2003年9月30日文教委員会の質疑
性教育など養護学校への調査介入・処分の不当性を追及 教育現場の奮闘を足蹴にする最悪のやりかただ! ○曽根委員 私からも、都立盲・聾・養護学校経営調査委員会の報告について、出されている問題ほぼ全般にわたって質問したいと思います。 最初に、性教育の問題について。 私は、この問題、つまり学校現場での教育、とりわけ授業の内容そのものにかかわる問題が議会で批判され、それを受けて、教育庁の調査、そして処分という七月二日以来の一連の経過を通じまして、議会での教育論議のあり方、また教育行政のあり方を、改めて厳しく問い直さざるを得ませんでした。 学校教育の中心的な中身、すなわち、授業をつかさどるのは一人一人の教師であります。 しかもそれは、わざわざ法律の中で、不当な支配に服することなく直接国民に対して責任を持つこととされており、教育行政は教育諸条件の整備を任務とすることが明記されております。したがって、私は、この委員会で、教育庁がこの原則に従って今回の問題に対処したのか、そして事実は正確に確認されているのか、これらの点を中心にただしておきたいと思います。 最初にお聞きしますが、七月二日に、教育庁は七生の性教育が不適切と答弁いたしました。いつそれを判断したのか、理由と根拠は何か教えてください。 ○近藤指導部長 都立七生養護学校で行われておりました「からだうた」の内容につきましては、都議会議員より指摘を受け、校長からの報告により、六月二十三日に学習指導要領や障害の程度、発達段階の配慮を欠いて使用されている教材であると判断をいたしました。 また、都立七生養護学校における性教育につきましては、校長の報告から、学習指導要領や児童生徒の発達段階を踏まえない性教育の実態が明らかになったため、性教育の指導計画の作成状況等を把握するとともに、七月九日には、全教員を対象として性教育の実施状況についての聞き取りを実施いたしました。 その後、七生養護学校の性教育で使用されていた教材、教具等を調査し、学習指導要領や障害の程度、発達段階を踏まえない教材、教具等を経営調査委員会に報告をし、そこに示したわけでございます。 ○曽根委員 六月中の段階で七生の性教育が不適切であるという判断が出ていたのであれば、七月九日以降、七生に三十人以上の指導主事を派遣して個別の聞き取りまで行った、その目的は何ですか。 ○近藤指導部長 六月の段階では、「からだうた」の教材のみについて判断をしたわけでございます。その後、校長からの報告等によりまして、七生養護学校の性教育についてはさまざまほかにも課題があるということで調査をしたわけでございます。 ○曽根委員 この個別の聞き取りというのが、およそ指導主事にふさわしくないやり方がとられたということ、私たちも七月中に七生の先生方のところを訪ねて幾つかの証言をいただきました。 指導主事二人が質問と記録を分担し、教員一人一人を呼び出して、記録はもちろん反論も質問も一切禁止をし、また質問の仕方についても、調査用紙には、不適切な性教育をしましたかという趣旨の質問項目が書いてあって、しかし読み上げるときは、性教育をしましたかと質問する。 本人が回答の後で調査用紙に確認の印を押させられたときに、初めて質問の頭に「不適切な」という文字がついていたことに気がついて、そこを消させたという話も教員の方からありました。 このようなやり方を通じて、聞き取りの中では、大多数の教員の方が決して不適切な授業内容ではないということを主張したというふうに聞いていますが、これを聞いて教育委員会の評価は変わったんでしょうか。 ○近藤指導部長 聞き取りにおきましては、大勢の教員が七生養護学校でやっている性教育については自信を持ってやっていると答えてございました。 しかしながら、私どもが先ほど申し上げました三つの要件等から照らし合わせましたとき、不適切な教材等も多くあったと考えております。 ○曽根委員 最初から評価は不適切と決まっていて終始一貢変わっておりません。そしてそのまま結局は九月に、授業した教員は厳重注意というふうになりました。本人が納得しないまま厳重注意ということにして、教材も取り上げ、授業をやめさせるというのは、これが果たして指導主事のやることなのか、都の教育委員会のやるべき態度なのかということを、私本当に心から疑問に思います。 それで、そこまで厳しい対応をする上で、どこまで事実を押さえていたのかをお聞きします。