麦わら帽子 兄さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね ええ、夏、岬から海へゆくみちで、 谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。 兄さん、あれは好きな帽子でしたよ、 僕はあのときずいぶんくやしかった、 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。 兄さん、あのとき拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。 けれど、とうとう駄目だった、 なにしろ深い谷で、それに夏薔薇の茂みが 背たけぐらい伸びていたんですもの。 兄さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう そのとき傍らに咲いていた車百合の花は もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、 秋には、灰色の霧があの丘をこめ、 あの帽子の下で 毎晩キリギリスが啼いたかも知れませんよ。 兄さん、そして、きっと今頃は、 今夜あたりは、 あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、 昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、 その裏に僕が書いた t. という文字を 埋めるように、静かに、寂しく。 |