【 未来の君へ。 】

 この地平の先に何が在るのか。
 少年は歩き出した。
 父親が死んでからずっと考えていた事を、この計画を実行する時。
 小さな拳を握りしめ、真っ直ぐに前を向いて歩き出す。
「……」
 緑瞳は蒼天を映して。


 男は目を覚ました。
 大きく肩を回すと関節が鳴る。
 眠っているばかりでは身体は鈍る一方だからこそ、
1日おきにトレーニングは欠かさずに続けているのだが、今日は睡眠の為の日だった筈だ。
 機械の回答もそうなのだが、次に並ぶ文字に目を見張る。
 ―――侵入者アリ。
「…!?」
 つまり自分はこの施設の防衛機能の下に叩き起こされた訳だ。
 アラームや防犯装置などは一切オフのままである――些細な事で反応し、
余りにけたたましく鳴るという理由からそうしている――ため、必然的に己が起こされる。
 自分以外、ここを護る者が居ない、のだが。
(成程…、全く正常な判断だ)
 突然の侵入者によって目覚めさせられるなど多々ある事。
 ほんの数ヶ月前のあの激しい戦闘時期など、一体何度と起こされた事か。
 確かに最近は人目に付かぬよう、施設を移動させた御陰か、
滅多に警報装置がこのように作動する事は減ってきていた。
周りは荒野、オアシスも町も無い。
余程の事が無い限り、大陸を渡る商人たちでも、付近を通る事は無いだろう…そう考えて移動してきたのだ。
 ここでは地下から汲み上げる水を元に生活する事が可能だし、
食べ物の贅沢さえ言わなければ栽培しているもので充分。
施設全体の動力源はそもそもが太陽光発電やら地熱を利用したものやら、
植物の光合成の原理を応用したタイプなど、とにかく様々な種類の発電装置が有る為、
今のところ残存エネルギーを鑑みても衣食住の内、後者二つに困る事は無い。
 前者である「衣」に関しては、今着ているものを大事扱っていけば支障はない。少なくともそう判断している。
 そんな思考を巡らせている内に侵入者の正体が手元のモニターに表示された。
「!?」
 だが、外壁の周りを動く影は―――子供だった。
 数ヶ月前には予想だにしなかっただろう、こんな侵入者など。
 己の目がおかしいのでは無い事を幾度となく確かめてから、男はほんの少しだけ眉を寄せた。
 …子供は、苦手だ。

 少年は最初唖然としていたものの、すぐに我にかえって『建物』の周りを散策し始めた。
 遠目から見ても分かるあまりにも巨大な謎の建造物。
 近付けば近付く程、胸が躍り出す。
 見た事はおろか聞いた事もない、こんなもの。
 こんな砂礫の大地に有る、誰一人として知らない幻のようなこれ。
 今、初めて自分だけが見つけたのだ…!
 当然興味や好奇心が何にも勝るのが子供というもの。
 とりあえず周りを一周すると改めて入り口を探してみる。
 形状や壁の材質からすると大人達が良く話していたドーム型の居住空間のようだが、
今まで自分が読んだ見た資料のどれにも無いような気がする。
「……」
 余程長い年月が経っているのだろうか、あちこちに何かの傷跡もある。
 大きくひしゃげたところ、何かの擦れた後、上の方にはこの固い壁に大きな穴すら空いているようにも見える。
ボロボロになってはいるけれども、以前と変わらずに外界を遮断し、内部を護る為にそびえ立って。
 しかしそれなら疾うの昔に誰かがこれを見つけていた筈だ、こんなにも目立つものを見過ごせる大人などいるものか。
 経過した月日に耐えてきた頑丈な壁。
 だがさすがに完全無欠とはいかなかったようで、無理をすれば少年が何とか入りこめそうな隙間を見つけた。
 今は腕しか入らない割れ目に精一杯の力を込めて引くと壁の一部が悲鳴をあげて外れる。
「…ここからなら…」
 念の為に一応中を確認してみたが、暗すぎて何も見えない。
 少年はそのまま意を決して飛び込んだ。

