【 樹の下で、二人 】

 雨の中、佇んでいた。


 突然降り出した雨に、男は慌てて近くの木の下へと逃げ込んだ。
 風邪を引かないだろうかと内心心配しながら。
 男の性格をそのまま現したかの様な剣色の瞳と髪。
 男性軍人としては少し長めの前髪から、降り始めの雨でも大粒水滴が滴り落ちる。
 一方で男は通り雨だろうと見当をつけながらも、暫くは止みそうにない雨に内心困惑を抱えた。
 今日はこれから大事な会議――正確に言えば初顔合わせとでも言うべき其れ――に遅刻するのも厳禁だが、
然りとてずぶ濡れの恰好で行くのもどうかと思う。
 霧に煙る視界の向こう、全面コンクリートで覆われた建物。
 あれが今回の指定場所と確認する。
 普段であれば、尉官クラスが立ち入る事の出来ない幹部級のみが使える会議室。
 其れを貸し切ってまで自分たちを集めるというのだから―――上層部の期待は言わずもがな。
 具体的に何をさせられるのか、どれ程の規模なのか。
 さっぱり見当が付かないままの招集命令。
 ある程度名目上の部隊コンセプトは与えられているとは言え、其れで任務がこなせるはずもなく。
 目下の所、有名無実の集団である。
 そもそも今日が初顔合わせなのだから仕方ないと言えば仕方ない。
 周りの喧噪を余所に、無論、そんな事など己には全く関係が無いと思っている。
 気負いが無いと言えば嘘になるが、
其れで任務に支障が出る様ならば軍人としては少々精神面に難有りと取るべきだ。
 与えられた仕事をきっちりとこなす事。
 先ず其処から始めなくてはなるまい、と一人ごちてはみたものの、先ずは件の会議室まで辿り着かなければ。
 今回の会議メンバーの殆どが現基地からの選抜者であり、
例外的に外部――もっと正確に言うのであれば連邦宇宙軍――からの派遣者が一名来る事になっている。
 まさかそんな日に現基地勤務中の我が身が遅刻というのは、直属の上司ひいては基地の面目に係わる。
 常日頃体裁など下らないと考えては居ても矢張り、あの人に面倒が掛かるのは心苦しい。
(…どうするべき、か…)
 と、男が延々循環の中で悩んでいる幹の向こう側。
 不意に草を踏みしめる音がした。
 ―――誰か、居る。
 己が逃げ込んだのは基地内でも割と大きな木で広く繁く木々に葉をしならせている。
 幸いこの雨には風が無い。
 木の下にいれば、時折落ちてくる雫に気を払いつつ、雨宿りが出来る。
 きっと見知らぬ此の気配の主も己と同じく雨宿りをしているのだ、
そう気付いた瞬間から何故か気まずさを覚えてしまい、立ち去った方が良いかと足を動かせば。
 …ぱきっ
「!?」
 不注意。
 地面に落ちていた小枝を踏みつけてしまった。
「…誰か、居るのか?」
「す、すまん」
 其の音は向こう側にも伝わったのか、誰何の声が届く。
 何者かは分からぬが、凛とした声だとは思う。
 そして咄嗟に出てしまった謝りの言葉に返ってくる苦笑めいた声音は。
 軍人らしからぬ其れ。
「君も…この雨から逃れてきたのだな」
「ああ」
 我ながら素っ気ない答えだと思うのだが、生来の癖故にこの年齢になっては修正出来様筈も無く。
 しかし別段此方へ来ようとしない相手に多少の安堵感を覚える。
 隣に立たれた所で気の利いた会話など出来ないという理由が一つ。
 此処へ配属される様になって初めて部下というものを持ったが、
戦闘時以外で剰り良いコミュニケーションがとれていないようだなと苦笑されたことがある。
 遠回しに不器用だと言われたので、
以前は改善しようと試みたが結局は無駄だと判断して以来そのまま放置している。
 其れでますます己の不器用さに嘆くことにもなったが。
 もう一つは、癖の強い銀の髪も今ではすっかり雨で大人しくなってしまい、
ある意味情けなさを醸し出しているからである。
(此処に居る以上は基地の何者か…ならばこそ、こんな姿を見られるとまずい…)
 特に今日に至っては―――連邦軍が次期主力機として見定めたパーソナル・トルーパー、
通称PTの戦術・戦略的運用及びその操縦技術の練成習得・簡易性向上の為に結成された部隊―――
連邦軍特殊戦技教導隊メンバーの初ミーティングなのだから。
 こんな所で何をしていると言われても非常に困る。
 現基地からも何人かが選出され、人数の程は知らないが、
連邦軍の中でも特に優れたエリートパイロットのみを集めた文字通りの少数精鋭部隊だと聞く。
 何故、己がそんなものに選ばれたのかは分からない。
 問い質そうとも思ったが、大抵は“軍事機密”の四文字で封印されるのだろうと推測。
