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「やつらの集会に新聞社が?」
鈴原不動産の松沢の声が、ここ里見事務所内に響いた。
「ええ。今夜の集会にはかなりの人数が集まるようね。それを新聞社が取材するということよ。どうやら、新聞社に通じている人間が仲間うちにいるらしいわね・・・」
「それにしてもユカリさん、その情報はどこで知ったんですか?随分とお詳しいようですが・・・」
「ふふふ。そりゃ、あたしたちもこのプロジェクトに参加している以上、いろいろとご協力はしないといけませんでしょう?随時情報は手に入れていますわ。それにしても、修二。あなたは知ってたの?その立ち退きメンバーの中に、あの高橋さんがいたこと・・・・」
「・・・・ああ」
そこで、一人自分の机に座り、ユカリと松沢の話を聞いていた里見が返事をした。
「あの高橋という男はなかなか狡猾なようです。あの男がリーダーシップをとって皆をまとめていくようになると、ちとやっかいですな・・・」
「・・・・・・・・・」
里見は沈黙している。
「ふふふ。あの高橋さんにまだそんな力が残っていたなんてね・・・。まあ、いいわ。松沢さん、昔の兵法に草というのがありますわ」
「・・くさ・・ですか?」
「ええ・・・、敵地に飛び込んで相手をとことん信用させる。そして、ここぞというときに裏切る・・。それを行う忍びの人間を”草”というのだそうよ」
「・・・つまり、スパイを潜入させるということですな」
「・・・・そういうことですわね」
「しかし、誰をスパイとして潜入させるかですが・・・」
「・・・・別に潜入させる必要もないですわ。誰かを懐柔させればいいことです。住人の中で特にお金に困っている人間、家族に病人がいる人間を捜してみてくださいな。お金で解決できないことなんてありませんもの・・・」
「そうですな。早速調査してみましょう・・」
再び自信をつけたように松沢は明るい表情でユカリに微笑んでいた。
里見は黙ってそれを聞きながら、タバコをくゆらせる。
あの時見かけた高橋は、とても昔のようには見えなかったがどうやらいつの間にか元の自信を取り戻したようだ。
その高橋を再び敵に回すことになるという数奇な因縁を感じていた。
おそらく、今度は加奈子も未来をも巻き込むことになるだろう。
里見の棘は更に熱を帯びていた。
そして、その夜。
桜葉町近隣センターにて、立ち退きに反対する人々の集会がとって行われた。
七条の知り合いの新聞社がそれを取材に訪れ、明日の新聞に掲載してくれるという。
その話も拍車をかけたのか、かなり大勢の人が集まっていた。
高橋を中心に花びら荘近隣の住人数人がリーダーシップを取ることになり、まずは立ち退かないという決心を皆で署名嘆願書として提出することにした。
未来も固唾を呑んでその様子を見守っていた。
桜葉町の住人でない未来に出来ることは少ない。
それでも、未来は自分に出来ることをしていこうと心に決めていた。
翌日の新聞に、この集会の模様が載り、桜葉町以外にもこの出来事は知れ渡った。
しかし、他者から見れば賛否両論。
東京の再開発に前向きな人々と、立ち退き反対者を支持する人々とで世論も分かれていた。
その影響だろうか、立ち退き交渉に関してとても静かになった。
住民の緊張も緩み始め、町には静寂さが戻っていた。
ただ一人、高橋だけはこの静けさに不気味さを感じていた。
「高橋さん、連中あきらめたんですかねぇ。やっぱ新聞の影響ってでかいんですかね」
「そうかもしれねーよなぁ。なにせパタッとあの連中の姿見なくなったぜ」
「世間さまさま、新聞さまさまかねぇ・・・」
集会所に笑い声が響いていた。
「いや、そんなわけはない。必ず何か動きがある。みんな気を引き締めてくれないと困るぞ・・」
「そ・・・そうだよな。みんな、高橋さんの言うとおりだよ・・」
そう高橋に同意したのは、同じ花びら荘の住人、五号室に住む小池であった。
「それじゃ、先程決めたルートで夜回りを開始してください」
「はーい」
男たちが出て行く。
