鈴原不動産の松沢たちと別れ、里見は自分の公用車で帰路の途中であった。
車中で、先程クラブ"バロン"のママ伊集院佐弥子から、加奈子のこと、そして未来が何故店にいたのか、その経緯について聞いたことを考えていた。
高橋を理事長から追い落としたあと、高橋が桜塚を出て行ったという話は聞いていた。しかし、その後についての噂は聞いたことがなく、また当時の自分にはまったく興味のないことだった。
しかし、こうして加奈子の姿から高橋の今の姿を想像すると・・・。
ここ最近になって、やたらと胸の奧の棘が疼くことを覚えてしまった。

思わず、胸元に手がいく。
隣に座っている秘書が、タバコを取りだそうとしていると勘違いしたのか、ライターを胸元から取り出そうとした。
里見は手をあげて、それを制止すると、ふと窓の外を見た。
ここは、夕方、視察のために止まった空き地の近くだ。
視線をそのままにしていると、アパートらしき敷地の隣を通る。

「君、止めてくれたまえ」

思わずそう言っていた。

運転手が慌てて車をわき道に止める。

秘書が怪訝な様子で里見の顔を見る。

(・・・あれは、未来?)

丁度アパートの敷地内に止まっているタクシーに乗り込もうとしている未来であった。
そして、その彼女を見送っているらしい男は・・・。

(・・・・高橋理事長か・・・)

長い間そう呼んでいた男に、思わず昔どおりの呼び方を呼称してしまった里見だった。

タクシーはそのまま未来を乗せ走り去る。
高橋はアパートの階段をあがり、自室へと戻る。
未来は加奈子を送ってそのまま今夜の顛末を高橋に伝えてでもいたのだろう。

「もういい」

そう里見が言うと、再び車が走り出す。

あの狡猾で自信家だった高橋が、今はあのようなアパート暮らし。
遠くからでよくは見えなかったが、あの頃の面影は無きに等しかった。
きっとすれ違っただけではわからないだろう・・・。
そこまで追い詰めたのは自分である。
加奈子があそこまで自分を憎む気持ちもわかる・・・。

そして、これから更に加奈子に憎まれることになるだろう。

直接、里見がすることではないとは言え、あのアパートも立ち退きの対象になっている。
桜塚から、そしてまた桜葉町から、高橋たちを追い出すことになるという現実に、里見の胸の棘は更に深く心臓に食い入るようにキリキリと音をたて始めた。





翌日の夜、未来はまたバロンへと来ていた。
昨夜の加奈子のことをなんとか許してもらいたいという願いからであった。
今は代議士である里見に対してあんなことをしでかして、無事にすませようというのはおこがましいかもしれない。何しろ、へたをすればお店自体、影響が出かねないからだ・・。

しかし、そんな緊張した未来の表情に対して、佐弥子は穏やかそうに言った。

「・・・・・どんな事情があれ、お客様に対して失礼なことをしたことは許されることではないけれど、里見さまもお許しくださったし、なかったことにしてくれとまでおっしゃってくださったので、わたくしもそうするつもりよ。だから、明日から普段どおり来てくれるように言っておいてくれる?」

「は・・・はい! ありがとうございます」

未来はホッと胸を撫で下ろした。

「・・・・里見さまにいろいろ聞かれたのだけど・・・」

「・・・え?」

その言葉に未来は驚愕した。

「加奈子さんがここで働いている経緯と、そして未来さんがここに通っている理由をね・・・」

「・・・・・・」

「わたくしが知っていることはほんのわずかだから、その点しかお教えはしなかったけれど・・・」

「・・はい」

「加奈ちゃんがあそこまで立ち直ってくれたのは未来さんのお陰だと思っていますわ。ただ、赤の他人である加奈子さんにあなたは何故そこまでしてあげるのかしら・・って、里見さまに聞かれてわたくしもちょっと思ったのよ」

「・・・それは・・・。私はただ、加奈子さんに幸せになってもらいたかっただけで・・・・」

「里見さまも関係しているのかしら・・・?」

「・・・え?」

「・・・いえ、ただなんとなくね」

「・・・・それは」

未来は口ごもる・・。

「ああ・・・ごめんなさいね。プライバシーのことなのに詮索してしまって・・・」

「い、いえ・・」

未来もふと考える。
あんなにも明るくて幸せそうだった加奈子が、里見のせいですさんでしまった。
なんとか助けてあげたいと、昔どおりの笑顔を取り戻してあげたいと思った。
それは・・・同じ男を愛した者同志の連帯感?
里見に深く関わっていながらも、里見をユカリという魔性から離せなかった罪悪感?
いや、それだけではない。
未来自身が加奈子を好きだから・・・それが一番の理由に他ならなかった。。

