第二十三話
尹(いん)の宮――と聞いて、セイラは一瞬ギクッとした。
「尹の宮殿が、どうかしたのですか?」
「女御(にょうご)さまを中傷(ちゅうしょう)したに決まっています!」
小納言(しょうなごん)――と呼ばれた若い女房(にょうぼう)は、目の前のセイラが尹の宮その人であるかのように、キッとにらんだ。
「主上(おかみ)が最後にこの登花殿(とうかでん)にお越しくださったのは、昨年秋の除目(じもく=諸官の任命式)がすんで間もなくでしたわ。新任の尹の宮さまをお連れでした。それ以来、ぱったりと主上がいらっしゃらなくなったことを考えれば、尹の宮さまが主上になにか申し上げたとしか――」
「おやめなさい、小納言。陰口(かげぐち)は聞き苦しいものですよ。セイラさまも呆(あき)れていらっしゃいますわ」
呆れているというより、セイラはとまどっていた。
尹の宮が、登花殿女御を中傷したかどうかはともかく、帝のようすは、決して女御を嫌っているようには見えなかった。
むしろ今回の物の怪(もののけ)騒ぎの裏にある、なまぐさい政争(せいそう)から遠ざけようと、気づかっているように思えた。
それは、とりもなおさず登花殿女御に対する深い愛情によるものだろうと、セイラは受け取ったのだったが……。
「帝がいらっしゃらないというのは、本当なのですか?」
「ええ……」
女御は、細面(ほそおもて)の美貌(びぼう)に愁(うれ)いをきざんで、
「わたくしがいたらないせいで、主上のご不興(ふきょう)をこうむったのでしょう。でも、わたくしはそれでもよいのです。御子(みこ)の誕生を願っておられた左大将さまには申しわけないのですが、このまま、穏やかに日々が過ぎていってくれれば……」
「女御さま!そのようなお気の弱いことを――」
「小納言は、にぎやかな方が好きでしたものね。わたくしも少し…寂しくないと言えば、嘘(うそ)になりますが……」
はかない笑みを浮かべて、女御はひたとセイラを見つめた。
「ですから今日、セイラさまにお会いできて、これほどうれしかったことはございませんわ」
見つめる瞳から、はらりと涙がこぼれ落ちる。
「よもや、こうしてお目にかかれる日が来ようとは、あの頃は夢にも思えませんでしたもの」
「あの頃……?」
セイラはつぶやいて、怪訝(けげん)な顔をした。
「女御さまは、わたくしのことを以前からご存じでいらっしゃったのですか?」
袖口を涙で濡(ぬ)らしていた女御は、はっとしたように顔を上げた。
「いいえ、そのようなことは……。セイラさまが昇殿(しょうでん)されてから、ずっとお会いしたいと思っておりましたので、つい親しげなことを申してしまいました。どうか、お聞き捨てくださいませ」
「そうですか……ご承知のように、わたくしには自分の記憶というものがありません。ですから、女御さまがもしなにかご存知ならと思ったのですが……」
がっかりして肩を落としたセイラを、女御は痛(いた)ましそうに見ていた。
その口もとが、なにかを言いかけては思い直し、再び言いかけようとした時、先に口を開いたのはセイラだった。
「帝がこちらにいらっしゃらないのには、なにかわけがあるように思います」
「えっ…」
考え事に気を取られていて、セイラの話が飲み込めていない――女御はそんな顔をしていた。
それはセイラも同様で、この時女御のようすがおかしいことに、少しも気づいていなかった。
「少なくとも、わたくしの目から見た帝は、登花殿女御(とうかでんのにょうご)さまをとても気づかっておられるように見受けられました。わたくしがこのようなことを申し上げても、女御さまをおなぐさめできるとは思いませんが……」
セイラは心もち苦笑して、
「決して、ご悲観(ひかん)なさることはありません」
登花殿に野心などない――と言った帝の言葉が、セイラにはわかるような気がした。
だが女御に野心はなくても、まわりにいる人間に野心がないとは限らない。
なにも知らされずにいる女御が、今度の件に高倉がかかわっていると知ったらどう思うだろう。
その高倉を動かしているのは、おそらく……。
