各会計決算特別委員会94年5月13日
東京港用地を臨海に奪われた問題を問う
◯曽根委員 私は、東京港のあり方について、都民の生活と消費を支える物流の拠点として東京港が今後どのように発展をしていくか、この都民本位の発展を願う立場から、平成四年度を含めて、この間の港湾事業の経過の中で私たちが問題点として指摘してきたこと、また新たな課題などについて、幾つか質問させていただきます。
最初に、全国の主要な港の中での東京港の位置という問題なんですが、過去三年間の貨物取扱量の推移の中で、他の主要港と比べた場合、東京港はどの辺の位置にあるのか、その点を聞きたいと思うんです。
◯久保田港営部長 東京港におきます取扱貨物量は、平成三年には約八千四百万トンでございましたが、平成四年度は前年比三%減の八千二百万トン、平成五年は前年比一〇%減の約七千四百万トンとなってございます。これは、いずれの年も国内主要港の中で、神戸、名古屋、横浜、北九州、大阪に次ぐ取扱貨物量でございます。 なお、コンテナ貨物につきまして申し上げますと、東京港は平成三年、四年とも、神戸、横浜に次いで第三位でございましたが、平成五年は、神戸、横浜、名古屋に次いで第四位となっております。
◯曽根委員 取扱貨物量全体で見ますと、この三年間、主要港の中では第六位という位置で変わらないんですが、製品貨物というんでしょうか、外国からの輸入や国内移入、こういうものの中心であるコンテナ貨物についていうと、それまで第三位であったのが、平成五年、前の年よりも一〇%程度大きく減らしたために、第四位に下がっているという状況なわけですね。
それで、このように平成三年までは貨物量は順調にふえ続けていたものが、四年、そしてさらに五年と、大きく減らしてきた主な原因というのはどういうふうに考えていますか。
◯久保田港営部長 東京港の取扱貨物量の減少の原因は、最近の国内経済の低迷がございます。これに加えまして、さらに大井コンテナふ頭を利用しておりましたデンマークのコンテナ船社マースクラインが、横浜港に移転したことが大きく影響していると考えております。
◯曽根委員 最初に答弁された国内経済の低迷というのは、私は、東京港に関して余り理由にはならないんじゃないかと思うんです。というのは、平成四年から五年にかけて、確かに景気は全体としては低迷しているんですが、東京港以外の六大港のうち、ほかの五港については、大方前年度のレベルを維持しておりますし、コンテナ貨物についていえば、むしろ各港とも前年を三%から一〇%以上上回って、四年から五年にかけてコンテナ貨物量をふやしているわけですね。それに対して東京港は、平成四年から五年に、コンテナ貨物で比べると八一・六%に落ちている。これはやっぱり後のお答えにあったように、マースクラインが横浜に移転したということが決定的な理由だというふうに思うんです。
ただ、そのマースクラインが移ったということの背景に、私は東京港の抱えているいろんな問題があるというふうに思うんで、その辺の事情も少しお聞きしたいんですが、マースクラインとしても、これまでかなり長い間東京港を使ってきたわけで、移転をするというのは並み大抵のことではないというふうに思うんですが、なぜ移転をしなければならなかったのか。何か横浜によほど魅力があったのか、その辺の原因は何でしょうか。
◯久保田港営部長 マースクラインは、近年、五万トン級、コンテナ四千個積み、船の長さ三百メートルという大型船を次々と投入してまいりまして、東京港の利用バースでございました大井コンテナふ頭第三バースは、岸壁延長二百五十メートルでございますので、これらの大型船を受け入れることができなかったことが同船社の横浜港移転につながった、こういう理由でなったと考えております。
◯曽根委員 マースクラインが移ったのは四年度に移ったわけで、五年度に減っているんですが、青海の大型のコンテナふ頭が完成して、もう間もなくオープンするというのがわかっていて、当然そちらに移るというような話も検討はあったと思うんですが、青海の方を使うのではなくて横浜の方に移っていった。
そういう点では、単に大型のふ頭がないというだけじゃなくて、いわば東京港の今後の方向といいますか、将来性についてマースクラインの方にも不安があったんではないか。例えば、青海を使って、物流ですから、その後当然道路が整備されていなければならない。
しかし、北の湾岸道路は有料道路であって、しかもそこにはオフィス街が今度新たに臨海副都心でできてくる。港湾機能からいうと、北にオフィス街がどんとできますと、そういう意味じゃ、かなりそれ独自の交通量もふえるということで、そういったこともいろいろ考えた上での、私は採算性をやっぱり重視しての移転だったというふうに考えざるを得ないと思うんです。
