クラヴィスが目を覚ました時、すでにアンジェリークの姿はなかった。
(・・・・・今までのことは、まさか夢ではあるまいな・・・?)
クラヴィスは不安に襲われると自分の身体の周りを確かめるように見渡した。
そして、自分の身体とシーツに彼女の甘い残り香を感じると、ホッと胸を撫で下ろした。
だが、彼の心には一抹の寂しさが湧き起こっていた。
日が高くなり、クラヴィスは普段と変わりなく聖殿の執務室へと出かけた。
ふと、知らず知らずアンジェリークの姿を捜している自分に気づいた。
(・・・・・フッ。なんということだ。今までは私はあやつから逃げてばかりいたというのに・・。不思議なものだな。恋というものは・・・)
その日、クラヴィスはとうとうアンジェリークの姿を見つけることは出来なかった。
その夜も、また来てくれるのではないかと一晩中起きて待っていたが、来ることはなかった。
次の日、思い切って彼女の部屋を訪ねてみた。
しかし、留守だった。
何処へ行ったのか尋ねてみたが、誰も聞いていないとのことだった。
次の日も、その次の日も、クラヴィスはアンジェリークを捜し、そして待った。
しかし、彼女の行方は皆目わからなかった。
クラヴィスは不安と悲しみに包まれていた。
そして、今までこんな気持ちをアンジェリークに味わわせていたことに気づいたのだった。
(ああ・・・アンジェリーク、お前に逢いたい。あれほどお前から逃げていた私が今、こんなにも強くお前を求めているのだ。何故、私に逢いに来てくれぬのだ? 私への仕返しならば・・・もう十分だ・・・)
そして、日の曜日の朝が訪れた。
クラヴィスは今までの寝不足と心身の疲れからか、いつもよりも遅く目覚めた。
だが、目は覚めたが起きる気にならず、ぼんやりと天井を見つめていた。
すると突然、天井の風景が愛しい人の顔へと変わった。
「どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」
クラヴィスは一瞬、幻かと思ったが、確かにアンジェリークだった。
クラヴィスはハッとして起き上がると、アンジェリークを抱きしめた。
「・・・いったいどうしていたのだ? 私はあれからずっと待っていた。それこそ一日千秋の想いで・・・。昼間も・・・そして、夜もだ・・・」
「・・・クラヴィス様?」
強く抱きしめられながら、アンジェリークは目を丸くしていた。
普段ほとんど感情を表すことがなく、自分から要求するということが無かった彼が、今、こんなにも強く自分を求めてくれていることに驚き、そして幸せを感じていた。
「・・・・ごめんなさい。実はあれから陛下のご命令で聖地を離れていたの。今、ちょっと大きな調査があって・・・」
「・・・そうか。私への仕返しかと思ったぞ・・」
クラヴィスはアンジェリークを強く抱きしめながら口づけをすると、、そのままベッドへ連れ込もうとした。
アンジェリークは慌ててそれを押し止める。
「・・・だめです。私ね、ここ数日聖地にいなかったから、聖地のお庭が恋しいの。だから、ねっ? お散歩にでも行きましょう?」
そう言って、クラヴィスをベッドから引っ張り出した。
「アンジェリーク。私は今すぐにでもお前が欲しいのだ・・・」
クラヴィスはアンジェリークの背中からすっぽりと包み込むように抱きしめると、首筋に唇を這わせた。
「・・・・今日は一日中一緒にいますから・・・。勿論、明日までずっと・・。だから、行きましょう? 久し振りに公園や森の湖へ・・」
クラヴィスは仕方ないといったふうに小さくため息をつくと、身支度を始めた。
爽やかな風が吹き抜ける聖地の庭を散歩するのは、クラヴィス自身久し振りのことだった。
そして、アンジェリークと二人での散歩も・・・・。
いつの間にか、彼女の明るい笑顔につられて、今までの辛かったことや先程までの気持ちも消えて、清々しい気持ちになっていた。
そんな二人を見つめる三人がいた。
無事キューピッド役を果たした例の三人である。
「おやおや? ありゃ、私らにとっては目の毒だわねぇ。以前にも増してイチャイチャしてるじゃない? 腕なんか組んじゃってさ」
「あーー、良かったですねぇー、うまくいったようで・・・。アンジェリークもクラヴィスも本当に幸せそうで、私も嬉しいですよーー」
「どうやら、わたくしたちのセッティングは必要なくなったようですね・・」
「んもーー! せっかく、夜、内緒で二人を森の湖に呼び出してやろうと思ってたのにさ。あれからアンジェリークの姿かが見えなくなっちゃって、結局、私たちが何もしなくたって元に戻っちゃったんじゃない! なんだかつまんないわーー!」
