未来は懐かしい桜の丘に向かっていた。
冬が過ぎれば、また再び訪れる満開の桜の季節・・・。
そこで、最愛の兄和希は息を引き取った・・・。
あれからもうすぐ、七年になろうとしている。

桜の丘へ向かう坂道を歩きながら、命日にはまた、和希の好きな物を持ってここに来ようと考えていた。

そして、桜の丘についた時、誰かが桜の木の下に立っているのを見つけた。

(桜の花が咲いている時ならわかるけど、枝ばかりになっている今頃ここに来る人がいるなんて・・・)

未来は不思議に思いながら、その人物へと近づいていく・・・。

長身の男性・・・。
スーツ姿の上に黒いロングコートを着て、ポケットに両手を入れている。
首元で風に揺れている薄いグレーのマフラーがとても印象的だ・・・。
その人はなにを思っているのか、一心不乱に丘から街並みを見つめている。
その表情は苦渋に満ちていた。

「・・・・・修二さん?!!」

間違いなかった。
里見修二が今ここに、桜の丘に一緒にいた。
あの夢のシーンが頭を過ぎる。

未来は驚きながらも静かに彼に近寄って行く。
木の下に敷き詰められた枯葉のじゅうたんを歩く音に気づいたのか、里見がこちらを向いた。
未来を見つけて、一瞬その瞳は見開かれたが、そのまま優しく彼女を見つめていた。

「・・・ふっ。運命をためすつもりはなかったが・・・・」

そして優しい瞳で微笑んだ。
未来もまた静かにそれに答える。

「・・・そしてその運命には逆らえないようですね」

「ふふ・・・まったくだな」

不思議と未来も里見も今はとても静かに話ができる。
この桜の木の下だからなのだろうか・・・・。

そのまま二人は桜塚の街並みを眺める。
暫くして、未来が里見に話しかける。

「こちらにはお仕事ですか?」

「・・・・ああ、大学の用事だ」

「・・理事長さんとしてのお仕事ですね。懐かしいな・・・晃陽大学・・・」

「・・・たいして何も変わってはいない」

「・・・この街並みも変わっていませんね・・・」

「・・・君は何故桜塚に来たんだ?」

「そ・・・それは、ちょっと用事があって・・・」

「・・・・・・・」

未来は古賀に逢いに来たとは言えなかった。
里見とユカリに対峙するために古賀に助けを求めにきたことは今ここでは言いたくなかった。

里見は黙ったままその場所に腰を下ろした。
未来もまた、その隣に腰を下ろそうとした。
すると、里見が制止した。
里見は首にかけていたマフラーを取ると、自分の隣の地面に敷いた。

「え? そんな! マフラーが汚れちゃいます!」

「・・・かまわない。いいから、座れ」

「は・・・はい」

ためらいながらも、里見が敷いてくれたマフラーの上に腰を下ろす。

(・・・・やはり、修二さんは優しい・・)

未来は嬉しくて、思わず一人で笑っていた。
それを見て里見は怪訝そうな表情をした。

「・・・なにがおかしい?」

「・・・いいえ。修二さんが優しいので、嬉しいなって思っただけです・・・」

「・・・・・・・」

隣に座ったことによって、時折触れ合う肩と腕から里見の体温を感じる。
思わず胸がどきどきしてきた。
このどきどきも自分の体温と共に、里見にも伝わっているのだろうかと未来は思う。

「修二さんは、よくここにいらっしゃるんですか?」

「いいや、ここに来たのは初めてだ」

「ええ?」

「いつもは研究室やマンションから眺めるだけだった・・・」

「そうなんですか・・・」

「・・君はよく来るのか?」

「はい。今は枝だけになってて寂しい感じですけど、桜が満開の頃にここに来ると、とても綺麗で心が洗われるんですよ」

「・・ああ、遠くから見ているだけで、癒されていたのだからこの下で見る花はさぞ美しいだろう・・」

「ええ・・・。今度の花の季節にはぜひにここまで来てください」

「・・・・そうだな」

「それに、ここは私にとって故郷だから・・・」

「・・・・・・?」

「修二さんはご存知ないですよね? 私、ここに赤ちゃんの頃に捨てられていたんですよ」

「・・・・!?」

さすがにそれについて里見は驚いたような表情を見せた。

「満開の桜の花の咲くこの木の下で、私はオルゴールだけを側に、泣いていたんです。だから、この桜の木は私にとって産みの親みたいなものですね・・。つらいときや悲しいときとかここに来て、この桜の木に話しかけるんです。そうすると不思議と心が休まります」