それで、いずれにしても、この大型のコンテナふ頭、それから、いろんなほかにも国内の移入などにも使うようなコンテナふ頭は、今後も港湾計画の上からいって整備をしていく必要があると思うんですが、現在、港湾事業として使える岸壁というのは、臨海副都心が大きく進出した関係で、ほとんど完成した岸壁ではもう見当たらないと思うんですが、新たにはどこに求めていくことになりますか。
◯中村港湾整備部長 今後のコンテナふ頭の整備のあり方といいますか、将来の計画についてのお尋ねでございますが、コンテナ化率がこれからも伸展するであろうと予測されます。また、先ほどお話が出ましたように、コンテナ船の大型化も一層進むと予測されます。また、生活物資や種苗品等の輸入も増加いたします。こういったことに対応するために、将来は、中央防波堤の外側とか新海面処分場、こういったところに新たにコンテナふ頭を整備する必要があると考えております。
現在、これらのことにつきましては、東京港の長期構想等につきまして、港湾審議会において検討をしていただいているところでございまして、その報告を待って、次期の改訂計画で計画を図るなど適切に対処してまいります。
◯曽根委員 本当ならば、新たに今後つくっていかざるを得ないというか、いこうとしている中央防波堤外側処分場、さらに、まだできていない新海面処分場、この辺は一体いつごろになったら整備をされる見通しなのかというのをお聞きしたいんですが、港湾審議会の答申がまだ出てませんので、お答えがいただけないということなので……。
私は港湾関係は素人ですけれども、中央防波堤外側処分場のその一地区ですか、ここは建設関係の土砂や、それからしゅんせつ土砂などを埋めておりますので、これが完成して、その後ふ頭の整備が始まって、バースが完成して供用が開始されるということを考えてみても、まあ少なく見ても十年近くはかからざるを得ないだろうというふうに思うんです。さらに、外側の新海面処分場は、海面処分場そのものがまだできていないわけですから、これはさらに遠い未来、先になるだろう。
そうしますと、新たなコンテナふ頭をつくるのに、これから先十年間は期間があいてしまう、ブランクができてしまうということで、またまたこのコンテナ化におくれるんじゃないかという危惧は当然持たれると思うんですが、そのブランクはどういうふうに埋められると考えていますか。
◯中村港湾整備部長 お話しのように、中央防波堤の外側の埋立地や新海面処分場、そこにコンテナふ頭を新たに整備しますには、地盤条件からも相当の時間が必要と考えられます。その間のコンテナ船の大型化等に対して、私どもは、大井のコンテナふ頭の再整備等をすることにより対応したい、こういうふうに考えております。
◯曽根委員 実際はそういうふうにならざるを得ないと思うんですよね。大井の現在のふ頭を、大型船も着けるような調整をしていくと。それにしても、現在あるものを一回業務をとめるなど、いろんなことが起きてくる関係で、なかなか大きな発展は難しい。
私たちは、いわゆるコンテナ船の大型化にとにかく対応することを最優先にして、大型コンテナふ頭を中心に優先してつくっていくというやり方に対しては、異議があるわけなんです。むしろ、東京港のこれからの発展というのは、大型船対応というのも当然あるでしょうけれども、都民の生活と消費を、特に消費物資、生活物資を支えていくという物流の拠点、そういう点でいえば、国内移入、内貿ふ頭の整備など、もっと小物も含めた総合的な発展というのを考えていくべきじゃないかというふうに思っているわけです。
しかし、それにしても、この間の港湾事業の時代の進展に対して、東京港の事業が極めておくれをとっているというふうに、今の一件からも思わざるを得ないんですね。
大井ふ頭というのは、私が聞いたところによると、全国で初めて大型のバースを横に並べて、かなり総延長の長いバースをつくることによって、コンテナ化にいち早く対応したというふうに聞いているんですが、その大井ふ頭が完成したのは、供用開始が昭和五十年。それから昭和六十年に青海に一カ所できていますが、青海のバースが四カ所完成するのが平成八年というふうにお聞きしていますので、二十年以上その間があいているわけですね。その間にほかの港でも次々と建設が進んでしまう。
