家に着くと、取りあえず車を家の車庫に入れてもらった。
父親は車で出勤しており、車庫は空いていた。
先に母親に話をしてくるということで、先生には五分後に入ってきてくれるように打ち合わせをした。
「ただいまー」
「おかえりー」
パートでいつも働いているので、平日のこの時間に母が家にいるのは珍しい。
娘の卒業式ということで、少しは気を使ってくれたらしい。
「卒業おめでとう。これであんたも大学生か・・・」
「ありがと、お母さん。あと四年間お世話になります」
「四年以上にはならないでよね。学費だけで破産しちゃうから・・」
「ご安心下さい・・・って、お母さん?・・・」
「・・なに?」
「今・・・外に氷室先生が来てるの」
「また送っていただいたの?」
「うん。・・それで、お母さんに話があるって・・」
「・・・あら、そう」
母は感づいているのか、いないのか、平然とした様子でいる。
「んじゃ、ちょっとここ片付けるわ」
そう言って居間の荷物を片付け始めた。
「丁度よかったわぁ・・。平日にいるなんてあまりないから、今日は家中を大掃除したとこだったのよ」
「へえーー」
「さて、次はお茶の準備と・・。先生は紅茶のほうが良かったかしら? あんたは先生を呼んできなさい。
いつまでもお待たせしてはいけないわ」
「はーい」
「ところで、一緒に聞いてるの? それとも先生とお母さんだけで話す?」
そう言った母の表情はどこか意地悪だ・・。
「私は着替えに自分の部屋に行ってる! お話が終わったら、先生と出かけるから!」
「あっそ。わかったわ」
私はそのまま先生を迎えに外に出た。
先生は門の前で時計とにらめっこをしていた。
どうやら五分を測っていたらしい。
「お待たせしました! どうぞおあがりください」
「う・・うむ。それでは失礼する・・」
玄関のドアを開けて先生を中に入れる。
母が居間から出てきて出迎える。
「ようこそ、氷室先生。三年間娘がお世話になりました。無事に卒業できまして、感謝でいっぱいですわ」
「いえ。ひとえに彼女の努力の賜物です。私は教師として助力をしたにすぎません。それで・・その・・」
突然と先生が口ごもりだしたので、私は口を出すことにした。
「と、とにかく先生上がってください。お母さん、スリッパお出しして」
「はいはい。散らかってますが、先生どうぞ」
「・・それでは、失礼させていただきます」
先生はきちっと靴を揃えて家に上がり、スリッパに足を入れる。
居間の前まで来ると、私は先生に小声で伝える。
「それじゃ私は自分の部屋に行って着替えてきます。母も二人で話すほうがいいみたいなので・・」
これは少しだけ嘘。私がいられないだけ・・。
先生も小声で私に囁く。
「・・わかった」
一つ咳払いをすると、先生は母と一緒に居間に入っていく。
我が家は玄関から突き当たった居間の手前で左右に廊下が別れており、右に行くと洗面所とトイレ、お風呂場へ
行く廊下が続いており、左に行くと二階へと上がる階段がある。
私は急いで階段を駆け上がると、自分の部屋に入る。
かばんを置き、着ていく服を物色する。
これまでの社会見学のためにバイト代はほとんど洋服代に消えた気がする。
でも、お陰で洋服の組み合わせには事欠かなくなっていたので、それほど時間をかけることなく、
私は着替えを済ました。
ハンガーにかけた卒業生の印であるリボンをつけたままの制服を眺める。
もう、二度と・・この制服の袖を通すことはない・・・。
少し感慨にふけってしまった。
私はハッと我にかえると、バックに必要な物を詰め込むと慌てながらも足音を立てずに階段を下りた。
居間のドアは開けっ放しになっており、階段の下まで降りれば声は聞こえた。
それでいて互いに姿は見えない。
盗み聞きには最適だ。
盗み聞くなんてあまりしたくはないけれど、かといって二人がどんな会話をしているのか気になるし、
だからと言って隣で聞いているのは恥ずかしすぎる。
結局このままここで聞き耳を立てることにする。
「・・・本当にあの子が首席で卒業できるなんて思ってもみませんでした。中学では普通の成績でしたし、
はばたき学園に入ってすぐには補習まで受けたって聞いて、心配してたんです」
(・・・そんなふうには見えなかったけど、やっぱりお母さんは心配してたんだ・・。少し反省・・)
「私も最初は心配をしましたが、彼女はこの三年間地道に努力を重ね、その成果は目覚しく、三年間担任をしてきました
私としても大変嬉しく思っております。我が氷室学級のエースであり、私の自慢の生徒でありました」
「・・そこまでおっしゃって頂いて、親としてもとても嬉しいですわ」
「はい・・」
そこで先生はいつものコホンという咳払いをした。
照れが入っている事を告げようとするときに出る、クセみたいなものだ。