(案外…あの人なら、答えてくれたのかも知れんがな…)
 理由を聞いても聞かなくても特に執着はしない分、結果は同じだ。
 やるべき事をやる、唯其れだけ。
 雨は未だ降り止まず、地平線の向こうまで鈍色の空が続いている。
 ぼんやりと意識を更なる地平の先へと飛ばしていた男に、不意に先程の声がかかった。
「…君は…桜は好きか?」
「? さく、ら?」
 会話の中で見知らぬ単語を一つ発見し、怖々と聞き返す。
「此の樹だよ。我々が今雨宿りをしている、此の樹に咲く花を桜という」
(成る程)
 春になれば淡い薄桃の花が基地のあちこちに咲いているのを見たことがあった。
 つまり其れが“桜”という花の名前なのだろう。
 春先の強い突風に煽られて、すぐに散ってしまう印象が強い。
「…一応…」
 脈絡無く尋ねられた質問にどう答えるべきか良く分からずに、とりあえず曖昧な言葉を返す。
 しかも畳みかける様に相手は加えて、
「何故?」
 と言う。
 そちらから尋ねておいて其れは無いだろうと考えつつ、生まれて初めての思考を働かせる。
 今まで考えようともしなかった其処へ足を踏み入れると、自然に口から言葉が溢れてきた。
 其れは剣の師が、座禅の時に語る東洋の国の四季を思わせる。
 自然に心を遊ばせること、此も又道の一つだと。
「散りゆく姿を美しいと思うし、潔いとも考える…だから俺は―――」
「―――戦場で散る兵士と、似てはいないか…?」
「!?」
 脳内に浮かびかけた自然溢れる四季のイメージと、戦場で炎や煙が粉塵と渾然一体化する画像が重なる筈も無く。
 一瞬反駁しかけたが、言われてみればその通りだと。
 人類が宇宙へ上がってからも尚、テロやイデオロギーの対立、
民族紛争などの争いは絶えず地球上のあちこちで起こっている。
だからこそ地球単位での軍事形態が今も成り立っている。
 自らの故郷から異郷へと赴き。
 下手をすれば誰にもみとられず、ただ弾雨の嵐に戦場で吹き荒ぶ風に儚くも無惨に命を散らしてゆく兵士たち。
 旧西暦の徴兵制度が無くなった今では自ら望んで軍人になった者ばかりとはいえ。
 いつ死ぬとも分からない、彼らの姿と。
(この桜に違いがあるのか―――否…)
 男の思索による無言を、沈黙による反論と捉えたのか、小さく耳に届く謝罪の言葉。
「…すまない…」
 微かに寂しさを滲ませたようにも聞こえた声は、少し軽めの口調で告げる。
 最早霧雨に近い天気の中、曖昧になりかけた感覚を現実へと戻す役割を以て。
 今までとは全く異なる、朗らかな声。
「今日の私は此処の客人だったのだ、無礼な質問をしてしまった事を詫びよう」
「いや、別に…」
 構わん、と言おうとして雲間から差し込んだ光に思わず顔を上げた。
「晴れた…!」
「…その様だな」
(しまった…)
 一瞬子どもの様に素直に喜んでしまったことを恥じた。
 相手は男の呟きに冷静な同意を示し、そして。
「それでは此にて失礼しよう」
「ああ」
 ―――結局は顔も名も知らぬまま、二人は別れて歩き出していた、が。
「…君の名は?」
 何の気まぐれだろうか、そう尋ねてきた相手との距離を窺いつつ、男は答える。
「ゼンガー…ゼンガー・ゾンボルトだ」
「!! そうか、君が―――…」
「?」
 己の名を告げたところで相手が何かもう少し言った様にも思えたが、
時計の針は今から走れば集合時間に間に合うと教えてくれている。
 背に感じる遠ざかってゆく気配にもう一度別れでも、と思い振り向いた瞬間。
「…私はエルザム・V・ブランシュタイン―――縁があれば、また会おう」
「!!」
 そう言ったきり一切振り返らずに去る青年の後ろ姿を、男は思わず足を止めて見つめる。
 コロニーを統治する軍門一族ブランシュタイン家の長男であり、
軍人としてその名を知らない者はいないとまで謡われる技量の持ち主、若きエースパイロット。
 独特の蒼紺軍服に揺れる長い金の髪。
 ゆったりとした動作は、正に代々続く古くからの貴族出身である事を思わせ。
(…そういえば自らを客人だと称していたか…)
 だが、と思い直す。
 そんな人物に己が縁があるなどとは到底思えず、もうきっと会う事もあるまい―――
そう結論づけた男は再び時計に視線を戻し、会議室への道を急ぐ。

 疾うに散った桜の枝にも新緑美しく若葉が茂り。
 二人が去った後もまるで囁き合うかのように、そよぐ風に梢を揺らしていた。

『いずれまた…逢い見えん事を―――』

<了>

   writing by みみみ

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