その夜、自分の部屋に戻ったアンジェリークは、昼間のロザリアとの会話の内容を思い出していた。

(・・・・やってみる・・・なんて言っちゃったけど、本当にそんなことをしていいのかな? はしたない娘なんて思われちゃうかもしれないし・・・。でも、このままずーーっと見詰め合っているだけなんてのもいやだし・・。だって、あんなに素敵な方なんだもん。手だって繋いでみたいし。あの広い背中が目の前に見えると、抱きつきたくなっちゃう・・・そして・・・)

突然、アンジェリークは趣味のよい家具の揃った女王補佐官の広い部屋を歩き始めた。
どうやら、何かスゴイことを想像してしまったようだ。

(きゃーーっ! 私ってエッチなのかしら? ううん、違うよね。普通の女の子だって、私くらいの歳になれば当たり前だよね・・・?!)

力強く両手に拳を作って自分に力説しているアンジェリークだったが、ふと、立ち止まると力なく窓辺のソファに深く腰掛けると、ため息をついた。

(・・・・私、本当は不安なのかもしれないな。あの時のクラヴィスさまは、愛しているのは私だけだと言ってくれた。勿論、その言葉を信じているわ。だけど・・・・ただ、見つめてくれるだけで私をもっともっと求めてくれないのは、前女王さまのことが忘れられないんじゃないかって・・・思っちゃう。あーあ、私って我侭なのかな?)

アンジェリークが窓を開けると、心地良い夜風が部屋の中を吹き抜けていった。

「わぁー! 今日も素敵な月夜だわ! ・・・そういえば明日は日の曜日。そうだ、今から明日のデートのお誘いにクラヴィスさまのお部屋に行ってみようかな? 最近なんとなく二人きりになるのを避けていらっしゃるような気がするし・・。ここはやっぱり私からお誘いしてみよう。それに、そのまま夜のデートまで出来たら嬉しいし・・うふふ」

元気良くクラヴィスの館へと向かったアンジェリークだったが、段々とクラヴィスの部屋が近づいてくるにつけ、さっきまでの決心が徐々に薄れ、部屋のドアの前まで来ると、ついに後悔の念に駆られてしまっていた。

(・・・どうしよう。ああ・・・心臓がドキドキ。・・・・帰ろうかな? でも、ここまで来て帰るなんてのももったいないし・・・。ううっ、! そうよアンジェリーク! ロザリアにも言われたでしょう!? プッシュあるのみよ! スーハー、スーハー、よし!)

二、三度大きく深呼吸をすると、キッと覚悟を決めてドアをノックすると部屋の中へと入った。

「おや? アンジェリーク」

「リュ、リュミエールさま?!」

紫と黒を基調にした神秘的な部屋で、そこにいることに何ら違和感を感じさせず水の守護聖リュミエールが、いつもの優しい微笑みでアンジェリークを迎えていた。

(そうだった。クラヴィスさまのお部屋には、リュミエールさまがよくいらっしゃるんだっけ・・。今日はハープの音色がしていなかったから気がつかなかったわ)

「・・・どうした? アンジェリーク?」

その部屋の主である闇の守護聖クラヴィスが、奥の部屋の席から立ち上がってアンジェリークの側へと近づいてきた。
相変らずの長身、そして無表情。しかし、女王試験終了後、長かった黒髪を肩の辺りでバッサリと切り、何かを吹っ切ったように見える。そして、紫水晶の瞳の中には以前には心の奥に隠されていた優しい光が現れていた。

「あ・・・・あの・・・」

リュミエールがいたことにより、明日のことを切り出してもいいものか、アンジェリークは言葉に詰まってしまった。

「・・・クラヴィスさま、わたくしは失礼させていただきましょう」

彼女の様子にきづいたのか、リュミエールはそう言うと立ち上がった。

アンジェリークが内心ホッとした時、クラヴィスがリュミエールを引き止めた。

「いや、かまわぬ。リュミエール」

「・・・しかし、クラヴィスさま」

アンジェリークはクラヴィスのその言葉に少なからずショックを受けた。

「さあ、アンジェリークどうしたのだ? このような時間に私を訪ねるとは、何か困りごとか?」

クラヴィスは優しく問うたが、アンジェリークの心に沸きあがった寂しさと悲しさを消すことは出来なかった。

「あ・・・あの。明日の日の曜日、一緒に過ごせないかと思って・・・」

「・・・・すまぬな。明日はジュリアスに呼ばれているのだ。どういうわけか、最近ジュリアスが私と話をしたがるのだ。以前と違って小言を言うだけではないので、少々気味が悪いのだが・・・」

