第一話


   1.天女降臨 


 それは、雅(みやび)やかな平安の時代。

 新帝が即位(そくい)して、御世(みよ)があらたまった二年目の早春のころ――

 桜のつぼみもそろそろふくらもうかという如月(きさらぎ=旧暦の二月)の吉野の山に、季節はずれのなごり雪が降った。

 そのなごり雪の中を、“それ”は音もなくおりてきた。

 やわらかな光彩(こうさい)をはなつ球形のポッド(防護膜)につつまれた“それ”は、まっすぐに足をおろして、軽く胸元で手を組み、安らかに眠っているように見えた。

 ゆっくりと、まるで重力にさからうようなゆるやかさで、今“それ”は、真っ白な雪原に降臨(こうりん)した――





 あたし――権大納言(ごんのだいなごん)藤原兼忠(かねただ)の娘綺羅(きら)は、都で起きたある事件がもとで大けがをおい、昨年の秋以来、静養(せいよう)のためにこの吉野の山荘にひきこもっていた。

 従者二、三人だけを連れての雪深い山荘での静養暮らしは、少しばかりわびしさを感じないわけじゃなかったけど、でも時々は、あたしの婚約者とでもいうべき右近衛(うこんえの)少将藤原篁(たかむら)が見舞いに来てくれたりしていた。

 今日も、あたしの退屈(たいくつ)をなぐさめようとして、篁は絵巻物などを運んで来てくれたのだった。

 その日、あたしは久しぶりに気分がよかったせいか、外の景色が見たくなり、篁の塗輿(ぬりごし)に乗せてもらって、降りだした雪で一面に広がる銀世界を、あきることなくながめていた。

 そこで、あたしたちは見た――!見てしまった――!!

 あたしと篁のその後の運命を、とてつもない波瀾(はらん)の渦(うず)に巻きこんでゆくことになるものを――!

「篁、あれ……なにかしら?」

 あたしは、雪空の中ほどに、おぼろに光って見えるものを指さした。

「――行ってみよう!中に人がいるようにも見えるけど、それにしても、空から降ってくるとはあやしげな……」

「ねえ。あれっ、て……もしかしたら物語にあるような、天の羽衣(はごろも)をつけた天女だったりして?」

「まさか!いくらなんでも、そんなことが本当にあるはずないよ」

 あたしたちがあれこれと憶測(おくそく)をかわしている間に、従者にかつがれた塗輿は、今まさに“天女”が舞い降りて来ようとしているその場所に着いた。

 はるか上空を見上げると、“天女”は不思議な光輪(こうりん)につつまれて、まるで重さというものが感じられないみたいに、しずしずと降りてくる。

 やがて、はっきりと見えはじめてきた“天女”の顔に、目をこらした瞬間――

 あたしは思わず息をのんだ!

 当代(とうだい)の名工(めいこう)が鑿(のみ)でほりあげたかと思えるほど、ほっそりとしてととのった顔立ちは雪のように白く、人とも思えない麗(うるわ)しさで、それはまさしく“天女”としか言いようがなかった。

 ほんのりと淡く、桜貝の色をにじませた品のよい唇の上には、高くすっきりとした鼻梁(びりょう)が通り、その上には、けぶるような長いまつ毛が濃い陰影(いんえい)を落としている。

 ひいでた額(ひたい)には、白銀に輝く二本の輪に巧緻(こうち)な細工(さいく)をほどこした、冠(かんむり)のような額かざりがしてあった。

 でも、それにもましてあたしたちの目を引いたのは、“天女”の背中を腰までおおっている豊かな髪の毛だった。その髪は、きらきらと銀色に輝いていた――!

 “天女”が身につけている衣(ころも)はというと、物語で聞いていたものとはずいぶん違っていた。

 きれいな光沢(こうたく)のある青紫色をした衣を着ていて、その上に直衣(のうし)によく似た、軽そうな銀の衣を重ねている。長い裳裾(もすそ)を引いているというわけでもなく、脚(あし)のかたちに切りそろえていかにも動きやすそうな細い表袴(うえのはかま)のようなものと、すねまでかくれる長いはきものは、おそろいの銀色をしていた。

