自室の机の前に座って、未来はフッと息を吐いた。
翻訳の仕事のほうも、快調とまでは行かずとも順調に進んではいる。
しかし、夜のクラブ通いと不規則な生活と、仕事柄部屋に閉じこもることが多い昨今で、未来は自分が心身ともに
疲れてきていることを自覚していた。
しかし、今はまだ、加奈子から目を離すわけにはいかないような気がする。
かなり立ち直ってきてはいるようだが、あれだけ純情な加奈子のことだ。
いつまた、落ち込んだり、すさんだりするかわからない。せめて、高橋の望む大学卒業までは側についててやりたかった。
そして、加奈子に早く自分を心から支えてくれる大事な人が出来ることを願ってみる。
自分自身には、もう当分そんな人は現れないと未来は思うけれど・・・。
未来はまた、ふう・・と息を吐くと、机から離れる。
気分直しに部屋から出て、六階から一階までエレベーターで降りていく。
郵便受けが一階にまとめて置いてあるので、なにか来ていないか自分のポストを開ける。
数枚の封筒が目に入る。
ダイレクト郵便らしき物と・・・・・大きめな封筒が一枚。
差出人を見てみると、桜塚で未来が自宅を貸している一家の奥さんからだった。
桜塚にある未来の自宅は、未来が東京に出てくるにあたり、借家として貸している。
売るつもりは毛頭なかったのだが、家というものは人が住まないと荒れると聞いていたし、思い出の家がまた暖かい家族の声で溢れるのなら、幸せだと思った。
そして今は、子供三人を含む五人家族が住んでいた。
とてもいい家族で、たまに桜塚に帰ると食事をご馳走になったりする。
そして、未来宛に郵便が届いたりした場合は、こちらに転送してくれるのだ。
「・・・またなにかあっちに届いたのかな・・・」
そのまま封筒を手にして、自室に戻る。
ソファに座って冷めたお茶を入れ替えて手紙をとる。
封を切ると、中からもう一枚封筒と便箋に書かれた手紙が入っていた。
やはり、転送物らしい。
いつもながら優しい文体と字でそう書かれてあった。
その封筒を見ると、どうやらエアメールだ。
懐かしい字が躍っている。
差出人を見ると・・。
・・・・古賀雅也・・・・
「・・・!? 古賀さんだ!?」
桜塚での例の立ち退き事件が解決した後、古賀は国際弁護士を目指して海外に渡って行った。
そして今は現役国際弁護士として活躍しているはずだった。
何度かエアメールをもらっていたが、最近はお互いに連絡が途絶えがちであった。
未来は慌てて、手紙の封を切ると読み出した。
『未来君、元気だったか?
連絡出来なくなっていてすまなかったね。
やっとこちらの仕事も一段落ついてきたところだ。
それで、近々日本に戻ることが出来そうだ。
決まったら連絡するが、時間があったらまた
食事でもしよう。
それでは、また。 古賀雅也』
「・・・古賀さんが帰ってくる!?」
嬉しいニュースに未来の疲れはまた吹っ飛んだ気がした。
「あれ? なんだがおねーさん、ご機嫌がいいみたいだね?」
バイトのない日の大学の帰りに、未来宅に遊び件勉強に来た加奈子が不思議そうな顔をして未来を覗き込む。
「・・・わかる?」
「そりゃ、ペン片手ににやにやしてたら、誰だってわかるでしょ」
「にやにやだなんて・・・ニコニコと言ってよ」
「いんや、にやにやでした」
「んもぅーー」
まるで姉妹のように笑いあう二人だ。
「昔、桜塚でとてもお世話になった人が外国から帰ってくるんだって」
「ふーーん」
「両親が死んだ後から、ずっと私とおにーちゃんのために力を貸してくれた人なの。そのおにーちゃんが死んでからも、一人ぽっちになった私を支えてくれた・・・」
「・・・・・・・」
加奈子は黙ってしまった。
「・・・・どうしたの? 加奈ちゃん」
「・・・んー。おねーさんも大変だったんだなーって。加奈子、パパやママが死んじゃったらなんて考えた事とかないし・・。今でも十分大変な気がするのに、おねーさんはえらいなって思った」