そういう問題の背景に、私は、この二十年間に、港湾計画上、港として本来使うはずだったものを、港の施設ではなくて都市機能に切りかえていったという事情があって、その分、港の施設の整備がおくれてきたんじゃないかというふうに思えてならないんです。例えば、今回四カ所つくっている青海のふ頭ですね、これは、もともとこの青海地区を埋め立てたときにはどういう埋立目的で免許を申請して、それがいつ臨海副都心北側を使うというふうに変更されたのか、その点をお聞きします。
◯中村港湾整備部長 青海地区の航路側といいますか、西側の方の土地利用は、第四次計画ではふ頭用地でございました。それを臨海副都心用地に一部変更したのは、昭和六十三年七月の第五次改訂港湾計画でございます。
◯曽根委員 この青海ふ頭の西側の直線の岸壁は、差し渡しが二千メートルあるわけですね。ですから、これを本当にふ頭に全面的に活用できれば、少なく見ても、大型ふ頭をつくったとしても六バースぐらいはとれる。そのうち三分の一が、今お話のあった第四次から第五次の港湾計画の改定の段階で、臨海副都心に切りかえるということによって四バースになってしまった。
しかも、その切りかわった前の段階では、これは公式の資料は出ていませんけれども、港湾局の中では、いろんな形での多目的なふ頭の利用、いろんな需要にこたえられるような活用法というのは検討されていたと聞いています。結局は、結果としては、北側臨海副都心、南側は四バースすべて大型のコンテナ用ふ頭にならざるを得なかったということなんですね。
私は、副都心開発が大規模に、しかも一遍につくり過ぎたということによって、開発そのもの――基本的なコンセプトに我々は反対していますが、開発の規模や、余りにも急ぎ過ぎたということから、非常に都の負担や赤字を大きくしてきたということを再三指摘しました。
地理的に見ても、この青海まで南側に臨海副都心を進出させたことが港湾機能を著しく阻害したんじゃないかというふうに思えてならないんですが、港湾事業を担当する部局としてこんなことをどうして認めたのか。
これがなければ、青海は全面的に港湾として生かせたんじゃないかというふうに思えてならないんですが、この点いかがでしょうか。
◯中村港湾整備部長 仮定のお話でございますが、臨海副都心開発が行われなければ、十三号地その一にコンテナふ頭を建設することは可能であったと思われます。しかしながら、東京の一極集中型の都市構造を多心型都市構造に転換するなどの必要性から、臨海副都心開発を計画したものでございます。
◯曽根委員 この計画の変更のときに、私も知らなかったんですが、第四次の計画、つまり昭和六十三年の計画までは、この青海と台場地区を、要するに用途を分けるという点でここに水路が入る計画だったわけですね。埋め立てたときは水路はなかったらしいんですが、水路を入れて、隣の十号地、現在内貿ふ頭などに使っていますが、ここと同じように島状にするという形で使うはずだったものが、臨海副都心ができた関係で、この水路をやめて、このように台場地区と地続きになった。
これは港湾の専門の立場の方に聞くと、水路がなくなったことが、港湾施設として極めて使いにくいというふうなご意見をお聞きしたんですが、こういう点で、どうしてこの水路をやめてわざわざ地続きにしなければならなかったのか、その点もあわせてお聞きします。
◯中村港湾整備部長 水路を埋めることについてのお話でございますけれども、第五次の改訂計画のときに臨海副都心の計画が一体的にこの計画の中に組み入れられたわけでございますが、そのときの考え方は、多様な機能を持ちました臨海副都心を一体的に開発する、また土地の有効利用を図る観点から、まとまりのある地形といいますか、そういうことにする必要があったために、十三号地その一とその二の間の運河を埋めることにした、こういうふうに承知しております。
◯曽根委員 明らかに、港湾局としては将来的に港湾機能の立場から考えていた水路計画も、結局は北側からの副都心計画によって埋められ、市街地に、オフィス街にするのは、そこをつなげなきゃならないということから、臨海副都心優先でこういうふうな形にされてしまったということじゃないかと思うんです。
今度この青海地区に税関などの国の施設が移転をしてくるというような話があるそうですが、この点はどのようになっていますか。
◯西澤開発部長 税関のお話でございますが、東京税関ほかでございますが、国の合同庁舎の用地、これは大体一万平米というふうに考えておりますが、これをどうしても臨海副都心の中に取得をしたいというふうなことが国の方からかねて要望をされてございます。
