2001年谷中青山墓参ツアー

青山霊園編はこちら(^^)

谷中霊園編

じゃんじゃじゃ〜んっ(^^)ついに、2001年の墓参レポートをアップいたします。その第一回は、1月13日に行われた、「谷中〜青山ツアー」です。

ガイドは僭越ながら、ぺー輔(^^)v。同行者は、水澪さん、了子さん、幾さんでした。

まずは、天王寺〜谷中霊園

当日、日暮里駅改札に朝10時半集合(^^)v

ほぼ定刻通りに出発(^^)そして、すぐに天王寺に着きます(笑)。日暮里駅の目の前にあるんですよ。この天王寺は、上野戦争の際に、彰義隊の屯所にもなったところです(日暮里は、上野に近いっす)。
天王寺の目の前に広がるは、谷中霊園!沢山の墓碑があります。
谷中の案内図を見て、ちょっと下調べ・・・。

そして最初に向かったのは!!!

大野右仲(新撰組隊士)・・・天王寺墓地

谷中霊園というのは、「天王寺墓地」と「寛永寺墓地(徳川家墓所)」と「旧谷中墓地」の3つが合わさって出来たものなんです。
旧谷中墓地は、墓碑区画がちゃんと整理されて番地が表示されているんですが、天王寺墓地は、区画番号が一切ありません。ですので、「谷中の天王寺墓地に大野右仲の墓碑がある」ってわかってても、探すのは大変です(−−;)。

私は以前に行ったことがありますので(^^)もちろん迷いません!
大野右仲の墓です(^^)

みんなで、「立派だねぇ」と
言ってました。

写真で見るよりも、
実際は大きい感じがします。
大野右仲・・・唐津藩士。「箱館戦記」を記す。箱館での土方さんの右腕。詳しくは、当HPの墓所&隊士録を御覧ください(^^)

戸田忠至と、伊達宗城(笑)

次に向かうは、幕府山稜奉行の戸田忠至のお墓へ(^^)。慶應3年に、藤堂さんたちが「御陵衛士」を拝命しますが、この御陵衛士は幕府山稜奉行の配下なんです。藤堂さんの幾さんは、是非ともお参りしておかなくてはならない場所ですよね!・・・←そうか?(^^;)

しかし、見つかりません!!!本当に(^^;)・・・。で、辺りを捜してたら、宇和島藩主の伊達家の墓所に迷い込んでしまいました(笑)。幕末の藩主伊達宗城は、14代将軍争いに、一橋慶喜を推す人なんですよ!!!
でも、どれが宗城の墓碑かわからなかったんです(^^;)。

気を取り直して(^^;)・・・池田徳太郎(芸州藩士)

谷中霊園事務所に行き、100円で谷中全地図を買いました(^^)。
これでばんばん周るぞぉ!!!

で次に向かったのがみなさまご存知の「池田種徳」通称、池田徳太郎です。池田は浪士組に参加し、近藤さんたちとともに上洛。しかし、清川派にも、近藤・芹沢派にも加わらなかったんです・・・。え?池田徳太郎って誰・・・ですか(^^;)。
・・・っていつもこのパターンですね(自爆)。

浪士組が本庄宿に宿泊する際に、大事件が起きました!なんと、その日の芹沢鴨の宿がありません(@@;)。宿割役が、芹沢さんの宿だけ取り忘れてしまったんです。その時の宿割役は・・・ご存知近藤勇と、この池田徳太郎だったんです。この話そのものは史実かどうかはわからないんですけどね(^^;)。
池田徳太郎の墓。
この写真では確認できませんが
墓碑に「贈正五位」と
彫られています(^^)

佐々木男也(長州藩士)

この池田徳太郎の墓のすぐそばにあるのが、佐々木男也の墓です。新撰組隊士については罵詈雑言(?)を残した人っす(^^;)。
正五位佐々木男也の墓。

霊山以外では、初めての
長州藩士の墓参です。

雲井龍雄(米沢藩士)

雲井は米沢藩士です。明治になってからも、徳川の残党を率い、いつでも一戦行うぞ!という感じでした。しかし、ついに明治政府に囚われ、最期は斬首、後に晒し首になっています。
小塚原刑場に晒された首を見て、「アア、徳川幕府の命脈もここにまったく絶え果てた」と慟哭した武士がいます。さて、誰でしょう?