「そんなことないよ。私は大変なお父さんとお母さんの面倒を見るんだって、昼も夜も頑張っている加奈ちゃんがとてもえらいって思ってる。だから、力になってあげたいって思った。幸せになってもらいたいなって今も思ってる。だから、一緒に頑張って卒業しようね」
「・・・うん。加奈子頑張るよ」
「・・・よし。それじゃ、卒論の続きやろう」
「うへえー。英語書くのは嫌いじゃないけど、文体考えるの苦手ー」
「それは本を読むことだよ」
「加奈子、本読むの嫌いなんだもーん」
「・・・・・・こら」
「・・・はーい」
そんな時間が過ぎて行った頃、未来の携帯電話が鳴った。
「あ、先輩ですか? お久し振りです、木村です」
あの受賞パーティから半年が過ぎて、木村も忙しくなかなか連絡が取れない状態であった。
「あ、木村くん! ほんとに久し振りだね。忙しいんでしょう?」
「あ・・・まあ、おかげさまで・・。それで、打ち合わせの帰りなんですが、今先輩のマンションの近くまで来ているんですよ。
それで、お時間あるならお会いできませんかと思って・・・。」
未来はそこでふと思いつく。
「なら、うちのマンションにおいでよ。場所は知ってるでしょ? ちょうどお客さんも来ているから・・」
「え? お客さんが来ているならマズイじゃないですか?」
「あ・・大丈夫だよ。それに、木村君にもまったく無関係な人じゃないから・・・」
当たらずも遠からずの木村と加奈子の関係である。
「・・・? はい、 そこまでおっしゃるならお邪魔します・・」
多少、訝しげな声で返事をした木村であった。
「誰かくるの?」
加奈子もまた、バツの悪そうな表情をしていた。
「うん。桜塚の人だよ。高校と大学の後輩なの。最近、ミステリー小説家になったんだよ。高橋理事長のことも知ってるし」
「ふーん、なんか桜塚の人って結構東京にきてんだね」
「あはは・・そうかもね・・・」
木村は加奈子が高橋理事長の娘だと聞いて驚いていたが、すぐに打ち解けていた。
三人が三人とも桜塚の出身。
同じキャンパスを知っている者同志、昔の話、今の話、たくさんの話題に盛り上がっていった。
木村自身、つらい境遇を幾多も乗り越えてきた。
加奈子が体験しているであろうつらい境遇も、理解しているのがわかる。
(・・・これも一つの出会いだよね・・・)
深い意味を考えたわけではないが、未来はこれがいい出会いになってくれればいいと思っていた。
「そういえば、木村君は今は住まいどうしているんだっけ? こっちに住むの?」
「いや・・・僕は先輩と違って、そう頻繁に打ち合わせがあるわけじゃないですから、行ったり来たりですよ。
今は映画の打ち合わせとかも入ってて、ちょこちょこ来ていますけどね」
「えーーー、映画って、もしかして、俳優さんとかと会ったりするの?」
「あ・・・うん。もう出演俳優さんとは何人もと会ったよ」
「えーーーー、いいないいな。加奈子も会ってみたぃぃぃ」
「あ・・・それじゃ、また機会があったらお誘いしますよ」
「やったー! 嬉しいーー」
微笑ましく見ている未来である。
「あ・・・そろそろ僕は帰らないと・・」
「じゃ、加奈子も帰ろっと」
「それじゃ、途中まででも送りますよ。僕は今夜はホテルで泊まりですし・・」
「えーー、加奈子平気だよ」
「加奈ちゃん、もう夜なんだから、送ってもらいなよ。それに、こう見えても木村君は勇気のある男の子なんだよ」
「先輩・・・”こう見えても”と、”男の子”は余計ですよ。僕をいくつだと思っているんですか?」
「あははは。ごめん、つい学生の頃と同じだと思ってた」
「きゃははは、じゃ、そうしてもらいまーす」
二人楽しそうに帰っていく背中を見送る未来であった。
今日はいろいろと楽しいニュースが入ってきた日である。
このまま、幸せな時間が過ぎていってくれればいいと思っている未来であった。
しかし・・・東京の空の星は、次に襲ってくるであろう事件を、まるで未来に告げようとでもするかのように、妖しく瞬いていた。
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