【 名も知らぬ時 】

『引き入れる事が出来ると?』
『十中八九』
 宇宙を統べる総司令と、地上の覇者たる博士に睨まれても、青年は何ら引き下がる様子を見せはしない。
 倍程の年齢差と人生という経験値を越えて尚、余りある一筋の自信。
 頑なな其の考え方はお前にそっくりだと、瞳を薄めた博士が我が父にぼやいたかは兎も角として。
 一回りも違う年月であっても親友であり続ける二人の男たちは短い時間に同じ結論を出す。
 視線を交わし合う事さえしないのだ。
(見事)
 と、内心ひとりごちたのを表には出さず。
『…あの頃と、変わらぬ愚直さを秘めた男であれば―――』
『結論を急く事は無い』
『……』
 いずれ、総帥と呼ばれる人間が手を上げて青年の言葉を遮る。
『貴様の所見は後に訊くとして、もし』
『…!』
 想定せよ、万が一の事態を。
 軍人たる所以を見せろ。
 そういう意志を秘めた眼差しで射抜かれる。
『其の男―――…ゼンガー・ゾンボルトと言ったか。
其の男が、此方の意思にそぐわぬ行動を選択した場合は?』
 どうするのだ。
 不覚にも、回答するべき筈の言葉を一瞬口にするのを躊躇ってしまった。
 父には其れを見破られ、同じように博士も苦笑する。
『成る程、殺すには惜しい逸材か』
『……』
 恐縮、せざるを得ない。

***

 天候は晴れ、見渡す限り続くは水平線。
 世界中、いや地球圏全体が慄然と自らの出処進退を見極めている時期。
 人類に知らされた宇宙からの警告を身に宿す島、
大洋に浮かぶ孤島は穿たれた自身が又世界に対する挑戦状の場となった事を知っているのか知らないのか。
 風は穏やかに漣と遊び、男はそんな風景をぼんやりと眺めていた。

 其れより少し前。
 窓の横に十字をあしらった紋章―――其れを付けた黒い車が小高い丘の先へと走る。
 道は一つしかない。
 辿り着く場所も、其処しかない。
 乗る者を選ぶ豪奢な革張りのシート。
 車内の人間が誰かと知られぬ為の遮光用窓硝子。
 たった二人が座るには勿体ないと思える程、ゆったりとした広さの空間。
 重要職にある、そんな人間が使う筈の車で今己が運ばれているのだと分かれば現在の状況は痛烈な皮肉だ。
 癖の強い、少々長めの銀の髪。
 己が選んだ獲物と同じ色をした瞳。
 其の戦いたるや正に鬼神、古き良き東洋の剛胆な武人―――そう呼ばれた男が、
手首に残る感触を確かめながら外を眺めていると。
「…何年ぶりかな」
 不意に己の思考を途切れさせる声。
 路面から伝わる振動と、車の駆動音に紛れて己の耳朶を打った其の声には。
 低く、穏やかで、少しばかり感情の兆しがある。
 宇宙から地上へ降り立ち、単なる捕虜にしては好待遇過ぎる車に乗せられて、一体何処へ連れて行かれるのか。
声の主が今目の前に座っているという時点で、おおよそ答は想像が付く。
(何年ぶり…?)
 其の流れた月日を感じさせないお前の親しげな声は何だ。
 まるであの時と変わらない―――男は瞼を下ろしたまま低く呟く。
 緩やかに波打つ、長い金糸の髪。
 端正に整った顔立ちと、微笑を崩さぬ翠玉の王。
 軍門を司る一族の宗家にして長子、且つ貴族の振る舞いとも嗜みをも知り。
 会った時と変わらぬ態度でもって、今此の状態の己に接するお前の意図は何処かと。
 咄嗟に嘆息するべきではないと押し殺した声になる。
「……数える必要もあるまい」

