2001年谷中青山墓参ツアー

青山霊園編

谷中霊園編はこちら(^^)

地下鉄「乃木坂駅」下車(^^)

我々は、地下鉄で「乃木坂駅」に移動しました。駅出口から出ると、青山葬祭場の脇です。
ここから沖田さんの眠る専称寺はタクシーで5分ほどの所ですね(^^)。篠原泰之進の墓碑は青山葬祭場の後ろ付近にありますが、それは最後に周るとして、まず遠い方から周りました。

青山霊園立山地区の相楽総三の墓。



この相楽さんの墓所、探しました(笑)。なかなか見つからなくて・・・相楽総三は本名が小嶋ですので、「小嶋家の墓を探して〜(><)」って私が申してたもので・・・・・・・・(^^;)いや、申し訳ありません!こ・・・これも墓探しの醍醐味ということで・・・(汗)。
墓域前には、「赤報隊隊長正五位相楽総三之墓所」という碑があります。
左の写真が、相楽総三の墓碑です。墓碑正面に戒名「天忠院教誉道順居士」、側面には「小嶋将満墓」とあります。

相楽総三・・・本名小嶋四郎将満。赤報隊隊長。慶應4年に赤報隊を結成し、東征軍先鋒となって進軍したが、帰還命令に従わず、同年3月3日、下諏訪において同志七名とともに斬首された。
同墓域内にある「木村家」の
墓碑です。この側面にも、
「小島四郎」の名前は刻まれて
います。

桑名の雄!立見鑑三郎・・・青山霊園(立山)

青山霊園には、乃木坂駅前の墓地と別に、「青山霊園立山墓地」というものがあります。そこには、桑名藩士で、雷神隊長の立見鑑三郎の墓碑があります。
立派な墓ですね(^^)。

土方とともに宇都宮戦争で戦い、西南戦争には「新選旅団」を率い・・・日露戦争には陸軍大将として参戦した桑名武士立見鑑三郎・・・
明治40年3月7日歿。享年61歳。
「陸軍大将男爵立見尚文之墓」

とても立派でした(^^)v
なんと、ここでアクシデントが!!!
私のフィルムが切れました(笑)。途中、どこかのコンビニで買おうと思ってたんですけど、東京って意外にコンビニないんですよね(−−;)

というわけで、これ以後の写真は全て了子さんの撮影によるものです。
了子さん、写真ありがとうございました!!!

安藤太郎(回天乗組員)

立山地区を抜けて、再び青山霊園本部(笑)へ戻ります。相変わらず天気は曇ったままですが、墓地内の猫ちゃんに励まされながら、次に向かうは安藤太郎・・・旧幕艦回天の乗務員です。土方さんとともに、宮古湾海戦に出陣しています。
青山霊園の安藤太郎の墓碑。

クリスチャンなんですね。
でも十字架のお墓って
生々しい印象を受けるんですけど(^^;)
安藤の墓碑前にあったのが、なぜか「禁酒会」の碑(笑)。そして安藤太郎は「禁酒爺」と彫られてました。なんなのでしょう、これは(^^;)。

この安藤太郎の墓碑なんですが、青山霊園を突き抜ける本当のメインストリート脇にありまして、さらに横には公衆トイレもあるんです。それが原因なのでしょう・・・はっきり言って、墓域がゴミで汚れていました。ちょっとやそっとでは掃除できないくらいでしたね・・・・・・・。

加納通弘(新撰組隊士)

次は加納通弘のお墓・・・。加納は、新撰組隊士で、後に御陵衛士として分離した人です。墓は自然石で出来てまして、ちょっと大き目です(^^)

加納通弘・・・伊豆太郎の別名も。篠原とともに、横浜外人居留地の警備についた。伊東甲子太郎とともに、新撰組に加盟。御陵衛士として分離した。
相楽総三らと赤報隊を結成しました(^^)。流山で投降した大久保大和を「近藤勇」と見破った人でもあります。
加納通弘の墓。

他の維新人物の墓碑って
割と固まっているんですけど、
加納はぽつんと離れてますね。

あ、篠原も離れてるか(^^;)

治部輔・・・ブシュケー(^^;)