(・・・・実際に行動しているのは会社連中だろうが、あの里見とユカリとかいう女もこのまま黙っているとはとても思えないな・・。それにこの胸に沸き起こってくる危機感・・・・いやな感じだ・・・・)
実際、水面下では着実にプラン実行が進んでいた。
じわじわと桜葉町の住人を追い詰めていくように・・・・・。
まだ、それに気づく者は誰もいない・・・・。
未来は仕事の打ち合わせの帰りに、大学帰りの加奈子と待ち合わせをして食事を取っていた。
「それで、相変らず静かなの?」
「うん。なんか立ち退きなんてほんとにあんのかなぁ・・・なんて思うくらい何にもない。パパは油断大敵だって、町の人たちと夜のパトロールしてる・・」
「そっか、さすがはお父様だね・・・」
「うん。昼間は仕事行って、夜はパトロール。今までが信じられないくらいだよー」
「そういえば、加奈ちゃん。バロンのバイトの日数減らしたんだってね。」
「うん。でも、加奈子から言い出したんじゃないの。ママが急にバイト代増やしてくれてさ。パパも仕事順調になってきたし、卒業に向けて本腰入れたほうがいいだろうって・・・・」
「へぇぇ・・・確かに、もうすぐ卒業準備だもんね。ちゃんと論文進んでる?」
「まっかせてちょーだい! 」
「なら、良かった。いろいろと大変だけど、頑張ろうね・・」
「うん」
そんな会話を楽しんでいたとき、未来の携帯が鳴る。
「あ・・・木村くんからだ。ちょっとごめんね・・」
未来は席を立ち、店員に告げて店の外に出る。
加奈子の顔色が少し変化したのを未来は気づいていた・・・。
「もしもし、木村くん? 久し振りだね」
「あ、先輩。すみません、ご無沙汰してて。実は先日新聞で立ち退きの話を読んだんですけど、加奈子さんのお家の近くじゃないかって気になってて・・・・。でも、なかなか時間とれなくて・・。やっと、今、東京に来てるんですよ」
「うん、まさしく加奈子さんの町なんだよ。あ、今、丁度加奈ちゃんと一緒にいるの。今、どこ? 時間あるなら会おうよ」
「ええ。それじゃ・・・・・・・」
二人でその場所を後にして、木村と待ち合わせて近くの喫茶店に入る。
「そうなんですか・・・。高橋理事長も加奈子さんも大変ですね・・」
今の現状を木村に話すと、木村も真剣な顔をして頷いていた。
「うん、そうなんだよね。木村くんも仕事大変だろうけど、加奈ちゃんの力になってやってよ」
未来がそう言うと、加奈子が少し慌てていた。
「えっえ、そんな木村さんにまで迷惑かけらんないよー」
「ああ・・平気ですよ。僕に出来ることでしたら喜んで協力させてもらいます」
「ね? 木村くんも頼りになる男の子でしょ?」
「あ・・・う、うん。」
加奈子はほんのりと頬を染めている。
「先輩! だから、その”子”ってつけるのはやめて頂けませんか?」
「あははは。また、やっちゃった。ごめんごめん」
未来は明るく笑うと、席を立つ。
「あ、ごめん。木村くん、加奈ちゃん。私、仕事があるから先に帰るね。木村くん、加奈ちゃんのこと御願いするわ」
「え?ええぇぇ? ちょっと、おねーさん???」
加奈子が慌てて未来の腕を掴む。
未来はいたずらっぽく笑うと加奈子の耳に唇を寄せた。
「木村くんと仲良く帰ってね・・・」
未来がそう言うと、加奈子の頬はますます赤くなっていった。
「それじゃ、加奈子さんは僕が責任もってお送りします」
「うん、宜しくね」
未来は軽く手を振って店を出て行く。
加奈子はどうやら木村のことを意識しているようだったので、未来なりに気を利かせたつもりだった。
加奈子も木村も未来にとっては可愛い弟や妹のようなものである。
特に加奈子は今、精神的にいろいろと大変な時、一人でも加奈子の力になってくれる人物が欲しかった。
「うふふ。加奈ちゃんってば、可愛かったな・・・」
未来は少し肌寒くなってきた東京の街を歩きながらも、自分の心がほんのりと暖かくなったのを感じて嬉しかった。
そんなつかの間の休息のような時間も、本格的な嵐が始まる前の沈黙の時間でしかなかった・・・・。
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