『何故、俺を殺さない?』
『お前を殺すには惜しいという人物が居る』

 もし愛機から出てきた己に銃を突き付けながらそう言った青年の言葉通りならば。
 今、車が向かっている先にいるのは。
 だからこそ今更何の質問もすまいと考えていたのだが、
独り言とも取れるその呟きを受けて思わず重く閉ざしていた頑固な口を開く。
 尋ねるのも答えるのも愚かな会話をするつもりはないのであれば、黙っていればいいものを。
 わざわざ懐旧めいた問い掛けをするは何故かと。
 そう、返ってきたにべもない声音に青年は苦笑を浮かべ。
「仕方のない事か」
 矢張り独り言の様な言葉を零す。
 変わらない、初めて出逢った時から同じ雰囲気を纏って。
 あの頃よりも―――長い髪を揺らした。
 悠然とした構えの中にも軍人の面持ちで、きっと男の瞼に浮かぶ映像と同じ姿が、現実、眼前に存在している。
 不思議と言えば不思議だ。
 数日前までは恐らくこんな世界になるとは誰も予想していなかっただろう。
 若しくは、或る限られた人間のみが知っていたのだとしても。
 戦局の変化は凄まじく、其の原因たる乱世の王に会いに行くなどと。
 考えもしなかった。
「……」
「……」
 沈黙の間に視線を刹那交わす。
 新緑の瞳は感情の揺らぎを剰り見せないが故に、男には歯痒く思える。
 再会の挨拶に久闊を叙せよとでも言うのか。
 つい先程まで両手を鎖で固定されていた人間が?
 己を自ら捕縛しに来た人間が?
 敵対する者同士の中にも礼儀あり、とでも言うのか。
 恐らく己の部下――新しく入ってきた日本人の青年――なら、
『…気に食わん』とでも漏らすのだろう、若さが明瞭さを求める以上。
 とは言え、青年の悠長な振る舞いに付き合ってやる程己の愛想は良くない。
 元々愛想の良い人間でもないが。
 視線を交錯させた所で無駄だと、男は瞳を閉じた。
「……」
「……」
 かつての同僚――5年前に解散した部隊の仲間――が今は敵として相対しており、尚且つ己は囚われの身。
兵士が捕虜になった場合に取るべき、尤も正しい姿勢、即ち沈黙を頑迷に守り続けるその振る舞いを、評して。
 青年は緩やかに再び、口を開く。
「5年前と…何ら変わらんか」
「……」
「久方ぶりの再会も、此では喜べないのだろう―――素直でないからな、お前は」
「…!」
 男の瞼がぴくりと動き、隠されていた青鈍色の瞳が静かにゆっくりと青年を見据えた。
表面的な沈黙を一笑に付す様に、激しい意思を込められた其れは、
男が持つ独特の長い前髪の向こうで折れぬ剣を構えた。
 単なる揶揄だと知っている、分かっていても。
 下らぬ言い争いだと感じても。
「敵陣に囚われた者が素直になってどうすると?」
 ―――馬鹿な事をしている。
 そうは思っても降りかかった火の粉を眺めては居られない。
 好き勝手に推測をたてた挙げ句に己に決定権を与えない様は、
青年の言葉をそっくりそのまま本人に返す事が出来る。
似たもの同士なのだと昔、上官に言われたと思い出し、内心苦虫を噛み潰す。
「意固地を張るのではなく、もう少し器用に立ち回れと言っている」
「其れが出来れば、な」
 苦労はせん、と途中まで言いかけた口を再び閉じたのは青年のペースに巻き込まれる事を恐れた為。
 5年前と変わらない、つまり結局成長していないのだなと笑われては御免だ。
 思考をもう少し冷静に保ちたい。
(特に、敵であるお前には)
 敵になった、我が友よ。
「……」
 固く口を引き結び、最早何も語るまいという意思を示す。
 対峙する剣が、熾烈な攻めではなく堅牢な死守を選び取った事に対し。
 だからこそ余計に擽ってでも何か言わせてみたい気分になるのだ、と思っていても口には出さず、
表情には一切の色を見せない特技を持つ青年が次に来るであろう男の言葉を予測して暫しの時を待ち侘びる。
「…俺に何をさせたい?」
「我々は何をするべきだと思う?」
 唯その一言を待っていた―――発する言葉は何にせよ、再び口が開かれる其の瞬間を。
 質問と疑問がぶつかり合い、両者間の空気が硬直する。
 畳み掛ける様に続いて。
「ゼンガー、お前は分かっていた筈だ。だが…連邦軍にいる限りお前は決して動けはしない―――
…だから総帥の意向もあり、お前を此処へ連れてきた」
「!」
 出てきた言葉が直截でも比喩でもない、一つの真実を、事実を示した。
 台詞が終わると同時に、車の揺れが止まる。
 黒硝子の向こうには此の島を一望した景色。
 長いのか短いのか判然としない旅路も此処で終わり。
 つまり、此処が。
「エルザム、貴様…」
 予感が確信に変わった。
 分かっていた事を口に出そうとして、運転手の降りた気配を感じる。
 確認の為に、尋ねようとした口が。
「―――待っているよ、お前を」
「……」
 封じられる。
 視線も声も。
 青年の白い手袋が、しなやかに伸びた指先が、唇に触れた。
 唯其れだけ、なのに。
 悪戯な笑みを口元に彩りながら、囁く。
「Glueckwuensche dir,我が友よ…有意義な時間を」
「…大仰な」
 そもそも此処にいる事自体、此の状況自体が己にとっては皮肉以外の何物でもないと
苦々しく呟いた言葉にも青年は微笑み一つで返してきた。
 全てのタイミングを見計らって、刹那を贅沢に遣う。
 傲慢だが妙に律儀正しいと思ったのも束の間、ドアが開かれて微かに海の薫りを含んだ風が車内へと入ってくる。
 土の大地を踏み締めて、何も遮るものの無い光に瞳を細め。

