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【 生誕 】 |
「寒い、な…」
男はそうひとりごちた。
大地の冷えが煉瓦で囲まれたこの家にも静かに歩み寄っている。
壁の向こうは既に銀世界、駆ける風が頬をさしていく気温。
持っていた本から栞を抜き、隣の親友に視線を移す。
「……」
「君は確か冬生まれではなかったか?」
親友は少し不思議そうな表情でそう尋ねてきた。
「確かに」
しかし寒いものは寒いのだ、と続けて言えば親友は緩やかに微笑む。
発する言葉は何も無いものの、緑の瞳の奥底には苦笑の色が見てとれる。
「君は―――君の生まれた日について聞いた事は?」
「…残念ながら父も母もすぐにいなくなってしまったからな…」
細めた銀の瞳には懐旧の情念。
朧気になりつつある記憶から父母の表情を思い出す。
しかしそれでも途切れ途切れになりながら、確かな輪郭は浮かばない。
幼年時代の記憶が殆ど無いのは、突然訪れた別れを理解するのに時間がかかったせいだろうか。
「…だが俺は幸運だったな」
父の知り合いという流れで、その時から世話になっている剣の師――リシュウ・トウゴウ顧問――は、
何よりも人生の師であり父同然だった。
だからこそ、別段両親不在の事実について気にする事もなく今までを生きてきた。
極端な話、この身はどうなっていたか解らないのだ。
路上生活をしていたのか、闇の世界に身を堕としたのか。
まずは20を数える年まで生きていなかったかもしれない……そう考えてしまう。
それを思えば今の状況は幸せだろう。
こうしてかけがえのない多くの者に出逢い、同じ時を過ごしているだけで。
「リシュウ先生がいてくれただけで俺には充分だ。
―――勿論、ついでに俺の生まれた日について、知る事ができれば僥倖だが…」
無理な話だと、言おうとした。
だが不意に親友が立ち上がったのを契機に続く言葉は無く。
「――29年前の今日も同じような天気だった」
「…!?」
窓辺へと近づき、薄布のカーテンを開く。
室内に差し込んだ陽光に、思わず手で光を遮る。
夏と比べれば大分優しい光の重さ。
微睡むにはぴったりの。
「冬は地上に眠りをもたらす。来るべき春に備え、世界はまるで時を止める。
…だが、色を無くしたあの日にあって唯一違っていたのは」
細い指だ、と常々思う。
ゆっくりと己に触れた手は冷たい。
何故、と。
不意にそう思った。
「君が、生まれてきた事だ」
「……」
「君のご両親には―――新しい年の始まりとともに、一足早く春が来たのだな」
本当に僅かばかりの笑みを浮かべている親友の瞳を覗いてみても、己に心情ははかれないことは理解している。
親友の目に在るのは森の色。
時々まるで若葉の様に鮮やかに光ったかと思えば、色濃く静かな威圧感さえ感じさせる深い色。
己の頬が熱いのか、親友の指先が冷えてしまっているのか。
それも分からぬままに男がその手に己の手を重ねて瞼を下ろす。
浮かべる情景は薄れた記憶の中にいる両親たち。
産声をこれでもかとばかりに大きくあげる我が子を見て、一体何と言ったのか。
「…春、か…」
「昔、東洋ではこの1月からを春と数えた。君はそういう意味では春生まれになる」
幼児たちに童話を読む母親のような優しい声音。
そのまま眠りへと誘う心地よい響き。
瞼で両親が己の名を呼ぶ。
描き出された幻想であっても、両親たちが笑っていればいい、
その後すぐに別れる事になろうとも――霞む視界、掴むことの出来ない記憶の中で。
両親たちの最後の表情は必死に我が子を助けようとする危機迫る形相。
事故だった。
意識はなかったが、一度だけうっすらと開けた目は両親がずっと叫ぶ姿を確認している。
結局生存者は自分のみ。
後々その事故の様子を聞かされても、想うことは少なかった。
幼い頃の思考は、それを単なる事実としてのみ受け入れるようにしたらしい。
今もその認識は変わらない。
ただ悲しいとは想うのだ。
あまりにも少ない思い出の中、想う限りは笑顔の二人であって欲しい。
「―――そうだな」
男が親友の言葉に返事をしたのは大分間が開いてからだった。
返事をしてから、内心遅かったかもしれないと考えたのは性分だから仕方がないとしても。
「そしてここからが私の本題だ」
「?」
男はとうに手を離したが、親友は尚も頬に手を触れている。
やがてもう片方の頬をも親友は――相も変わらず何故か冷たい――手で包み、唇を重ねる。
暫くの間の後。
「――…Herzlichen Glueckwunsch zum Geburtstag,Sanger.」
「………tja…Danke dir,Elzam.」
またしても妙に間が空いてしまったのは親友の奇襲作戦が成功したからなのか、それとも?
男はぎこちなくしかし柔らかな笑みを浮かべてそれに応えた。
<了>
writing by みみみ
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