【 一ツ楓 】

※参考:山中対酌(李白)、謡曲『六浦』

   両人対酌山花開
   一杯一杯復一杯
   我酔欲眠卿旦去
   明朝有意抱琴来


「遅いな」
 微かな苛立ちを含ませた声。
 対する人間が苦笑しながら応える。
「そう、急くものでは無い」
「だが…」
 拘泥する男を余所に、青年はぐいのみを軽く持ち上げて自身の頬に付けた。
 中身は空だ、空の器を掌で転がして遊んでいる。
 そもそも器に入れる為の酒が、一升瓶にして残り僅かになっているからでもあるのだが。
「悲しいかな、彼は飲めないのだから仕方ないだろう」
「……仕事と素直に言ってしまえばどうなのだ?」
「……」
 おやと眉を持ち上げ、戯けた表情の青年がやがて不敵な笑みを唇に刻む。
 言ってしまえばつまりはそう言う事なのだが、男のぶっきらぼうな言い方に何か思ったらしい。
 今此処に彼の人物が不在であるのは、彼自身の体質以前に急務が入ったからなのだと。
(―――もしかしなくとも)
「寂しい、かな?」
「ばっ…誰が!」
 声を荒げて全面否定。
 彼の人物と酷似した双眸を持っていながら、感情表現の豊かさは比べるべくもない男。
 非常に、分かり易い表情を垣間見せて。
「そうではないのか?」
「違うッ!」
 とうとう堪えきれずに吹き出して笑い転げる青年の姿は
常には見る事の出来ない稀有な情景であるにもかかわらず、男は頬を――原因は酒では無い――朱色に染めた。
酒を飲むには苦しいだろう体勢で、明後日の方向を顔が向いている。
つまり、視線を合わせまいと。
「直ぐに…来るから安心し給え」
「……」
 そう言って器に注いだ酒を直ぐ様に飲み乾す。
 揶揄めいた口調と、穏やかな瞳の奥に翳る思慕が擦れ違って。
 男は視線を戻した。
 冷静に。
 残酷に。
 任務を確実にこなそうとする此の青年が。
 不意に陥る暗い闇。

 さわさわと木々が鳴って、紅葉が降る。
 見上げれば上弦の月。
 薄曇りの夜、輪郭は朧気に輝き。
 風は穏やかに空を巡り大地を翔る。
 枝が大きく左右に身を揺らすと、二人の間に音も無く落ちた彩り。

「“いかにして この一本にしぐれけん 山に先立つ 庭のもみじ葉”―――…か」

 其れを拾い上げた青年が口ずさんだ言葉に、男は首を傾げる。
 訳も分からず、気付けば。
 行ってしまう。
 彼方へ。
 するりと我が腕を通り抜け。
「レーツェル」
「ん?」
「優しくないな、お前は」
「…ふふ…」
 人差し指と親指でくるくると葉を回しながら、さてどうだろうな? との返答。
 月の明かりしか頼りに出来ない夜に、青年の表情を窺い見るのは難しい。
 全てを隠してしまえる心を持つ人間にとって、
此方が知ろうとしていた事を隠してしまうのはきっと容易い事なのだろう。
決して見えぬ月の裏側の様に。
然りとて見えた所で温度も何も無い暗黒の大地を見る事になるという覚悟がなければ、近付く事も出来ぬ。
 己には遠い。
 知りたいと思っても教えてはくれまい。
 避けてははぐらかす。
 掴み所も捉え所も無く、いつの間にか髪に触れた一つの楓の如く。
 ―――寄りて去る。
「…お前の辞書に説明という言葉は無いのか」
 嘆息と共に吐き出した言葉。
 随分前から諦めていた事ではあるけれども。
 酔いに任せて言ってみる。
 だが、其れでもお前は。
「……成る程。先程の言葉は君の私に対する批判だったのだな」
「無論」
「意味が分からないと?」
「当然」
「ふむ」
(俺から、俺達から)
 手を擦り抜けて行くのだろう。


