その夜、女王補佐官の部屋をノックする者があった。

「オ、オリヴィエさま?!」

「ハーイ、アンジェリーク。ちょっといいかな?」

「はっ、はい。どうぞ」

アンジェリークは美しさを司るオリヴィエに今の自分の姿を見られてしまったことに恥ずかしさを覚えて、急いでお茶を煎れるふりをして身支度を整えた。以前、まだ女王候補だった頃に寝不足でヨレヨレのところを厳しく注意されたことがあったからだ。今日の自分は昨夜全然眠っていないうえ、泣き続けていたせいで瞼も腫れて、あの時以上に酷い顔だった。
しかしオリヴィエは、そんなアンジェリークの姿に気づいていないのか、それとも敢えて無視しているのか、何も言わずに部屋の中を見回している。

「いやー、夜、誰にも見つからずにここまで来るのって結構大変だよね」

オリヴィエはホッとしたようにイスにどっかと腰を下ろした。
女王補佐官の衣装と同じ薄いピンクを基調にした可愛らしい感じの部屋。女王候補の頃とあまり変化のない、まだまだ幼さの残る少女の部屋だった。
しかし今オリヴィエは、このまだ幼さの残る少女に大人の女性になってもらうべく自分が来たことを、部屋を眺めながら再確認した。

「昼間はお互いに仕事やら人の目やらがあるからゆっくり話しも出来ないし、かと言って、夜、女王補佐官の部屋に守護聖が一人で入るってのも見つかると大変だし、それこそクラヴィスにでもバレたら何もかもパー! 宮殿の中をコソコソする私って・・・・かわいそ・・・」

「あ・・・あの・・・?」

一人ブツブツ呟いているオリヴィエにアンジェリークは怪訝そうにお茶を差し出した。

「あー、ごめんごめん。こっちのこと☆ でもさー、懐かしいねー。あんたがまだ女王候補だった頃も、よくこーして寮の部屋に遊びに行ったもんだよねー」

「そうですね」

「今じゃあんたも女王補佐官。今まで良くやってきたと思っているよ」

「・・・・・そうでしょうか?」

悲しそうに笑うアンジェリークを見て、オリヴィエは優しく微笑んだ。

「んフフッ。心配事があるのはわかっているよ。今日はそのことで来たんだ。昔からの兄貴のつもりでね」

「・・・・ありがとうございます、オリヴィエさま」

わざわざ心配して来てくれたオリヴィエの優しさにアンジェリークは嬉しそうに微笑んだ。

「でもね、今日の私はクラヴィスの弁護をしに来たんだ」

「・・・えっ?」

ちょっと意外な言葉に緑色の瞳を丸くしたアンジェリークだ。

「だいたいのことはわかっているつもりだよ。正し、クラヴィスの気持ちのほうはね。やっぱりそこは男同志だからさ。そこで、さすがの私も女性であるアンジェの気持ちはわからないからね。そこのところ正直な気持ちを聞かせて欲しいんだ」

いつになく真面目な表情で問いかけてくるオリヴィエに、アンジェリークも安心して素直に話せそうな気がしていた。
女王候補だったころからオリヴィエは、姉というか兄というか中性的な部分で何かと彼女の相談事にのっており、それ故男女の域へは入れなかった損な性格なのであった。

「もし、アンジェがクラヴィスの心を疑ったり、心配したりしているのだったらそれは大間違い。あの人はアンジェリークを愛しているよ。それこそ全身全霊で・・・」

「・・・・えっ?」

「あまりにもあんたへの愛情が強すぎて、それであんたが傷つきやしないか心配してるんだよ」

「・・・・・・」

「あんたも、もう立派な大人の女性だ。男と女が結ばれるってどういうことかわかってるよね? 心が結ばれるだけじゃなくて、肉体的にも結ばれるっていうこと・・・」

「・・・はい」

アンジェリークは頬を赤く染めて小さく返事をした。

「恥ずかしい話なのはわかってる。本当は私もちょっと恥ずかしいけど、逃げるわけにはいかない話だし、それにとっても自然なことで素敵なことなんだよ。わかるよね?」

「はい」

今度はハッキリと答えた。

「クラヴィスはね。アンジェリークへの愛情が深まっていくにつれ、あんたの全てが欲しいと思う気持ちが強くなってきたんだ。きっとあの人と同じ立場だったら私だって同じように思うだろう。だけど、あの人はあんたがあまりにも純粋であるが故に、そんなことをしたらあんたが傷ついて自分から去っていってしまうんじゃないかって考えて、その気持ちを抑えていたんだ。でも、男の性っていうか・・・悲しいもので理性を保てなくなっちゃう時もあるんだ。だからクラヴィスは、冷たいようだけどなるべくアンジェリークと二人っきりになるのを避けていったんだと思うんだ。結局、そのことがあんたを傷つけることになっちゃったんだけどね」