墓碑の写真はないのですが・・・

大鳥の墓碑に行くまでに、「青山霊園外人墓地」というものがあります。そこにあったのが、「知部輔」の墓なんです。彼は、フランス軍歩兵中尉。フランス軍事顧問団として来日し、ブリュネたちは戊辰戦争終結後帰国していきましたが、ブシュケーだけは日本に残りました。
フルネームは「デュ・ブシュケー」。墓碑には「治部輔」と刻まれています。

大鳥圭介(箱館政府陸軍奉行)の前に・・・

次に向かうは、大鳥圭介(^^)
舞台「歳三」でもいい味を出してきた大鳥さんです〜・・・と思って歩いてたら、香川敬三の墓碑を見つけてしまいました。う〜ん、こうやって歩いてると著名人の墓碑に出会ってしまうのが青山霊園なんですよね〜(^^;)。
そう言えば、加納通弘の墓碑にいく前に、副島種臣の墓もありましたね。
「男爵大鳥圭介以降累代之墓」

こういう墓碑の書き方って
初めてみました(^^;)
まあ、なんと実用的ですね。

でも後でまた出てきます(笑)。
この大鳥圭介の墓碑の前に、大鳥の奥さんの墓碑と、息子(次男)の墓碑がありますが、これがまた異常にでかいんです。
みんなで、「なんでこんなにでかいんだろうね〜」と言ってました・・・。

で、墓碑銘を見ていた了子さんがおっしゃりました。
「これって大鳥が書いたんじゃないの?」
そう、大鳥の奥さんの墓碑裏に長い漢文が彫られてあるのですが、それは大鳥圭介が奥さんの為に「涙」とともに書いた鎮魂歌だったんです。

そこで改めて大鳥の次男の墓碑裏を見ると、亡くなった年号が、大鳥の一年前なんです。つまり、晩年の大鳥圭介は、愛する妻と、息子に先立たれたのです。彼らにしてあげられること・・・それは立派な墓碑を建ててあげること・・この墓域に建つ3つの大きな墓碑にはそういう思いが込められていたのでしょうね。

この話で大鳥圭介の株は急上昇しています(^^)

外島機兵衛・・・会津藩士

この外島さん・・・・’98血風録では、若林豪が熱演しておりましたが、同行のみなさんはご存知なかったんです。
そこで私が、「ほら!若林豪がやってたやん」って申したら、「若林豪って誰?」という返答が(^^;)。これって世代の差ですか(涙)。「ほら、特捜最前線で〜」などと墓穴を掘ることはしませんでした(^^;)。

この外島の墓碑、なかなか見つかりませんでした。この付近って、墓碑が乱立してて、道も狭く、探すのに手間取ってしまいました(^^)。
ちなみに、発見者は水澪さん(^^)v
「外島家之墓」

もう一度行け、と言われても
探せるかな(^^;)。

黒田清隆・・・薩摩藩士

その後、黒田清隆の墓所へ移動です。
実は私、この黒田という人物、好きなんです(^^)。宝塚歌劇団「誠の群像」にも出てきますし、舞台「歳三」(平成10年、11年公演)にも最後、声だけ出てきますよね(平成12年公演は出てこないんですよ〜)。
あ!壬生義士伝にも出てきましたね!!!!!

墓所付近で「黒田家墓所」を発見・・・しかし、「これが黒田清隆の墓所なのか・・・」と思うような、小さく、寂しい墓所で・・・2つ墓碑があったのでどっちが清隆の墓碑なのか〜・・・とすすけた墓誌に刻まれた漢文を読んでると・・・

全く赤の他人の黒田さんでした(笑)。いや、親戚かもしれないけど(^^;)。

その道をまっすぐ進むと、すぐに本物の(笑)黒田清隆の墓所がありました。
「黒田清隆及子孫之壽壙」

「大鳥圭介以降累代之墓」と
同じパターンですね(^^;)

黒田家の墓所は、門で囲まれた立派な
墓所でした(^^)
黒田家の墓所の門は小さいものでして・・・
やはり墓まいらーは、どんな門があっても、中に入って拝まないといけないですよね!!!>幾さん(^^)

黒田清隆・・・軍人として、敵に対して厳しい戦闘を仕掛けるが、恭順、降伏したものに対しては寛大の一言!蝦夷征討軍の陸軍参謀に任ぜられ、宮古に滞在中は、「敵襲に注意せよ」と自艦におふれを出すほどの深謀家(余談ですが、官軍艦隊指揮官に、敵襲の可能性を訴えるのですが一蹴されてしまうんです。そのため、自艦のみに知らせました。宮古湾海戦の前日のことでした!)

