造花が嗤う




長野まゆみ流 残酷御伽噺「雪花草子」と「行ってみたいな童話の国」 にはみんな原典(元になった物語)があります。

雪花草子なら「白薇童子」は朱点童子、「蛍火夜話」はとりかへばや物語、 行ってみたいな童話の国なら・・・あ、これは言うまでもない。タイトルがそのまんま原典です。 「ハンメルンの笛吹き」「ピノッキオ」「にんじん」と。

その中で唯一判りにくいのが「鬼茨」。もちろんこれも原典ありです。 その元になった人物と物語などを解説してみます。






まず「猿楽」は現在でいう能。時は室町時代。まだ能を演じる一団の地位が低い頃の お話。一団の子供である小凛はちょっとした失態から蜜法師の家に出入りすることに。 地位の低いため逆らうことが出来ず小凛は蜜法師にされるのがままになってしまい・・・


・・・と少し本編を復習したところで、能について。 室町時代「能」は「猿楽」と呼ばれていました。その「猿楽」は当時は一介の乞食集団のような 地位の低い団体でした。(どちらかというと蔑まれるような存在でした。ここは本編と似てますね) ところが時の権力者、将軍足利義満が京都の今熊野で猿楽能を 見、感激してからは絶大な支持をえるようになりました。(要するにパトロンになりました)

その時演じたのが、かの観阿弥・世阿弥親子。この世阿弥がいわゆる美少年。年は12才。対する義満は17才) 義満はこの少年をひどく寵愛し(妻妾もいたはずですが)、とにかく猫ッ可愛がり。 諸大名も義満の機嫌をとるために競って世阿弥に贈物をしました。 さらに公家界のトップで連歌の巨匠でもある二条良基にも目をかけられ、 「藤若」という名前も受け賜りました。

しかし二十二歳のときに父・観阿弥を亡くなり、 また義満の寵愛も犬王という別の役者へと移ると、 世阿弥はナンバーツーの座に甘んじることとなります。 彼がが四十六歳のとき、義満は亡くなり、 新将軍・足利義持が権力を握ります。晩年の義満に冷遇されていた義持は、 父の政策をことごとくひっくり返し始めます。 このときに犬王は失脚しますが、世阿弥はナンバーツーであったことが幸いし、生き残るのです。 その後世阿弥は補巌寺(ふがんじ)に出家。時は移りかわり、義教将軍の治世に彼は地位を剥奪され、 佐渡へ島流しに。74歳の1436年(永享8)まで生きていたとされていますが詳細は不明・・・ ・・・とゆう歴史が残っております。



・・・まあ〜現実って素晴らしい。 (もしかして仏門に入ったのも義満の為ではないかと思ってみたり) という訳で小凛のモデルは世阿弥だと思われます。年齢も本編では13歳とかなり近いし、 世阿弥の幼名が「鬼夜叉」というのもねえ。憎い設定ではありませんか。そういう意味では 「鬼茨」の原典はお伽話ではなく史実にあるんでしょう。


肝心要の朱央ですが、彼は長野さんの創作ではないかと思います。世阿弥の生涯に 彼のような友人がいたかどうかはさだかではありません。史実にもありませんし。



世阿弥が不遇の最期を遂げたというも本編の行く末を暗示しているかのようです。 世阿弥についてもう少し付け加えると、彼は優れた能役者・能作者というだけでなく、 優れた能楽論書も残しており、父観阿弥とともに能の大成者でした。

代表的な能楽書に 「風姿花伝」「花鏡」などがあります。有名な「初心忘れるべからず」も 「序破急(起承転結)」も彼の言葉です。





作中で子凛が舞っていた「鬼茨?」 奸計に落ちて自刃した武将が夜叉(鬼?)となって仇を討つ、という演目も 何か元ネタがあるのではないかと調べたんですが・・・まだ不明です。 でも何かありそうです。








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