里見修二・・・それから・・・

俺は夢の中にいた・・・
夢なのはわかっていたが・・・ここがどこなのかわからない・・
目の前に誰かがいる・・・しかし、誰なのかはわからない・・・。

『目を覚ませ・・』

「・・なん・・だと?・・」

『そなたはどこまで落ちていく気だ? 本当は行きたいのだろう? 光の世界へ・・・』

「・・・お前は誰だ?」

『私は・・・そなただ』

「・・俺・・・だと?」

『そうだ・・・かつての私と同じ過ちを繰り返すな・・。姫に・・導かれていくのだ・・』

「・・姫?」

『姫はそなたを光の世界へと誘ってくれる・・。姫を離すな・・』

「姫とはだれだ!? それに、俺は更に高みを目指さなくてはならない。俺は・・落ちてなどいない!」

『いいや。そなたは気づいていながら、逆らえないだけだ・・。よく自分の周りを見てみろ ・・・・ここは、くもの巣だらけだ・・』

俺は自分を見た・・。
いつの間にか、辺りはくもの巣のようなものに覆われ、しかも自分の両手足がそれにからまれて身動きが取れない!

『そら・・・獲物を狙っている雌蜘蛛がすぐ側にいるぞ・・・・』

俺はハッとして、気配のする方を見た。
そこにはユカリの顔をした大きな女郎蜘蛛が、真っ赤な口で微笑みながら俺を見ていた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


自分の叫び声で目が覚めた・・。
カーテンの隙間から眩しい陽の光が差し込み、部屋全体を明るく包み込んでいる。

「・・・夢か・・・」

ベッドから身体を起こすと、じっとりと寝汗をかいていた。
俺は寝室から出ると、隣の書斎へと向かう。
寝室ではカーテンのせいでわからなかったが、かなり陽が上っているようだ。
上半身裸のままタバコに火をつける・・。
そして、窓から外を見る・・。

久し振りに見る桜塚市を一望する風景・・・。
晃陽大学の研究室からも良く見えていた桜の丘も見える・・。

今の俺は望みどおり、晃陽大学の理事長の肩書きを持った国会議員として活動をしている。
そのため、教授時代に住んでいたこのマンションに帰ることは、理事長としての仕事でこの桜塚市に
戻ってくる時だけになった。
国会議員としてのオフィス、居住は今や東京に移っている。

東京では、議会、講演、パーティーなどで各地に飛び回るため、ほとんどホテル住まいとなっている。
この桜塚市にも有名なホテルはあるが、このマンションをそのままに使っているのは、変わらず
俺の中にあるパーソナルスペースのせいか・・・それとも、ある感慨からなのか、俺にもわからない。

このマンションには、他人は誰も足を踏み入れさせたことはない。
ユカリさえ、この部屋に入れたことは無い。
俺が俺らしく・・・俺のままでいられる唯一の場所なのかもしれない。

タバコを半分吸ったところで、俺は視線を窓から机の上へと移した。
机の上には、白い封筒が一枚と、新聞の切抜き・・・そして、論文・・・。
かつて小説家として活動していた自分の経験と知識を伝え、育てた元教え子の木村が、遅咲きながら
今年のミステリー文学大賞の栄誉を掴んだ記事と、その受賞パーティーへの招待状だった。
彼が大学を卒業してからすでに二年が経過しているが、まだ俺を忘れずにいてくれたことが嬉しい。

俺はタバコを消すと、論文へと手を伸ばす。
今や売れっ子の翻訳家として活躍している彼女の書いた論文・・・。
俺を愛し、俺に愛されたくて、俺の冷たい仕打ちにもめげずに懸命についてこようとし、そして俺が一度だけ抱いた・・
立花未来・・・・。
ふと・・・在学中によく俺に見せていた屈託の無い笑顔を思い出した。

今でも・・・変わってはいないのだろうか・・・あの笑顔は・・・。

彼女は俺がユカリを選んだあの日以来、独りで研究室に来ることは無くなった。
レポートを提出するときも、講義中も俺の目を見つめることは無くなった。
ただ・・・いつも悲しげな瞳をしていた・・・。
俺は勿論、そんなことを気にしている暇も無かったが・・・が・・・・胸が痛い・・・。

「ふ・・・・。何故かこの部屋に泊まると、こんなことばかり考えるな・・・」

俺は自嘲気味に笑うと、論文を手に取りソファーに腰を下ろす。
すでに何度も読み、赤いサインペンで添削済みの論文に再び見入る。
とうとう、返すことが無かった論文。
そして、ついつい手元から離せなかった論文・・。
ただの紙の束でしかないこの論文に、愛しささえ感じてしまうのはなぜなのか・・・。
そんなことを考えていた時、携帯が鳴った・・・。

「・・俺だ」

「修二? 朝から何度か電話したけど、寝てたのかしら?」

「・・・ああ。寝過ごしたようだ・・・」

「ふふ・・・、困った人ねぇ。今夜の姫条貿易の社長さんとの会食には帰ってきてね。大事な打ち合わせがあるのよ」

「ああ・・・、大丈夫だ。それまでには東京に戻る」

「それじゃ・・待ってるわね」

「・・・・ユカリ」

「・・なあに?」

「・・明後日の夜のスケジュールなんだが・・。キャンセルしてくれないか?」

「・・・・どうしたの?」

「ミステリー文学大賞の受賞パーティーに呼ばれている」

「ああ・・・、確か晃陽大学の生徒さんだったわね。でも・・・あなたほどの人が出席する必要があるパーティーなのかしら?」

「一番接する時間が長かった学生だ。一言祝いを言ってやってもバチはあたらないだろう。それに、かつての小説家の
俺が政治家として顔を再び売るのもいいだろう・・・」

「・・・・そうねぇ。また新しい人脈が増えるのは悪くないわね・・。そこから更に利用できる人がいるかもしれないし・・・。
明後日の夜は大した人達との会食じゃないから、キャンセルしておくわ」

「ああ・・・すまない」

「いいのよ・・。ただね、修二。昔の感傷に浸るのもいいけれど、あなたはまだまだ上を目指す人なんだから、
余計な事にあまり時間を使わないでね・・・」

「・・・・・・・・」

「・・それじゃ、今夜。待ってるわね」

「・・・ああ」

そのまま携帯を机の上に置く。
眩暈がする気がした・・。
『目を覚ませ・・・』
夢の男の声がする・・・。
俺はそれを振り払うようにシャワールームへと向かった・・・・。



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