セイラは、せめて女御だけは巻き込まれることのないようにと、強く願わずにはいられなかった。
――と、その時、
「セイラさま、お話しておきたいことが――!」
思いつめた顔で、女御は今度こそ、セイラになにかを告げようとした。
それと同時に、廂(ひさし)の間の入口に、ひとりの女房がすっと姿を現した。
「女御さま、ただいまより左大将さまがこちらにまいられます」
数日後――
宵(よい)の頃、セイラと篁(たかむら)は、珍(めずら)しく酒をくみかわしながら、世間話に興じていた。
さっきまでは真尋(まひろ)も一緒だったが、今はもう帰った後で、灯台(とうだい)に火を入れた後は女房も引き取らせ、部屋に残っているのは二人だけだった。
初夏とはいえ、夜気(やき)はまだまだ肌寒い頃だったが、その夜は、若葉の薫(かお)る夜風が、ほろ酔い気分でほてった体に心地よく、すがすがしく感じられた。
セイラはすっかりくつろいだようすで、脇息(きょうそく)を引き寄せて体をあずけている。
ほんのりと桜色に染まったセイラの頬(ほほ)をまぶしそうにながめながら、篁はこのひと時を、この上もなく幸せなものに感じていた。
「セイラのそんな顔をみたら、さしずめ三位(さんみの)中将殿あたりが、よだれをたらして食いつきそうだね」
クスッと笑みをこぼした篁に、セイラも機嫌よく応(おう)じて、
「三位中将殿?ああ、あの方にはまいるよ。好意を持ってくださるのはうれしいんだけどね……」
「聞いた話では、三位中将殿は、秋篠(あきしの)の権(ごんの)中将殿が呼びかけて結成したセイラ愛好会に対抗して、セイラを愛(め)でる会というのをつくったそうだよ。なんでもそれには、栗栖(くりす)の権中納言(ごんのちゅうなごん)殿あたりまで加わっているとかで……おかげでぼくは、あちこちから嫌味(いやみ)を言われっぱなしだよ」
「どうして?」
「セイラのつきあいが悪いのは、ぼくが一人じめしてるからだろうってさ。そんなことはないって言ったんだけど、全然信じてもらえないんだ。でも、こんなところを誰かに見られたりしたら、なにも反論できなくなりそうだな」
「へえー、そんなに人気があったなんて初耳だね。私の評判は、宮中では最悪なのかと思っていたよ」
「そんなことあるもんか!セイラはしばらく宜陽殿(ぎようでん)にこもっていたから、宮中の評判を知らないだけだよ。けど、なんでまたそう思ったんだい?」
「私が、帝を一人じめしてるって、思われてるそうだからね」
セイラは篁の言ったことをなぞらえて、いたずらっぽく片目をつぶった。
「そりゃあ、中にはそう思いこんでセイラをねたんでいる方もおられるようだけど……」
篁はそこで、妙に口ごもった。
「でも、あんな連中のことなんか気にすることないよ!」
吐き捨てるようにそう言った後で、いきおいよく盃(さかずき)をかたむけた。
とたんに、篁は盛大(せいだい)にむせ返った。
「ほら、むきになってあおるからだよ。大丈夫かい?」
セイラが差し出した小布(こぎれ)で口元をぬぐいながら、ひとしきりむせ返った後、篁はようやく顔をあげた。
そこに、人なつっこい笑顔でのぞきこんでいるセイラの顔があった。
首をかしげて、頬づえをついた肩のあたりから、銀色の髪がさらさらと流れるようにこぼれ落ちている。
それは、いつも見なれているセイラのはずなのに、篁は思わず目を奪(うば)われ、次の瞬間には、篁の顔はゆでだこのように赤く染まっていた。
「だァ…、だァけどォ……この間のォセイラの技はすごかったなァ」
自分の声が完全に裏返っているのに気づいたのは、セイラがクスクスと笑い出してからだった。
篁は、コホンとひとつ咳ばらいをして、先を続けた。
「真尋の前では言えなかったけど、あんなのは見たことないよ。セイラの場合はまあ、いつだって常識やぶりのことばかりだから、少々のことではぼくも驚かなくなったつもりだったけど、今思い返してみてもゾッとするよ。一体あれはなんだったんだい?ぼくには、まるで木太刀(きだち)からくさび形の光のようなものが噴(ふ)き出して、襲(おそ)ってきたように見えたけど……」
