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【 雨に誘われて、君に会いに行く。 】 |
何を思い出させる。
何が悲しませる。
何故抉る。
―――重ねられた唇よりも尚熱いのはその心。
忘れ得ぬ過去を捨てられないのは同じだというのに。
君はどうしてそんなにも。
春が近づき、季節が冬に終わりを告げようとしている頃。
風もなく比較的穏やかな昼に、灰色の雲と共に雨がやってきた。
一粒、また一粒と量を増していくそれは、やがて静かに地面へと多量に注がれてゆく。
街へ出かけていたゼンガーは傘――予めこの天気を予期していたので――をさし、帰途についていた。
昼にしては暗い世界で見慣れた後ろ姿を見つける。
「エルザム!?」
「ゼンガーか…」
名を呼び、振り向いたその人は確かに予想通りの人物。
金髪碧眼の青年―――雨の中であっても王侯貴族の雰囲気をまとったエルザムが、傘もささずに立ちつくしている。
まるで、雨に濡れるのを楽しむかのように。
「…お前…!?」
駆け寄ったゼンガーはエルザムの腕を引いて、自らがさす傘の下へとエルザムを引き寄せる。
案外素直に傘の元へと入ってくるエルザム。
成人男性二人であっても、その傘は二人を雨に濡らすことはなかった。
もちろん例えそうでなくても、ゼンガーは自分よりもエルザムがぬれないようにするつもりではあったのだが。
―――そう、今日は雨なのだ。
なのにエルザムは傘さえささず、自身を冷たい雨の中に晒している。
粋狂にしては度が過ぎる。
今の季節であれば、風流とも呼べないことはないが、それにしてもこれでは、と。
「…一体何をしていたのだ!?」
ゼンガーが思わず語気を荒げると、エルザムが呟いた。
「…呼ばれた、ような気がしてな…」
「呼ばれた…?」
そう呟くエルザムの瞳は何処か遠くを見ている。
薄明るい空の下、銀の瞳と緑の瞳はぶつからなかった。
灰色の雲は太陽の暖かさを伝えようとはせず、ただ忠実に大地へと潤いを与えるだけだ。
ふと、ゼンガーはエルザムの冷たさに気付いた。
掴んでいる場所は温かいのだが、これはゼンガー自身の体温なのであって。
少し場所をずらせばひんやりとした感触がする。
―――一体いつから濡れていたのか。
降り始めたのはついさっきの筈だがと思う。
それよりも先に、この天気を教えてくれたのは他ならぬ彼自身ではなかったか。
(…どういう事だエルザム…)
内心の困惑は早々表情に出てこない。
あまり感情表現が上手ではない自分にこんな時ばかり感謝した。
濡れたシャツがぴったりとエルザムの肌に張り付いていて、白い肌が余計に白く見える。
雨の冷たさに体温は下がっていくばかりだろうに。
今でさえ、彼の体温は奪われていく。
そんなことに今更気付いた己の愚鈍さを内心で呪う。
「とにかく今は…」
エルザムの身体を温めるのが先決だとゼンガーが言おうとすると、空に閃光が瞬いた。
続いて腹に響くような低い音が轟く。
灰色よりも更に黒光りを増してきた空模様が、雨が酷くなると教えてくれる。
(一刻も早く、エルザムを…)
そんな思考の間に空では低く唸るような音が鳴り響き、雨が刻一刻と酷くなりつつある。
これから更に雨は勢いを増すだろう。ならば急ぐべきだと。
名を呼ぼうとしてぶつかった瞳に気圧され、ゼンガーが言葉を無くした隙に。
エルザムが体を寄せて腕を回してきた。
「!?」
「…君が濡れてしまうのはわかっている…すまない……」
エルザムの言葉は、激しく降ってきた雨に消されてしまいそうなほどか細い。
だが先程とは似ても似つかぬ強さがある。
しっかりとした意志のある、言葉。
「……」
ゼンガーは、ただ黙ってエルザムを抱きしめた。
―――気付いているのか、お前は。
震えている。
小さく。
寒さに体が支配されている。
このままでは喋ることさえ、難しくなってしまうだろうに。
…本心から言えば、何かあったのかと聞きたいのだ。
何を思いだしてしまったのか、と言うべきかもしれない。
しかしながらどうしてもそれを口に出す事ができないのは、エルザムの雰囲気のせいなのか。
それとも自身から生まれてきた戸惑いのせいなのか、ゼンガーには区別がつかなかった。
ぎり、と強くかみしめて。
片手だけれどもエルザムを包み込むように。
雨が彼の体温をこれ以上奪っていかないように、と。
伝わってくる震えが自分のものなのか、エルザムのものなのか。
雨に濡れて冷たくなった身体だからなのか、『脅え』を伝える自らの心がそうさせるのか。
ゼンガーは分からない。
「…エルザム、どうしてお前は…」
呻くようなゼンガーの呟き。
何故、どうして。
分からない、理解できない、考えられない。
エルザムの肩が揺れた。
ゼンガーがエルザムの髪をすいて、そのままゆっくりと頬を金糸の流れに埋める。
(まるでゼンガーが私に―――)
倒れこんできたようだ、とエルザムが思えば。
「…俺たちはどうしてこんなにも…」
ゼンガーの呟きに次の言葉はない。
冷たい身体に熱い涙が一筋流れた。
<了>
writing by みみみ
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