この国の合同庁舎、これがこの臨海副都心の中に建設をされるということになりますと、臨海副都心の地域に公共施設が充実されるということはもちろんでございますけれども、港湾施設の利便性ということも大分向上をする、したがいまして、私どもにとっては大変好ましいことであるというふうに考えまして、青海地区にぜひ立地をしていただきたいというふうに考えたわけでございます。
国は、平成六年度中に取得をしたいというふうに希望をしてございますので、私どもとしても、現在、今年度中に処分をするということについて検討しているところでございます。
◯曽根委員 この国の税関その他の施設は、臨海副都心地域の中に、売却で国が土地を取得してつくるわけですけれども、実際の機能、役割というのは臨海副都心とは別のもので、直接的な港湾のための施設ですよね。
しかも、お聞きしたところでは、税関の船が、こういうふ頭が集まっているところをどんどん行き来して、いろんな船の検疫その他業務に当たる上で、この青海地区の北側の水路があれば、その隣の十号地の方にすぐに抜けられるのに、この水路がなくなって青海が地続きになったために、隣の十号地、それから有明地区の方に回るためには、わざわざ青海ふ頭の南側を回り込んで、中央防波堤の方の埋立地の間の水路を通っていかなきゃならない。南側をぐるっと回らなきゃならないという形になっているわけで、こういう点でも港湾の施設として、わざわざ税関の機能もここに移るわけですけれども、また支障が出るんじゃないかなというふうに思わざるを得ないんです。
このように、青海地区一つをとっても、第四次から第五次への港湾計画の変更の段階で、大きく東京港の将来構想といいますか、将来の発展の流れというのが、私は遮られたといわざるを得ないんですね。
これは青海地区に限らず、ほかの地域も、それまで港湾施設として埋め立てられてきたものが、臨海副都心に切りかえる段階で相当大きな変更をやっていると思うんです。お聞きしたところでは、湾岸道路が臨海副都心地域のちょうど中心を東西に通っているわけですが、それまでの計画では、湾岸道路の南側は全面的に港湾施設として埋め立てをし、また基本的にその方向で考えていたというふうに聞いていますが、この点についていかがでしょうか。
◯中村港湾整備部長 第四次の時点での湾岸道路から南側の土地利用でございますけれども、先生お申し越しのように、ふ頭用地等の港湾機能用地、または港湾関連用地が多うございます。また、一部工業用地、都市機能用地等が入っております。
◯曽根委員 ごく一部都市機能も入っていますが、大部分港湾施設用地ですよね。そのうち大体これが湾岸道路を境にして、臨海開発の四百四十八ヘクタールのちょうど半分ずつに分かれるぐらいですから、二百数十ヘクタール分が港湾施設用地から都市機能用地とか、その他交通用地とか、もろもろに臨海副都心の計画が入ったときに変更をしているわけですね。変更の手続をそれぞれ細かくされて、第五次の計画となっていると思うんです。
本来であれば、この湾岸道路、確かに有料道路でその点での欠点はありますけれども、道路に面して南側全域を港湾施設としてもし使ったならば、青海地区、十号地、有明地区と、こういう南側にある港湾施設が直接道路に面して、いろんな形でこれからの東京港の発展に活用できる二百数十ヘクタールだったんではないか。これが副都心に、オフィス街に全部切りかわっていくということによって、この東京港の港湾の機能というのが全く支障がないといえるのか、私は大きな可能性をそがれたのじゃないかと思えてならないんですが、この点はいかがですか。
◯中村港湾整備部長 湾岸道路から南側に臨海副都心が来ることによって、港湾機能の阻害になるのではないかというお尋ねでございますが、今回の第五次の改定によりまして、副都心計画を一部ふ頭用地を割いて組み入れたということにつきましては、港湾計画上の整合を図りながら、将来の開発予定のために保留してあったふ頭用地の一部を転換して、副都心地域としたものでございます。また、道路交通から申しますと、臨海副都心という一つの大きな交通発生源がございますので、そのための車のふくそうというのは十分考えられます。
そこで、計画に当たりましては、レインボーブリッジを初め、湾岸アンダー、そして青海縦貫から来る右折立体、こういったものの充実を図りまして、港湾の物流の機能が阻害されないような工夫をしているところでございます。
◯曽根委員 今、将来の使い方が保留されていた用地なんだ、そこを転用したんだというお話がありました。確かに、港をめぐるいろんな物流の事情というのは、この間いろいろ変わってきましたよね。鉄鋼が前はかなり多くなりそうだったのが、その後落ち込んだとか、いろいろあったと思います。
