ゼンガーはうたた寝をしている自分に気が付いた。
ふと重くなった瞼を開ければ、部屋には誰もいなくなっている。
そんなに寝ていたのかと思い、時計を見ようとした。
だが。
「……?」
壁を見ても、机の上を見ても。
どこにも時を刻む者の姿は見えない。
時間の遅れは作戦に支障が出ることもあり、軍にあってはかなり重要視されるものだ。
必然、どこにいても時計はある。
身につけていたはずだがと思うものの、腕にはその姿もない。
ポケットを探り、引き出しを開けても。
今の時間が解らない。
「……」
差し込む光から察すれば夕方とも言えなく無いが、知りたいのは正確な時間。
今、一体何時なのか。
仕方なくその部屋を出た。
どこまでも続きそうな廊下は、タイルの床にブーツの音を反射させる。
右手一面の空には既に夜を示す闇が迫ってきており、空を茜色から紺へと染めていた。
歩いても歩いても誰にも会うことはなかった。
もしこれが普段の時間であれば、定刻通りに帰る者もいるのだから、必ず人とすれ違うのだが。
角を曲がるたびに、思わず覗き込んでみるのだが影すらない。
通り過ぎる部屋という部屋は無人であったり、鍵がかかってあったりする。
まるで幻のような世界。
己一人が世界に残されたような感覚。
あり得ない、と強く打ち消して歩を進める。
目指すはただ一室。
「―――どうした?」
突然の音に心臓が大きく跳ね上がった。
あまりに静かすぎた空間を破って出現した強い存在。
振り返るまでもなく、ゼンガーは名を呼んだ。
「エルザム」
場所を休憩室に移し、二人は何をするでもなく夕日を眺めていた。
その場にあった適当な茶を口にしながら喋る。
「今日は休日だったからな」
「そうか…」
成る程、言われてみれば得心のいく話。
それに気付かなかった自分が阿呆なのかも知れないと思い返し、唇を強く結ぶ。
ゼンガーの様子に、エルザムが苦笑する。
「これだけ広い空間だ、そんな気持ちになるのも解る」
「だが、俺が忘れていたのも事実だ」
「別段気にすることでもあるまい?」
「それは―――そうだが…」
妙なところを気に掛けている親友。
大胆な割にはさりげない気遣いが優しい。
本人がそれに気付かないのは性分であるから仕方がないのだが、周りが心配する種にはなっている。
困ったな、と小さくため息をついて。
「―――それに、寂しかったのだろう?」
「なっ…!」
「まあ、最近仕事ばかりで君を放っておいた私も悪いのだが……」
「ち、ちが…っ」
「大丈夫だ、我が友よ。先程の仕事で全て片づいたからな」
「…だから……!!」
エルザムの一方的な言葉にゼンガーは反論を試みてみたが、結局一音も言葉に出来ないまま首を折った。
がくりと落ちた額に銀の前髪がかかる。
「…だが、本当は―――」
悪戯そうな音が消えた至極冷静な声。
指揮官として兵たちを統率する男の言葉が。
急に音を変調させる。
「―――」
かかる銀糸をすき、そのままそっと唇をつけた。
閉じた瞼の裏に何かを隠したままでそっと呟く。
「私が…寂しかったのかも知れないな……」
【ひしりと。】
足りないと感じるのは、前が足りていたから。欲しいと想うのは、前にそれがなかったから。
手に入れてしまえば興味は尽きるはずなのに、もっともっと欲しくなる。
この手に抱いて抱きしめていてもこの想いが収まる事はなく、更に強く。
「……」
「―――情けない、な…」
「…エルザム、今」
「…今…?」
聞き返されてもゼンガーは己の言葉を見つけることが出来ないままだった。
開いた口が一度閉まり、再び開くことはあっても、そこから音が出ることはない。
閃いた思考が明確な形として言葉にならず、歯がゆい気持ちばかりが増えていく。
「……今、……」
触れられた髪先が熱を帯びているような感覚。
唇ではなく、心が震えている。
熱くなる頬。
顔を上げれば視線が合うだろう。
真直線にあの緑眼とぶつかるのは怖い。
顔を上げられずにいるゼンガーに、エルザムが再び呟く。
「何と、言ったのだ…ゼンガー…?」
背筋にぞくりとくるような声音。
「…だから―――俺は、別に…」
「?」
顔を上げたものの、明後日の方向を向いたままでゼンガーは言った。
「俺は別に、寂しいと想うのは…当然だ、と……そう―――考えるから、な。だから……」
「!」
「だから、俺も……その、…寂しかったのかも―――」
皆まで言わずに、立ち上がるゼンガー。
エルザムに背を向けて部屋を出ようとする。
「ゼンガー」
扉にあと少しで触れる瞬間、エルザムはゼンガーを呼び止めた。
「…ゼンガー、――――」
恋う。
君を恋う。
それ故に我は。
我、ら、は。
<了>
writing by みみみ
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