 男は非常に困惑していた。混乱していた、と言った方が正しいのかもしれない。
 何故? どうやって?
 小型モニターと遠隔操作が可能のモバイルを片手に、廊下を走るような勢いで歩く。
 どうやらあの子供は何処から過去の施設内に入る事が出来たようだ。
 再び、自問自答しなければならない。
 …何故? …どうやって?
 こんなところ、まずはこの『建物』に入る入り口など無い筈だ、
そもそも全ての確たる入り口には電子ロックがしてあるのだから。
建造に立ち合った或る科学者の異様なセキュリティへの拘りにより、
パスワード、網膜声紋、許可用ID、指紋など、とにかく厳重に過ぎるガードの数々。
ここの主な研究者たちでさえ、入るのに3分はかかった代物。其れを…。
 確かに外壁に攻撃用防犯装置は無いが、それでも内部への侵入は容易に行えないように設計されたのでは。
 元々地中の更に奥底で眠る為の施設であるからして、
外壁などは多少の無茶――しかも子供の力など――で開くとは。
(やはり、あの時の戦闘が)
 負担にはなっていたのだろう、確実に。
 今回の移動も含め。
 本当に予想外だが、起きている事態に何ら変化は無い。
 起きてしまったのだ、『ハズ』を繰り返したところで何にもならないことは充分に承知済み。
 問題はこれからの行動だ。
 いくら己の任がここの軍事責任者であったとはいえ、侵入者が子供である場合はどうすればいいのか。
 無論、知らない。
「……」
 しかも己は子供が苦手ときている。
 次の行動も思考も読むことが出来ないのだ。
 子供の方が怯えてしまい――泣き出してしまうので――近付く事さえ出来ない。
 今回はその方が都合が良いのではあるが。
 この時代の子供は、とにかく物怖じしないタイプが多い。
 果たしてどうなるのやら。
 …しかしそれでもやらなければ。
 男はモニターを思わず睨みつけた。

 通路は薄暗い。
 申し訳程度に等間隔の白色灯。
 それも点滅するものがあるので、殆ど奥に何が有るのかは判別不可能。
 灯りがあるだけマシではあったが、足元までははっきりとは照らせそうにない。
「(…一体どこまで…)」
 続くのか、そう少年が言いかけた瞬間、少年は思いきり壁にぶつかった。
「っ!?」
 痛みを訴える鼻をさすりつつ目前には間違いなく壁がある。
 外壁と似たような手触りだが、この壁は少々熱を持っているよう気がする。
 発電機により起動しているのか、それとも。
 しかし振り返っても歩いてきた道は一本道なのだから。
 …どうするか。
 ここで引き返すのも悔しいが、これ以上は進めそうに無い。
「――ここに、何の用だ」
 すっかり頭を抱えてしまった少年の頭上から、声が聞こえた。

 シミュレーション――あの子供に対する応対の仕方――は役に立たないと知っている。
 後は己がどれだけ臨機応変に出来るか…頭の痛い話ではあるが。
 少年の歩いていた通路は運のいいことに一本道で、しかもあのまま歩いて行きつく先は行き止まり。
 己が行くまでどうかそのままでいてくれることを祈る。
(…だが、どうする…?)
 見つけた後、少年をどうするべきなのか。
 散々考えてみたところで、導かれる結論はただ一つ―――とにかく帰らせるべき、だ。
 子供の言うことなど信じられる訳が無いのだから、無理矢理放り出したところで大丈夫だ。
それに、見たところ一人でここまでやってきたのだから…荒野を一人で渡り歩くだけの技術はあるのだろう。
記憶を強制的に無くしてしまう、そんな手もある事にはある。
(いや、もう……)
 そんな事は出来ないのだと、自身が分かっている。
例え非情な判断でそうせざるを得なくなったとしても、己は決してその手段を用いる事を赦しはしない。
消された記憶の向こう、何が起こったか分からぬままに生きる事。
あんな幼い――その行為の重さ自体も理解出来ぬ年の――子供に、
記憶操作などという乱暴な手段は、愚かな行為と呼ぶべき他に無い。
 問題は、それでもこの広い荒野にはそんな戯言を信じて、ここを探し出そうとする輩が数多くいるから困るのだ。
 あれから更に奥地へと移動してきた筈が何の因果か子供に見つかった。
 もう一度移動させることも考えたがそれも難しい。
 既に『建物』の耐久性が後一度の移動で限界だと告げているし、エネルギー自体も不十分。
 今無理矢理ここから動いてしまえば、確実に後が無くなる。
 暫く回復を待てばまた違う選択肢もあるだろうが…。
 男はそっと少年を見下ろした。
 どうにか先に回り込む事に成功し、少年の様子を覗き込んだ。
 壁に勢いよくぶつかったらしく鼻を押さえている。
 行き止まりに来た事で、次の行動を考えているのだろう、
黙ったまま壁を――本人には暗すぎて何が有るかは見えていない筈だ、
この先のコントロールルームには今は己以外の人間が入る事は不可能なのだから――睨み付ける。
 見れば子供と言っても分別のつきそうな年頃ではないのか、己からすれば確かに子供ではあるだろうが…、
壁の前で黙って思考する様子はかなり落ち着いたものに見える。
 これなら理が通じる相手かもしれない。
 男は声をかけた、
「―――ここに、何の用だ」
 と。