アンジェリークは今までクラヴィスの何を見てきたんだろうかと自分自身を責めていた。今、他の人に教えられて初めてクラヴィスという男を知ったような気になっている自分自身を・・・。

「・・・・クラヴィスの気持ち、わかってくれた?」

「・・はい。私・・一時でもクラヴィスさまの気持ちを疑ってしまったことが恥ずかしい。こんなにも大事にして下さっているのも知らずに一人でショックを受けて拗ねていたなんて・・・」

アンジェリークは何度も手で涙を拭った。
オリヴィエは安心したように頷いた。

「良かった。これで役目の半分は果たしたよね。ところで、ここからが本題なんだけど、アンジェリークの気持ちはどう?」

「・・・えっ?」

「・・つまり、クラヴィスと肉体的にも結ばれたいかってこと」

「・・・それは、私も同じです。クラヴィスさまに愛されたいし・・愛して差しあげたいと思っています」

先程までの彼女と違い、何かを乗り越えたように真っ直ぐにオリヴィエの瞳を見つめながら答えたアンジェリークだった。

「・・・そう。それならあんたの方からその気持ちを伝えてやってくれないかな?」

「・・・・?」

「ほら、あの人。あんなでっかい図体していつも大人ぶった顔してるけど、以前手痛い目に合ってるから妙に臆病になってるんだよね。だから、いくら誤解が解けたからって態度を変えられるやつじゃないと思うんだ。それで、あんたからそんな心配は必要ないってことをわからせてやってほしいんだ」

「わかりました。いろいろありがとうございました、オリヴィエさま」

オリヴィエは、少女から大人の女性への階段に足を掛けたアンジェリークの姿に、自分の役目を無事終えたことを確認して、ホッと胸を撫で下ろした。

「あー、良かった! 恋のキューピッド役も大変だよねー。でも、ルヴァじゃないけどあんたの幸せそうな顔を見てるとこっちまで幸せな気持ちになるんだよねー」

「ルヴァさまが?」

その人のことを思うと、アンジェリークは胸がチリッと痛くなるのを覚えるのだった。

「そっ。今頃リュミエールとルヴァがクラヴィスを幸せな男にするために努力していると思うわよ」







普段の夜ならば、リュミエールのハープの音色が響いているクラヴィスの部屋であったが、今夜はルヴァも一緒にクラヴィスを前にお茶を啜っていた。

「・・・・言いたいことはわかっている。ルヴァ、私を責めてくれていいのだ」

覚悟でも決めたかのように、ルヴァの前でいつもの無表情の中にも誠実さを漂わせているクラヴィスだった。

「はあ? 私はあなたが悪いなどとはこれっぽっちも思っていませんよ。あなたは立派にアンジェリークを幸せにしてくれています」

「そうですよ、クラヴィスさま。わたくしたちがクラヴィスさまに言いたいことは一つだけなのです」

リュミエールがルヴァの言葉に付け足すように言った。
その言葉に無表情を珍しく崩してアメジスト色の瞳を少し円くしているクラヴィスを見て、ルヴァは再び優しく言った。

「そう。いつも言ってるじゃありませんか。あなたは我慢しすぎなんです。もっとご自分の気持ちに正直におなりなさい」

「・・・・・・」

「アンジェリークを信じてください、クラヴィス」

その言葉に、クラヴィスは二人の前で初めて笑みを浮かべた。

「・・・フッ。ジュリアスにまで同じことを言われたな」

「ジュリアスさまが?」

「そーですか。やっぱりジュリアスもあなた方のことを心配していたんですねー。うんうん」

驚くリュミエールとは対照的に、ルヴァはまるで知っていたかのように頷いていた。





そしてその夜遅く、キューピッド役の三人はルヴァの部屋で落ち合うと互いの情報を交換した。
そして、オリヴィエが計画した次の作戦を実行すべく打ち合わせをして夜を明かしたのであった。






翌朝、アンジェリークの心は晴れていた。
クラヴィスも自分と同じように求めてくれていた。いや、自分よりももっと深く、広い愛情で自分を見つめてくれていたことに幸せを感じていた。

