【 太陽が好きな人。 】

 酷く、似ている。
 姿形も振る舞いも全く違うのに。
 何故か共通する部分を持ち合わせている。

「エルザム、成る可く…前には出るな」
「何故? 私の腕が信用出来無いとでも?」
「…違う、そうでは無く」
「では何故?」

 まさかその後ろ姿に見惚れてしまうからだとは―――――言える筈が無い。


 春先の午後、特に昼下がりはとても危険だと思う。
 毎年巡り来る季節の常だと分かってはいても、睡眠欲という本能に負けそうになることが屡々ある。
 本能を理性という名の規律で制御するのが人間の正しい生き方なのだと、
過去の偉人達は説いていたのだが、どうやら其れも叶わないようだ。
 小さな鳥の囀りと、暑くも寒くもなく風もない今日という日にあって、
デスクワークという退屈な作業にずっと従事し続けられる程、己の理性は強くないらしい。
 男は欠伸を噛み殺して目をこする。
 それでも自然と降りてくる重い瞼をこじ開けて――かといって
別に急ぎの事でもないので焦りを覚えることなく――ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 不意に目に飛び込んできたのは鮮やかな青藍の衣。
 この基地内においてはさらに目立つその色彩。
 周りとは明らかな境界線を引くと知りながらも、あえて彼はその制服を着ることを選んだのだ。
 一切の事項に異を唱えなかった中で、ただ一つだけ許して欲しいことがあると。
 ……彼がどんな考えの上でそう言ったのかは分からないが、上層部は案外すんなりとこれを承諾した。
 見つけ易い、という点においては少々の感謝もあり―――悪目立ちしすぎることも、事実だ。
 脆い人工的な空間、宇宙に浮かぶ虚偽の大地。
 彼の、故郷。
 訪れた先で見上げた無機質な天。
 薄青の空の向こうには絶対的な死が待っている。
 薄いとも厚いとも思えぬ壁を隔て、星々の住まう世界が存在していたのだ。
 地上が如何に豊かなものであるのか―――思い知った瞬間。
 相も変わらず心惹かれ続けたままで男は視線を泳がせている一方で、
彼の一挙一動作に目を奪われては我に返る自分が居た。

(…いかん…)

 頭を抱えたい心境に陥っても尚、視線が背姿に注がれる。
 身長は己よりも少し低く、軍人としては細身の体躯。
 だからといって痩せているわけでもなく、元来バランスのとれた体つきをしているのだ。
 整った顔立ちと同じ特徴の身体。
 天才と呼ばれていながらも、陰での努力を怠らなかった結果が見える。
 こちら側ではしている者の少ない手袋も、向こうでは一応常備着用らしく、群青の袖からのぞくのは白い手首。
手の甲から指先にかけてはすらりとしたラインが引かれている…そんな風に見えるのだ、己にとっては。
 背中に流れる緩いウエーブのかかった髪が、地上に降り注ぐ太陽光を反射して漣のように煌めく。
 父の髪質をそのまま受け継いだと言っていたはずだ。
 10も年の離れた弟は、母の髪質を継いだせいか、真っ直ぐらしい。
 別に自分の髪に文句を言いたいわけではないが、時折は弟を羨ましく思う、とも。

(…ならぬのだ!)

 名残惜しくも視線をそらして、無理矢理書類作成に取りかかる。
 締め切り設定日は随分と先にもかかわらず、だ。
 ―――彼の行く先は分かっているのだから、いや、分かっているからこそ余計に落ち着かなくなる。
 それでも彼が帰ってきた途端に喜び勇んで彼を出迎えに行く己の姿は、酷く滑稽に思える。
 まだこの時点では、そう思うだけの余裕があった。
 レポート内容は“模擬演習をふまえた上での戦術兵器の仕様とその有効戦略について”。
 同期のメンバーといえどもまさかもうこれを仕上げている人物は居まい。

