店内に入ると、すぐに数人の店員が出迎えた。
宵の口にはまだ少し早い時間だが、すでに店内は賑わい始めているようだ。
なかなか繁盛しているクラブらしい。

『予約席』と書かれたプレートが置かれた席へと案内される。
すぐにボトルと料理が運ばれ、ホステスが数人同じ席につく

ホステスの質も店内の雰囲気の質もなかなかに上等なようだ。

「先生も水割りでよろしいですか?」

すでにホステスの肩に手を回している松沢がそう聞いてきた。

「私はブランデーをもらう」

「おい、君。上等なブランデーのボトルを入れてくれ」

すぐにホステスが席を立つ。
それと入れ替わりのように、着物を着た上品そうな女が里見の隣に座る。

「いらっしゃいませ。伊集院佐弥子と申します」

「・・・ああ」

ママもかなりの美人だ。
松沢の目がいやらしく光っているのがわかる。

里見は松沢の好色そうな表情に半ば呆れながら、胸ポケットからタバコを出す。
自然な動きで佐弥子がスッとライターの火を差し出す。
どこのクラブでも同じような扱いを受けるが、このママほど美しい動作で火を差し出した女はいないなと里見は思った。

ホステスがブランデーのボトルとグラスを持ってきて、里見の前で静かに注ぐ。
里見はいつも自分が飲む時のように、クルクルとグラスの中の液体を回すと口に含んだ。
カッと熱い感触が喉から臓腑にしみわたっていく。 
ブランデーを口に含みながら、タバコをくゆらせていく。
松沢や、部下たちはホステスとの話に盛り上がっていく。
立ち退きの話を当人たちの側でするわけにはいかないので、当たり障りのない会話で盛り上がっているらしい。
伊集院は静かに里見の隣に座っている。
里見があまり話し好きではないのを見抜いているらしく、不必要に話をしようとはしないらしい。
里見としては、政治家というだけで媚び諂うように話しかけてくるホステスにはうんざりしていたので、このママの態度にはある意味助かっていた。

(・・・・この連中を追い出すわけか・・・・)

ふと、そんなことを考えていた時、誰かが入ってきた気配がした。
クラブのイスというものは、囲った高いソファタイプであるため、立ち上がるか覗き込まない限り他を見ることは出来ない。
それに、他にどんな客が来たかなど興味のないことだった。

「失礼いたします・・」

そう言って伊集院は席を立つと、すぐに別のホステスが座る。
伊集院がそのホステスに耳打ちしていく。
どうやら、里見が話し好きではない旨を伝えたらしい。
随分と気のきく女だと里見は思った。

そして・・・・・・・・。

カツカツと足早なヒールの靴音が聞こえたかと思うと、テーブルの側に人が立った気配がした。
里見が視線をその方向へ向けると・・・・。

バシャッ!!
いきなり顔面に水がかかった。
いや・・・・これは酒だ。

「きゃーーーーー!!」

ホステスが立ち上がり、悲鳴が店内に響く。
里見の髪から酒が滴り落ちる。
里見はメガネをゆっくりとはずすとハンカチを取り出してレンズを拭き、またかけなおした。
どうやら、隣のホステスの水割りを顔に向かってぶちまけられたらしい。
その本人の荒い息遣いが聞こえる。
じっとその顔を里見は凝視すると・・・・。

「・・・・・加奈子?」

そこで初めて里見は、コップを持ったまま里見を睨みつけている加奈子を認識した。

「加奈ちゃん!なにするの?!」

「何をするんだ!! 先生にむかってーーー!!」

松沢や部下たちが慌てて、加奈子につかみかかった。

「・・・・かまわない」

里見は表情も変えずに、松沢たちに言い放った。

「しかし、代議士である先生にこんなマネをして・・・。どうなっているんだ! この店は!!」

部下たちが立ち上がり、怒鳴り散らすので店内は騒然となった。
ママがタオルを持って慌てて駆け寄ってきた。
里見はタオルを受け取り、濡れた髪を拭く。

「こんなやつ、こーされたって文句なんて言えないわよ! あんなにあんたを可愛がってたパパを裏切って大学を追い出して!!その後釜に納まるようなきたないやつなんて、酒ぶちまけるだけじゃ足りないわよ! あんたのせいで・・・パパやママは・・・・・」

「加奈ちゃん、やめて!」

そう叫びながら駆け寄ってきた女がいた。
その女の顔を見たとたんに、里見の瞳は一瞬見開かれた。
その女もまた、驚く瞳で里見を見ていた。

(・・・・・未来? 君までなぜここに・・?)