『―――俺に対する嫌がらせか』
『―――君への愛溢れる対処療法だ』
 深い森の色をした瞳と、鍛え上げられた刀身の瞳が激しく交差した。
 互いに譲り合えない感情でもって相手に対峙する限りは妥協など微塵も見当たらない。
 意地であり頑固であり自負でもある。

 我が意思を貫く。
 最後まで。
 何が在ろうとも。

 先程から熾烈な争いを続けている二人の人物。
 付き合いは長さではなく、どれだけ意義有る時間を共に過ごしたかが問題である。
 此の二人の場合は正に其れで、だからこそ争いに決着が見えないのだ。
 例えば。
 戦場に於いて戦う者に求められるのは技量と、其れに合った意志の強さ、そして適切な判断力。
 嘗て同じ部隊に所属し、競い合った仲であるからして当然互いの手の内を知り尽くしているつもりでも、
しかし再び出会うまでの歳月がぞんざい大きな差を生んでいた事は否めない。
 有事の時まで刃を磨き続けてきた者と。
 疑問を抱きつつも変化出来ずにいた者と。
 歴然とした差が、在る。
 そもそも圧倒的に今は男の方が分は悪いだろう。
 悪戯めいた真剣な瞳は、深緑の輝きすら宿す事が出来る。
 千変万化に此方の手の内を暴き出しては自分の都合通り進めていく強引さ。
 最近、何処かの誰かが同じ様な手法で甘味処へ行こうなどと言い出したのだから尚始末に悪い。
(伝染、というよりも此の場合は伝授に近い気がする)
 等と思考を遊ばせる余裕もないのだ。
 残念ながら手を抜ける相手では、ない。
 溜め息をひた隠しにしながら男は恐る恐る確認した。
『…万が一の場合は』
『ん?』
『お前が、介抱してくれるのだろうな?』
 態と言葉を切って、強調の意を示したのだが、回答は薄情と言えば薄情なもの。
 若しくは己ではなくもう一人の人物に対しての気遣いと、善意的に見るべきか。
 分かっているのに尋ねてしまう己が恨めしい。
 そして反駁する事さえ相手には見透かされているのだろうに。
『ウォーダンからの希望が在れば其れに沿う事にする』
『だから俺の意思は…っ?』
『―――発言出来なくなった者に意思確認を求めるのは物理的に不可能だ』
『エルザム!』
 二人きりの時はそう呼ぶ事にしようと言い出した目の前の張本人に向かって男は声を荒げる。
 半ば懇願めいた声音になってしまったのは見逃して貰うとしても。
 実に尤もな理屈を付けて言い放った青年の言葉は断じて認められないのだ、とばかりに捲し立てようとした、が。