 …否。
 心当たりがある事にはある。
 しかしそれを尋ねるのは悔しい気がする。
 …何故かは知らない。

 模擬演習はチーム編成を変えて3度行われるため、まだ全ての演習を終えていない者もいるのだ。
幸運なことに、つい昨日最後の演習を己は終えたばかりだったので、安心して取りかかれる。
 ところが、男にとっては電子機器による文書作成はどちらかといえば苦手分野に当たる。
出来ないわけではないが、手書きの方が――己にとっては――記憶としては残りやすいのではないか。そう思う。
 実際、電子ネットワークが発達した今現在であっても、公式文書など重要書類は実際の紙面上で残されることが多い。
無論、そのネットワークに何重ものプロテクトやセキュリティを配した上でデータとして存在し続けるので、
紙という媒体が燃えて灰になってしまっても改めて別紙に出力することは可能だ。
―――あくまでもそれは本物ではないことを除いて。
 だが、今回のような訓練分析等をどうするかについては、直接の上官の指示に任される。
殆どが電子文書を要求するが――その報告はさらに上層部へと進呈されるので――、
これまた運の良いことに手書きも電子も両方に許しが出ている。
 で、素早く左右に動いていたペン先が止まってしまったのは何故か。
 別に戸惑うことも無く、詰まることも無く。
 訓練の内容も上々であったし、
書物を開いての講義形式よりも実践において体得する方が獲物の扱いは分かり易いのだから、
文章構成に何ら問題はない。
 が?
(………)
 男は紙を凝視することを止めて、とうとうペンを置き、小さな一つのため息をついた。


 基地内にある食堂は、昼時という事もあって騒がしい。
 厨房では喧々囂々メニュー名が飛び交うし、次々と並べられる料理の皿も飢えた兵達が瞬時に取り去る。
 此処も一種の戦場なのだ。
 最初は圧倒されたが、慣れてしまった今ではその極意が理解出来る。
 殆ど満員状態で、席を探していると、1スペースがまるまる空いていた。
周りは当然一つも隙間がない。必然的にそこに座る事になるのだが。

(仕方の無い事か)

 何をしても際立ってしまうのだ。
 彼は。
 彼を取り囲む雰囲気が好奇心や敵愾心であふれていたが、己はそういう事に基本的に無関心だ。
 だからこそ、話しかける事が出来たのかもしれない。
 無論どよめきが起こる。
『……!!』
『隣、良いか?』
『構わない、が』
『が?』
 トレイを持ったまま立ちつくす男と、座った姿勢からその人物を見上げた青年。
 その瞳はまるで勝負を挑むように強かった。
『―――君は此処に座りたいのか?』
『此処以外に何処が空いていると?』
『確かに』
 彼の手が真向かいの席を促すので、座る。
 その後は一体何を話したのかは覚えていない。
 何も話していないのかもしれないし、何かを話したかもしれない。
 その後は食堂で会う度に相席する仲になった―――と言う事実だけがあれば十分だろう。

 それからしばらくの後。
 いつもと同じような昼食時に。
 男はコップに手をかけたところで、こう言った。
『まるで人質のようだな』
 と。
 青年は僅かに首を傾げる。
『?』
『…!』
 ぽつりと呟いてしまってから、慌てたところで手遅れだ。
 それに己の正直な感想だ、隠したところでどうにかなるわけでもない。
 何より会話の相手が、これしきのことで気分を害する器量でもないことももう分かっているのだから。
 口ごもり、沈黙を保つよりも、明らかにした方が良い。
 逡巡の末、かねてよりの考えを口にした。
『―――少なくともこの先5年間は、お前の父上は何も出来まい』
『そうとも言える』
 予想通りにあっさりと言葉が返ってくる。
 つまり相手も同様の考えを持っていたらしい。
 安堵をしつつも言葉を続けた。
『と言ったところで、あの聡明な人が…そんな愚を犯す筈は無いが、な』
 釈明ともとられかねない言葉の奥に、何を読みとったのだろうか、彼が曖昧な笑みを浮かべた。
『…果たしてそうかな…?』
『何?』
 何処か寂しそうに、空虚な。
 諦めではない、覚悟の笑みで。
『その気になれば、父は私の命よりも弓引く戦を選ぶだろう。
…例え戦場で父と相見えようが、その時は互いに容赦はしない』
 弱冠の青年が言うには凄みのある思いだった。
 己が考えているよりもずっと前から胸に抱いていたのだろう、覚悟も決意も隠し―――。
 例え肉親であろうとも、自身の敵である者に容赦はしない事を誓って。
 それは相手に対して失礼なのだと、家訓にあるそうだ。
 身内が敵に回ったとて、相手が全力で真剣勝負を挑んでくるのであれば、
こちら側からも同じように迎え撃つことが大切なのだ。
 躊躇うことは侮辱につながるのだと。
 そう、言う。
『…だから君も…手加減などしないでくれたまえ』
『……』
『遠慮も情けも不要だ』
『…承知…』
 決して穏やかな会話では無い。
 こちらを圧倒するほどの、凄烈な気配。
 迷いのない、言葉が。
 深く、己を、貫いていた。