「あはっ、あの時はすまなかったね。私もどれだけの威力があるのかわからなかったから、悪いとは思ったけど、篁でためさせてもらったんだよ。あれは、稽古(けいこ)をしていた時に偶然(ぐうぜん)できたんだ……自分の体が覚えていることは、記憶をなくしていてもできるものなんだね。意識して使ってみたら、おもしろいように威力が増していくんだ。説明するのはちょっとむずかしいんだけど、あれは……そう、言ってみれば自分の体から発する波動(はどう)を太刀(たち)に集中させて、太刀先から一気に放出したものなんだ。潜在的(せんざいてき)な力をもっと引き出せるようになれば、威力はさらに増すはずだよ」
「体から発する波動を太刀に……だって!?」
篁はフーッと大きくため息をついた。
「なんだかむずかしすぎて、ぼくにはよくわからないよ。そんなことが本当にできるものかな?とても人間業(にんげんわざ)とは思えないや」
「ははっ。そんなにむずかしいことじゃないんだ。ようするに集中力の問題さ。篁にだって、やろうと思えばできるよ。精神を一点に集中させたら、太刀にこめて解(と)き放つんだ。コツがわかれば簡単さ」
「簡単……ねえ」
篁はその言葉を、とうていまともに受けとる気にはなれなかった。
「それにしても、どうして急に太刀の稽古なんかはじめる気になったんだい?」
「必要にせまられたものでね……」
セイラのその微妙(びみょう)な声の変化を、篁は聞きのがさなかった。
「どういうこと?」
「言っても、どうせ篁は信じないよ」
「そんなことないよ。信じるよ」
「本当に――?」
「セイラ!必要にせまられたってどういうことだよ!?」
にやにやしながらじらし続けるセイラがだんだん憎らしくなってきて、思わず篁が声を荒(あら)げると、セイラの顔からスーッと笑みが消えた。
「尹の宮殿に脅迫(きょうはく)されたんだよ。宮中を去らなければ、命の保障(ほしょう)はないってね」
一瞬、時が止まったように、二人は身じろぎもせずにらみあった。
「――嘘だろ?」
やがて篁が、喉(のど)の奥から声をしぼり出すようにして言った。
篁にとって、それは青天の霹靂(へきれき)とも思えることだった。
それほど、尹の宮に対する篁の信望(しんぼう)にはあついものがあった。
「ほーら、やっぱり信じなかったじゃないか」
セイラは、篁の反応をおもしろがって無邪気(むじゃき)に笑った。
「笑いごとじゃないよ!セイラ、それ本当なんだろうね!」
セイラは、篁の真剣なまなざしを正面から受けとめてうなずいた。
「誓(ちか)って、本当さ」
「――いつのこと?」
「物の怪(もののけ)騒ぎの直前のことだよ。懐(ふところ)に短刀をしのばせて、宜陽殿(ぎようでん)に現れたんだ。さいわいにして、その時は刃傷沙汰(にんじょうざた)にならずにすんだけどね」
それを聞いた篁は、激しい感情にゆさぶられて、カッと目を見開いた。
「だったら、どうしてあの時言ってくれなかったんだ!帝は…今上はそのことをごぞんじなのか!?」
「いいや……」
セイラはそう言って、盃(さかずき)をなめはじめた。
「なぜ――!?そんな脅(おど)しを受けたっていうのに、どうして黙ってるのさ!?」
盃をおいたセイラの表情は、命を狙(ねら)われている人間の心理とは無縁のようにおだやかだった。
「証拠がないよ。もしかりに私が訴(うった)え出たとしても、尹の宮のことだから、私が嘘を言って陥(おとしい)れようとしてるって言うに決まってる。泥仕合(どろじあい)になるのは目に見えてるよ。だからこそ、やつらの企(くわだ)てのはっきりとした証拠が必要なんだ」
「物の怪騒ぎの一件に、尹の宮殿がセイラを脅したことが関係してるって言うの?」
「おそらくね……」
セイラは目をふせて、深い物思(ものおも)いに沈んだ。
「――篁。私が宮中にいるとつごうが悪いのは、誰だと思う?」
篁は眉間(みけん)にしわをよせて、ひどく言いずらそうに答えた。
「それは……やっぱり夕星(ゆうづつ)を欲しがっている方々とか、今上のご寵愛(ちょうあい)を得ようとしておられる方々とか……」
「とてもしぼりきれない、か……」