「からだうた」については、例えば、子どもに歌わせたとか、低学年まで一律に使っていたことが問題とされていますが、実際は、教員が授業の最初に、心と体の教育内容に入るということを、気持ちの上で子どもたちに、何といいますか、気持ちを切りかえさせるために一緒に歌って聞かせていたということや、一律の授業ではなく、低学年の授業は、年に二回しかないそうですけれども、性器の名称は年齢を考慮して別の名前を使っていたなどの証言を七月に伺ったときに先生たちから聞きました。 指導部は、どのようにこの授業の内容についての事実を確認したんでしょうか。 ○近藤指導部長 授業等の確認でございますが、平成十一年度から十五年度まで、性教育の授業を記録したビデオ、百二十三本を視聴いたしまして、そこから判断したものでございます。 また、この「からだうた」につきましては、ぺニス、ワギナといった歌詞が使われているわけでございますが、これは小学校四年生の段階で使用する用語でございます。 ○曽根委員 この「からだうた」についても、それを使っている授業のビデオ、すべて見たんですか。 ○近藤指導部長 百二十三本、担当の者はすべてを見ましたが、私が見ましたのは、「からだうた」 を歌って指導しているビデオ一本でございます。 ○曽根委員 実際に授業を行った先生方は、子どもたちの発達段階やまた年齢に応じて、歌の文句についてもいろいろ工夫をしたりして使っているというふうに証言しています。 指導部長はビデオを全部見たわけじゃないようですけれども、特に低年齢の子どもまで一律に使っているというふうに決めつけて、これに対して、さっきいったように事実上評価も変えず厳重注意という処分を行う、これは私は都の教育委員会の姿勢として極めて不当だと思います。 私は、だれがその授業を適切かどうかと(評価するかと)いう問題は後でいいますけれども、問題は、やっぱり教育庁の指導部が間接的な校長からの報告や、またビデオなど、実際の授業を直接見るのではない判断の仕方をした、ここに大きな問題があると思います。 授業を行った教員は、例えば人形の問題もありましたが、人形については名前をつけ、人格があるかのように丁寧に扱い、一マスコミ報道のように、下半身だけ下着をずり下げて寝かせるような展示は絶対にしないということや、男性性器の模型は、障害児が初めての精通が大きなショックとなることから、そういう体験から、それが大人への一歩なんだということを知的発達に応じてわかりやすく理解させるために限定して使っていたこと、また性器のついた下着は、男子トイレで立って小用ができるようにするための訓練であり、それぞれそういう正当な目的を持っているのであってそのために工夫を重ねてつくって きたものだ、だからこそ、それを使った授業を見ないで不適切と決めつけるのはひどいと話していました。 私は、もう少し客観的に見て、専門的な立場から意見を聞きたいと思い、ことし、校長の研修会でも講演されました学芸大学の加瀬進先生に会ってお話を聞きました。 彼は、障害児の性教育を基礎づけたといわれる大井先生という方の後継ぎとして京都から来られたそうですが、そのとき、最初に七生養護学校を訪ねて、自分の教え子の学生たちを連れていったそうですが、授業や教材も見せてもらったが、自分はもちろん、そういう教材を見るのが初めての学芸大の学生たちも、決して報道されているようなアダルトショップなどの印象は持たなかったと語っていました。 また、生物や人体の模型というのは、一般には異様な形に見えても、ある限定した教育のために必要な目的でつくられた教材であり、例えば、助産士の教育のためにつくられた胎児の月齢ごとのリアルな人形など具体例を挙げていただきました。 そして、何よりも知的発達が体の発達に追いつかず、施設の中や家族との間で性のトラブルを起こしやすい障害児にとって、性教育を発達に応じ理解できる方法を工夫する必要があること、文字や絵画ではわかりにくいが、本物の人体を使うわけにはいかない中で、人形や具体的な形の教材が必要になる。 そして具体的な授業について、すべて自分も個々の実践と意見が同じわけではないが、もし意見の遣いや批判があれば、こうした授業の交流を通じて助言や指導を行うべきであり、いささかでも権力的に押さえつけるようなことがあってはならない問題だとも語っておられました。 私も、性教育に限らず、教員にとってまさに教育活動の最高の場である授業の中身については、たとえ都教委として不適切だと判断しても、教員の実践を尊重する立場から、授業の内容に即して、相手に納得されるような指導助言をすべきだと考えます。それが、授業さえ見もせず、教員の主張にも全く耳を貸さない姿勢では、およそ話にならないではありませんか。