「……」
「……」
 それ程沈黙は長く続かなかった。
 男が少年の元へ近寄り、もう一度同じ台詞を繰り返した。
「―――ここに、何の、用だ」
「…別、に…」
 何も無いと言おうとしたが、自分もここで引く訳にはいかないことを思い出す。
 今漸く動き出したばかりの計画を、振り出しに戻されるのは不本意極まり無い。
 何の為に一大決心をして…村からたった一人で出てきたのか。
 目の前にいる男は盗賊などの類でないことは確かだが、明らかに自分を追い出すつもりには違いない。
そんな、気配がする。
「……」
 暗くて良くは分からない男の顔を見ようと、目を細めた。
 青年であろうに何故か寄せられた眉根が年以上の月日を感じさせる。
 初めて口から出た言葉はそんな思いから来たものだったのか。
「…貴方、何歳?」
 男の目が大きく開かれた。

 少年の名は、ブラン。
 父親が亡くなり別段親類などいない中、兄弟を探して大陸を渡っている途中らしい。
 数日前に慣れ親しんだ村を出てきたところ、この施設が目に入り近寄った…等々、やはり物怖じしない態度で、
はきはきと今までの状況を語る少年の様子に、今度こそ男の方が困ってしまっていた。
 どこまでが真実なのかは分からないがとりあえずそれを信じることにする。
 あのまま話を続けても良かったのだが、互いの表情が見えぬままでは埒があかないと考えるのはこの男独特の思考。
部外者を建物の中で連れ回す危険性を孕みつつ、それでも適当な部屋に連れてきてしまうのもそれと同じ。
建設当時は――完成後に使用目的は多少変更されたが――休憩室であった一室に。
 明るい場所で見ると、しっかりとした言葉の印象とは裏腹に小柄な体格をした普通の少年だった。
唯、着ているものから考えると多少なりとも、裕福な家庭ではあったようだ。
先程の口調といい、今の悠然とした構えといい…この乾いた大地を生きるには、整いすぎて不安な容貌を持つ子供。
肩までの長さの金髪、大きく意志を見せる緑の瞳は、年相応というのだろうか、
真っ直ぐに億すること無くこちらを見てくる。
「…お前…」
「名前は言った筈」
「…ブラン」
「うん」
 妙な予感が、した。
遠い昔にこれと似たような事がなかったか。
同じ感覚を抱いてはいなかったか、あの子供にしては立居振舞がやけに大人びている、という点で。
それを無理矢理この時代の子供だからだろうと納得させて。
名前を呼んだ時のはにかんだ笑顔は、人を安心させるものではあったのだから。
「何故入ってきた?」
「――一つの質問には一つの答えを。だけど俺は貴方の答えを聞いていない」
「……」
「貴方の年齢は?」
 男の表情がより固いものになったのは言うまでもなく。
 …苦手だ、相手として苦手以外の何ものでも…。
 ぴしゃりとこちらの要求をはねのけておいてきちんとした正論を通してしまう、大人顔負けの。
 これは子供ではない、子供が喋っているようには聞こえない。
「…それに人に名乗らせておいて、自分は名乗らないのは卑怯だと思う」
 どこか拗ねた口調で、雰囲気が一時和らぐ。
 理屈としては至って最もではあるため、男はしばし沈黙を保っていた。
 この少年と話していると不思議な気分になる。
(…まるで…)
 遠い過去、悠久の彼方に残してきたものは多い。
 友人、部下、世話になった人々…二度と会うことは無く。
 ふと脳裏に浮かぶある人物に目の前の少年は良く似ていた。
 共に幼少期を過ごした事はない。出会ったのは互いに成人の年齢を超えてからの事。
 軍に入ってから、出逢った希有な存在。
 互いの行動はほぼ真逆であるにもかかわらず、何故か奥底で繋がるものが、在る。
 認め合い、分かち合い、支え合った年月は、どちらかと言えば短い。
 それでも不思議と理解し合える事があるのだと、知った、人。
(否、それは…)
 無意味なことと分かりつつも彼の人を想う慕情は止められず。
 銀の瞳が静かに瞼を下ろした。