蝦夷共和国降伏後は、榎本の助命に奔走する。のちに北海道開拓に着手。これに、元新撰組隊士の田村銀之助も同行する。

黒田清隆の葬儀委員長は、ずばり、誰でしょう?(^0^)/

大久保利通・・・薩摩藩士

維新の元勲・・・・大久保利通です。
いや〜まさか私の人生で、大久保の墓参に行くことになるとは、夢にも思いませんでした(^^;)。
でも、これは「ついで」とかそういうものではないんです。「サカモト」の大久保さんはちょっと変ですけどね(笑)。
でかい(^^;)

墓碑の下の亀さんが
ちょっと怖いかも・・・。

「贈右大臣正二位
大久保公墓」です。
大きい墓碑の右に、また碑が建ってますが、これには
「明治三十四年五月廿二日」に、従一位が贈られたことが書かれています。そのために、こんなおおきな碑を作るなんて(^^;)

さて、この大久保利通の墓碑の周りは、まさに「大久保家の墓所!」という感じで、見渡す限り大久保の墓碑ばかり・・・・でかい追弔碑もあります。

なぜか斎藤茂吉の墓もありましたけど(もちろん、大久保家の墓所ではありません・・・そのそばです・・・汗)

篠原泰之進・・・新撰組隊士

さて、いよいよファイナル!青山霊園ツアーの最後を飾るのは篠原泰之進です!!!みんな、寒いけどがんばりましたね(^^)・・・ちょっとダウン気味の方がお一人・・・大丈夫ですかぁぁぁ(><)/

篠原泰之進の墓所に移動する際に、とっても気になる墓碑を発見!!!なぜか、墓誌に幕末の人物の名前が刻まれていたんですよ〜・・・これはこっそりと再調査しに行かねば(笑)。
みんな「小さい〜!」と
驚いてました!!!

秦林親之墓。
ほんとでかい墓碑ばかり見てきたので、
篠原の墓碑はちょっと安心できます(^^)

篠原泰之進・・・新撰組隊士・御陵衛士・赤報隊隊士。司馬遼太郎の「油小路の決闘」でお馴染み、耳洗いの泰之進(^^)。奥さん、若いね(爆)。

墓参、終了お疲れ様でした!!!

これで墓参ツアーは終了しました!!!(^^)お疲れ様でした!!!

みんなで電車に乗って・・・私、水澪さん、幾さんは「表参道駅」で下車(^^)。了子さんと別れました(お疲れさまでした!!!)。

幾さんは、ここで乗り換えでした(お疲れ様でした!!!!)。

私と水澪さんは、地上に出て、喫茶店へ(^^)。合流予定のたむてるさんを待つためです。しかし、連絡がつかず(笑)、たむてるさん御指定の上野駅へ向かいました。

あ〜あ〜あなたがいれば〜(by東京砂漠)

上野駅に降り立った私たちは、居酒屋を探したんですけど、なかなかないんですよ〜・・・(^^;)ほんと東京砂漠っす!

ちょっとうろうろしてから、駅前の「ときわ亭」という店に行きました(^^)
「もしまずかったら、某HPに書きに行こうねぇ!」と言いながら(爆)。
でもこの店、早く店じまいするんで、結局居酒屋「天狗」にしました。

21時頃にたむてるさんが上野到着(^^)
こんばんは〜〜!!!

この後、宴は23時前まで続きました。上野駅でたむてるさんとお別れ(><)。
お疲れ様でした!次回は、是非御一緒に墓参しましょうね!!!

東京駅で水澪さんとお別れ(><)お疲れ様でした!!!

私は、東京発「ムーンライトながら」(鈍行っす)で大垣まで帰りまして、そこで乗り換え・・・一路大阪に向かいました(^^)

この度の墓参ツアー、お疲れ様でした。
次回もよろしくお願いします!!!(><。)/・・・完