憂鬱(ゆううつ)なため息をついたセイラに、篁は意外なことを言った。
「でも今は誰よりも、一番に左大臣殿かなあ……」
「左大臣殿が?なぜ……?」
納得(なっとく)のいかない表情のセイラに、篁の眉間のしわは、いよいよ深くなった。
「これはまだ内密(ないみつ)にされていることだから、あまり大きな声じゃ言えないんだけど……昨日、正式に左大臣殿が東宮坊大夫を降りることが決まって、かわりに民部卿(みんぶのきょう)が代理(だいり)としておさまることになったんだ」
「ああ。それは私も聞いたよ」
「その知らせを受けた左大臣殿が、今日謹慎(きんしん)をといて参内(さんだい)したんだけど……その後で、父上と一番上の兄の正親町(おおぎまち)大納言殿も、急遽(きゅうきょ)召(め)されてね……」
そこまで言って、篁はハアーッと深いため息をついた。
「左大臣殿はそこで、いきなり三の姫の入内(じゅだい)話を持ち出したんだ」
「入内話……?へえー、左大臣殿もやるもんだね。東宮の後見(こうけん)がダメになって、いずれはそうくるだろうと思っていたけど、宮中の実力者だけあってさすがに打つ手がはやい」
「それが公卿(くぎょう)たちのあさましいところだよ。振りまわされて陰(かげ)で泣いておられる方々のことなんか、気にもとめてやしないんだ!」
よほど腹にすえかねたのか、篁はいつになく語気(ごき)を荒(あら)げた。
「実は、左大臣殿が姫を入内させようとしたのは、今回が初めてじゃないんだよ。今上(きんじょう)がご即位(そくい)なさってすぐに、三の姫を入内させようとしたことがあるんだ。けどその時はすでに登花殿女御さまもおられたし、今上も、東宮であられた頃からの後見人だった父上にご配慮(はいりょ)くださって、左大臣殿の身内からだけ二人も後宮に入れるわけにはいかないと、お断りになられたんだ。かわりに、左大臣殿は東宮坊大夫におさまったわけだけど……今回東宮坊大夫を降りることになって、左大臣殿はまたその話を持ちだしてきたっていうわけさ。だから、その……今上がご執心(しゅうしん)のセイラのことは……」
「ふーん。東宮坊大夫を降りたことは、左大臣殿にとってそれほど痛手(いたで)になってないのかな……」
セイラのひとり言の先を、篁が引き取った。
「あんがい、物の怪騒ぎは左大臣殿の策略(さくりゃく)だったんじゃないかな。高倉っていう女房は、左大臣殿の手先だったんだよ」
「いや、それは……」
と、セイラが言いかけた時、簀子縁(すのこえん)をあわただしく駆けてくる数人の足音がして、部屋の入口に家令(かれい)の安積(あさか)が姿をあらわした。
「若君、おくつろぎのところをお邪魔して、申しわけございません」
その安積の後ろを、見かけない四、五人の郎等(ろうどう=従者)が次々と部屋をのぞきこんでは、足早に通り過ぎていく。
「ずいぶん騒がしいね。なにがあったの?」
「はっ、それが……讃良(さら)さまがお邸から姿を消したそうでして……」
「讃良が――?」
二人は同時に顔を見合わせた。
「はい。それで、こちらにうかがっていないか部屋をあらためさせてほしいと、正親町大納言さまのお邸(やしき)の者が……あっ、お待ちください!そちらは――」
急いで立ち去る安積を目で追いながら、
「まさか、綺羅(きら)さんみたいに夜歩きしたりするような子じゃないけど……」
そう言った篁の脳裏(のうり)に、はっとひらめいたものがあった。
「讃良のやつ、さては兄上から話を聞かされたな。そんなに思いつめるなんて……」
「讃良姫が消えた理由に、心あたりでもあるの?」
心配そうに尋ねるセイラに、篁は暗澹(あんたん)とした顔を向けた。
「さっきの話には続きがあるんだよ。今上は、突然の三の姫の入内話に大層(たいそう)驚かれて、清涼殿に急遽(きゅうきょ)父上と正親町大納言殿を召(め)されたんだ。ところが、入内に反対するどころか、そこで正親町大納言殿が持ち出した話というのが、三の姫を入内させるかわりに、娘の讃良も入内させようというものだったんだ。あまりのことに今上も呆(あき)れられて、父上の話では、『正親町はたよりにならぬやつ――』と大変なお怒りだったということだよ」