『三桜丘では無いよ』

 たった一言。
 あっさりと言葉を奪われてしまう。
 尤も効果的な言葉が何か―――相手は全てを見抜いている。
 己にとって、其れは。
『!』
 翠玉の王は瞳を細めて言う。
 懐かしむ様に、悲しむ様に。
 深い情愛の心持ちで。
『…あの場所は私達三人の場所だ。彼を旧い想い出に付き合わせたくはない…
だがもう既に良い場所を見つけて居るし、そして私も久しぶりに飲んでみたいのだ』
『結局一番は最後の理由だろう。……そんなにも…良い酒を見つけたか?』
 大きく肩を落として項垂れる男に向かって青年は満面の笑みを見せ付けた。
 どうも殊食材に関しては子どもの様に純粋になれる体質を持っているらしい。
 この我が愛する親友は。
 例え其れが己にとって毒――とはい言い過ぎかも知れないが――になるものであっても。
 薫りで意識が遠のいて、一口飲めば完全に倒れる。
 酒であるからこそ? と青年は笑う。
『だからこそ、だ』
『もしかしなくとも日本酒なのだな』
『当然。先頃漸く秘蔵の清酒を手に入れてな』
 人差し指を立てて、微笑む。
 続く台詞があるだろうに、敢えて言わない此のあざとさ。
 二人は暫し睨み合う。
『……』
『……?』
 ―――駄目か? と心なしか瞳を潤ませているのは気のせいだ。
 と言うか此が敵の作戦なのだ。
 嵌ってはいけない。
 目を合わせてはいけない。
 決して心を揺るがせてはならない。
 要は持久戦なのだから。
 寂しそうな拗ねた声がぽつり、と響く。
『…勿体ない』
『……ウォーダンと飲むのが嫌なのだ…』
『!』
『…っ!!』
 思わず油断した瞬間に零した一言で形勢逆転。
 元から勝てる見込みが薄い相手へ、勝ちを完璧に譲ってしまった。
 言うつもりなど全くなかったのに。
 まるで誘発されたかの様に。
 或る不満が、出た。
 言った後で口を塞いでももう遅いのだけれど、男は内省の為に瞼を下ろす。
『ゼンガー?』
『………』
 再び開き泳がせていた目が、覚悟を決めた様に青年を一瞥し、口元を隠していた掌の下で溜め息が吐かれる。
 耳まで一瞬の内に赤くした人間には退路など無い。
 此処は素直に負けを認めるか、それとも玉砕するか。
 二つに、一つ。
『ゼンガー』
 甘い声。
 猫科の獣のしなやかさを以て。
 彼は己を呼んでいる。
『……知らん』
『何を今更』
『知らんと言ったら知らん』
『又子どもの様な事を言う』
 喉の奥を鳴らしながら伸ばした手は、髪に触れる。
 癖の強い己の髪を梳いて。
 何度も優しく戯れる。
『言わせたのは他でもないお前だろう』
『君が言いたがっていた様に見えたからな』
『戯れ言を』
『真実だ』
『……』
『……』
 大丈夫、と青年が囁く。
 否、不安過ぎて困ると言おうとした男の口が。
 金糸に揺れる長い髪の向こうで、奪われてしまった。

***

 ―――――狡い人。

(そう言われてみればそうなのだろうなと自覚しつつもいつも気付かされる)
 愛する人に。
 兄弟親類縁者に。

 ―――――でも、感謝してる。

 とは亡き妻の言葉であり、

 ―――――金輪際、治らんのだろうな。

 とは親友の言葉。
 感謝と呆れは似ていない様で似ているのかも知れない。
 現出する形は違えど、根底に流れる想いが同じだと考えても良いのか?
 未だコロニー統合軍と名の付く前の話。
 そして永遠に彼女を喪う前。

「三桜丘ね、だって其れは楓の木だから」

 春には桜、秋には紅葉。
 季節が巡る度にこうやって三人で想い出を重ねていきたいと笑った彼女、が。
 名付けた場所。
「…俺は酒が飲めません」
「! 其れは…困りましたね…」
 どうしようかと真剣に悩む女性を目の前にして、
更にどうしたらいいかが分からず困る親友の姿を眺めながら来年の春も、
来年の秋も、その次もと約束をして出会う自分たちを思い浮かべた。
(楽しみだ)
 助けてくれと視線で訴えかけてくる男。
 言ってはみたが決めかねている様子の妻。
 二人共が欲しているのは自分の助け船一言ですむと感じていても、然りとて安易に決断するのもどうか。
「君が風下に座りさえしなければ、恐らくは」
「「!」」
 良案だと彼女はもう一度微笑んで。
 男は苦笑した。