 そのどれもが、見たこともない異国風のよそおいだった。

 “天女”は、あたしたちの目の高さまで降りてくると、突然空中で静止した。

 茫然(ぼうぜん)と見つめるあたしたちの前で、“天女”の身体は、宙に浮かんだままゆっくりと水平に横たわリ、ほどなくして眠るように雪原に着地した。

 その瞬間、“天女”をとりまいていた輝く光の輪が、パシッと甲(かん)高い音を立てて、泡(あわ)のようにはじけて消えた。

 後には、“天女”だけが残った。

 あたしと篁は、おそるおそる近づいていった。

「この人、死んでるのかしら?」

 篁は“天女”の顔にそっと手をかざしてみた。

「いや、死んじゃいないよ。かすかだけど息がある」

「天……から降りてきたのよね。あたしたち、この目ではっきりと見たわ」

「ああ…。少なくともこの国の人間じゃないことだけは確かだね」

「それに、この衣……」

 あたしは、そっと手をのばして触(ふ)れてみた。

「不思議な光沢(こうたく)があるわ。絹のようにもみえるけど、それよりずっとなめらかで軽そうだし……。これが、羽衣っていうものかしら?」

 篁はそれには答えず、

「もし、もし……」

 と呼びかけて、軽く身体をゆすってみた。けれど、まるで反応がない。

「だめだ。気を失ってるようだ」

「取りあえず、うちの山荘まで運びましょう、篁。この雪の中に、天女さまをほうっておいたらほんとに死んでしまうわ」

「……そうだね。身体もだいぶ弱っているようだし、どのみちこのままにはしておけないな。妖(あや)かしの類(たぐい)とも思えないし……。綺羅さんの山荘で、意識が戻るのを待つしかなさそうだね」

 篁は“天女”を抱きかかえて、塗輿(ぬりごし)まで運んだ。

 その時、ぽとりと雪の上に落ちた物に、あたしたちはまるで気づかなかった。

「ずいぶん、軽いんだな。ぼくと同じくらいの長身に見えるのに……」

 篁がびっくりしたようにつぶやくのが聞こえた。

 あたしは、クスッと自慢げに鼻を鳴らした。

「そりゃあ、天女さまだからよ」





 山荘(さんそう)に着いたあたしたちは、ひとまず“天女”を奥の間に運びこんだ。

 むかえに出たおつきの女房の桔梗(ききょう)は、あたしたちが見たこともない髪の色をした“天女”を連れて帰ってきたことに驚いて大騒ぎしたけど、気を失っていると聞いて、ぶつぶつ文句を言いながらも部屋を整えたり夜具(やぐ)を用意したりしてくれた。

「じゃあ、ぼくはこれで帰るけど、ほんとに綺羅(きら)さん一人で大丈夫?」

 帰り際(ぎわ)に、“天女”の顔をのぞき込んでいた篁が、心配そうな声で言った。

「大丈夫よ。桔梗だっているし、男手だって二、三人いるんだから」

「そうは言っても、綺羅さんの身体だってまだしっかりと回復してないんだから、くれぐれも無理はしないでおくれよ」

 篁がやさしいことを言ってくれたものだから、あたしは妙に照れてしまった。

「えへへ。あたしね、天女さまを見つけてから、急に元気がわいてきたみたいなの。あたしがしっかりしなくちゃって思えてきたのよ。だから、あたしのことは心配いらないわ。それよりも天女さまが目を覚ましたら、篁にも文で知らせてあげるから、楽しみに待っててね」

「天女、か。それがもし本当だったとしたら……」

「篁……どうかしたの?」

「いや、ともかく意識が戻ったら、必ず文で知らせておくれ。いいね」

 篁はそう言って、後ろ髪を引かれるように帰っていった。

 ところが“天女”は、それから三日たっても五日たっても目を覚まさなかった。

 五日目の朝、あれほど“天女”を連れて帰ってきたことに不平をもらしていた女房の桔梗までもが、心配そうな声で訊ねてきた。

「姫さま、大丈夫でしょうか?ここへ運ばれてきてもう五日になりますわ。その間、なにも召し上がらずにこうして眠ったまま……。もし、このまま意識が戻らなかったら……」

「桔梗!不吉なこといわないで」

 あたしは桔梗をしかりつけたけど、正直なところ、だんだん不安になってきていた。

「やっぱり、薬師(くすし)を呼ぶべきだったかしら……?」

 “天女”は昏々(こんこん)と眠り続けていた。

 その面差(おもざ)しはひどくやつれてはいたけど、頬(ほほ)や唇のあたりにはまだ生気(せいき)が残っていて、今にもパチッと目を開けそうな気がしていた。

 なによりあたしは、この銀色の髪をした“天女”を、あまり人目にさらしたくなかった。

 人目にふれて、もし騒がれでもしたら、“天女”はゆっくり身体(からだ)を休めるどころじゃなくなってしまうもの……。

「桔梗……やっぱり薬師を呼んできて」

 でも、もうこれ以上このままにはしておけない。

 もしこのまま目を覚(さ)まさずに体力が落ちていったら……いくら“天女”だって死んでしまうかもしれない。そんなことになったら――あたしはきっと一生後悔する!

