今夜もまた未来はクラブ”バロン”へと向かう。
先日は開店すぐの時間に出向いたが、今夜は遅くに行って見ることにした。
もうすぐ午前0:00を回るところだ。
さすがに駅から歩いて行くわけにもいかず、未来の住むワンルームマンションからタクシーで店まで向かう。
ホステスに見えそうにない女性が一人でクラブへ出向くということで、タクシーの運転手はちょっと首を傾げたが、
何も言わずに車を走らせた。
ここに来る時間を捻出するためにも、今までずっと仕事にかかりきりだった。
少し疲れている・・・。
それでも、加奈子に会って話をしなければというある意味使命にも似た気持ちで、未来は自分を奮い立たせていた。
昨日の午後は出版社で七条たちと打ち合わせであった。
その時七条に、先日の礼と加奈子に突っぱねられたことを話した。
「・・・そうだね。君の言うとおり突っ張ってるだけなら、取りあえずこちらからいろいろと言わないで、まずは誠意を信じてもらえるようにすることだね。そうすれば、向こうから話をしだしてくれるよ・・。きっと辛抱強く待ってあげれば、必ず心を開いてくれるさ。君になら出来る。俺はそう思うよ」
そう七条は言ってくれた。
七条伸哉は34歳。公私ともにいろいろと相談に乗ってくれるこの男性を、未来は兄和希の代わりような気持ちで心を寄せていた。
未来に出来る加奈子への誠意。
それは取り合えず、店に通うこと・・・。今はこれしか出来ることがなかった。
店内に入ると、先日の店員がまた笑顔で迎え入れてくれたが、さすがに賑わっている。
空いているテーブルがなさげなので、未来はカウンターに座ることにする。
時々聞こえる笑い声が、独特な加奈子の笑い声であることに気づくと未来はホッとした。
未来の顔はすでに店員には覚えてもらえているらしく、カウンターの中にいる男性店員が声をかけてきた。
「今夜はいかがされますか? お酒が強くないならノンアルコールカクテルでも作りますが?」
「あ・・・はい。御願いします」
そんな心配りが嬉しくて、未来は笑顔を店員に返す。
綺麗な仕草でシェーカーを振る店員の姿を未来はぼーーーっと眺める。
カクテルグラスにきっちりとした分量で注がれたのは、綺麗なピンク色をした液体だった。
「・・・どうぞ」
「なんて名前のカクテルなんですか?」
興味からそう聞いてみる。
「うーーん、そうですねぇ。今、お嬢さんをイメージして作ってみたのでまだ名前はないんですよ。良かったら、あなたがつけてくださいませんか?」
未来はグラスを手に取り、ジッとそのカクテルを見つめる。
「・・・・じゃあ、和風で”風花”ってつけたいです」
「・・・風花ですか。それはまた素敵な名前ですね」
「私の故郷の町に、大きな桜の木があるんです。その桜の木を思い出してつけました。
風に舞う花びらってイメージで・・」
「それは綺麗ですね。お嬢さんみたいですよ・・」
未来は思わず赤くなる・・・。
そして、そのままカクテルを口に含む。
「おいしい! 甘くて、それでいて爽やかで・・。これならいくらでも飲めちゃいますね」
「ははは。ノンアルコールですから、いくらでも飲んで頂いても結構ですよ」
「それじゃ、作り方忘れないでくださいね。また今度来たときもお願いしますから・・・」
「・・・承知しました」
未来はまた一つ安心をしたところだ。
ここのママといい、この店員といい、ホステスたちといい、とてもいい人たちに囲まれた中で加奈子は働いている。
それだけに、ますます加奈子には立ち直ってほしいと未来は思った。
「・・・ああ・・今夜も加奈ちゃんは酔いつぶれてしまいそうだな・・」
そう店員は未来へ話す。
「・・・いいですよ。また私が送っていきます。今夜もそのつもりで来ましたから・・・」
「そうですか・・・。この店は二時閉店ですが、加奈ちゃんは一時までなので、時間近くなったら連れていかれてもかまわないと思いますよ」
そう言って店員はにっこりと微笑んだ。
「・・・はい。ありがとうございます」
未来もまた微笑みながらはそう言うと、またカクテルを口に含んだ。
タクシーの車内では、加奈子はほとんど口を聞かなかった。
寝ているわけでもなく、ただ黙って車窓の風景を眺めているようだった。
アパートにつき、ふらつく加奈子を支えて部屋のチャイムを押す。
どうやら、高橋は加奈子がバイトの日は帰ってくるまでいつも起きているようだ・・。
高橋がドアを開け、加奈子が中に入っていく間際。
加奈子がポツリこう言った。
「・・・・・ありがと」
未来の顔に笑顔が浮かぶ。
高橋も未来に微笑む。