オリヴィエはふてくされたように両手の上に顎を乗せると、ブーブー言ってその美しい顔を膨らませた。
やがて、アンジェリークを見つめていたオリヴィエの青い瞳が何かに気づいたように眩しげに細められた。
「ねぇ、アンジェさぁ・・・・なんか雰囲気が変わった気がしない?」
「は?」
相変らず、ルヴァはすぐにはオリヴィエの言っていることが理解出来ずにいる。
「・・・ますます美しくなったっていうか、大人っぽくなって色気が出てきたっていうか・・・」
「・・はぁ。あーー、そういえばそうですかねぇーー・・」
やっとルヴァも同意して頷いた。
「やはり、幸せな気持ちが現れているのではありませんか?」
リュミエールのその言葉に腕組みをしながらオリヴィエは考えていた。
「うーーーん・・・・・・それだけじゃあないわねぇ。・・・・これはひょっとすると、ひょっとするの・・かな?」
「はあ? なんのことですか?」
オリヴィエの言葉はルヴァには再び謎めいて聞こえたようだ。
「あーーーもーーー!!! 鈍感なんだから、この人は・・。だーかーらーー、二人とも想いを遂げちゃったんじゃないかってこと! ねぇ、リュミちゃん。あんたなら私の言ってることわかるでしょ?」
「わたくしは別にどちらでも良いのですよ。クラヴィスさまのお幸せそうな姿を見ることが出来たのですから・・・」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・これだからこの二人は話になんないのよぅ・・」
リュミエールに救いを求めたオリヴィエだったがそれも空振りに終わり、大きく後ろにのけぞったその時、背後の人の気配に気づいた。
「二人とも元のようになったのは良いが、互いの責務に支障をきたすようなことにならぬよう、そなたたちもあやつに言っておくのだな」
「ジュ、ジュリアス!?」
三人の呆然としている顔をチラッと横目で見ると、不思議な笑みを浮かべて去っていく光の守護聖であった。
「なーにぃ、あれ? いきなりヌッと現れたかと思ったら、言いたいことだけ言ってさっさか行っちゃってさ!」
「ジュリアスさまもとても心配なさっていたようですから、きっと安心なさったのでしょう」
「あーーー、そうですねぇ。クラヴィスにもいろいろと助言をしてあげていたようですからねー。本当は結構、仲がいいんですよー。何しろ子供の頃からの付き合いですからねー。お互いのことは誰よりもわかっているんじゃないでしょうかねー」
「そーかしら? 私にはそうは見えないけれどねぇ・・・」
元もとジュリアスとは気の合わないオリヴィエには、ルヴァやリュミエールの言うようなジュリアスには思えないのだった。
「おや? オリヴィエ? アンジェリークたちがわたくしたちに気づいたようですよ」
「あっ、本当だ! オーーーーイ、アンジェ!! 一緒にお茶しようよーーー! 勿論、クラヴィスも一緒で構わないよー!!」
オリヴィエはアンジェリークたちに向かって大きく手を振った。
「あら? オリヴィエさまがお茶に誘ってくださるみたい・・。ねっ? クラヴィスさま、行きましょう」
クラヴィスは、アンジェリークに手を引っ張られていく自分の姿をおかしく思いながらもされるがままになっていた。
「こんにちは。御一緒してもよろしいかしら?」
「こちらこそ。デートのお邪魔しちゃって悪かったかな?」
オリヴィエがちょっと悪戯っぽい視線を二人に向けた。
「あーーー、ようこそクラヴィス、アンジェリークも。さあ、座って座って」
ルヴァが嬉しそうにイスを勧めると、クラヴィスはただ黙ってそこへ腰を下ろした。
クラヴィスの隣に座ったアンジェリークに、リュミエールがお茶を差し出しながら尋ねた。
「どうぞ、アンジェリーク。暫く姿を見かけませんでしたが、何かあったのですか?」
「・・・ええ。ちょっと大きな調査があって、陛下のご指示で聖地を離れていたのです」
アンジェリークは、チラッとクラヴィスに視線を向けて答えた。
「あーら、それじゃあクラヴィスは寂しくてしょうがなかったんじゃないの?」
まさかそんなことはあるまいと思っているオリヴィエは、皮肉のつもりだったのだが、その言葉を聞いたクラヴィスがフッと笑ったのを見た。
「ゲッ! クラヴィスが・・わ、笑った・・・?!」
身体が固まってしまったオリヴィエだった。
そんなオリヴィエの様子を気にもせず、リュミエールとルヴァは嬉しそうにニコニコと微笑んでいた。
やがて、オリヴィエはみんなには聞こえないようにそっとアンジェリークの耳元に話しかけた。
