「・・・君は?」

「お久し振りです。覚えていらっしゃいますか? 晃陽大学英文科の里見教授のゼミ生だった立花未来です」

「・・・・ああ。確か学術肌の優秀な生徒だったな・・」

そこで初めて高橋は微笑んだ。

「あ・・あの、偶然お店で加奈子さんに会って、それで送ってきました」

「それは、迷惑かけてしまったね。とにかく、あがってくれたまえ」

口調は昔と変わっていないなと未来は思いながら、加奈子と供に部屋へと入った。

六畳間と奧に別に部屋がまたあるらしい。
その部屋に加奈子を連れて行くと、高橋は馴れたように加奈子を布団に寝かしつけた。

「狭いところですまないね・・」

台所でお茶を煎れながら高橋は言った。

「いいえ、とんでもないです・・」

未来は緊張した面持ちで、出された座布団の上で正座していた。
以前の高橋の自宅の様子はしらないが、さぞかし豪華な部屋だったのではなかろうか。
当時の高橋の様子を思い出すたび、激変の彼の様子に違う緊張を覚えたのだった。

「・・・・驚いたかね?」

お茶をちゃぶ台に置きながら苦笑した高橋だった。

「あ・・・はい。正直言って驚きました」

「ははは、素直だね・・」

「す・・・すみません」

「いや、いいんだ。私も理事長をやっていたあの頃には、まさかこうなるとは思っていなかったからな・・。人生とは
どう転ぶかわからんもんだな・・・」

「・・・・・・」

「それにしても、君はいつから東京に?」

「あ・・・卒業後暫くして仕事が忙しくなってきたので、出版社の方から出てきたほうが仕事しやすいんじゃないかと
勧められたので・・・」

「ほう。仕事はなにをしているんだね?」

「翻訳家です」

「ははは・・そうか。活躍してくれているようで嬉しいな」

「・・・ありがとうこざいます」

そこで一瞬二人は沈黙した・・。
高橋は静かに自分で煎れたお茶を口に含む。
未来はその様子を黙って見ていた。
暫くして口を開いたのは未来だった・・。

「大変失礼なんですけど・・・。当時の頃のこと私にお話して頂けませんか?私が卒業した後のお話だったので、
詳しいことはよく知らないんです。あの明るかった加奈子さんがこんな風になったのは、やはり里見教授のせいなんですか?」

『里見』・・・その言葉に高橋の眉間のシワが深くなった。
高橋は深くため息をつくと語り始めた・・。

「・・・そうだな。ある意味自業自得な部分もあるんだが、加奈子はすべて里見のせいだと思っているらしい。昔から、
加奈子は里見のことが気に入っていたからな。その里見が裏切ったことが、余程ショックで許せないんだろう。
里見を最年少学長理事に就任させ、行く行くは私の後を譲り理事長にさせるつもりではあったが、どうやらそれまでは待てなかったらしい。というより、私は用済みになったんだろう」

「・・・・・・」

「私も理事長にまで上り詰めるにあたっては、いろいろと策を講じてきた。決して清い人生を歩んできたわけではない。叩けば埃が出る身体だった。しかし、ある日突然とそれがマスコミに暴かれた。当然、そのままいけば警察沙汰にもなりかねない。そこで、すぐに私は手を打とうとした。マスコミ、学内に金を出し口裏を合わせてくれる人物を捜し、打ち合わせることにした。その時に里見が、自分が進んで手をまわすと言ってきたので、私は金の大半をやつに渡したんだ。
しかし、その金は渡っていなかった。私は警察に逮捕された。なけなしの金を保釈金に回しすぐに保釈されたが、そのときにはすでに大学内では理事会が招集され、私は理事長ではなくなっていた。
愕然とする私を待っていたのは、理事長のイスに無表情に座る里見と、怪しい微笑みを浮かべるあのユカリという女だった」

「・・・・! それじゃ・・・」

「ああ・・・そうだ。マスコミに手を回したのも、理事会を動かしたのもすべて里見がやったことだ・・」

「飼い犬に手を咬まれるというのはこういうことだな。そのことで桜塚の町にはいられなくなった。妻は世間からの風あたりに心労が重なり倒れてしまった。すでに私の金は底をついており、家を手放さねばやっていけなくなっていた。そこで、東京の大学に通っていた加奈子が呼び寄せてくれたわけだ。一番末っ子で手のかかる子だったが、"加奈子がパパとママくらい面倒みてあげる"などと生意気なことを言ってな・・」

そこで高橋は言葉をつまらせた。
未来も涙ぐむ・・・。

「しかし、苦労知らずの加奈子に食べさせるなどと出来るほど世間は甘くはない。私も職を捜すが、歳のせいでなかなかいい職はみつからない。妻には出来るだけのことをしてやりたいので、東京の大学病院に入院させたが、その入院費用と、生活費、大学の授業料。加奈子一人でまかなえるものではない。姉たちがみんなで、生活費と入院費を助けてくれることになったが、加奈子の授業料までの余裕はない。それで、加奈子は大学をやめて働くと言いだしたんだが、それだけは許さなかった。これは・・・私の教職員としてのプライドでもあるが、私のせいで中退などとして欲しくなかった」