そう思いながらも、言葉にも表情にも現すことのない里見だった・・・。

(・・・こんなところで、こんな形で、里見教授にまた会うなんて・・・・)

未来もまた、数奇な運命を里見との間に感じていた。

「お・・・お久し振りです、教授。加奈ちゃんはちょっと酔ってるんです。どうか、許してあげてください」

未来はペコリと頭を下げる。

「加奈子は酔ってなんかいないよ! おねーさんもなんで謝るの! おねーさんだってこいつにひどい目にあわされたんでしょ? どーしてそんな平気な顔していられるの!?」

「・・・いいから! さ、とにかく今夜は帰ろう?」

「いやよ! こんなやつ、殺してやるんだからー!!」

「いいから! 来て!」

加奈子の肩を抱き、無理やりに引っ張りながら未来はまた里見を見た。
里見もまた未来を見つめている。
ほんの数秒の見つめあい。
またこれから何かが起こる気配をお互いに感じた瞬間であった。



加奈子たちが店を出て行き、店内に静寂が戻った。
伊集院佐弥子は静かに床に膝をつくと、両手をついて頭を下げた。

「・・・申し訳ございませんでした。店員の不始末はわたくしの責任。どうぞ、お許しくださいませ・・・」

「大変なことをしでかしてくれたね、ママ。この店ももう、やっていけないよ!」

松沢が憤慨したように言うが、それがこれからの狙いなのだろう・・そう里見は思った。

「・・・はい。責任はきちんと取らさせて頂きます」

そう伊集院が厳粛に言い放った時に、里見が静かに言った。

「・・・それにはおよばない。酒をかけられたくらいで、騒ぎ立てるつもりなどない。それにあの二人は私の教え子だ。この店には関係のない話だ・・」

「しかし、先生。このまんまというのは、あまりにも・・・・」

そう部下がしつこく言い放つと、里見はキッと一向を睨みつける。

「もういいと言っているだろう!」

里見のこの一喝で、男達は静かに席へと座った。
チャンスをつぶされたと思ったのか、松沢だけは憮然とした表情をしている。

「・・・・里見さま、ありがとうございました。このご恩は決して・・・」

席を移動し、仕切りなおして飲みだした連中を背後に、伊集院は改めて里見に礼を言った。

「そんな大げさなことではない・・」

「それより、少し君に聞きたいことがある・・・・・」

「・・・・はい」

里見はそのまま伊集院と二人でなにやら話しこんでいた・・・。




タクシーの中で加奈子はずっと泣いていた。
明日は高橋夫妻の結婚記念日だと、楽しそうに笑っていた加奈子であったのだが、こんなことになるなどと、誰が思っていただろうか。
未来は、先程の光景を思い出して胸が痛んだ。
そして、酒を滴らせながらも以前と変わらず、加奈子や自分を見てもなんら変化を見せない里見の表情に、憤りを感じずにはいられなかった。

泣きじゃくる加奈子を支えながらアパートの階段を上がる。
部屋のチャイムを鳴らすと、いつもよりかなり早い加奈子の帰宅に怪訝な表情でドアを開けた高橋だったが、泣きじゃくる加奈子を見て、驚いた表情へと変化した。

「加奈子? どうしたんだ?」

そう優しく問う父親に、加奈子の顔は更にくちゃくちゃなり、抱きついて号泣した。

「と・・・とにかく、迷惑になるから中に入ろう。立花くんも入ってくれ」

「・・・はい」

もらい泣きしそうな未来も、鼻をすすりながら加奈子の荷物を持って部屋へと入る。

加奈子を自室へと連れて行き、取り合えずゆっくり休めと促す。
眠れるかどうかはわからないが、泣きながら加奈子は布団に入ったようだった。

「・・・・なにがあったのか、君は知っているのかね?」

「・・・・はい。実は・・・・・・・・」

未来は先程店内で起こった出来事を高橋に話す。

「・・・・そうか。里見が・・・・。あの時加奈子と出くわさなくて良かったとホッとしたところだったのにな・・・」

「え?」

「・・いや。実は夕方、里見とその一行らしい男たちが、この近所をなにやら視察していたのを見かけたんだよ」

「・・・視察ですか?」

「・・ああ。この近くに鈴原不動産管理の土地があるんだが、そこに車を泊めていた様子からすると、里見と一緒にいたのは鈴原不動産関係の人間じゃないかと思われる。ただ、何故そこに里見がいたのかまではわからないがね・・」

「・・・・・・・・」

「それにしても、加奈子と出くわしてしまうとはな・・・」

「・・はい。私も驚きました」

「そうだろうな・・・」

「・・・・店にも迷惑をかけてしまったな。おそらく、もう加奈子は働けないだろう」

「・・私が明日また行って来ます。なんとか許してもらってきますから・・」

「・・・君にはいろいろと迷惑ばかりかけてしまって申し訳ない・・」

「いいえ。せっかく楽しそうに働けるようになってきたのに・・・。やめるならやめるでいい形でやめさせてあげたいです。このままなんてあまりにも後味悪いですし・・。お店の皆さんもみんな良い方ばかりなので、こんな形でお別れするのももったいないです」

「・・そうか。加奈子はいい人たちに囲まれて幸せだな」

「それは、加奈ちゃんがとてもいい子だからですよ」

未来はそこでにっこりと笑った。

「内緒でバラしちゃいますけど・・・」

未来は楽しそうに声を落として語りだした。

「今日も加奈ちゃんに頼まれて一緒に買い物いってきたんですが、明日結婚記念日だそうですね?」

「・・・・あ、ああ。」

「おめでとうございます。そのプレゼントを二人で選んできたんですよ」

「・・・・そうだったか」

「はい。高橋さんもとてもいいご家族に囲まれてらっしゃいますね。やはり、人徳ですよ」

「あはは。君も含めていい人に囲まれている私も幸せだな・・」

そこで高橋は優しく笑った。

「はい」

未来もまた微笑み返す。

布団の中でその話を聞いていた加奈子は涙を拭って、もう泣くのはやめようと決意していた。



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