指導部としてそれが当然のやり方だと考えているんでしょうか。 ○近藤指導部長 今回、指導等いたしましたのは、学習指導要領や発達段階を明らかに踏まえていないという視点のみについて指導したわけでございます。 先ほど申し上げました「からだうた」を小学部の低学年で一律に歌わせることの問題点、さらには出産シーン等を直接ビデオで見せる問題点、さらには、校長の了承を得ることなく、学校の実践例を一般紙に掲載したこと、以上でございます。 ○曽根委員 それでは、都教委にそういういい分があれば、授業を見ないで個別に取り締まるみたいなことをして、教材を取り上げ、一方的に厳重注意という乱暴なやり方でも、指導として許されているんでしょうか。とんでもないことです。 私は、現在理事を務めておられます斎藤さんが執筆者、監修者ですか、指導に加わっております、三年前出たようですけれども、新しい指導主事の職務という本を読ましていただきました。ここには、指導主事というのはどういう仕事をするのかがかなり詳しく書かれており、いわば指導主事の方の手引きだと思います。 そこには、指導主事の役割は、自分自身の経験と多くの学校の授業参観で得た授業の望ましいあり方に基づいて、教師の授業でのつまずきを発見し、よかったことは褒め、マイナス面をきちんと指摘し、どこをどう改めると子どもたちの理解が深まるかを具体的に指導し、このことを通して教師を励まし意欲を喚起することであろうとしまして、そのためには次の心構えが必要だということで、事前に学習指導案を入手し、計画段階での授業吟味を行い、授業参観での観点を紋り、指導助言すべき内容の要点を絞る。 また、よい授業に対する多様な考え方があることも身につけておく。そして、指導主事自身の価値観を押しつけてはならないことなどが書かれており、最後に、一人一人の教師を励まし、意欲的にさせるためには、やはり人間性のにじみ出た指導助言のあり方が重要であるとしています。 この当然のことがこの間の七生の性教育に対する調査や、それから最終的には、教員のいい分、主張を何ら考慮することなく厳重注意ということが行われたことは、まさにこの指導主事の職務の書かれている原則から逸脱している以外の何ものでもないと思います。 しかも、都教委の報告書は、教育内容の事実を把握していないだけでなく、七生でなぜ性教育の全校的取り組みが始まり、どのように発展させてきたかを、全くこの報告書では無視していることも問題だと思います。 先ほどもご質問がありましたから省略しますが、七生では、既に何年も前に、施設の中で、ある知的障害の女の子が、相手がそのときだけ優しくしてくれるからという理由で、意味もわからず性交渉を繰り返していたことが発見されたのをきっかけに、障害児だからこそ性問題の被害者、加害者にならないために、どうしても発達に応じた性教育が必要だという痛切な反省に立って、学校そるみの対策が始まったと聞いております。 以来、長い積み上げの中で、教員が学校全体で相談して取り組んでいること、父母に対して、授業の数日前には授業の目的や方法を知らせ、要望意見を集め、父母からは、我が子はまだ早いなどの要望が出れば、尊重して別メニューにする、事後にも子どもの変化に気づいたことを連絡し合うなど、実にきめ細かいカリキュラムが確立してきており、父母はもちろんですが、これまで多くの見学者からも高い評価を得ているものであります。 この専門家からも評価されるような七生の性教育、私、率直にいいまして、全国津々浦々探しても、障害児教育の、性教育の方法の点でも、教員のひとりよがりや行き過ぎの起こりにくい最もすそれた方法ではないか。七生以上にすそれた性教育の実践データは一体あるのかというふうに思いますが、いかがでしょうか。 ○近藤指導部長 七生養護学校が性教育を取り組むことになったきっかけについては切実なものがあるということについては、私どもも認識をしているわけでございます。 しかしながら、そうした切実な思いの中から性教育が始まったとしても、やはり学習指導要領や発達段階を踏まえた指導を行うということが学校教育の常であると考えております。 ○曽根委員 そこまで専門家のようなことをおっしゃいますが、障害児の性教育というのはまだ全く模索の段階だと思うんです。だからこそ、すぐた実践から学ぶことが大切ではないでしょうか。内容も方法も父母や専門家から高く評価されている七生の授業、性教育の授業を、都教委だけがなぜそのように批判できるのか、私は不思議です。 最近、私たちの会派のところに、七生の父母の保護者の方から実名でお手紙をいただきました。