しかし、港の役割、港湾の役割としてこれからどういうものがふえていくのか、その時代の流れにどういうふうに対応していくのかという点で見ますと、今のように大型のコンテナの量がふえるだけのこれからの発展というふうにはなかなか考えにくいと私は思うんです。むしろ資源を大量に消費している今の経済的なスタイルが変わって、もっと資源をリサイクルする循環型の消費というのを考えていかなきゃならないし、また必ずそうなるであろう。そうしたときに、コンテナ輸送について今大量の廃棄物が出ますよね、そのことの処理を含めた、また分別をやらなきゃならない場合も出てくるだろうし、そうしたいろんなものに使える用地として、私は将来的にいろんなことができるような用地として、ここは確保していくということが当然必要だったんじゃないかというふうに思うんです。
一回都市を、オフィス街をつくってしまえば、これはもうどう考えたって、もとに戻りませんから、港湾の施設としては使い道がないわけですが、しかし、こういうところを本当に将来に備えて、東京の物流を支えるだけじゃなくて、今は消費段階でいろんなものをつくっていますけれども、供給の段階で循環やリサイクル、省資源を考えていくためのスペースとしての活用というのも、私はあったんじゃないかというふうに思えるんです。これからでもそういう方向は当然考えていかなきゃならないだろうというふうに思います。
そういう点では、臨海副都心がこれだけ広い土地を使って、大変な赤字を出して、七兆円の収入予定が現在一兆円ラインまで落ち込むだろうというふうにいわれているような事態を生んだこととあわせて、東京港の港湾の設備の未来として、私は大変残念だというふうにいわざるを得ません。
それから、湾岸道路の北側の地域、ここは港湾局などでも、いろいろ将来的には文化施設というんでしょうか、そういうようなものも含めたことを考えておられたようですが、その点、この副都心計画が浮上するまではどのような湾岸道路北側の計画になっていたのか、それが副都心によってどのように変化をしたのか、その点もお聞きします。
◯中村港湾整備部長 副都心が計画される前の第四次の改訂港湾計画のときの湾岸道路から北側の使い方でございますけれども、一九八一年に策定されました第四次の改訂港湾計画におきましては、十三号その一の湾岸道路の北側は、東京港のシンボルゾーンとしまして、国際会議場、国際展示場、文化芸術施設などから成ります国際交流ゾーンと、博物館や水族館などから成ります文化ゾーン、こういったものが計画されておりました。
そこで、臨海副都心の計画との比較でございますが、臨海副都心につきましては、湾岸道路から北側につきましては、暮らしを楽しむにぎわいのまちというキャッチフレーズで、お台場海浜公園を取り込みながら、ハイセンスな高層住宅やホテル、ショッピング街がつながるにぎわいのまちと、こういう位置づけにしております。
◯曽根委員 ここは東京港の中でちょうど中心的な場所になりますし、お台場海浜公園というのが、埋立地を活用した施設の中では、ある意味では最も好評といいますか、ウインドサーフィンなどが普及してきた中で、ここは非常にそれに適している。
西風が吹いて、航路の方にサーファーたちが出ないような適切な風が吹いているというんですか、そういう点で非常に好評を博している施設があり、それから、またそのためのスペースもかなりあったということで、いろんな夢を描ける場所だったというふうに思うんですが、副都心でいうと、ここが住宅街、ショッピング街などで、にぎわいのまちという位置づけになった。
私は、港として東京港のシンボルゾーンというのであれば、やはりもっと文化施設などを中心にした、都民が気軽に海辺に親しむためのいろんな施設というのが考えられたんじゃないかというふうに思うんです。
それとあわせて、このお台場海浜公園が臨海副都心の工事中ということで、平成八年まで事実上ほとんど利用できなくなっている。もう少し工事を控えて使わせようというような発想がどうしてできないのか、ここのところが大変疑問なんですが、そういうところに臨海副都心の開発の、とにかくスケジュールを優先させるという考え方が本当に端的にあらわれていると思うんですね。今からでもこのお台場海浜公園について、陸路でここに入って無料で使えるというふうに都民に対して開放できるようにならないものでしょうか。この点をあわせてお聞きします。
