、逆に男の意識を現実に引きもどした。

 亡霊の手は幻ではなく、生身(なまみ)の人間のものだと思い知らされたのだ。

 その亡霊が、男の背中ごしに声を発した。

「こんなところで大声をあげてもいいのかい?すぐに舎人に見つかってしまうよ。物の怪の仕業(しわざ)にしたいんだろ?」

 それは、まぎれもないセイラの声だった。

 男は、夜目(よめ)にもほの白く浮かび上がって見えるセイラを見てわが目を疑い、それから聞こえてくる琵琶の音に耳をすました。

 その顔に、さっきまでとは違った恐怖が張りついていくのが、わずかな月明かりを通しても見て取れた。

「あの琵琶の音が気になるの?あれはね、名手と謳(うた)われる橘(たちばなの)中納言殿が弾(ひ)いておられるんだよ。私じゃなくて残念だったね」

 クスッという、機嫌のよさそうなしのび笑いが暗闇にこぼれた。

「帝にお頼みして、ちょっとのことでは動じそうもない古参(こさん)の女官を送りこんであるから、御所に仕えている者にはもう下手な小細工はできないだろうし、そうなると、お前のような郎等(ろうどう)を送りこむしかないとは思っていたけど……。それにしても、ここからすぐの承香殿(じょうきょうでん)に私がいるはずの日に、危ないことはやめた方がいいと、尹の宮殿は止めなかったのかい?それとも、うわさに我慢しきれなくなった左大臣殿が、疑いを晴らそうと独断でしたことかな?」

 尋(たず)ねてはいるものの、答えを期待しているわけではない。

 口をふさがれている者に答えようがないとわかっていて、わざとなぶっているようなものだった。

「フフフッ。あのお方も容赦(ようしゃ)がないからね。左大臣殿もさぞはらはらされたことだろう」

 それもまた、セイラの献策(けんさく)によるものだった。

 最近妙なうわさを耳にするが、たとえそれが事実ではなかったにしろ、東宮をないがしろにして娘を入内させようとしているなどということが、まことしやかに人の口にのぼるようでは、今度の話はなかったことにするよりない――と、帝の口から散々にゆさぶりをかけさせたのだ。

 追いつめられた左大臣が手っ取り早くうわさを打ち消すには、現れる必要がなくなった物の怪を、もう一度東宮御所に現せばよい――

 そう考えるように、うわさをしむけたのもセイラだった。

 すべてを見すかされ、待ちぶせされていたと気づいた男の背すじを、ドッと冷たいものが伝った。

 追いつめられた男は、血走った目にギラリと殺気をみなぎらせると、自由なままになっていた左手で、腰の鞘(さや)から逆手(さかて)に太刀を抜きはなち、一挙(いっきょ)にセイラの胴をつき刺した――!



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