ここには、教員の人たちだけではなく、保護者の意見も都の教育委員会、耳を貸していないということが切々と語られています。 これまでに三回全校保護者会が開かれましたが、十分に当事者の意見や思いを聞いていただいたとはとても思えません。語られた多くの保護者の意見は、文科省への報告にも、また報告書にも反映されていないと訴えています。 この方は、かなり前から七生の性教育、子どもさんを通じて体験をしているようですけれども、それが始まるまでは、悩みを抱えた親たちが仲間で語り合い、自分たちでお金を出し合って勉強会を開いてきた、しかし母親たちの努力には限界があった、学枚でき.ちんと授業の中で取り組まれることになったときは本当によかったと思った、他校の保護者からもうらやましがられることもあり、誇りに思っていたと書いています。 授業の事前事後の連絡、先生たちとの密接な連携、その中で、例えば、心が傷つけられた子どもから、僕はどうして生まれてきてしまったのかという話があったときに、それじゃその子の命が生まれる体験をさせてやろうということで、大きな袋をつくって生まれる体験をさしてあげたと。 この袋に、都の教育委員会は、膣つき子宮内体験袋という悪意ある仰々しい名前をつけたのはどうしてなのか、理解に苦しむというようなことも書いてあります。そして最後に、今回のような一方的なやり方には何らの客観性も感じられず、多くの保護者が疑問を感じている、一目でも早く今までのような子どもたち中心の学校に戻してくださるようお願いいたしますと結ばれています。 私は、こうした保護者の方々の声こそ、無視したり握りつぶすことなく、きちんと指導の中に反映させるべきだと思います。 今まで、つい最近まで、都の教育委員会は何一つ七生の実践にクレームをつけてきませんでした。 授業も見ず、しゃくし定規の解釈で不適切と判定するようなそういうやり方で、これから具体的な指導書などをつくることは、私は、本当に実態に合わないものになる危険性が極めて高いといわざるを得ないと思います。 性教育を後退させるような指導や手引きをつくることはあってはならないということを、厳しく申し上げておきたいと思います。 さて、今回、具体的教育内容が初めて本格的な調査と処分の対象となりました。報告書、その後の九月十一日に出された処分についての私たちへの通知には、処分事由の中に教育内容についてとあり、校長が学校教育の管理を適切に行っていなかったため、学習指導要領等を踏まえない性教育が実施される事態を招いた、これは処分事由に入っています。 実際には、「厳重注意」というのは公式な処分じゃないそうですが、(処分された)七生の前校長の処分理由に、この性教育の中身についての処分事由は入っているんでしょうか。 ○臼井人事部長 処分の公表につきましては、懲戒処分の場合のみ、氏名、学校名を公表しておりまして、懲戒免職以外の個人を特定して、処分の内容等お話しすることはできません。 ○曽根委員 これは非常に重大な問題です。なぜなら、教育の中心的な中身である授業の内容について、もし処分の対象になるとすれば、これはまさに教育基本法でも厳重に指摘をされている、教育内容に対するいわば教育行政からの介入になるからなんです。 したがって、この間魅は重大なので、本当に七生の前校長に対する処分の中に、理由として性教育の監督ができなかった校長の・・・我々にはちゃんとこれ、七生の前校長しか対象者がいないにもかかわらず、ちゃんと文章で報告いただいているんで、それが入っているんだとすれば、この報告は事実の通りなんですが、入っていなかったとすれば、これ、我々に対する、これ自体が錯誤ということになりますが、いかがですか。 ○臼井人事部長 先ほど申し上げた通り、懲戒免職処分以外は、氏名、学校等を公表しておりません。 ただ、一般論を申し上げますと、学習指導要領を踏まえない教育が実施されていたと仮定した場合、その具休的行為が地方公務員法二十九条の懲戒事由に該当する場合には、法的に処分することも可能であると考えております。 ○曽根委員 私は、率直にいって、この問題についてはお聞きしましたが、聞いたところ、処分理由には入っていないというふうに聞いています。 それは、個人にかかわることはそちらからいえないそうですけれども、私たちの報告書には、処分事由の第一に教育内容について掲げ、しかも対象者は七生の前校長しかいない、明らかにこれは前校長としての職務、学習指導要領等を踏まえない性教育が実施される事態を招いたという、このことについて処分をしましたという報告であるにもかかわらず、本人に対する処分事由の説明にはなぜこれが入らないんですか。 ○臼井人事部長 教育内容についてのお尋ねでございますけれども、教育内容についての処分事由でございますが、今回の処分につきましては、校長が学校教育の管理を適切に行っていなかったため、結果として学習指導要領等を踏まえない性教育が実施される事態を招いたことである、このように私どもは認識しております。 ○曽根委員 これは、不当な処分ということで法的な争いになれば、大きな教育行政上の問題になります。 法的に争った場合に、負ける可能性が強いので入れなかったんじゃないんですか。 ○臼井人事部長 再度ご答弁申し上げますけれども、今回の処分は、校長が学校教育の管理を適切に行っていなかったため、結果として、学習指導要領等を踏まえない性教育が実施される事態を招いた、このように認識しております。 ○曽根委員 我々議会やそれから世間に対しては、いかにも教育内容で厳しい処分を行ったような文書を発表しておいて、法的争いは巧妙に避けようとする、これこそ本当に姑息な態度だと思います。 我が党は、教育行政に携わる教育委員会や議会は、あくまで学校を初め教育現場の諸条件を充実させることに全力を尽すのが使命であり、教育の実践に対して押さえつけたり、あれこれ文句をいうのは厳に戒めなければならないことだと考えております。 この原則を事実上投げ捨てるような教育庁の姿勢、父母教育関係者の厳しい批判は免れないということを指摘しておきます。 次に、学級編制の不適正が指摘され、また処分が行われた問題で質問します。 報告書の四ページには、一般論としてですが、学級の三つの必要条件を指導してきたとあります。つまり、学級を定め、担任を定め、そして教室を定めることです。これは、普通学級にしろ、重度重複学級にしろ、必ず決められた担任が決まった学級と教室で一日じゆう指導すべきということですか。 ○山際学務部長 学級において一日じゆうというようなお尋ねでございますが、一日じゆうというふうなことではございません。必要に応じて、学習上の指導について別の方法でやることもこれは可能である、このように考えております。 ○曽根委員 これはほかの方からも質問があって、つまり、学級としての指導は一日じゅうやらなければならないという部分ではなく、その障害児の発達や個別の課題に応じて、さまざまな学習グループや指導課題を持った別の編制での授業や指導はあり得るということですよね。 私は、名前の挙がった学校について個別に調べてみました。 久我山盲学校では、この春、小学部で重度重複が六名だったところに、一人重度重複児が入学をしてきた。六名では二クラスですが、三クラスを申請したが認められず、かといって小学校一年の子どもを普通学級には入れないので、かわりに小学校六年の女の子が普通学級に入るという形で届け出が出されました。 その際、学務部は、日常の指導は重度重複で行ってよいというふうにいったと聞いています。 その子は、中学で重度重複学級に戻れるからあと一年だけだということで、実際の指導は重度のクラスで一緒に指導していた。これが突然不適正とされ校長が処分されました。 認定学級として最低限の形が必要だと指導されて、今その子は、朝と帰りの会だけ普通学級に行かせています。本人は全盲で知的障害が重く、教室の移動も大変だし、普通学級の会では、先生の詰も理解できず、指導上何の意味もない時間になっているというふうにお聞きしました。 七生養護学校は、中学と高等部の重度重複学級の子どもが、先ほどもちょっと話がありましたが、重い情緒障害のために、同じクラスでは子ども同士が反発し合って指導が困難なため、それぞれ中学部と高等部の普通学級に一人ずつ先生がついて、加わって日常の指導を受けていたことが、認定学級でクラス数が少ないと指摘されました。ここでも、子どもの状態と指導の仕方は、もともと報告していたにもかかわらず、学務部は今になって学級での指導をやっているはずだと思っていたと説明したそうです。 今は、やっぱり朝と帰りだけ、とにかく喧嘩しないように短時間学級会やっているそうですが、教室もまたそのために急遽小さい教室をカーテンで仕切って使っているそうです。 父母からは、どうしてわざわざ短時間だけそんなことをするのかといわれていると聞きました。 先ほど、七生については、重度重複の発生率はほかと変わらないんじゃないかというお話がありましたが、七生養護学校は、七生福祉園という障害児の施設が近接しており、ここからの子どもたちが多いために、一般の知的障害児の養護学校よりも重度重複が高いというのは、そのことも理由があると思います。 