|
【 FOR OUR SWEET. 】 |
音を立てて、薪が崩れた。火の粉を上げて落ちてゆく炭。
何の感情の色も映っていない銀の瞳がそれを見つめている。
揺れた影が暖炉に手をかざし、ぼんやりと朱の灯火を見ている。
仄かに照らされた部屋を眺めては、他愛のない思考を繰り返す男。
今日は珍しくも人を待つ身だ。
(……)
その流れてゆく時間を、決して長いとは思わない。
こんなにも優しく微睡むことの出来る時間の方が愛しく思うべき時なのだから。
やがて訪れた睡魔に身を委ねると、意識が深い夢底へと落ちていった。
「―――ゼンガー?」
「ん…」
重いまぶたを開け、ゆっくりと合ってきた焦点を目の前の影に合わせると穏やかな新緑色の瞳がぶつかる。
寝てしまっていた自分に気づくには、寝起きの頭は不十分だった。
クスクスと笑われているのはどうやら自分のようなのだ。
「…別段……寝るつもりは…」
なかったのだが、と言おうとして細い指が唇に触れた。
「君が言う事ではないな。誰でも本能には勝てないものだ」
微笑しているエルザムの瞳は悪戯な光を秘めて。
その光は何処か挑戦的な感覚をゼンガーに伝えたのだが、
それを流して椅子から立ち上がり、少しばかり表情を緩ませたゼンガーにエルザムが囁く。
「それに、珍しいものも見れた」
「?」
「…君の寝顔だよ」
悠然と去っていくエルザムの後方には、顔一面を真っ赤に染めて立ち尽くした男がいた。
それから数日は、冬の終わりを告げるかのような暖かい日が続き、午後には窓から差し込む光で十分な暖がとれるほどだった―――そんなある日。
その日は大きな市が立つ日で、二人はそろって買い物に出かけた。
途中、エルザムは食材をゼンガーは日用品をと言うことで別行動をとったのだが、
再び二人が顔を合わせると思わず笑うしかないような――つまり、向かい合って見える互いの姿は買ったもので殆ど覆われている――状況だった。
『珍しいな、君がそんなに買い物をするとは』
ゼンガーは帰り道で、エルザムにそう言われた。
『…そうか』
『…?』
返ってきた声が何処か心ここにあらずな、それともいつも通りの声なのか。
その時のエルザムに判断はつかなかった。後で思い出してみた時に、これは『アレ』の一端だったのだと気付いたが。
返ってからは二人ともが荷物の整理だ。
いくつもの袋を開けては中身を確かめつつ、しまっていく。
ゼンガーの買ってきたものはどちらかというと本が多いため、開けられた袋は机に置いたままだ。
いつもならカタカタと音を響かせる窓も、今日に限っては静かに黙っている。大分荷物を片付けたところで、
「――こんなに暖かいと調子が狂いそうだな…」
というエルザムの呟きに、小さなくしゃみが聞こえる。
「…確かに」
続いて小さく鼻をすする音。
顔こそは見えないが、多少の恥ずかしさはあるかもしれない。
思わず思い浮かんでしまった表情に微笑みを浮かべる。
「今夜は久々に冷えると聞く。夕食は何か暖かいものにしよう」
そう言って早速エルザムが台所へ向かおうとすると、肩を掴む手がある。
振り向くと、何か言いたそうに親友がこちらを見ていた。
「どうしたのだ? 我が友よ」
問うたエルザムの前にすっと無言で差し出されたのは丁度手の平程の大きさの木箱だった。
「私に、か…?」
小さく頷くゼンガーから木箱を受けとり、開けて見ると、中には簡素な茶色の革ベルトの腕時計がある。
当惑しつつエルザムが顔を上げると、あさっての方向を向いた男がいる。
「バレンタインの礼を…俺は、食べられなかったが……」
ゼンガーは呟いた。
渡された当のエルザムはと言えば、バレンタインデーと対になる今日という日の存在をゼンガーが覚えていた事がまず大きな驚きで。
そして次いで嬉しさと愛しさが身体を駆け巡り、どんな顔をすればいいのかわからなくなってしまった。
そんなエルザムの状態を否定的に受けとったのか、ゼンガーは表情を曇らせて、すまん、と声を低くした。
そのことにようやく、ああと気付いたエルザムがゼンガーに声をかける。
「私は嬉しいのだ、ゼンガー。…まさか君から…」
普段とは程遠い、歯切れの悪いエルザムの言葉を聞いて顔を上げたゼンガーは、エルザムの瞳を覗いてようやく笑った。
その夜、またいつかのようにゼンガーは暖炉の前で眠りに落ちていく浮遊感を味わっていた。
いつの間にか外は夜更けと呼ばれるような時間。
暖かな暖炉の前で眠くなるのも当然なのだが、半分(…良かった…)と安心していたのだ。
昼間のエルザムの顔を思い浮かべては気持ちが温まるのを覚える。
しかしいつの間にか部屋の温度が低くなったらしく、くしゃみと背筋に少しばかりの悪寒がはしる。