「ねぇ、アンジェ。さっきも二人と話していたんだけどさ。・・・もしかして、あんたたちってば想いを遂げちゃったの?」
その問いに、アンジェリークはポッと頬を赤く染めた。
「んフフッVやっぱりねぇ。どうりで妙に色っぽくなったって思ってたんだ」
「そうですか?」
恥ずかしそうにアンジェリークが尋ねると、オリヴィエはうんうんと頷いた。
「そーそー。美しさを司るこの私が言ってるんだから信用しなって! それに、クラヴィスの笑顔まで見られるなんて、まったく恋とは魔法だよねー」
二人でコソコソと楽しそうに話している姿に、ルヴァは気になって声をかけた。
「あーー、オリヴィエ。二人で何を楽しそうに話しているんですかーー?」
「ん? 私も恋人が欲しいナーーーって思ったって言ってたんだよ」
オリヴィエはアンジェリークの側から離れると、ウインクをして見せた。
「オリヴィエでしたら、すぐにでも素敵な方ができそうですね」
「あら、いやーねぇ、リュミちゃんったら・・・。でも、そんなことになったらジュリアスが目を吊り上げて怒るんじゃない?」
オリヴィエはジュリアスの顔真似でもしているのか、両手で自分の目を吊り上げて見せた。
「あーーー、でも、この二人のことは暖かく見守ってくれているみたいですけどねーー」
ルヴァのその言葉にオリヴィエは皮肉っぽく答えた。
「・・そりゃあ、アンジェリーク女王補佐官に闇の守護聖クラヴィスだもの。いくらジュリアスだって歯が立たないでしょ? それに比べたら私なんかじゃどんな相手とだって・・・」
「そんなことはありません。ジュリアスさまはとても厳しい方だけど、物事の本質はきちんと見てくれています。オリヴィエさまのことだってちゃんとわかってくださる。きっと応援してくださいますよ。それに私も応援します!」
力強く言い切るアンジェリークに、オリヴィエは少なからず感激していた。
「んふ。ありがと、うれしいよ。しかし、私たち守護聖って恋人や家族を持っちゃいけないって感じがしてたじゃない? いろいろと問題もあるしさー。でも、それがあんたたちがこーなったお蔭で可能なんじゃないかなーーって思ってきてるんだ。確かにお仕事は宇宙を支えるなんて責任重大なことだけど、家庭を持っちゃ出来ない仕事ってわけじゃないんだし、むしろ励みになってくれそうだし・・。まあ、勿論相手は誰でもいいってわけじゃないけどさ。・・・あんたたちのお蔭でこの聖地の変な風潮も変わりそうでワクワクしてきちゃうよね。頑張ってよね、アンジェ!」
「・・・そんな」
アンジェリークは照れくさそうに笑った。
「・・・・リュミエール」
そこで、それまでただ黙ってお茶を飲んでいたクラヴィスが初めて口を開いた。
「はい。なんでしょうか? クラヴィスさま」
「・・・久しくお前のハープを聴いていなかったな。・・・弾いてくれないか?」
「・・・かしこまりました」
リュミエールのハープの音色が響く中、アンジェリークはつくづく自分がこの聖地で生きていけることに幸せを感じていた。そしてクラヴィスもまた、守護聖として長い間生きてきたことに初めて、良かったのかもしれないと思っていた。
三人と別れた後、二人は森の湖へと向かった。
森の湖は、日の曜日になると聖地の職員たちのデートスポットにもなっていたが、今日は誰もいないようだった。
アンジェリークが水辺の淵に腰を下ろすとクラヴィスもまた、その横に腰を下ろして彼女の肩を抱いた。
自然と二人は寄り添う形になった。
「クラヴィスさま。私、今でも信じられない。ただの普通の女の子だった私が、女王候補に選ばれて守護聖さまたちに出会って、今は補佐官としてこの聖地で暮らしている。守護聖の皆さまはとっても素敵な方ばかりだったけれど、とりわけ私の心を惹き付けたのがクラヴィスさまでした。でも、最初はとっても怖いお顔をされてて、私のことが嫌いなのかしらって思っていたわ」
「フッ。それは私の悪い癖だ。人を見ると警戒してしまう。人と関わることで傷つくことを恐れていたのだ」
アンジェリークはクラヴィスの肩に頭を預けながら、自分の心の奥底に根付いていたことを素直に口に出して尋ねてみた。
「・・・・・前の女王さまとのことね・・・」
その問いにクラヴィスもまた、今初めて前女王への気持ちを素直に出せそうな気持ちになった。そして、それを愛しい人に聞いて欲しいと思った。
「アンジェリーク、聞いてくれ。あの頃の私はあの方の気持ちがわからなかったのだ。自分の心の傷ばかりを憂いでいた。だが、今ならばわかる気がする。あの方の心にもずっと傷を負わせていたのだと・・・。その傷を持ちながらもあの方は立派に女王としての責務を果たされた。私のように何もかもから逃げ出すような男などあの方には相応しくなかっただろう。・・・あの方は正しい道を選んだのだ」