「行くがいい」

 突然の言葉に振り向く。

「…お前は?」
「同席を許されていない」

 又迎えに来ると言い、青年は踵を返し車へと乗り込む。
 やがて男は歩き出した。
 屋敷の主人に会う為に。

***


 惑いの時は微かに、何らかの確信を伴っているものだ。


『マイヤー、彼の男は貴様に任せる』
『ああ』
 再び宇宙へと上る我が友のシャトルを見て、青年は其の輝きに目を細める。
 執務室での短い遣り取り。
 端的に示す、年齢の差。
 自身と親友が、同じ年月を積み重ねて、ああなれるとは思うまい。
(それとも)
 下世話な感想だったかと頭を振った。

***

『―――…話に聞いた通りの男だな』
 海は燦々たる太陽の輝きを反射し、風に揺れている。
 護衛の共も付けずに一人、屋敷のテラスで己を待ち構えていた人物が一言二言の会話で。
 不惑から知命の年齢を前に、壮年にして眼光鋭く己と約二倍の歳月を過ごしてきた筈の男は、
青鈍色をした瞳の中の戸惑いや躊躇いを見抜く。
 態度から分かる通り、此の男には迷いなど微塵も無い。
 そもあってはならないものなのだ。
 決して。
 此は一世一代の大勝負。
 負けても勝っても、地球の命運に変わりはないのだとふんで―――。
 己の思惑を余所に厳格な意思と峻烈な覚悟を垣間見せた。
 見せ付けた、と言うべきか。
『よく考えて、己の身の振り方を決めるが良い』
 敵の総帥にして稀代の天才、ビアン・ゾルダークはそう言うなり己に背を向けた。
 つまり、もう此以上何も此方から話す事はない、という合図。
 話しかけたくとも言葉が浮かばず、尋ねた所で無言が返ってくるのだろう―――
最早示すべきは言葉によってでは無く態度だと、恐らく此の男は言いたいのだ。
 招かれざる来訪者、捕虜にして最高待遇の客、
皮肉にもそんな状況に置かれた男――ゼンガー・ゾンボルト――は一礼の後に屋敷を離れた。
 人気のない空間、手入れはされている様でも此処で誰かが生活をしていると言った様子はない。
 何かそう言った特別な場所に、己が足を踏み入れたという一種の不安。
 確固たる違いをむざむざと教えられて僅かに悔いる。
(生来のものか、創り上げたのか)
 世界を煽るだけの指導者たり得る、と男は思った。
 テラスから部屋を通って廊下を歩き、玄関のドアを開けると。
「…!」
 いつから居たのか、既にあの黒の車が戻ってきている。
 己が座するべき後部席のドアの前に、若い士官らしき青年が姿勢正しく立っていて、此方に敬礼をしてきた。
 敵である人間に対して寛大な此の処遇を、彼は素直に受け入れられただろうか。
 それとも。
「エルザム少佐は基地でお待ちです」
「……。そうか」
 彼の息が掛かった者であれば態度に間違いはないだろう、然し。
 ―――そう言えと言ったのはまさかその本人ではあるまいな。
 己の心境を読み取ったかの様なタイミングと紡ぎ出された台詞に、
微かな意図的なものを感じながら逡巡の後、男も答礼をして車に乗り込む。
 往路とは全く異なった思惑が、車が動き出したと同時に始まった。
 とは言え、溜め息の一つもつきたくなる。
(捕虜たる人間を易々と基地まで運ぶとは)
 全く以て、己の全てを読まれている事に他ならない。