「・・・こういう仕事をしているとね。その人の本質というものが見えてしまうことがあるの。お酒が入ると人間いつも被ってる仮面が、ふっと外れることがあるのね。その人が幸せなのか、何かに悩んでいるか、わかってしまうものなのよ。わたくしたちはそんなお客さまの本当の姿を、さりげなく見守って差しあげるの。だからかしら・・・加奈子さんも未来さんにも、そして里見さまにも同じような、苦しさを感じたのよね・・・」

「里見教授・・・もですか・・」

「・・・・そうね・・・」

「人間って傷つかない人なんていないと思うわよ。人を傷つけてると自分も傷つけるものよ」

「・・・・・・・・・・」






(ママが言いたいことは、里見教授も傷ついているって言いたいのだろうか・・・)

帰宅途中のタクシーの中で未来は考えていた。
そうであってほしいと未来は思う。
昔、あんなに可愛がっていた加奈子を傷つけたことに傷ついていてほしいと思った。
ユカリの毒に侵され、冷酷無比な装いをしていても、心の奥底にはあの大学時代に自分に良く見せてくれていた優しい心が失われていないと信じたかった。
たとえ、何度拒絶されようとも・・・・信じることだけはしていたかった。
何度もくじける自分の心を奮い立たせようと未来は必死であった。




加奈子のアパートに寄り、ママからの言葉を伝えると未来は自分のマンションへと帰って来た。
エレベーターに乗り、六階を目指す。
誰も答える人のいない部屋に向かって、ただいまを言う。
未来の心の中には今はいない両親と和希がいつもいる。
彼らに向かって挨拶をしている未来であった。
そして、電灯のスイッチを入れる。
部屋の中がパァっと日の光が入り込んだように明るくなる。




その明かりをマンションの外から眺めている男がいた。
里見であった・・・。
今夜は公用車ではなく自分の車を運転してきた。
たまたま、今日は私用で出かけたため、スーツではなく、ラフなシャツに黒いパンツ姿である。
それだけでも、人の目を惹くほどに里見の容姿には目立つものがある。
だが、幸い今車を止めている場所に人通りはない。
里見が車から出て、タバコをふかしながら未来の部屋を見上げていても、不審に思う人物はいなかった。
今朝になり、里見は秘書に高橋と未来の周辺を調査させた。
未来は翻訳家として、なかなか名も売れているらしくすぐに調査は終わった。
だからと言って里見はなにもするつもりはなかったのだが、たまたま近くを通ることになり、ついついここまで来てしまったのだった。そしてまた、タイミングのいいことに、ついて10分もしないうちに未来が帰ってきたのだった。

ポッと明かりの灯ったマンションの一室を見ながら里見は思う・・・。

(未来・・・今更俺はこんなところに来て、お前にまた何を期待しようというのだろうか・・。もう、逢うことはないと思うたびに、お前と再会する・・。何かが、目に見えない何かが俺とお前に何かをさせようとでもいうのだろうか? お前はどう思っているのだろう・・・。闇の覇王になりきれず、ここから動けない俺がいる・・・)

里見はそこでクッと笑う。

「最近の俺はどこかおかしいな・・お前が俺になにかしたのか・・・?」

現実的でない発想に自分自身を笑いながらも、里見の瞳は真剣であった。

あのホテルでの再会の折、未来と口づけて以来心の奥に差し込んだ棘・・・。
そこが段々と熱を帯びてきているのがわかる・・・。まるで火をおこそうとする火種のように・・。

そう感じながらも今はただ、迷宮のようなこの道を進むしかない・・。
里見は未来のマンションの明かりが出口のように感じつつ、その場を後に車を走らせた。



未来は部屋に帰り、明かりをつけるとステレオのスイッチを入れ、いつも聴いているヴァイオリンの曲を流す。
それを聴きながら、ソファに体を預けて暫し鑑賞する。
最近のいつもの日課である。
翻訳にしろ、加奈子の件にしろ、里見のことにしろ、最近の自分は頭で考えることが多い。
運動不足も否めないが、考えすぎはいろいろとストレスの元になる。
そんなときには好きな音楽を聴くのが丁度いい癒しの方法だった。

ふと、まだ夜用のカーテンを閉めていないことに気づくと、未来は窓際へと寄っていく。
習慣ながら、暗い夜更けの窓の外を眺めてみる。
と、同時に微かに車の走り去る音が聞こえた。

未来はなにも考えることもなく、ただボーゼンと走り去る車を見つめていた。



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