 少年は小さくため息をつく。
 ―――何故だかこの男の心情が伝わる。
 顔には出なくとも、薄い銀の色をした瞳が長い同じ色の前髪の向こうで色が変わっているのが、分かる。
 簡単な自分の質問にも答えず、無言で立ったまま。
 ゆっくりと瞼を閉じた瞬間は、まるで幾年も経た老人が追憶をする其れと類似していた。
 星の流れを読み取るような、遠い感覚の向こうで、何かを想っているのだと。
「何に、そんなにも……困って、いる…?」
 少年の言葉にはっと顔を上げる男。
 憂いを帯びた緑の瞳。
 顎に手を当てながら、纏まらない思考を、そのまま言葉にしている。
「何、に―――」
 刹那、男は全てを話してしまおうかと考えてしまった自身を戒めた。
 己のこの悩みを小さな肩に背負わせる事になってしまう。
 其れは、駄目だ、無理だ。
「出ていって、欲しい」
 唐突ではあるがいつかは言わねばならぬ言葉。
 急にそんな台詞を突きつけておいて、己の瞳は伏せたままだった。
 硬く、強張った――しかし幼さの残る――声が聞こえる。
「迷惑?」
「…ここにいても何も無い。時の流れが違うのだ…お前はお前の時間がある筈」
 少年は男の言葉を静かに聞いていた。
 意味の分からぬ言葉だろうにただ真面目に受け止めて。
「……」
「……」
「(当然、か…)」
 男がそう思っていたのと同時に、少年も悟っていた。
 必ず、出て行けと言われる。
「(普通ならそうだろうけど、でも)」
 出ていける筈が無い。
 こんな。
 こんな風に。
 座っていた椅子から降り、壁を背に佇む男の前へ歩く。
「大人なのに、泣き虫だな」
「なっ…!?」
「次からは―――追い出そうとする相手に、そんな表情はしない方が良い」
 何の効果も無いね、と。
 からかうな…っ…!
 そう、言葉が出なかった代わりに、瞬時沸き上がった烈火の怒りを瞳に込めてぶつけようと、睨もうと、した。
 が。
「居なくて、寂しいのか、」
 見据えた瞳の中、映し出された己の表情と。
 恐れを知らず、挑んでくる大きな緑玉が。
「…っ…!!」
 反論の余地も、反駁の暇さえ与えずに、射抜く。
「な?」
 …先程の色の無くなってしまった瞳よりは、
今の何かしら感情のこもった瞳の方が男の容貌には似合う。
にっこりと笑う少年が、考えたのはそんな事だった。


 ――――だって、今まで貴方はここで独りだったんだろう?――――


 結局あの後は男の連敗だった。
 昔から他人様に口で勝てた試しなど無い上に、相手は己の苦手とする子供とくれば。
 勝てる道理が何処にも見当たらない。
 もう最初から白旗を上げるべきだったのかとも考えたがいや、と慌てて打ち消す。
 すっかり居座る気でいるこの少年を何とかして追い出さなければ。
 …何よりも、己の精神的平和の為に。
 男の固い決意など知る由も無く、無邪気に――こんなところばかり子供らしい振る舞いの――少年、
ブランは男に話しかけてきた。
「…諦めたら?」
「否」
「寂しいのに無理ばっかり」
「…誰が…!?」
 額に青筋を浮かべて睨めばひょいと軽やかに走り去る。
(…何故、こんな事に…)
 どこから拾ってきたのか妙な機械を小脇に抱えて、少年がしつこく男に質問を繰り返す。
 何度も質問をしているのに、この男は一切答えないからだ。
「いい加減年くらい教えてくれないのかな、名前だってなかったら呼びにくいんだし」
「……」
 今日は無理矢理少年に連れ出されて、外壁のチェックをしている。
 思っていたよりも損傷が激しく、実際にブランの言う通り修復する必要があるだろう。
 その周りをちょこまかと走る少年とは、一切喋らないようにしているのだが。
「! 貴方…もしかして」
「……」
「自分の年が分からない!?」
「な…」
 一体どこからそんな発想が出てくるのか。
 力の加減で変な方向へ曲がりそうになった膝で身体を支えて、溜め息を一つ。
 深刻な顔になったかと思えば出てくる言葉はそんなものばかり。
 あれからずっとこの調子では喋り続けるのだ、休むこと無く。
 子供の煩さは承知していたが、此程までとは―――。
 男は大仰にため息をつくと低く呟いた。
 頼むから、黙ってくれ。
「…ゼンガー、29だ…」
「……。ええ!?」
「二度と言わん」
「ちょっ…今、何て――」
「言っただろう……、二度は言わん」
 男はそう言って颯爽と歩き出した。
 後ろで何か奇声が聞こえるがあえて気にしないことにする。
 少年は気付いているだろうか、この男が口ではとやかく言いながらも、その歩調は少年に合わせたものであると。
 知らず零れた笑みは、一体誰に向けてのものなのか。
 男は銀の瞳を細めた。


 赦されぬ罪を持つ者。
 寂しくとも、辛くとも。
 胸に一つだけの確かな想い。
 添える言葉は君に。

<了>

   writing by みみみ

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