『ゼンガー、お前も分かっている筈だ』

 宇宙で別れたままの部下達は、今一体何処でどういう作戦に身を投じているのか考えながらも、
最早己の取るべき道が与えられてしまったからには申し訳なさなど押し殺して、一心に覚悟を纏うのみ。
 選び取ったのではなく用意されていた道だというのが、口惜しい部分でもあるのだが。
 男にとっては恐らくあの瞬間から運命が決められていた、と言う気さえする。
 運命、と言うのも気に入らないと言えば気に入らない。
(……)
 親友であるあの青年の掌に、乗せられている気分だ。
 開けるべきか開けざるべきか―――何と無しに内容に予想が付いていた其の電子映像は
ご丁寧にも名前を隠すことなく本人から送られてきたものだった。
 剰りにも堂々とし過ぎていて、だがこのタイミングを見計らったかのように、
己のメールボックスへ滑り込んできた点から考えても、既に準備は万端であるという意思表示で、
詰まる所己への宣戦布告――心積もりをしておけという――だったのではないかと勘繰ってしまう。
 恐らく、そうなのだろう。
 眉目秀麗な容姿に似合わず、実は悪戯好きの幼さを持ち合わせているのだと知ったのはいつ頃だったか。
 付き合いの深さとも長さとも付かない期間、同じ時を過ごした経験から言えば。
 彼なりの礼儀の通し方、ともとれる。
 ―――――但し、禍福は糾える縄の如く。
 ヒリュウ改との合流地点まで使用した輸送機で再度眺めた其れは。
 昔良く言われた言葉をそのまま繰り返された懐かしさと。
 こんな形で再会する事になった旧友への苦しみを含んでいた。
 心の何処かでこうなる事を分かっていた己と、其れを回避出来ないかと悩んでいた己。
 一つの身に在って二つの心が躊躇いを生ませるのだと知っていても、男にはどうしようもなかった。
 そして今。
 帰りが己一人のみであるという事は、此も用意された“歓迎”への道なのだろう。
 全ての準備を整えてから、彼らは己を罠に嵌めた。
 真実を見極める為に虜囚の身を甘んじて受ける―――そんな己を読んで。
 罠とも呼べない、強引で確実な誘い。
『考えろ』
(…言われずとも…)
 溜息が出そうになるのを堪え、眉間に皺を寄せる。
 脳内で反芻される彼の男の言葉に、思わず拳を握る力を強くした。
 勝つ為に。
 生き残る為に。
 最良の道は、今一番の選択は。
 混乱せずにとは難しい条件だが其れも致し方ない。
 ひた隠しにされてきた異星人という未知の恐怖を与えられた世界の混乱は、
DCの宣戦布告によってなされた連邦軍の瓦解以上に底知れぬ不安を人々に与えた筈だ。
 なまじ連邦軍が後手に回っている今、異星人から護ってくれるのであれば
民間人は連邦軍であろうともDCであろうとも受け入れてしまうのだろう。
 軍事力による、世界の統一。
 其の先にあるものは。
「……」
 ふと視線を上げ、座席に『思った通りだな』と笑う青年が居るような気分になり、複雑な面持ちで虚空を眺めた。
 流れた月日の中には今と変わらぬ彼の面影。
 だから不器用なのだ、お前はと。
 ―――帰りにお前が居なくて正解だったかもしれんな。
 男は思わずそうひとりごちる。