「どうしたの? この間とはうって変わって随分と明るい感じじゃない?」

皮肉っぽく青い瞳を細めてロザリアがアンジェリークを見ると、アンジェリークは手と首を同時に横に振った。

「ううん、ロザリア。何も無いわよ、今のところは・・」

「今のところ?」

謎めいたその言葉にロザリアは怪訝そうな表情をした。

「うん。実はね、私・・・決心したの」

「決心・・・って、何を?」

「それはね・・・」

アンジェリークはロザリアの耳元に顔を寄せるとヒソヒソと何事かを囁いた。

「んまぁーー!? あんたってば、よくもそんなことをこのわたくしに!?」

ロザリアは顔を赤く染めて思わず立ち上がった。

「あっ、シーーッ! だめよ、誰にも言っちゃ。だって、これが一番いい事だって思ったんだもの・・。ねぇ、やっぱりいけないことかな?」

アンジェリークはまるで子供が母親に許しを請う時のように、上目遣いにロザリアの言葉を待った。
ロザリアはフッと肩の力を抜くと、またイスに腰掛けた。

「んーー。あんたからプッシュしなさいって言ったわたくしとしてはいけないとは言えないけれど・・。それにしてもあんたにしては思い切った決心をしたものだわね・・・。まあ、女王補佐官としての仕事をちゃんとやってくれればわたくしは別に文句はなくってよ」

「ありがとう、ロザリア!」

アンジェリークは嬉しそうにロザリアに抱きついた。







その夜遅く、クラヴィスの部屋に忍び込んだ者がいた。
アンジェリークだった。
丁度クラヴィスは休もうとしていたらしく、寝室でベッドに入ろうとしたところであった。

「アンジェリーク?!」

さすがのクラヴィスも、驚きを隠せず大きな声をあげていた。

「どうしたのだ?! このような夜中に・・・。しかも黙って入り込むなどと・・・」

アンジェリークはただ黙って寝室に入るとドアを後ろ手に閉めた。
そして、クラヴィスに抱きついた。

「ごめんなさい、クラヴィスさま。私、あなたの気持ちも知らないで我がままばかり言って・・。それで・・・・私・・・」

頬を赤く染めて恥ずかしそうに自分の胸に顔をうめているアンジェリークを、クラヴィスは戸惑いと愛しさの入り混じった気持ちで見つめていたが、やがて落ち着いて彼女の体を自分から離すと、自分はベッドの端へと腰掛けた。

「フッ。誰に聞いたかは知らぬが・・・。お前がこのようなことをせずとも良いのだ。私はお前の明るい姿を見ているだけで幸せなのだ。・・・私の邪な気持ちでお前を傷つけてしまった。許してほしい・・・」

クラヴィスはまるで自分自身に言い聞かせるようにゆっくりと語った。

「そんな! そんなことありません! 私・・・私だって同じことを考えていたんです。あなたとすべてを分かち合いたいって・・・」

「アンジェリーク。良いのだ・・。そのように気を使わずとも私はこのままで・・・」

アンジェリークは自分の正直な気持ちを信じてもらえないことに苛立たしさを感じて、思い切った行動にでることにした。
アンジェリークはクラヴィスの正面に静かに近づくと、素早く彼の首に手を回し、唇を重ねた。
クラヴィスは驚きのあまり、ビクッと肩を震わせ身体を離そうとしたが、すぐに頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなってしまった。
気づくと、アンジェリークの身体をしっかりと抱きしめ、口づけに応えてしまっている自分に驚き、慌てて身体を離した。

「・・・だめだ。このようなことをしてはお前のためにならない・・・」

アンジェリークと視線を合わせることが出来ずに顔を横に向けるクラヴィスだったが、口調はとても優しかった。

「クラヴィスさま、いいんです。私を愛して下さい。私の身も心もあなたのものにして下さい。私は・・・。私は・・・」

アンジェリークは懸命に自分の想いをクラヴィスに伝えようと、彼の胸元にすがりついていた。

「いいや、だめだ。私のために無理をしてくれるな。・・・さあ、もう遅い。部屋まで送ろう」

首を横に振るばかりのクラヴィスの姿に、アンジェリークは途方にくれてしまった。

(ああ・・・どうすればクラヴィスさまに私の気持ちをわかってもらえるのだろう・・・)

しかし、ここで諦めてしまうほど彼女はもう、子供ではなかった。
アンジェリークはスクッと立ち上がると、自らの衣服を脱ぎ始めた。

「アンジェリーク! 何をするのだ?!」

驚きに身動きが出来ないクラヴィスの前で生まれたままの姿になったアンジェリークは、薄明かりの中をゆっくりとクラヴィスに近づいた。

「クラヴィス・・・。私を見て・・。私のすべてをあなたに見せたいの。そして知ってもらいたいの・・・。私の身も心も愛して欲しい。そして私もあなたのすべてを愛したい・・・」

クラヴィスは眩しそうにアンジェリークを見つめていた。

「・・・美しい。お前は本当に美しい私の天使だ・・・」

「・・・うれしい」

アンジェリークはクラヴィスに手を差し伸べた。
クラヴィスはその手を愛しそうに自分の頬にあてた。

「・・・本当か? 本当に身も心も私は抱きしめても良いのだな? お前のすべてを私のものにしても良いのだな?」

「ええ。あなたを愛しています・・・」

「ああ・・・アンジェリーク・・・」

クラヴィスはアンジェリークを抱き寄せると、今度は自分から唇を重ねた。








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