【 君の肩と私の腕と 】

 常に微笑を。
 悠然とした構えで。
 振る舞いに非の付け所無く。
「―――エルザム、今日の」
「……」
 献立は、と聞こうとして真っ正面から顔が合う。
 僅かに細められた瞳が、何かを言いたそうにこちらを見ていた。
「…エルザム、不躾に人の顔をじろじろと見るのは止めろ」
「愛する者の一挙一動作たりとも見逃したくはない…そう思うのは世の必定ではないのか?」
「俺は…」
「私はいつでも君のことを見ていたいのだ」
「……」
 返す言葉を無くしての沈黙。
 ……普通ならば、こんな時どうするのだろう。
 生憎、自分達の関係は世間に大手を振って公表できる間柄ではない。
 同姓の恋愛は、未だに根強い宗教上の問題もあって、人々に認められていないのだ。
 それにしても親友はきちんと妻を持っていたにもかかわらず、己に好意があると言い、
いつの間にか夜毎睦言を囁く間柄になっている。
 相手は別に悪びれもしない。
 こちらとしても、最初は抵抗感があったものの今ではすっかり慣れきってしまった。
 現状の打破を幾度となく試みても徒労に終わるばかり。
 時々自問自答してみるのだが、答えの見つかった例しがない。
 ……難しい話だ。
 ゼンガーが嘆息した。
 其れを見たエルザムがふと視線を横へ逃がした。
「もうすぐ春も近い。冬の名残を惜しみつつ、今夜は鍋料理にしよう」
「…了解した」

 肌を重ね、熱を受け入れている瞬間に、生物として悦びがあることは確かだ。
 別にそこに一種刹那的快楽があるから、という答えでも別に理由としてはおかしくないだろう。
 実際にそう言う関係があることはあるし知ってもいる。
 だが、それでは納得しない自分自身が居ることもまた確か。
 何故納得しないのか―――。
 余り物事を深く考える性質ではないので、考えてみたところでまとまらない。
 行動規範は唯一つ、己の心のみ。
 目の前の彼のように理性的判断ではなく、
信念とも言うべき其れに反すれば斬るし、反することがなければ其れで良し。
 戦場で最も己が頼りにしてきたものが、今は役に立たない。
 激しく混乱する。

「…一つ、訊いても良いか」
「……。何なりと」
 一拍の間をおいて促す。
 泰然自若とは此のことか。
「何故…俺はお前に抱かれているのだ?」
 途端に相手は咳き込み始めた。
 しばしば相手を困らせるような質問をすることはあるが、今回は格別らしい。
 しゃがみ込んで未だ止まらないところを見ると、滅多にない動揺を誘ったようだ。
 数秒して、少し顔が赤くなったままこちらに向き直って言った台詞。
「そ、れは…君、自身の心の、問題だからな―――私に訊かれたところで……」
 答える術が無い、と。
 妙に歯切れの悪い物言いに普段と違う雰囲気を感じる。
 時折引き続く咳を交えながら。
 彼は珍しく苦笑していた。
 心底。
「受動態―――での質問形式は、非常に…何というか…君らしいな、ゼンガー」
「そうか?」
「だが気をつけたまえ」
「?」
 親友がすっと真面目な表情に戻る。
 戦場で部隊を指揮し、戦況を把握し、瞬時に戦略を組み立てる指揮官の瞳。
 共に弾雨の中を駆け抜けた傍に在った者。
 冷静で底の見えない色。
 彼の身体に流るる血が為せる業。
「その問いに私が答えた場合、私は君の意志を奪うことになる。
君は君自身で私に抱かれているのではなく、
私の意志によって君の行動が左右されていることになる。
其れは人間の存在意義を無に帰すと言うことだ」
「ああ…」
「君は君であり、私は私である。
紀元前より遙か昔から……人はそうで在るべくして生きている。
その問いに答えられるのは、我が友よ、他ならぬ君だけだろう?」
「…そう…だな」
 正しい言葉だ。
 残酷なほどに的確な。
 鋭く己が心の弱さを見抜いた。
 彼の迷い無き真っ直ぐな言葉。

 大分答えが見えてきたような気がするのに、到達地点は明確な形にならない。
 複雑な計算式を幾つも並べ、代入し、置き換えて漸くたった二つの連立方程式まで持ち込んで、
あと一息だというのに、未だ何か足りない要素がある。
 決め手に欠けている。
 示されている道は一つだというのに。
 どうすれば答えが見えてくるのか。
 答えは与えられるものではないと彼は諭す。
 己の中に、在る。

「…それでも俺は―――…」
「……」
 大きく頭を振る。
 長く癖のある前髪が、揺れている。
 今現在の心のように。
「やはり、分からんな」
「……」
 気持ちが思考で片付く人間など居ないだろう。
 感情を判断するのは不可能だ。
 どこまで行っても地平線の向こう、相容れない何かがある。
 もしかしたら答えは一つではないのかも知れない。
 彼と共に生き続ける限り、己の心は変化し続けるだろう、其れは彼もまた同じ。
 数学のように割り切れる答えなど無い。
 選択を迫られる度に新しい答えが見つかるだけだ。
 否、新しい答えを見つける。
「余り私を悲しませるな―――……そう、お前は言った」
「ああ」
「すまない」
 言うなり、相手に近付いてその身体を抱きしめた。
「!?」
「…とりあえず…こうすることが好きなのだ、俺は……」
 相手の背中に手を回し、倒れ込むように背を少し曲げる。
 彼の身長は己よりも低い。
 そして、どことなく、細い。
 繊細ではないだろうが、屈強と言うには遠い。
 だが安心できる温かさが此処には在る。
 彼の熱が、在る。
「ゼ、ゼンガー?」
「……。エルザム、今はこうさせてくれ」
 エルザムにはその声が毎晩聞く嬌声よりも余程甘さを秘めているように感じた。
 気まぐれな愛猫が不意に見せる甘え。
 自身の髪を梳く大きな手が僅かに震えていた。
 その手に身を委ねておいて言う。
「…それが…」
「……」
「…其れが君の答えか?」
「―――――。…かもしれんな…」
 ぎこちなく何かを求めているのは分かるが、此ばかりは自分自身で見つけなければ。
 時間をかければいい、ゆっくりと。
 大事なのはこれからだ。
 からかいを含んだ声音で閃いた疑問を口にする。
「……私と?」
「お前以外に誰が居る」
「…ふ……そうか」
 ふて腐れたような返事。
 ―――拗ねているのか、柄にも無く。
 端から見れば何と不思議な光景だろう。
 大きな体に繊細な心。
 そして迷い続ける鋼の剣。
「ならば君の気が済むまでこうすると良い。私は別に構わん」
「ああ…」
 そっと自分を抱きしめる男の背に腕を回す。
 一瞬、びくっと驚いたようだがそのまま左手を動かして彼の肩に触れる。
「私も君の肩が好きだ」
「肩?」
「ああ」
 クスクスと笑えば相手の頭上には多くの疑問符。
 他の仲間達はこんな彼を知るまい。
 自分だけが知る、彼の顔。
「君が好きだ」
「……も、だ」
 密約めいた呟きに律儀にだがか細い声で答える。
 その愛らしさと言ったら。
 ―――今夜は雪でも降るのかも知れない。
 珍しいことだらけのオンパレードに、彼はそう思った。

<了>

   writing by みみみ

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