「どおりで、帝は虫の居所(いどころ)が悪かったわけだ」
セイラは、どぉーっと全身の力が抜けたように脇息(きょうそく)にもたれかかった。
「前にも言ったけど、父上は当初(とうしょ)、讃良の婿(むこ)にはセイラをって考えておられたんだ。入内の話を勝手に持ち出したのは正親町大納言殿だよ。でも一度話が今上の御前で出てしまえば、父上としても今さらなかったことにしてくれともいえない。もし、このまま麗景殿さまに御子がお生まれにならなければ、当然梨壺(なしつぼ)の東宮が次の帝にお立ちになる。そうなると右大臣家の将来も、先行きがみえないものになってしまう。そうならないためにも讃良を入内させて、三の姫より先に御子を誕生させ、あわよくば東宮位も――というおもわくらしいんだけど……ぼくは反対だ!正親町大納言殿は、麗景殿(れいけいでん)さまのお気持ちも讃良の気持ちも、まるで思いやろうとしてくださらない!父上は、まだはっきりとお心を決めたわけじゃないらしいんだけど、もし三の姫の入内が本決まりになるようなことにでもなれば、右大臣家の立場からいっても、讃良の入内はさけられなくなるだろう。なんとかしてあげたいけど……」
篁は、苦悩(くのう)の色をにじませて、深々とうなだれた。
じっと話に聞き入っていたセイラは、瞳をふせたまま、物憂(ものう)げにつぶやいた。
「どうも、話がうまくいきすぎる。まるで誰かの筋書き通りに、事が運んでいるみたいだ」
「まさか!兄上と左大臣殿が組んでいるとでも……!?」
篁はギョッとしてセイラを見つめた。
「組んでいるかどうか、そこまではわからないけど、正親町大納言殿が三の姫の入内話をすんなり受け入れたことをみても、事前に根まわしされていた可能性はある。とはいっても、二人の利害が完全に一致するわけじゃないことを考えると、正親町大納言殿はうまく利用されているだけなのかもしれない。左大臣殿が直接話をもちかけたとも考えにくいし、誰かが間に入って、都合のいい話でまるめこんだとしたら……」
「尹(いん)の宮殿か――!?」
篁はとっさにその名をあげていた。
セイラはけわしい表情でうなずいた。
「尹の宮殿が左大臣殿と組んで、三の姫を入内させようとしている……そのためにセイラを脅(おど)し、讃良までがまきぞえに……」
茫然(ぼうぜん)としてつぶやいた後、篁はぎゅっと目をつぶった。
「だとしたら、物の怪騒ぎはやっぱり左大臣殿の仕業(しわざ)だったってことじゃないか!これが公になれば、東宮さまへの謀反(むほん)ということにだって……そうだよ!そうなったら入内話どころじゃ――」
「それは違うよ、篁。気持はわかるけど、左大臣殿が自分から東宮坊大夫を降りようとするはずがない。せっかくの有利な立場をどぶに捨てるようなものだ。女御さま方に御子が誕生しなければ、次の帝に最も近いのは東宮さまだって、篁だって言ったばかりじゃないか。物の怪騒ぎを起こした犯人はほかにいる。登花殿女御の父上、左大将殿だよ」
「まさか!左大将殿が――!?」
「高倉は、登花殿の女房だったんだ。左大将殿は昨年の秋から、高倉を東宮御所に送り込んでいたんだよ」
「でも、なんだって……」
「女御の父親として、当然のことを考えたんだろう。つまり、さっき篁が言ったようなことをさ。そして、左大臣殿の有利な立場をなくそうとした……そんなところかな」
「だって、お二人はご兄弟じゃないか!そりゃあ、左大将殿はかなりの野心家らしいし、宮中っていうところは、兄弟同士でも権力争いをしかねないところだけど……でも、やっぱりおかしいよ。お二人の仲がそれほど悪かったという話も聞かないのに、これでもし高倉が登花殿の女房だってバレたりしたら、左大将殿は兄弟同士がいがみあう元をわざわざつくったようなものだよ!」
それを聞くと、セイラはハッとして宙(ちゅう)をにらんだ。
「わかってきたよ、篁。尹の宮のねらいが――!」
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