「・・・・君はこの桜の精なのかもしれないな・・・」

「・・・・え?」

「・・いや、ふとそう思っただけだ・・・」

「・・・・さすがは元恋愛小説家さんですね・・・」

未来はクスッと笑った。

「・・・・・・・・」

里見はスッと立ち上がった。
未来も慌てて立ち上がって、マフラーを取ると、懸命に叩く。

「・・・よかった。落ち葉の上だったから、汚れなかったみたい・・・」

ふと、目と目が合った。

「・・・かけてくれないか?」

里見はそう言うと、頭を少し下げた。
未来は手に持っているマフラーを見た。
頭を下げてくれたとはいえ、里見と未来には身長差がある。
未来は里見に近づくと少しつま先立ちをして、里見の首にマフラーをかけた。
ふんわりと、懐かしい里見の香りが鼻を擽る。

「・・・・ではな」

そう言って里見は未来の脇をすり抜けて立ち去ろうとした。
未来は思わず呼び止めていた。

「・・・修二さん!」

里見が振り向く。

自然と二人は歩み寄る。
そして、互いに求め合う。
花など咲いていないのに、何故か二人の空間には桜の花の香りが充満していた。
唇と唇が触れ合う。
そして、すぐに深い口づけへと移行する。
お互いの舌を求め合い、絡め合う。
何度も唇の位置を変え、更に深く求め合う・・・・・。

そして・・・・・。

「・・・・・すまない」

そう言い放つと、里見は未来の肩を離して再び立ち去る。
たが、今度は未来に背中を向けたまま、また立ち止まった。

「・・・立ち退きの件だが・・・」

その言葉に未来の肩はビクッと反応した。

「これからが、本番だ。高橋理事長も、加奈子も、更に俺を恨むことになるだろう」

「修二さん、御願いです。今ならまだ間に合います。再開発から手を引いてください」

「それは出来ない。以前にもお前に言ったが、今の俺には前に進むことしか許されない」

「なぜ? どうして? 何があなたをそこまで苦しめるの? ユカリさん? 御願い、ユカリさんから離れてください!」

「・・・・・・・・・」

里見の顔に苦辛が溢れる。

「・・・・ユカリも可哀想な女なんだ・・・」

「・・・え?」

そうポツリと里見は言った。
が、すぐに顔をあげると、未来に向き直った。

「俺も容赦はしないと・・・・そう、古賀に言っておけ」

未来は驚いて、固まった。

「・・・・・・・どうしてそれを?」

「・・・・ふ。それくらい察しはつく。お前がここに来たのは、日本に帰ってきた古賀に弁護士として協力を頼むためだろう?」

「・・・・・・・・」

「俺はいつでも受けて立つ。代議士里見修二としてな・・・・」

「・・・修二さん!」

「未来・・・お前と俺が望まなくても、明日からはまた、俺たちは敵同士になる。それもまた運命だ・・・」

そう言って里見は再び未来に背を向けた。

「・・・・悲しいことだがな・・・」

そのまま里見は桜の丘を去って行った。

一人取り残された未来は・・・・がっくりと膝をつく。

「・・・これが運命? 私はあなたを愛している。あなたも私を愛している。今さっきハッキリとわかった。あなたも私を愛してくれている。なのに、やはり私はあなたと戦わなくてはならないの?」

里見を救うために、この戦いには負けられないと思ってここまできた。
しかし、今、里見が自分を愛していると確信してしまった未来は、戦いに赴かねばならないことが心底辛かった。勝っても負けても、喜ぶことはできないだろうと、未来はある意味絶望感に覆われていた。

未来は膝を地面についたまま、桜の木の根元まで寄って行った。
そして、身体を寄りかける。

「・・・お兄ちゃん・・・。御願い・・・未来を・・・修二さんを・・・助けて・・・・」

そのまま、未来は泣き崩れていった・・・・・。




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