 せっかくあたしと篁が見つけてきた“天女”を、なにもできないまま、みすみす目の前で死なせてたまるもんですか!

 この際なにをおいても、まずは“天女”の意識を取り戻さなくちゃ……。篁にだって、合わせる顔がなくなってしまう。

 桔梗は、言われてすぐに、鳥が飛び立つように網代車(あじろぐるま)の用意をしにいった。

 あたしはほかにすることもなく、ただ祈るような気持ちで“天女”をながめていた。

 ほんっとにきれいな人――って、つくづく思う。

 早く目を開けてくれないかなあ。こんなにきれいな人なんだもん、きっと瞳もきれいなんだろうなあ……なんて取りとめのないことを考えていると、“天女”の唇がかすかに動いた!

 そこから、苦しそうなうめき声がもれてくる。

 あたしはまばたきも忘れて、固唾(かたず)を飲んで見守った。

 “天女”は震(ふる)えるような息を、そーっと吐きだした。

 体のどこかが痛むのか、それともなにか悲しい夢でも見ているんだろうか、ひどく切なそうに眉根(まゆね)がよって、まぶたが細かく痙攣(けいれん)している。

 そして、ついに――“天女”の目が、ゆっくりと開いた!

 それは、よく澄(す)んだ夏の夕べを思わせる、青みがかった淡い紫色の瞳だった!

「わあ、きれい!」

 瞳に見入っていたあたしは、思わず口走っていた。

 とたんに、はっとしてわれに返ると、急いで桔梗を呼んだ。

「桔梗、ちょっと来て!天女さまが目を覚ましたわ!」

 車の用意をしていた桔梗が、あわてて駆け戻って来て、“天女”の瞳を見るなり、呆(あき)れたような声をあげた。

「まあ、なんて不思議な瞳の色ですこと!お髪(ぐし)もそうですけど……。こんな方、見たことも聞いたこともございませんわ、姫さま!」

 あたしもなんだか胸がドキドキしてきて、すぐには言葉もなかった。

 すると、目を覚ましたばかりの“天女”が、口を開いた。

「ψδй、λρ?」

 あたしと桔梗は顔を見合わせた。

「今、なんて言ったの?」

「さあ、外つ国(とつくに)の言葉のようでしたわね?」

「φκ、Жωιζ、μεσ……」

 またしても、あたしたちの知らない言葉だった。

 あたしと桔梗は途方(とほう)に暮れてしまった。

 これが天上界の言葉なのかしら?でも、あたしには天上界の言葉なんてわからないし、言葉が通じないんだったら、どうしたら……。

 そうよ!言葉がわからなければ、気持ちを伝える方法は一つしかないわ!