***

「遅い!」
「…すまん」
「気に病む事はない」
 一人が怒りの声を上げ、それに対して素直に謝罪し、最後は救いの手を差し伸べる。
 三者三様の役割は自然と流れで決まっていて呼吸の様な。
 不思議と落ち着く空間が出来上がる。
 漸く現れた男は風向きに注意しながら不意にある事に気が付く。
 口にするべきかを悩み、沈黙し。
「……」
「何だお前は、人の顔をジロジロと見て」
「いや、何も無い」
「だったらさっさと座れば良いだろう」
「…ああ」
 遅れてきた上に失礼な奴だなとぼやく相手の顔をまじまじと眺めるにはきちんとした理由があるのだが、
向かい側に座る青年からは特に何の合図、もとい説明もない。
 しかし恐らく此は。
(もしかしなくとも)
 ―――…酔っている、のか?
 そんな結論が出た瞬間に血の気が引いていく。
 本能的なもので、少し心拍数が上がる、妙な緊張感。
「…レーツェル」
「ぐいのみでそんなに飲める訳が無いだろう」
 あっさりと先手を取られ、告げられた言葉にはとりつく島もない。
 念願の貴重酒を手に入れた青年は大層ご機嫌麗しく、一升瓶を愛おしそうに撫で回す。
 其の中身はと言えば半分は確実に減っている様に見えるの、だが。
「だが」
「拗ねているだけだよ」
 思いがけない事を言われて、男は目を丸くする。
 見た目には僅かながらも近しい人物には、男が驚いているのだと分かる仕草。
 拗ねていると言われた所で。
 男は困惑した。
「? 何故?」
「何故…っ、て其れは…」
 本当に分からないのかとでも言いたげに、青年は怪訝な瞳を男に投げかける。
 逆に男は分からないから聞いているのだろうという意思を込めて青年を見つめ返す。
 やがて溜め息というのか苦笑が零れたというのか。
 青年は言う。
「本人に聞いた方が早いだろう」
「其れが出来れば苦労はしない」
 成る程、と頷き。
「至極尤もな意見だ」
 そんな事を真面目に言うなと男が叱る。
「大体お前の管轄の筈だ、其れをこんなに―――」
「とりあえず一杯口を付けてからにしたらどうだ? 折角の紅葉が泣いてしまう」
「……」
 見上げれば、確かに見事な紅葉。
 足早に過ぎていく夏と冬の間に位置している季節たち。
 其れは途もすれば見逃してしまいそうな、時間。
 刹那の風景に心遊ばせる感情は、東洋の思想に通じる何か。
 論理的に言えば矛盾している。

 ―――――刹那に永遠を見るか否か。

 多少誤魔化された感がするものの、積もる話はひとまず景色に捧げた白湯を飲む事から始めた方が良かろう。
 君の分もきちんと用意しているから、仕事が終わり次第来るようにと言い含めた青年の言葉通り、
保温機能付きのアルミポットからは白く湯気立つ透明の水が注がれる。
小さなぐい飲みは直ぐに一杯になり、
「此が白湯だ」
 と差し出されたポットと共に喉を潤した。