今までのような悲しい瞳をしてではなく、静かに懐かしむように過去を振り返っているクラヴィスの表情に、アンジェリークは、今まで心の奥で凍っていたものが溶けていくような気持ちになった。そして、ちょっと悪戯っぽい口調で尋ねた。
「あら? それじゃあ、私は間違った道を選んだんですか?」
「フフフッ、そうかも知れぬぞ。ジュリアスが言っていた。あのまま試験を続けていたらお前が女王になっていただろうと・・・。私もそう思う」
「そんなことありませんよ。現陛下が候補だった頃、すでに女王としての資質を何もかも持ってらしたのに比べて、本当に私はただの女子高生だったんですもの。それともクラヴィスさまは私が女王になってたほうが良かったの?」
その言葉に、クラヴィスは大きく息を吐きながら答えた。
「・・・いいや。もしそうなっていたなら、私はきっと生きてはいなかっただろう・・・」
「えっ? ・・・いやです。冗談でもそんなこと言っちゃ・・・」
アンジェリークは不安げにクラヴィスの腕を握る手に力を込めた。
そんな彼女の様子に悪戯っぽい笑みを浮かべたクラヴィスだった。
「・・・だが、私は生きている。これからも、ずっと・・・お前が私の側にいてくれる限り・・・。生きる喜びをお前は私に与えてくれているのだ・・・」
「それは私も同じ・・。あなたが私をいつも見てくれているから、私はどんなことにもがんばることが出来るの・・・」
「アンジェリーク。・・・・・部屋へ帰ろう・・・・」
耳元で囁くクラヴィスの甘い声に、アンジェリークの頬が赤く染まった。
幸せな眠りからクラヴィスが目を覚ましたとき、アンジェリークはベッドから出て既に着替えを済ませていた。
「・・・ごめんなさい。起こさないように行こうと思っていたのだけれど・・・」
クラヴィスはベッドから出ると、アンジェリークを抱きしめた。
「・・・何故、黙って行ってしまうのだ? 目を覚ましてお前がいないことを知った時、私がどんな気持ちになるか、お前はわかっているのか?」
切なそうな表情のクラヴィスを見て、アンジェリークもまた悲しそうに瞳を細めた。
「・・・ごめんなさい。・・・私、あなたの瞳を見てしまったら帰ることが出来なくなってしまいそうで・・・」
「・・・・だったら、このままここにいてくれ。私の側にずっと・・・」
一段と強く抱きしめられ、流されそうになる心を、アンジェリークは持ち前の意思の強さで押し止めた。
「そう出来たらいいのだけど・・・。でも、補佐官としての責務をしっかり果たしてこそ、あなたとこうしていられると思っているの。今、私はとても心が満たされているわ。いつもあなたへの愛が溢れているから・・・。そしてあなたの愛を感じることが出来るから・・・。だから、仕事にも打ち込めるの・・。だから、ねっ? あなたも守護聖としてのお仕事を立派に果たしてください。私の心はいつもあなたと一緒です。そして、いつもあなたを見ています・・」
毅然としたアンジェリークの姿にクラヴィスは胸を打たれた。
そしてまた、それが自分との恋によるものなのかと誇らしさを感じるとともに、恋に溺れてしまっている自分が少し恥ずかしくなった。
「・・・お前は強いな。ならば、私ももっと強くならねばなるまいな。もう、今までと同じことを繰り返すわけにはいかぬのだから・・・。お前が私の側にいてくれるのならば、私も変わることが出来るだろう・・・」
クラヴィスの瞳に明らかに強い意志が宿っていた。
「あなたは、とっくに以前のあなたではなくなっているわ。それに、本当は私も弱い心を一生懸命奮い立たせているだけなのよ。あなたのために・・・・・。私たち二人のために・・・」
「・・・二人のために・・・か。そうだな、努力してみよう。だが、これだけは約束して欲しい。一週間に一度は、こうして私と過ごす時間を作って欲しい・・・」
「・・・それは、私から御願いすることだわ。あなたに会えないと私がおかしくなってしまうもの・・・」
「・・・・アンジェリーク」
それからの二人は、それぞれの責務を果たすことに努力をした。
そして、一週間に一度は二人の時間を過ごしていた。
しかし、時々には互いのスケジュールが合わず、なかなか二人きりで会えないときもあった。
だが、二人とも以前のような不安や悲しみに襲われるようなことはなかった。
二人の間は確実に、信頼と愛情で強く結ばれていたのである。
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