***

 同時刻、アイドネウス島DC本部にて。
 車を運転していた士官に『私は基地で待っていると伝えてくれ』とわざわざ伝言を頼んだ青年は、
一足先に帰着して中央司令室へと赴く。
 広々とした司令室を見渡し、馴染みのテンペスト少佐は周辺海域の警戒任務に当たっているのか、
若しくは総帥によって又他の別任務を与えられているのか―――其れは分からないがとりあえず姿は見当たらない。
 忙しなく動く兵達に聞くよりも先ず、アイドネウス島全域を映し出すモニターに目を走らせれば一目瞭然。
 テンペスト少佐率いる部隊の光点が哨戒任務のコードを持って動いている。
 ―――そうすると今は己がこの基地の全権を委任されている、という事になるのだ。
 暫し腕を組んで巨大モニターを眺める。
 相変わらず器の大きさというか懐の深さというのか、父を介して何年付き合おうとも
底知れぬカリスマ性と天下無類の天才性を見せ付けるあの人には驚かされる、と素直に思う。
 正面の巨大スクリーンとサブスクリーン、それからオペレーター達が座る画面には
リアルタイムで各地域の戦闘状況や結果報告、各国首脳陣の動きや反応、連邦軍上層部達の
スケジュール等々数え切れない程の情報が流れている。
 各部隊の中継も兼ねているオペレーターからは指示の声が飛んでいる傍ら、
静かにモニターを眺めては分析を担当する者も居るという忙しなさ。
 DCが世界中に対して宣戦布告を行ってから、分刻みで世界の地図は変化し、
状況が動き、戦火の拡大で人々が死んでいく。
理解していた筈の“戦争”という罪が、これからもずっと重たく自身に降りかかってくるのだという事は否めない。
(………)
 視界の端に父の姿を見つけ、青年は僅かながらに面持ちを硬くした。
 幼い頃より変わらぬ、父への畏怖と尊敬。
 自分たちが創り出した状況とはいえ、其れを背負う覚悟の大きさ。
 正に、感嘆の意を表すのみ。
 DCの宣戦布告終了と同時に宇宙ステーション・コルムナを始めとする連邦軍の“眼”を掌握、
兼ねてから準備していた計画によって制宙権を完全に奪い取ってしまった後に、
コロニー統合軍総司令として―――マイヤー・V・ブランシュタインの名の下にDCへの完全協力を表明する。
 此は同時にコロニーすらも戦場になるという意思表示で、
地上を含めた地球圏という考え方を人類統一のものとして再認識させる為でもあった。
 無論、コロニーには一切の戦火を及ぼさせる事はない。
 連邦軍も其処までは愚かではあるまい、が、先例が無い事は無い。
 妻と娘の復讐の為に、立ち上がる鬼が此処には居るのだから。
 総司令の言葉を受けて各コロニーからも意向が次々と発表される―――予定調和の内と知りつつも、
至って鮮やかな手法と連邦軍、連邦政府に対するプレッシャー。
 死に行く人間の覚悟か。
 もしくは。
(今までの歳月と同じ時間を繰り返した時に)
 自分は父と同じだけの人間になっているだろうかと、想像してみる。
 そして其の重責を担う事が出来たのか、と。
 今や世界中の人々がコロニー統合軍までもが敵に回った事を知ったのだ、地上のメディアにも同じく。
 死者を自ら創り出すという咎。
 人々の望まぬ戦争を生み出した罪。
 後の歴史がどのように自分たちを裁くのは分からない、だがあの二人の覚悟は決して無駄にしてはならないのだ。
 背負うべきは自分たち、残された者の役目。
 序で、もう一つの父から託された想い。
 剰り口にはしないものの、父も自身と恐らくは同じ事を考えているだろう。
 即ち。
(ライディース、我が弟よ…父の思惑を読めぬ程、お前は愚かでは無いだろう―――…覚悟は出来たか?
嘗ての親族に刃を向ける為に、自らの確固たる意思を示す覚悟が)
 “あの事件”以来、父と自身の下を去っていった弟を思い出す。
 もうすぐ戦火を交える事になる、肉親の顔を。
 凶鳥の事故も聞いた。