「・・・・・・・」

「しかし、学費は稼がなければならない。それで、友人から金になるバイトということで、今のクラブを紹介されたらしい。私も反対はした。しかし、認めるしかなかった。そうしないと卒業できないと言われたのだから・・・。しかし、つらいのか酒に溺れてしまっていてね。バイトに行くといつもこんな感じで酔いつぶれてしまうんだよ。
酒に逃げるなと言うだけは簡単だが、逃げたくなる加奈子の気持ちを思うとそこまで言えなくてな。
こんなふがいない親を許してくれ・・・と言うしかないんだ・・・」

「・・・そんな。加奈子さんだって、理事長のお気持ちわかってますよ」

「ふ・・・もう私は理事長じゃないよ・・・」

「あ・・・すみません。じゃあ・・高橋さん」

高橋は寂しそうに微笑んだ。

「しかし、このままでいくとその卒業も危うくなりそうだがな・・・。週三日とはいえ、毎回のように酔いつぶれてしまっていては翌日の講義に響かないわけはない」

「・・・・私がお手伝いします!」

未来は思わずそう言っていた。
今の加奈子の様子を見ていて、過去の自分を思い出していた。
それに里見がしたこととはいえ、それを止められなかった自分のせいのような気もしていた。

「・・・!?。・・・・それは・・ありがたいが・・、君には仕事もあるだろう・・」

「こうして再会できたのも何かのご縁だと思います。英語の論文とかならそれこそ力になれると思いますし、なにより加奈子さんに昔のあの笑顔を取り戻してもらいたいんです。少しでも加奈子さんの力になりたいんです」

兄和希が死んだ悲しみに打ちひしがれていたときに支えてくれたのは、コウを始めとしたかげがえのない友達だった。
今、悲しみと怒りの感情に自分を持て余してしまっている加奈子を、今度は自分が支えてやりたかった。

「・・・ありがとう。私などよりも君のほうがあの子の支えになれるだろう。加奈子を宜しく頼みます」

そう言うと高橋は未来に両手をついて頭を下げた。

「や・・やめてください。たいして役に立たないかもしれないですし・・・」

未来は慌てて高橋の手をとる。
高橋は鼻をすすりながら顔を上げた。

「・・・・・・ただ・・・・・・」

ふと、思い出したように高橋は言葉を続けた。

「・・・・?」

「いや・・・里見のことなんだが・・・。ヤツは昔から無愛想でどこか人を突き放した感じがする男だったが、それでも誠実な男だった・・。人を踏みつけにして自分がのし上がって平気な男ではなかったはずだ。いつの頃からだろうか・・無表情な中にも真摯な色をしていた瞳が、濁るようになったのは・・・」

「・・・・・・」

「・・・・そうだ・・。あのユカリとかいう女が校内に姿を現すようになってからだ・・」

「・・・・!」

「君は知っているのか? 加奈子が言うには昔の恋人だというが・・・。私には里見があんな女が好みだとは思えないんだが・・・。そういえば、君も里見を気にしていたようだったが・・?」

その言葉に未来は少し怯える。

「・・・・はい。好きでした・・」

「・・・・そうだったか・・」

再び二人は沈黙した。
未来は高橋が何が言いたいかもわかっていた。
里見の背後につねにいるユカリ。彼女が里見を煽っている・・・。
それは未来にもわかっていることだ。しかし、今更そのことをここで高橋と話をしても仕方のないことだった。
二度目の再会もあのようになってしまった今、未来にはなすすべはないのだ。

「ああ・・・すまんね。こんな遅くまで引き止めてしまった。すぐにタクシーを呼ぼう」

「あ・・・もうこんな時間」

すでに真夜中になっている。

「眠らない街東京というとおり、タクシーも真夜中まで捕まるからね。桜塚では考えられないことだったな」

そう言って笑いながら電話をかける高橋だった。

「すみません・・。お手数かけてしまって・・」

「とんでもないよ。こちらこそ加奈子を送ってもらって、あげくに年寄りの愚痴まで聞かせてしまった。
車で送ってあげられなくて申し訳ないよ」

「そんなこと・・・」

謝り合うお互いに、二人は笑いあった。



「それでは、気をつけて帰ってくれたまえ」

「はい・・お邪魔しました。また、お店のほうに顔だして、加奈子さんといろいろとお話します」

「宜しくたのむよ」

タクシーに乗り込むのを見送ってくれた高橋と、アパートの前で別れた未来だった。
時刻は午前二時を回ったところだった・・。




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