「え・・実は、これからが本題なのですが、先ほども申し上げたとおり、三年間担任教師として接してまいりましたが、
本日無事に卒業を迎えまして・・」
「・・はい?」
「私と彼女との間に教師と生徒という概念も無くなったことによりまして・・、コホン、これからは教師と生徒ではなく、お嬢さんとお付合いさせて頂きたいと思います」
「えーーーっと、それはつまり?」
さすがは親子だと聞いていて思った。その返答は私がよくやる返答だ。
先生の言ってることがわかるようでわからないのだ・・・。
「つ・・つまり、お嬢さんと一人の異性として交際させていただきたいということです」
(わーーー先生、言ってくれちゃった・・・)
私は嬉しくて恥ずかしくて、一人階段に座って真っ赤になっている。
やはり一緒にいなくて正解だった。
「はい、わかりました」
「は?」
あまりにも簡単にOKの返事が聞こえたので、先生も呆然としているようだ。
反対されても困るけれど、こうもあっさりと受け入れられるのも、私としても複雑だ。
「ええ。今後とも娘のことをよろしく御願いいたします」
「あ・・あの、本当によろしいのですか?」
「あら・・先生は私が反対するとでも思ってらしたんですか?」
「い・・・いや・・。あ・・ええ。やはり、教師と教え子だったわけですし、歳もその・・かなり離れておりますので、
親御さんからすれば反対なさっても当然ではないかと思っておりましたので・・」
「いやですわ。私はこれでもあの子の母親です。この三年間であの子がどれだけ変わり、それが誰かの影響であったのは知っていました。まさか、先生とは思ってなかったですけど、ここ一年くらいでそれも薄々わかってました。でも、
先生はとても信頼できる方ですし、ここまで大事にあの子を見守ってきて下さったことに感謝しています。
至らぬ娘ですが、どうぞよろしく御願いいたします」
「・・・ありがとうございます」
(・・・お母さん・・・)
私は少し涙ぐむ・・・。
「お・・盗み聞きとはいただけないねぇ」
いきなり耳元でコソッと話しかけられて私は飛び上がらんばかりに驚いた。
「つ・・尽!・・あんたいつのまに・・」
「おーっと、でかい声だすと聞こえちゃうよ」
慌てて私は口に手を持っていった。
「氷室先生きてんだろ? 良かったなーねーちゃん」
「あんた・・なんで知ってるの?」
「そりゃ、氷室先生の車の音はもう何回も聞いてるもん。すくにわかるぜ」
「・・・・・・あんた、変なこと言わないでよ・・」
私は尽に釘をさした。
「いやだなぁ。俺はいつもねーちゃんのこと考えて言ってるのに・・。いろいろと情報だって教えてやったろ」
「それが余計なことなの!」
「あ・・ねーちゃん。母ちゃんがはじまっちまうぞ」
「え?」
私と尽はそのままの体勢で再び聞き耳を立てた。
「実は主人と私も歳は12歳離れておりますの。それも出会ったのは職場でして、私は19でしたわぁ。
主人は上司という間柄でしたーー」
「ほら・・母ちゃんのアレが始まると長いぞーーー」
尽の言うとおり、父と母の馴れ初めをそれこそ耳にタコが出来るぐらい聞かされてきた私は、その話の長さも痛感
していた。そんな話を先生に聞かせるわけにいかない。
私は慌てて、今降りてきたふりをして居間を覗き込んだ。
「先生・・・お待たせしましたー」
「ああ」
「あら、もう行くの? これからお母さんたちの話を先生に聞いてもらおうと思ったのに・・」
「だーめ。お母さんの話聞いてたら夜中になっちゃうし、恥ずかしい!」
「ふーーんだ」
母はまるで子供みたいに頬を膨らませている。
「それでは、申し訳ないですが、彼女をお借りします。帰りは遅くならないうちに責任をもってお送りいたしますので・・」
「いろいろとご迷惑をかけるかと思いますが、よろしく御願いいたします。主人には私のほうから
話しておきます。反対することはないですし、またさせませんので・・」
母はそういうと、自信ありげに微笑んだ。
「よろしくね、お母さん」
「はいはい・・・先生に嫌われるようなことするんじゃないわよ」
「しません!」
先生を玄関から送り出した後、母と尽が一緒に出てこようとしたので、慌てて止めた。
「こ・・ここでいいよ。外まで出てこないで!」
「なんだよ、ねーちゃん。せっかく見送ってあげようとしたのに・・」
「やめて! 恥ずかしい」
「ちぇっ。バンザイでもしてやろうと思ったのに・・・な! かーちゃん?」
「そーねぇ・・残念ねぇ・・・」
「お母さんまで!!」
私はさっきの母のように頬を膨らませた。
「と・・とにかく行ってきまーす」
「はいはい、いってらっしゃい」
「土産はいーから、話聞かせろよーー」
「だーーれが!」
私は玄関を出ながら尽にアカンベーをした。
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