◯西澤開発部長 お台場海浜公園の陸側からの一部ご利用を制限をさせていただいているという点でございますが、ご案内のとおり、お台場海浜公園は平成五年度以降、公園の再整備工事、これをかなり大規模にやろうという計画になっておりまして、事実平成五年度からその再整備の工事を行っております。それからまた、その周辺部におきましては、共同溝の工事でございますとか、新交通システムの工事、あるいは都道の工事、こういったものがふくそうして進められております。
したがいまして、お台場の陸側からの公園の利用者にご入園をいただくということは、利用者の安全を確保するという見地からいえば、大変危険が大きいというようなことがございまして、昨年の四月から、台場の陸域側から入園をしていただくのは制限をさせていただいたという経緯があるわけでございまして、これは、お台場地区を中心とした周辺の工事が平成八年の三月ぐらいまでは続くというふうに見込んでおりますので、この間はご不便をおかけをするということになるわけでございますけれども、海上公園の再整備工事もその主要な制限の理由でございまして、この再整備工事が完了いたしますれば、この公園が都民の皆さんに一層親しみやすく、なおかつ周辺の環境と十分調和のとれた公園になるということで進めておるわけでございますので、そこらのご不便につきましては、ご理解、ご協力をいただきたいというふうに考えているわけでございます。
なお、付言して申し上げますと、このお台場海浜公園、これは公園の区域の全部が利用できないということではございませんで、危険の少ない水域の部分でございますとか、海浜に近い部分、これにつきましては開放してございます。ただ、ご入園をいただくためには、海上バスあるいはレインボーブリッジの遊歩道によるご利用以外にちょっと道がないということでご不便をおかけをしているということでございます。
なお、ちなみに申し上げますと、昨年四月から陸域からのご利用を制限をさせていただいておりますが、平生の四月、五月、六月、七月の前半ぐらいまでは確かに入場される方が激減をしておりましたけれども、夏休みの期間中は一部臨時の通路をお台場側から設けましたし、八月の二十六日からはレインボーブリッジが開通をいたしまして、レインボーブリッジを通ってご利用いただけるという道が開けましたので、まだ今までと同じような利用というわけにはいきませんけれども、かなり利用される方々の数がおかげさまでふえているということで、都民の皆さんにご利用をいただいているというふうに考えております。
◯曽根委員 じゃ、利用者はと聞きたいところですが、これは、埋立事業会計で公営企業会計の決算じゃないと、これ以上立ち入った質問はできないそうなんですが、しかし、その一部利用の制限といいますが、一部の利用じゃなくて大部分の利用が制限されているんですよね。
この間も「新東京丸」で、この各会計決算で台場公園を外側から見ましたけれども、ほとんど人の気配はなかったですよ。それから、サーファーも海にはいませんでした。ちょっと天候が悪かったせいもあるかもしれませんが。それにしても、この地域でいえば一番好評な施設、都民が非常に喜んで利用していた施設をつぶさなければ工事ができない、それでも強行してしまうというところに、私は臨海副都心のやり方というのがそのままあらわれているというふうに思うんですよ。現実にそうですから。
先ほど申し上げましたように、東京港のあり方として、大型コンテナ船対応一本やりというやり方には我々は賛成しかねる。やはり一千万都民を背後に抱えている、そういう生活と消費の場に直結した港として、当然それを支えていく――災害時などを想定すれば、本当に港に確保されている食料などで、そういうときには応急の支えもできるくらいのものを役割として考えなければならないだろうというふうに思うんです。
そういう点では、総合的な東京港の発展を願う立場からも、このど真ん中を臨海副都心にとられてしまい、港湾の施設の区域はもうほとんどない、ごみ処分場の上に何かをつくるといっても、下がごみですから、施設建設その他は難しいということで、せいぜい端をふ頭に使うぐらいのことしか、ちょっと今の段階では考えにくいと思いますね。
そういう点で、今後の東京港の発展、臨海副都心の進出というのが非常に大きな阻害になっているということと、しかし、それでもなおかつこれからの港の発展を考えれば、極力こうした都民の期待にこたえる公的な役割を果たせるような港湾施設、港湾用地の確保に努力をしなければならないだろうというふうに思います。
その点を最後に指摘して私の質問を終わります。