「? ゼンガーか? そこで何を…」
 先に見つけられたのは男の方だった。
思わず早足で進んできた歩を止め、身を隠そうとしたが、こんな身体を隠せるほどのスペースが手近にはない。
 自分から向かってきたにもかかわらず、隠れようとする魂胆は何なのか。
 青年が頭上にその疑問符を浮かべてこちらを見ていた。
 取り繕おうにも何と言えば良いのか。
 この場所にいる事自体が、そもそもの全ての言い訳を無に帰す。
 ―――未だ勤務中なのだから。
「い、いや…その……」
「?」
「お前の姿が見えて…それで、今日はこのまま―――――」
「このまま?」
 たどたどしい言葉を待ちながらも、焦る様子もなく寧ろ楽しそうに青年は続きを促す。
 結局彼の雰囲気に呑まれてしまったのは己であるとは気づけない。
「このまま…お前が、帰るのかと……」
「!」

 いつも言いたいことの半分も言えない。
 言えた試しがない。
 伝えたい想いがあるのだと分かっていても、決心が鈍るのは。
 彼を目の前にしているから。
 ―――情けない。
 男は己を痛烈に恥じる。

「…魚が」
「魚?」
 結局出てきた言葉はそれかと思いながらも、己に言えるのはこれっぽっちのこと。
 明瞭簡潔な文章など浮かばない。
 その存在に惹き付けられる心を抑えられはしない。
 青年の笑みが、先程とは変わったように思えるのは気のせいだろうか。
「昨日から市に魚が並んでいるのだ。俺一人では…よくわからん……ので…だから」
「私に一緒に見て欲しいと?」
「ああ」
 男は首肯する。
 ―――とりあえずは、言えた。
 青年が何か閃いたかのように手を打つ。
「…もしや、君」
「……?」
「私の手料理を所望すると?」
「い、いや、それは…!」
「そうか…。そうだな、いきなり台所を貸せと言う方が失礼だろう」
「ちが…っ」
 否定の言を繰り返すしか出来なくなった男の様子に、青年は笑いを堪えきれずに吹き出してしまう。
 腹を抱えて背を曲げ、朗らかな笑い声。
 突然降ってわいた状況に男が更に混乱したのは言うまでもない。
 もうどうして良いのやら分からずに、内心おろおろと――表情が出にくいことで有名なので、
この男の見た目の表情に差はないまま――ぎこちない動作。
 結局青年が笑い止むまで、男はその場に立ち尽くすしかなかった。


「む…」
「どうした、今日の味付けに問題でも?」
「味は相変わらず旨い。…人参はもう少し固い方が俺好みではあるが」
「…成る程、覚えておこう。では何に気を向けた?」
 シチューをすくうスプーンを持つ手が止まった事に対して、目の前に座る親友が尋ねてくる。
 晩餐中であったために、味に問題があったのかと思ったのだろう。
 生憎とこの男が料理を失敗するところを一度たりとして見たことがないのだ、今回もいつもと変わらぬ舌の肥える味。
 こんな風に食事を共にするようになってから…
己の舌が確実にこの味の方に慣れてきてしまっていることは、密かに以前から抱き続けてきた懸案事項ではある。
 しかし今は味でもなく、ましてや己の舌についての事が原因ではない。
「一体いつから―――お前は料理を振る舞うようになったのかと」
「君にか?」
「無論」
 時々言葉の足りない男に再確認するのが青年の癖、よりも習慣になりつつある。
 お互いの意図することを読みとれるので別に必要もない事。
 其れを敢えて行うのは、念のための用心と、もう一つのある感情がそれをさせている。
 ……男が知るべくも無い話。
「覚えていないのか?」
「…すまん」
 謝る己に対して青年は否定する。
 咎めるわけではない、と。
「そうではなくて。君が、声をかけたのだ」
「俺が?」
「そうだ」
「俺、が…?」
「君から誘ってくれたのだよ、ゼンガー」

<了>

   writing by みみみ

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