【 SWEET WITH YOU. 】

 流れるような金髪を一つにまとめ、青年は台所に立っていた。
遙か昔の忌まわしい言い回しを彼は知っているだろうか……曰く『男子厨房に立ち入るべからず』などと。
当たり前だがそんなことなど知るよしもない青年――エルザム・V・ブランシュタイン――は深い緑色の瞳を伏せた。
 甘いものが苦手な“彼”のために作ってみた、ほぼカカオのチョコレートケーキ。
食材にも拘るエルザムが取り寄せたのは完全に甘いという言葉が存在しないほどのもの。
それでもケーキを作る際に砂糖を使わざるを得なくなり、少々の飾りも要るということで。
隠したはずの甘味が少し顔を出してしまった。
しかし“彼”――ゼンガー・ゾンボルト――はその甘味ですら苦ととるのだろうから。
 その前にふと、エルザムは考えた。
“彼”は気づいているのだろうか―――今日はバレンタインという日だと。

 そうこうしている間にも、壁で時を刻むものは容赦なく残り時間を告げてゆく。
 小さくため息をつき、エルザムは余ったチョコレートを一口分口にする。
想像したとおりの深くしっかりとした苦味が口内に広がり、だが心には静かに確かに甘いざわめきが波紋をたててゆく。
もう後は少々のデコレーションをするだけだ。
別段果物や菓子を乗せる気はないのだが、と思いつつ。
それもなるべくこの苦味に合ったものを使いたい…と、エルザムはそんな考えをひとまずよけておきチョコレートを冷蔵庫へとしまう。
 実を言えば、最近自らの脳裏を占める思考は他でもない、この最後のデコレーションについてだったりする。
夕食の後に出すつもりなのだが、果たして間に合うかどうか――?
 視線は壁に投げかけられた。

「……よし」
 エルザムはゆっくりと息を吐き出した。
とりあえずはどうにか納得のいく形に仕上がっただろうと思われるケーキ。
それをぼんやりと眺めてみたのだが、やはり心底の納得とは言い難い。
頭を振りそんな考えをはらってから、エルザムは台所を後にする。
 火のある台所とは違い、廊下は正確に今の季節を教えてくれる。
頬に伝わるぴりぴりとした感覚は確かに冬のもの。それもまた厳寒に相応しく。
 今日は珍しく“彼”の方から用事があるといって、朝早くから出かけてしまった。
その分、この作業にも集中できたことは確かだ。
しかし、その作業も終わってしまえば――……そうしてまた気付くのだ。
ゼンガーの帰りを待っている間がとても長く感じられる自分に。
彼の存在が自分にとって心の殆どを占める存在だからだと、そう気付くのに。
至極当たり前の事であるそれにそれに気付いたのはつい最近。
 そんな自分に苦笑すると同時に懐かしい記憶がよみがえる。
……昔、「お前たちは二人揃って不器用なのだな」と。そう笑われたことがあった。
(…あの頃はこんな風にゆっくりする時間もなかった…時は流れ、過ぎてゆくばかりのものだと思って……)
 暖炉に火をくべ、薪を傾ける。
段々と落ちてきた闇の中、朱の灯火が揺れている。
瞬きの中で途切れていく思考。
穏やかに流れる時を嬉しく思いながら、エルザムの意識はそこで途切れた。

「…ム、……ザム?」
 エルザム、と呼ばれればいつの間にか傍らにゼンガーの姿がある。
完全に寝てしまったようで、すまない、と謝ろうとすると心配そうな色をした銀の瞳とぶつかった。
「…大丈夫だよ、ゼンガー…少し暖かいのでな」
 眠ってしまっただけだと言うのに。
それでも尚心配の色を隠せない彼に、食事にしようと誘いをかける。
立ち上がり、ゼンガーの肩に手を置き微笑む。
彼は漸く肩を下ろした。

 食後の一時の後、エルザムはケーキをゼンガーの前に出した。
その表情は微妙な変化だが確かに困った色が見える。
「砂糖は微量しか使っていない、カカオのみを使用したのだが……食べてみてはくれないか?」
 エルザムが懇願して言うと、ゼンガーは恐る恐る口をつける。
 やはり彼にすればケーキが甘かったのだろうか、少しずつゼンガーの額に粒が浮かぶ。
「エルザム、すまない…やはり俺には…」
 ゼンガーの表情はとてつもなく苦々しい。
しかしまだ、苦笑するだけの余裕があるのか。
それともエルザムに申し訳ないという気持ちを精一杯に押し出して出来るものなのか。
「せっかくのケーキだが、無理だったようだ…」
 瞼を下ろしたまま言う彼の雰囲気は近寄り難いが、単純に甘いものに参ってしまったのだとも言える。
エルザムは軽い苦笑の後、ゼンガーにコーヒーを差し出した。
それを受け取り、口をつけてようやく肩が楽になった彼は。
 ――――銀の瞳と緑の瞳が刹那ぶつかり、互いの意志を覗き込んだ。
「ゼンガー、君に触れても良いだろうか」
「!?」

 危うく吹き出しかけたコーヒーを置き、ゼンガーはエルザムを見る。
「…エルザム?」
 エルザムは何も言わない。
唇が柔らかく微笑みの形をとっているのみだ。
深い緑の瞳でさえ、思惑を隠したままゼンガーに向けられている。
肯定の印に頷けばエルザムの細い指が触れる。
「……」
 薄く笑い、ゆっくりと手は離れた。
その手を無意識にゼンガーは掴む。
思わず呆気にとられているエルザムすら予測しなかった行動をゼンガーはとった。
「――ゼン、……?」
「――エルザム」
 消えそうなほどにか細い呟きが耳に届くと同時に。
 全ての音が消え、呼吸さえも止まる。
 お互いしか見えないのに五感は世界を感じる。
 閉じられていくのではなく広がっていく、鋭敏にあらゆる感覚が。
 永遠の空間…しかし儚い幻のようで…掴まれた手は確かに熱いのだから。
 つと立ち上がり、深い銀の瞳は同じ色の髪で隠されて。
 机に手をつき小さくかがみ。
 そうしてエルザムの頬に感じた暖かな感触。
 瞬間触れ、また離れたそれは?


 今夜はバレンタインデー、憚らずに愛を語る日。
 必要なのはほんの少しの勇気だけ。
 きっかけさえもらえれば、幸せは貴方の元へやってくる。
 勇気が貴方の背中を押せば、チョコより甘い愛が待つ。

<了>

 writing by みみみ

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