未来はまたクラブ”バロン”に来ていた。
勿論、加奈子と話をするためだった。
アパートを訪ねたほうがいいとも思ったが、それだと高橋に気兼ねして加奈子の本音を聞けないかもしれないと考えた。
それに、酒にあのように溺れてしまう加奈子をなんとかしたかった。
仕事を変えろと言えばすむことかもしれないが、そこまで自分がいう権利はないような気がした。
それにバロンのママも加奈子は人気があると言っていた・・。簡単にやめればいいというものでもないだろう。
ようは、酒でつらさから逃れるというその心の負担を軽くしてやりたかった。
それが里見によるものならば、尚更・・・。


未来は七条に仕事の打ち合わせがてら、電話で連絡をいれると頼み込んだ。
バロンに通いたいので、ママに話をしておいてほしいと・・・。
金を払って行くぶんにはなにも困ったことはないだろうと思うが、いかんせん、高級クラブ。
女が独りで通う店ではない・・・。
今はホストクラブにも普通の男性が話をするために通うという時代ではあると、ホストをバイトにしていた大学の同級生篠原が話していたことがある。
しかし、まだまだこういったクラブは男社会の接待に使われているのが主である。

七条は大体の理由を聞き、快く引き受けてくれた。
ママに話を通し、あまつさえ自分のボトルを使うといいとまで言ってくれた。

そして、今、バロンの入口へと来ている。
ママからは条件つきで許しをもらった。
指名を受けた場合、忙しい場合は他のお客さまが優先になること・・。
長い時間いるのは好ましくないこと・・。
勿論、未来にも仕事もあるし、店の迷惑になるつもりも加奈子の邪魔をするつもりもない。
ただ、加奈子の支えになりたいだけだった・・・。

酔ってしまった加奈子に会っても意味はない。
取りあえず、今日は店が開いてすぐの時間に来て見た。
加奈子は何時出勤かは、その時によって違うようだが待っていればすむことである。

「・・・・こんばんは」

緊張しながら店内に入ると、ママから話を聞いているらしく店員が笑顔で迎え入れてくれた。
こんな些細なことでもホッと胸を撫で下ろす。
まだ、客は誰も来ていないようだ・・・。

「いらっしゃいませ」

ママが静かに奧から出てきた。

「・・・こんばんは、この度は無理な御願いをしてすみません」

未来はペコリと頭を深々と下げる。

「いいえ。私としてもあんな加奈ちゃんを見ているのもつらいですし。いい方向に向かってくれればいいですわ」

「はい。ご迷惑はかけませんので・・・」

「加奈ちゃんはまだ来てないんですが、お待ちになりますか?」

「はい。私のことはどうぞおかまいなく・・。ちゃんとお金も払いますから・・」

「おほほ。七条さんからはいろいろとお話聞いてますから、ご心配ならなくてもいいですよ」

ママは優しげに微笑むと席へと案内してくれた。

七条はどんな話をママにしたのか、少し気になった未来であった。

取りあえずは七条のボトルと簡単なおつまみを出され、少し口に含む。
以前来た未来のことを覚えている暇そうなホステスの女の子たちが、翻訳の仕事に興味があるのか
未来の席に座って話しかけてきて、和やかに時間は過ぎていった。
チラホラと客も入り始めた頃に、加奈子が姿を現した。

ママが加奈子を未来の席へと促した。

「・・・・いらっしゃいませ」

加奈子の表情はあきらかに拒絶の反応をしている。

「こんばんは。ごめんね、また押しかけてきちゃって。この間送って行った時にお父様からいろいろとお話聞いて、
どうしても加奈子さんとお話がしたくて・・・」

「・・・・・・・」

加奈子は黙って自分のグラスにボトルから酒を注ぎ、一気に飲み干した。

「・・・加奈子さん、そんな飲み方は身体によくないよ。つらいのはわかるけど・・・」

「お説教はよしてよ!」

加奈子はキッと未来を睨むと怒鳴った。

「・・・ごめんね。お説教するつもりはないんだよ。ただ、加奈子さんが心配なだけ・・」

「・・うそよ。本当は加奈子とパパのこんな姿を見て笑っているんでしょう?」

「・・・・! そんなことあるわけないじゃない!」

今度は未来のほうが怒鳴っていた。

未来が怒鳴ったのにびっくりしたのか、加奈子は一瞬、昔大学の廊下で見せた子供のような表情を見せた。

その表情を未来は見逃さなかった。

(・・・・良かった。加奈子さん、あの頃と変わってない)

「・・ごめんね、怒鳴っちゃって。でも、本当だよ。笑ってなんかいない、本当に加奈子さんが心配なの。お父様だってそうだよ。加奈子さんが心配で、私に加奈子さんの力になってやってくれって・・」

「・・・・・・・・」

加奈子は黙ったまま、また酒を口に含む。

「お仕事で大学の勉強が大変だろうけど、私に手伝えることがあったら言って? 私、今翻訳の仕事をしているの。だから、英語の論文ならいくらでも手伝えるし、その他の講義のレポートなんかも手伝うし。なんでも言って。卒業まで頑張ろうよ。お父様もそれを願っているし・・・」

「・・・・・・帰って」

ぼそっと加奈子は呟くように言った。

「・・・え?」

「・・・・今日は帰って」

再び加奈子はグラスを握り締めたまま、低く小さく言った。

「・・・・わかった」

未来は今夜のところは帰ることにした。

「・・それじゃ、今日は帰るね。でも、また来るから・・・」

「・・・・・・・」

それに対して加奈子は返事をせず、他の客のテーブルへと行ってしまった。

来るなというわけではないらしい。
未来は少しホッとすると、清算するために店員を呼んだ。

「今夜のところはお代のほうは結構ですとママから聞いておりますので・・」

ママの心遣いに感謝しながら、思わずママに向かって頭を下げる。

ママもテーブルから顔だけこちらに向けて、微笑んでくれた。


まだ宵の口に入った桜葉町の道を駅へ向かって歩く。
クラブ”バロン”はこれからが忙しくなる時間帯だ・・・。

(今からあんな風に飲んでいては、また今夜も酔いつぶれてしまいそうだな・・)

加奈子のそんな様子を心配しつつ、昔と変わっていない加奈子に少し安心して喜んだ未来だった。

(きっと・・自分が頑張んなくちゃって、精一杯突っ張っているんだと思う。私も孤児院にいた時にはそうだった。それをお兄ちゃんが・・・パパが・・・ママが・・・・。私を支えてくれた。変えてくれた)

「・・・・・お兄ちゃん」

未来は東京の空に僅かに見える星に向かって話しかける。

「・・・未来を見守っていて・・。そして、どうか加奈子さんを助けてあげられるように力を貸して・・」

一つの星が一瞬キラリと瞬いたような気がした・・・。




                    戻る                     進む