もし、ご存知なければ・・・士道不覚悟かも(^^;)。
右から縦書きで
「龍雄雲井君之墓表」と
書かれています。

兄は古屋作左衛門。弟は高松凌雲先生。

まだ空は曇りがちですが(^^;)、次に向かうは、古屋・高松兄弟です。みなさんはこの2人が兄弟だとご存知でしたか?(^^)

実は、私は最近まで知りませんでした。いや、ちゃんと本で読んでたはずなんですけど、すぐに忘れちゃうんですよ(^^;)。
古屋作左衛門の墓。(^^)

なお、墓碑前面に人の姿が
写ってますが、これは
参加者のお一人です(^^;)。

誰なんでしょうね〜(笑)。
古屋作左衛門・・・幕臣。衝鉾隊隊長。箱館まで転戦するも戦傷死。
そこから、ちょっと(本当にちょこっと)行ったところに、古屋の弟の、高松凌雲先生の墓碑があります。
高松凌雲先生の墓。

やはり、こうやって墓碑に
フルネームが彫られてる墓碑って
なんか好き(^^)v
高松凌雲・・・古屋作左衛門の弟。医師。箱館の高龍寺で、兵士の手当てを行う。日本赤十字社の創立者。宝塚歌劇団公演「誠の群像」では、一瞬出てきます・・・・。

墓を求めて三千里(笑)。

われら一行は、次の墓碑を求めて進みます。ここでなんと!偶然にも春木義彰の墓碑を発見!!!・・・って誰も知りません。私も知りませんよ(笑)。幕末の人物であることは間違いないんですけどね(^^;)。

そして、たどり着きました!新撰組隊士で、隊の剣術師範でもあった新井忠雄の墓碑です!

新井忠雄(^^)>新撰組隊士

右が、新井の墓碑です。左は、新井の墓の花瓶です。
ちゃんと酒瓶のデザインがなされています。
新井は、三条制札事件にも酔っ払って参加したほどの酒好き(笑)。
叙位もちゃんとされてますね(^^)v
新井の墓碑には、彼の一生が漢文で彫られており、その中にはちゃんと「新選組」や「近藤勇」という文字も出てきます。これって貴重ですよね。ちなみに、墓碑はめちゃでかいです。新撰組隊士で一番でかいんじゃないでしょうか・・・。

墓碑の前には杯もありました(笑)。もう、本当に酒好きなんでしょうね。

大原重徳・・・顕彰碑がでかい(^^;)。

そこからてくてくと歩いて・・・大原重徳の墓碑です。ここは、今まで何回も通っているんですが、ゆっくりと見学したことはありませんでした。
「贈正二位大原重徳墓」

この手前にめちゃでかい
顕彰碑があります。

その写真はありません(笑)

徳川15代将軍・・・徳川慶喜

大原さんの墓碑を通り過ぎると、すぐに徳川家の墓所があります。ただ、色んな徳川さんの墓碑があるので、慶喜の墓所近くには看板が出ています。

みなさんは「徳川慶喜」をなんとお読みしますか?これって「徳川よしのぶ」でも「徳川けいき」でも、どっちで入力しても見事に変換してくれますよね。
ちなみに、私は「よしのぶ」です(^^;)

で、慶喜の墓の写真なんですが、私以前撮影したことがあったので今回は撮らなかったんですよ。今、ちょっと写真ないんで(汗)・・・探しておきます!

慶喜の墓・・・御覧になったことはありますでしょうか?
もし予備知識がなければ、その墓碑の姿を見たときには100%
驚きます!というのも、普通の墓碑ではないのです(^^)

慶喜の墓所は、高い柵で囲まれていまして、しかも中からかんぬきがかかってて、しかも錠前付き(^^;)。ゆえに絶対入れません・・・(あとで出てくる話の伏線です)。

谷中霊園終了(^^)・・・ちょっと早いか(笑)。

慶喜のお墓をお参りし、これで本日の前半・・・谷中霊園は終了しました。他にもたくさんの有名人、幕末関連の方のお墓があります。谷中を周るのに、一日全部を充ててもいいのですが、私自身が青山霊園も周りたいので(^^;)。

谷中のメインストリート(別名ごまきストリート・・・笑)に戻り、そこから地下鉄千駄木駅に向かいました。途中では、素敵な小学校や、素敵な和菓子やさん(でしたっけ?)などを見ながら、坂を下りきったところに駅がありました。

ここで昼食・・・ミスドです(^^)v・・・カードの点数が全員分足しても1点たらなかったんですよね〜・・・(−−;)。

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