 生きている事を、幸運と呼ぶのか悪運と呼ぶのか、其れは本人次第であるけれども。
 あれから回復出来たのだろうか、左手と共に自らが喪ったものを。
 戦う意思。
 生きる意思。
 ―――愚かな兄だと、お前は笑うのかどうか…。
 ふと、コロニー関係のニュース画面が切り替わり、今度は地上戦でのニュース映像が流れ出した。
 其れと同時に青年の思考も徐々に切り替わっていく。
 数年ぶりに再会を果たした、我が親友の事に。
(今頃は)
 総帥が親友の説得を試みているだろう。
『貴様がそれ程までに拘る相手ならば、一度会っておきたい』
 戯れかとも思える一言。
 だが最も確実な手法でもある。
 頑迷に己の意思を貫く男であっても、この地球圏最大の危機に際して総帥の意思が分からぬ程、
連邦軍で飼い慣らされたという事もあるまい。
 曲がりなりにもあの特殊戦技教導隊で――連邦軍からの――同期代表を務めたのだから。
 本人の得手不得手はどうも前線指揮官、というよりも先陣を切り開く体質が合っているようなので
5年前の状況とは又変わっているかも知れないが、
だが捕虜の辱めを敢えて受けている現在の状況から考えても―――恐らく。
(必ずお前は)
「エルザム少佐!」
 青年は自身の思考を、外側から断ち切った声のする方へと視線を向ける。
「日本地区、連邦軍佐世保基地にて動きがありました」
「詳細は?」
 名を呼んだオペレーターが示す画面を見ると、大量の人員名簿と物資運送許可証、
其れに実際基地のゲートをくぐり抜けていく大型コンテナ運搬用トラックの映像が並列で映し出された。
その他、親DC派からの情報も流れてきている。
 いつの時代にも、強気へ流れる輩はいるものだと思うが、今はそんな批判をしている場合ではない。
 情報担当部署の士官が一口に状況把握の為の報告を行う。
「グルンガストを始めとして、試作型PTなど人型機動兵器が多数運び込まれている他、
大がかりな人事異動が行われた模様です」
「…動き出したか、レイカー・ランドルフ…」
 日本地区伊豆基地司令にして、元シロガネ艦長ダイテツ・ミナセの親友、
怠惰な連邦軍にあって最も油断のならない相手。
 現に、今も後手に回ってしまっている連邦軍とて、
一矢を報いる事が出来ると言わんばかりの作戦を円滑に速やかに行って見せた其の手腕。
 根回しといい人員配置といい、見事である。
 そして此の一連の情報が指し示すのは矢張り、あの二番艦について。
 シロガネに続くスペース・ノア級戦艦が、今彼処には眠っており、まもなく起動させられるという事だ。
「どうしますか?」
「―――ひとまず総帥の帰りを待って判断を仰ぐ、新しい情報が入り次第教えてくれ」
「了解しました」
 青年の緊張した面持ちと、総帥の判断を仰ぐという言葉に、
何かが起きようとしているのだと気付いたオペレーターは興奮さめやらぬまま、再び画面へと向き直った。
 と、同時に。
「!」
 司令室のドアが開く音が聞こえ、振り向き其処へ男の姿を見つける。
 纏う雰囲気が――依然として武人らしい緊迫感に満ちていても――あの屋敷へ行く前と後では、
随分と変わっている事に思わず笑みを浮かべ。
 さてどんな言葉をかけるべきか、どんな言葉が出てくるのか。
 其の次の一言を愉しみに、青年は男の名を呼んだ。
 不覚にも緊張が緩み。

「ゼンガー」

***

 此を何と呼ぶのかは知らない。
 緩やかで、心地良い空気。
 誰の遮りも無く、唯素直に意思疎通の出来る事。
 澱み知らずの大切な時間。

 ―――――時よ止まれ、お前は美しい。

 それしきの言葉で自らの存在意義を捨てる程、時は優しくない。
 非情に。
 慈愛に。
 満ち足りて、今此処に在る。
 時は、廻り逢う。

<了>

   writing by みみみ

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