「・・それは、クラヴィスさまが以前のようではなくて、ジュリアスさまのお話をよく聞いてらっしゃるからですよ。きっと、アンジェリークのお陰なのでしょうね」

リュミエールが優しい笑顔でそう言うと、クラヴィスはフッと笑った。

「それでは、夜ではダメですか? たまには月明かりの中でのお散歩もいいかなって思うのだけれど・・・」

アンジェリークは少し恥ずかしそうに言ったが、クラヴィスは困惑した表情をすると、平静な口調で答えた。

「・・・それは、良いこととは思えんな。仮にもお前は女王補佐官なのだから・・。いくら私と未来を誓った仲とはいえ、周りの目も考えて行動せねばなるまい・・」

「クラヴィスさま?!」

アンジェリークが驚くよりも先に、リュミエールが声をあげていた。

アンジェリークは自分の想いをすべて否定されてしまったようなショックを受けていた。

「そ・・・そうです・・・よね。ごめんなさい。・・・・それじゃ、失礼します」

懸命に平静を装いながら、アンジェリークはヨロヨロと部屋をでた。

扉を閉め、力が抜けたとたん涙が溢れて出てきた。しかし、アンジェリークはそれを拭うこともせず、その場を駆け出していった。


リュミエールは廊下を走り去るアンジェリークの足音を聞くと、温厚な彼にしては珍しくクラヴィスを責めるように言った。

「クラヴィスさま! 何故あのようなことを? ・・確かにお互いの立場を忘れ、責務を疎かにすることは許されないことですが、アンジェリークもそのことは弁えて、今までよくやってきました。それに、お二人のことは、皆、心から祝福してくれているはずです。それをあのように冷たくあしらわれてはアンジェリークがあまりにも可哀相です! 彼女は女王の地位を諦め、クラヴィスさまの・・・・・」

リュミエールはそこまで言うと言葉を呑んだ。

拳を握り締め、苦しそうに何かに耐えているようなクラヴィスを見て、彼の心にも何か苦しい想いが渦巻いていることを悟ったのだ。

「・・・・フッ。リュミエール・・・」

スッと肩の力を抜くと、クラヴィスはソファにゆったりと体を預けた。

「・・・はい?」

「最近、ふと考えてしまうことがある。私にアンジェリークを幸せにすることが本当に出来るのだろうか・・。私はあやつを悲しませることしか出来ぬのでは・・・とな」

「・・・クラヴィスさま。そのようなことはありません。思い出してください。あなたと愛を誓った後のアンジェリークの幸せそうな表情を・・・。全身にあなたへの愛を溢れさせて、美しくなった彼女を見て、わたくしもとても幸せな気持ちになりました。そして、それはクラヴィスさまも同じでした」

「・・・私が?」

意外な言葉でも聞いたようにクラヴィスが問い返す。

「そうです。彼女の愛を受けてあなたも幸せを隠すことなく表情に、そして態度に現されていました。それなのに・・・いったいどうされたのですか? 最近、日に日にお二人とも表情が曇りがちになられていくようですが・・・」

暫くの沈黙の後、低く囁くようにクラヴィスは言った。

「私は・・・ただの男なのだ・・・・ということだ」

「・・は?」

リュミエールはクラヴィスの言った意味が理解できず、彼が問い返されるのを好まないことを知っていながら思わず問い返していた。

しかし、クラヴィスは別段気にもせずにその問いに答えた。

「私は臆病者だ。アンジェリークに対してまるで子供のようにビクビクしている。私の中でどんどん膨らんでいく想いをあやつに知られたら、私に愛想をつかして私から去っていくのではないか・・・。そんな気がして、恐ろしさのあまりあやつから逃げている。そうすればそうするほど、アンジェリークが私から去っていってしまうとわかっていても、私はどうしたらよいのかわからない・・・」

「・・・・クラヴィスさま・・・あなたは・・」

ようやくクラヴィスの胸の内が理解できたのか、リュミエールは悲しそうな瞳でクラヴィスを見つめた。

クラヴィスは苦笑すると、大きなため息をついた。

「・・・すまない、リュミエール。一人にしてくれ・・」

「・・・はい」


自分の館に戻るために廊下を歩くリュミエールは、クラヴィスの悲しいまでのアンジェリークへの想いに、まるで自分のことのように胸を痛めていた。そして、他人には興味を示さず、また興味を持たれるのも嫌いな彼が、自らの苦しい想いを自分に打ち明けてくれたということに嬉しさも感じていた。それ故、リュミエールの奥底にある強さが、なんとかしてあげたいという一つの決意となって水色の瞳に表れていた。


その頃、部屋に戻ったアンジェリークはベッドに潜り込むと泣きじゃくっていた。

(・・・・ヒック、クラヴィスさま、私のことが嫌いになっちゃったのかしら? それともやっぱりもっと近づきたいと思った私がいけなかったの? こんなに好きだから、もっと側にいたいし、あの方の広い胸の中に抱き締めてもらいたいって思っちゃいけなかったのかしら・・・。クラヴィスさまは私といつも一緒にいたいって思ってくださらないのかな・・?
グスッ・・・・人を好きになるって、こんなに辛いことだなんて思わなかった・・・)

アンジェリークはそのまま、まんじりともせず、朝を迎えようとしていた。



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