「風邪か?」
面白そうに聞いてくるエルザムに「…寒くないか?」と聞けば。
そんなゼンガーの言葉にエルザムが微笑する。
「…確かに、寒いだろうな」
立ち上がって薄布のカーテンを引くと、窓の外にちらつく雪。
暗闇に降る純白の結晶。
窓ガラスに反射しているのは室内のぼんやりとした影。
エルザムと、自分も含めた全ての。
しばらくはゼンガーに言葉はなかった。
「……」
「今夜は最後の冬かもしれない、という予報だ。風邪をひかぬようにな」
「…俺はもう29だが」
ゼンガーはエルザムのからかいにそう応じた。
その言葉の端々に子供のような幼さやあどけなさが見え隠れする。
彼らしいといえば彼らしく、彼らしくないといえば彼らしからぬその言動に―――エルザムが動いた。
「そう言えば、まだ君に礼を言っていなかったな」
「礼?」
そう聞き返したゼンガーに、エルザムが背後から近寄り静かに音もなく抱きしめた。
「!?」
突然の行動に混乱して慌てるゼンガーの前に、エルザムは左腕を差し出す。
「君からの大事な…大切な贈り物だ」
見るとそこには茶革の腕時計があり、それは昼間ゼンガーがエルザムにお返しとして贈ったものだった。
それに気づいたゼンガーが――もう身につけてくれているのか、と――次の言葉を言おうとした瞬間、エルザムがゼンガーの首筋に口付けた。
しかもチクリとした痛みを伴い。
「っ……エルザムっ!?」
口付けられた場所を押さえ、エルザムを振り払おうとするのだがエルザムは頑として動かない。
逆にそんなに力がこもっていないはずなのに、その腕が解ける様子はない。
ふと、ゼンガーの耳にある言葉が響く。
「…私が君自身を貰えるのはいつの日なのだろうか…?」
耳元で囁かれ、絶句する。
不意に告げられたその言葉はあまりにも切ない響きを秘めて聞こえ、ゼンガーは言葉はもう一度無くしてしまった。
口付けられた場所は赤くなってしまっているのだろうと考えながらも、もう肩に置かれたエルザムの腕を振り払おうとはしない。
否、振り払える力はどこにもわいてこない。
「…お、れは…」
どうにかと思って出した声は擦れていた。
囁かれた言葉が反芻して、身体の自由を奪ってゆく。
確固たる言葉にしたくても出来ない自分に歯痒さをおぼえながら、どうしようもないのだと悟る自分もいる。
ますます自分で自分を窮地に陥らせていることに自覚はない。
だから余計に混乱してしまう。
出口の無い迷路だと、ゼンガーは呻く。
強張ったゼンガーの身体にゆっくりとエルザムが触れ、苦笑しながら話した。
「すまない、我が友よ…そんなつもりではなかったのだ」
「いや、俺は―――」
「気にするな、私はただこれの礼が言いたかっただけなのだ」
その言葉にゼンガーは再び腕時計に視線をおとす。
エルザムが気に入っているようなそれは、心底安心させてくれる。
―――先ほどまでの迷いを打ち払ってくれる。
実はこれについて考えていた頃は、様子のおかしさをエルザムに心配された事もあった。
だが結果として喜んでくれたのだから、手放しで喜びたい。
あの大きな市の時に、ゼンガーが珍しくたくさんの買い物をしたのはエルザムへの『これ』を隠すためで。
ゼンガーという男に似合わない、細かい策略――彼はこういう分野は苦手だろう――をした甲斐があった、ということなのか。
ふっと笑うと、肩の力が抜けたような気がして。
ゼンガーは瞼を伏せた。
「……」
「……」
二人の間に続く沈黙。
まるで外の雪のように、想いばかりがこの空間に振りつもってゆく。
言葉に出来ない、言葉にするには余りに陳腐で。
けれどそれは強く熱い想い。
ひっそりと耳に届く互いの鼓動、ゼンガーの背からエルザムの胸へと伝わる温もり。
静かに、確かに聞こえてくるその音を。
これからも心の安らぎにしていきたいのだと、願うのはいけないことだろうか。
決まりの無い先の未来の運命を、今から自分の思うとおりに行ってほしいと望むことを。
罪というのであれば。罪になるというならば。
―――エルザム、聞こえているか…?
心臓の鼓動と共に自らの気持ちを伝えられれば幸せだろうに、と。
ゼンガーはそんなことを思う。
「…ゼンガー…?」
「…ん…」
エルザムの声に甘さが混じっているなと、ゼンガーは感じた。
瞼は閉じたままで返事をして、エルザムの次の言葉を待つ。――程なく聞こえる声。
「…しばらく、このままでも…良いだろうか…?」
「…ああ…」
ゼンガーの頬にエルザムの髪の感触が伝わり、より一層強く回されたエルザムの腕にそっと触れる。
今はまだ、と。
ゼンガーは口を微かに動かした。
<了>
writing by みみみ
|
© 2003 C A N A R Y
|