上がっていけという高橋の言葉に、未来はタクシーを待たせているのでと断って、そのままアパートを後にした。
たった一言のありがとうで、こんなにも勇気づけられる未来であった・・。
それからの未来も仕事の合間をぬって、バロンへと通っていた。
頻繁ということは出来ないが、それでも週のうち二日は行くようにしていた。
段々と加奈子も未来と口をきくようになり、ポツポツと心境も話し出すようになってきていた。
「・・・加奈子はね・・・、ほんとはイギリスに留学するつもりだったんだ」
「・・・へえ」
店内がまだ暇な時間、加奈子は未来と二人で話しをしていた。
今では店員から、このままここで働いてみたら? と言われるくらいにみんなと親密になっていた。
「留学して、英語をもっと勉強して、英語を生かした仕事したかったんだー」
「それは、今からでも遅くはないよー」
「でも、留学はむりじゃん」
「別に留学なんてしなくたって、仕事にはつけるよ。現に私だって留学なんてしてないし・・」
「うーーーん」
「ここでだって、英語は役に立ってるでしょ? お客さんに外人さんも多そうだし・・」
「それは、そうだけどぉ。加奈子はお酒飲んじゃっててあんま英語話してる暇なかった・・・」
思わず、プッと未来は吹き出した。
「笑わないでよ、おねーさんってば・・・」
加奈子はぷうと頬を膨らます。そして、未来につられたように笑った。
化粧をして、大人びた顔をしていながらもその表情は幼い少女のようだった。
「あははは。ごめんごめん。でも、私本当に嬉しい。やっと加奈子さん笑ってくれるようになった・・」
「・・・・・・」
加奈子はフイに笑顔を引っ込めた。
「・・うん。加奈子も本当に笑ったのは久し振りな気がする・・・。お店で笑ってるのって、なんかお面かぶってるみたいだったんだよね・・」
「・・・うん」
未来も真顔になって頷く。
「パパが大学やめさせられて、ママが倒れたって聞いた時から加奈子は今まで心配させてきた分、今度は加奈子がパパとママの世話をしてあげたいって思ったのに・・。結局、加奈子はいつまでたっても子供のままだった」
「・・・そんなことないよ。加奈子さんが呼んでくれたから、お父さんたちは助かったんじゃないの」
「・・そうかな・・」
「・・うん、そうだよ」
暫く沈黙した加奈子だった。
「・・・おねーさんは、まだ里見のことが好きなの?」
「え?」
突然の加奈子の言葉に未来は驚いた。
「あたしは里見のこと、絶対に許さない! あんなに里見のことを可愛がっていたパパを裏切って、陥れて・・。
加奈子が留学できなくなったのも、働かなくちゃならなくなったのも・・。パパがあんなになっちゃったのも・・・ママが入院しなくちゃならなくなったのも・・・みんな・・・みんな・・・」
段々と言葉にならなくなっていく加奈子であった。
そして、テーブルを両手の拳でバンバンと叩く。
思わず未来は加奈子のその拳を自分の掌で包み、握り締める。
「・・・わかった。・・・わかったから・・・」
それだけ言うのが精一杯だった・・・。
未来は加奈子に、もう里見のことは好きではないと言うことが出来なかった。
あのホテルでの別れから、もう里見とは終わったのだと自分に言い聞かせてはみたものの、納得していない自分がいるのだ。
そして、それはきっと加奈子も同じなのだろうと思った。
だからこそ、こんなに苦しんでいる。
好きだからこそ、憎い。
そんな感情に支配され、どうにもならないでいる加奈子に未来は、ただ黙って手を握ってやることくらいしか出来なかった。
落ち着いてきたのか、加奈子はふっと大きく息をはく。
「おねーさん、今日はもう帰ってもいいよ」
「・・・ん?」
「・・大丈夫。あんまり飲まないからさー。おねーさんも仕事で忙しいんでしょ? 加奈子のせいで仕事進まなかったら悪いシィ。それに、顔色あんまよくないよ、おねーさん」
「加奈ちゃんだって、大学と仕事とこなしているじゃない?」
「あたしはおねーさんより、若いもん」
「あはは。それはそうだね・・・」
二人で笑いあった後、加奈子は真面目な顔に戻る。
「だから、もう平気。加奈子頑張るから・・・。そのかわり・・・」
「・・・・?」
「今度、大学の帰りにおねーさんの家に遊びに行ってもいいかな?」
「勿論! でも、遊びだけじゃなくて勉強もいれてね」
「はーい、じゃ、加奈子はお仕事に入ります」
「わかった。じゃ、またね」
丁度、店の中が賑やかになる時間であった。
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