 あたしは首を大きく横に振って、両手を左右に動かした。

「あのね、天女さまのお言葉がわからないの」

 あたしの身振り手振りが通じたのか、“天女”は短い驚きの声をあげた。

「天女さまはね、五日間も意識がなかったのよ。なにか食べないと身体が持たないわ。ねっ、一口でもいいから、お食事を召し上がれ」

 あたしは、お腹に手を当ててひもじそうな顔をした後で、口にご飯を運ぶしぐさをした。

 “天女”はあたしの言っていることがわかったように、コクンとうなずいた。

 それだけのことが、あたしにはなんだか無性にうれしかった。

「どうやらわかってくれたみたい!桔梗、急いでお粥(かゆ)を持ってきて」

 返事がないのを変に思って後ろを見ると、桔梗は、あたしの声も耳に入らないほど“天女”に見とれていた。

 しかたなくあたしが袖(そで)を引っ張ると、ようやく気づいて、気恥ずかしそうにパタパタと部屋を出ていった。

 あわてて駆(か)け出したりしたものだから、途中で衣(ころも)のすそをふんずけて、けつまずきそうになっている。

「ありが、とう」

 桔梗の後ろ姿を見送っていたあたしの耳に、その声ははっきりと飛び込んできた。

 あたしはびっくりして“天女”を振り返った。

 “天女”はわずかに微笑(ほほえ)んでいた。

 それだけで、やつれの目立つ顔にパア―ッと華やかさが広がっていくようだった。

「……今、ありがとうって言ったわよね。あたしたちの言葉がわかるの!?」

「はい。お話を、聞いて、いる、うちに……」

 まだ話すのもつらいのか、ゆっくりと区切るように“天女”は言った。

 涼(すず)やかで冴(さ)え冴(ざ)えとした、清流を吹きぬける風のように透明感のある声だった。

「よかったぁ!あたしね、聞きたいことがいっぱいあったの。あっ、でもまだ無理よね……でも、これだけは教えて?あたしは綺羅って言うのよ。あなたのお名前は?」

 “天女”はきつく目を閉じた。

 まだ意識がはっきりしていないのか、一生懸命思い出しているといった感じだった。

「………セ、イラ」

 からまった記憶の中から、ようやくその言葉を選び出したように、ポツリとそう言った。

「そう、セイラさまって言うの。ねえ、セイラさまは天女さまなんでしょ?」

 セイラと名乗った“天女”は、一瞬あどけない顔をして、小さくくすっと笑った。

「セイラで、かまいませんよ、綺羅姫。私は、天女では、ありません。私は、男ですから……」

「ええ――っ!!」

 あたしは思いっきり大声で叫んでしまった。

 オ、ト、コォ――!!

 こんなに麗(うるわ)しい顔をしていて、男ですってぇ――!

 それがほんとなら、世の女たちは完全に顔負けしてるじゃない。そんなの詐欺(さぎ)よ――!

 心の中で叫びながら、あたしは興奮しすぎて、またしても胸がドキドキしてきた。

「でっ、でも……じゃあ、セイラさま…セイラは神さまかなにかなの?神さまって、ずうっと昔から生きてるんでしょ?こうして見てると、あたしと同じくらいにしか見えないけど、セイラっていくつなの?」

「……十七、歳……」

「ええ――っ!!」

 あたしは、病人の前だというのに、またまた大きな声で叫んでしまった。

 だって十七歳って言ったら、あたしより年下ってことになるじゃない! 

 ちなみにあたし、綺羅姫ただ今十八歳。篁、十七歳。

 って言うことはつまり……篁とおない年ぃ――!

「十七歳って、じゃあ、神さまのなりたてなの?それとも、御仏(みほとけ)のお使いのようなものかしら?」

 セイラの顔が、少しだけくもったように見えた。

「なぜ……私を、神だと?」

「だって、セイラは天から降りてきたのよ?普通の人にそんなことできると思う?セイラが神さまじゃないんなら、一体どこから来たの?」

 意識が戻ったばかりの病人に、こんなにポンポン質問しちゃいけないってことはわかってる。

 セイラは混濁(こんだく)した記憶の中から、一生懸命答えてくれているけど、ほんとはひどく疲れているはずだもの。

 あたしだって、最初は名前だけ聞いたら、後で元気になってからいろいろ聞こうって思ってた。

 でもここまできたら、あたしの好奇心は止められない。

 謎だらけのセイラの正体がなに者なのか、あたしはどうしても知りたくなった。

 矢継(やつ)ぎばやの質問に、セイラのととのった顔立ちが、突然苦痛にゆがんだ。

 頭痛がひどいのか、懸命(けんめい)に頭を押さえている。

 あたしは見ていてはらはらした。

 今さらのように、しゃべり過ぎたことを後悔しないではいられなかった。

「セイラ、どうしたの?頭が痛いの?……あたしがあんまりうるさく聞いたせい?」

 セイラは頭をかかえながら、うめき声をあげた。

 苦痛に必死で耐(た)えているそのようすは、まるで自分の中のなにかと戦っているようだとあたしは思った。

「もういいわ、セイラ。ごめんね。今、無理に思い出さなくてもいいのよ。後で元気になってからいくらだって……」

「わからない――!」

 額にうっすらと汗をにじませたセイラが、のどの奥から声をしぼりだすようにして言った。

「えっ」

 あたしは一瞬息が詰まった。

 セイラは絶望的な口調で、もう一度くり返した。

「なにも、わからない!!γτξεμοθч……!!」



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