「酔って等居ない」
「…酔っているも者は誰でもそう言う」
「確かに」
 何度繰り返したか分からない台詞を、胸を張って言う相手を見れば見る程確信が募っていく。
 肯定の意を示してくれた青年も――真面目か不真面目かという点では――ほぼ同じではあるのだが。
 なまじ次の行動が予測出来ないだけに、此方の方が対峙する不安も大きい。
 寧ろ。
「レーツェル、お前は俺の味方なのか敵なのか?」
「非常に難しい質問だな、其れは」
 相手にも合わせてしまう辺り、正に中立であり傍観者という面白い立場を貫き通している。
 決して当てには出来ない、最悪相手の援護さえすることも―――だが。
「…そろそろ、きつい、ぞ…」
「軟弱者め」
「……」
 酒に弱い体質を鼻で笑われ、好きでこんな体質に生まれた訳ではないと反論したくとも出来ない。
 目眩の要領で視界が霞んでいく。
 いつから風下になったかという問題ではなく、単純にザル二人組の間に居るのが悪かったのか。
 矢張り宴席は己に向いていないという結論だった。
 対処療法とは此如何に。
 本当に慣れる、等という時が来るのかどうか。
「ウォーダン」
 そんな風に一人で男が意識を保とうと頑張っている時に、
「ん?」
 青年は隻眼の男へ向かって目配せを一つ。
 そして手に持っているぐいのみを指差して、傾ける仕草。
 最後に、悪戯っぽく笑う。
 唇に人差し指を当てながら。
「…!」
 合点がいったとばかりに、男も笑う。
 ほんの少し前から風向きが変わったのか、酒の薫りに身体を揺らしている口煩い相手を見て。
 謀を、仕掛ける。
 其れならば眠らせてしまおう―――と。
「気分が悪いのなら貴様の好きな白湯を大量に摂取すればいいだろう。ほら」
「………」
 疑惑だらけの凝視。
 絶対に信じられないと書いているだろう瞳。
 流石に一筋縄ではいかない男であると感心しながらも、今己の言った言葉に一理あると思ったのか、
恐る恐る手を差し出してぐいのみを受け取った。
 ―――…矢張り意識を失いかけている人間に、剰り正常な判断は出来ないらしい。
「さっさと飲め、直ぐにでも二杯目を注いでやろう」
 アルミポットを持ち上げて待機する事により、飲まなければならない状況に追い込む。
 即ち、お前が飲み終わるのを俺はひたすら待つのだと。
 言外に告げている。
 受け取った以上は飲め、そして空にしろ。
 悪酔いなど白湯で幾らでも覚ましてやろうとばかりに。
 不敵な笑みを男は浮かべた。
「……」
 そんなにも気分が悪かったのか、はたまた相手に対する意地か。
 相手はぐいのみを一気に飲み干した。
 飲み干して、しまった。
 つまり。
「!!」
 青年によって注がれていた、ぐいのみの。
 清酒を。
 思いっきり、摂取した。
「…!!」
 何かを言いたげな瞳が一瞬男を睨んだものの、直ぐに意識を失って、其の手からはぐいのみが落ちる。
 青年はぐいのみを拾い、隻眼の男は重力法則に従って倒れてくる其の身体を支えた。
 整った呼吸音から察するに、深い眠りへと陥った男の顔は。
「分かり易い奴だな、お前は」
「だからこそゼンガーなのだ」
 少しばかり悔しそうに、眉根を寄せていた。
 恐らくは夢の中で散々悪態をついているのだろうし、目が覚めれば何と言われるか。
 其の前に罠に嵌った己を悔いているだろうか。
 どちらにせよ、意識が回復するまでは想像の域を出ない。
「ふふ、馬鹿な奴め」
「警戒心はもう少し高く持たねば、な…まぁ、二度と同じ鉄を踏みはしまい」
 作戦が成功したと喜ぶ二人の顔は赤い。
 序でに言うならば“酔っていない”と断言する男の方が赤い。
 青年の赤さは其れと見て分からぬ程。
 倒れ込んだ相手の頬を指で突く男が鼻息荒く。
 何処か嬉しそうに言う。
「ならば今度は又別の作戦を考えるまで」
「そう言う事だ」
 そんな男の顔を覗き込みながら、青年と笑い合った男は突然黙り込んでしまった。
 今までの饒舌具合が嘘の様に。
「…?」
「……」
 静寂は嵐の前の訪れとも言うが。
 此の場合。

 ―――うちゅ。

「…!!」
「んー…」
 嵐と表現するべきかどうかと、青年は真剣に悩んでしまった。
 ほんの少しの間だけ。
 しかし数えた訳ではなくとも、割と長い時間。
 隻眼の男は己の膝に横たわる男の頬に口付けていた。
 否、彼が口付けの意味を理解出来ているかは兎も角としても、頬に己が唇を寄せる事を、その行為をした。
 紛れもない、事実である。
 ささやかで神聖な光景とも見える一方。
(襲われているとも言えなくもない)
 自身の比喩に間違いはないだろうと思いつつ。
 可能の是非を放置して、青年は先ず名を呼んだ。
「…ウォーダン?」
「ん、お前にも」
「!」
 お裾分けだ、と低く囁いて。
 自身の頬にも、酒で熱された仄かな唇の感触を残し。
 どうやら意識を手放してしまったらしく、肩に凭れ込んで、そのまま倒れてしまう。
 膝で眠る彼と同じく。
(膝枕で今眠る君も、倒れてしまった彼も)
「……この事を知ればどんな顔を見せてくれるのだ?」
 ふふ、と青年は艶やかな微笑を浮かべると、ぐいのみを掌で遊ばせた。

<了>

   writing by みみみ

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