それから、江東養護学校、高等部の改修がようやく実現したところですが、小学部が入学児がどんどんふえて、ついに大き目の教室を三つとか四つに分割しなければならなくなり、カーテンで仕切ったものの、とても授業にならないため、実際は一緒のグループとして指導していました。 今回指摘されて、二学期からとりあえず真ん中に両側から机で押さえるべ二ヤ板を立てています。こういう状態です。(写真を示す) 教室の真ん中にべニヤを立てて応急的に二つに分けて使っているんです。 しかし、机と本箱で挟んでいるだけですから大変危険だし、またカーテンには子どもたちが絡みついたりして、いたずらして危ないので、急遽このべニヤのつい立ては壁にすることにしたそうです。しかし、それでも二つに割った部屋を、さらにまたカーテンでそれぞれ二つに分割して四クラスにするわけですが、うち二クラスは出入り口がなくなるということでした。 板橋養護学校は、高等部のみの学校ですが、一年で重度重複を認められた三学級を二学級で、二年では二学級を一学級で指導していました。 これは、生徒の状態から見れば、重度重複を少人数で三クラスや二クラスにするよりも、一つのグループにして、二クラス分の教員で指導した方が効果的であること、また、重度と認定されていないが普通学級での指導が困難な生徒を重度のクラスで一緒に指導したこと、さらには、決定学級分の教室が足りずカーテンで仕切ることになるが、高等部ではとても無理があることなどからそうしていたそうです。 これも指導を受けて、父母会で校長先生が説明しましたが、父母からは、学年途中のクラスがえは不安だという声が相次いだそうです。校長も年度途中のクラス編制がえは影響が大きいことを重く受けとめているが、決まりどおり指導を求められているのでやむを得ないという話をしたそうです。 肢体不自由校の村山養護では、決定学級どおりの朝の会をやるためには二重三重に難しさがあって、いまだに実施できていません。 それは、村山養護が医療ケアを必要なほどの重度の子どもが五十八人中二十九人いるそうですが、学務から認められた重度重複学級はこうした実態と別に決まっているために、医療ケアを要するのに普通学級に入れざるを得ない子どもが八人もいて、実際は、発達に応じて学習グループを組んで日常指導してきた んですが、これを決定学級どおりにするとなれば、ある医療ケアを要する子どもを指導できる・・・医療ケアができる教員というの.は決まっていますので、その組み合わせがあって、短時間の朝の会というのも、今までの決定学級では不可能だということになり、決定学級の学級編制をかえることになったそうです。 さらに、この肢体不自由の子どもたちは、スクールバスで一時間以上もかかってくれば、状態を落ち着かせるために一定の時間がかかります。しかも、スクールバスには耐えられない重度の子は保護者が車で連れてくるわけですが、到着時間に幅があるため、一斉にそろって朝の会を行おうとすれば大変な時間がかかる。 そこで、今考えているのは、スクールバスが到着した時点で朝の会を行って、その後に到着する子どもは、会が終わっているので、直接学習グループに入ってもらうのが現実的ではないかということ。しかし、それでは学級としてまとめる意味がないじゃないかという声は当然あります。 私、一つ一つの学校を調べてみて、どの学校の話を聞いても、決定された学級でたとえ短時間でも朝と帰りに集めて会を行うこと、これが都教委の指導ですが、それ自体大変な手間と負担を子どもと教員にかけた上、教室もカーテンで仕切るだけ、向こうの学級の声が聞こえてしまい非常にやりにくい、これまでより指導上の効果があるとは到底思えないわけなんですが、これで本当に是正されたといえるんでしょうか。 ○山際学務部長 先ほどもお答えいたしましたが、学級は学校の教育活動の基礎的な集団でございまして、その指導は、一日の一定時間は必要なものでございます。そういう中で、指導の場面においては、グループ活動など、児童生徒の障害の状態に応じた指導を行うことは必要なことと考えているところでございます。 現在、各学校において適正化について進めているところでございまして、重度重複学級設置の意義をその中で実現しっある、このように認識しております。 ○曽根委員 そういう答弁で、指導すればできるなどという甘い状態でないということは、今、例えば村山養護学校のようなケースなど、これは本当に大変なことになります。 で、都教委の立場というのは、大半の時間は障害児の実情に合わせて指導をしていい、しかし、朝と帰りだけは学級制度に障害児を合わせさせろということですか。 ○山際学務部長 私どもといたしまして、繰り返しになりますが、学級は学校の教育活動の基礎的な集団でございまして、そこでの指導は、一日の一定時間必要なものであるというふうにお答え申し上げました。この一定時間については、相当程度の時間で過ごすということもありますし、また、お話しのように、朝の時間あるいは帰りの時間、あるいは給食の時間ともに過ごす、そういう形態もあり得ると思います。 ○曽根委員 先ほど具体例をいってもうおわかりのとおりだと思いますが、それが指導上、障害児にとって何の効果が上がらないどころか、むしろ弊害になるということがあったとしても、それをやらなきゃならないんですか。 ○山際学務部長 学級の意義につきましては、学校の教育活動が継続的、日常的に行われる、学級は基礎的な単位集団でございまして、毎日の学習の、あるいは生活のよりどころでございまして、毎日一定時間は学級として活動あるいは指導が必要である、このように考えております。 なおかつ、学級については、教育課程の編制など学校運営の基礎で、さらには教職員配置あるいは校内予算配賦の基礎でございます。そういう点から、教育的意義あるいは学校経営上からいっても学級は非常に意義のあるもので、このように考えています。 ○曽根委員 そこまでおっしゃるとすれば、私は、今、養護学校、とりわけ知的養護などで、重度重複の障害児の実態にふさわしい学級の数と担任の教員を配置しなければ、また教室を整備しなければならないはずだと思います。 我が党は、昨年の第四回定例会でも質問しましたけれども、この間十年間で、先ほどの資料で見ても、七百人ぐらいの養護学校の児童生徒がふえているにもかかわらず、学校ははとんどふえていない、知的養護学校だけでも(重度の子が)四年間で四百人以上ふえているんですが、一学級もふやしていません。 現実は、学級の数をふやせないので、多くの学校で重度重複児が普通学級に所属した編制にならざるを得ないわけであります。 私が聞いた学枚では、もし重度重複が実態どおり認められて、学級と担任が配置されれば、その学級単位にした指導を子どもたちに理解させながら行うことは可能になるだろうということを話しておられました。 来年以降、すべての重度重複児にふさわしい学級と教員が配置できるよう全力を尽すべきだと思います。 また、必要な教室の整備と養護学校の増設を急そことが本来のこの問題の解決の道ではないかと思いますが、いかがですか。 ○山際学務部長 今後の重度重複学級の増設に関してでございますけれども、私ども、今後の重度重複学級の編制につきましては、児童生徒数の推移及び障害の状態等を十分に把握して、適切に対応してまいります。 ○曽根委員 本来の解決の手だて、つまり教育条件の整備を、実際上はこの問いろいろあっても進んでこなかった事態の中で、一方的に現場の先生方のやり方が遵法だということで、違反だということで、そこにしわ寄せをするということは、私、許されないと思います。 服務問題についてお聞きします。 服務問題では、不適正とされた中心は、調整休のとり方の問題でした。この問題でも名前の挙がった七生、江東、村山、城南、それぞれの学校の実情を調べてみました。 その結果、最大の問題は、どの養護学校でも行われており、在学児童生徒にとって学校生活で最も楽しい時間である宿泊学習、この宿泊学習で勤務した教員の時間外勤務時間を調整するための休暇が、この報告書でも四項目の中に認められているにもかかわらず、実際にはほとんどとれないという実態にあることがわかってきました。 つまり、修学旅行の超過勤務時間の調整は、四週間かけて休暇をとれるので、どうにか調整はつくとしても、宿泊学習の場合、修学旅行と同じく小学部では一泊、中学では二泊、高等部では三泊四日もあるにもかかわらず、その宿泊の日を含めた二週間以内に調整休を消化することになっているそうです。 すると、例えば、三泊四日の泊まり学習であれば、二週間で十日の勤務時間のうち、泊まり学習に使った四日を除き、わずか残り六日間の間に約二十時間以上、つまり三日分の休みをとらなければ消化できません。宿泊学習に行った学年の先生が、その後の六日間で三日分ずつ休んだら養護学校は維持できませ ん。結局、二週間以上かけてさまざまな理由で休みを認めている実態があるということでした。それでも実際はとれるはずの三日分や中学なら二日分の、半分かそれ以下しか休みはとれないということをお聞きしました。 養護学校の子どもの実態や教員のぎりぎりの体制では、実際には二週間ではとても休みをとり切れないと思いますが、本来、どう調整すべきと考えますか。 ○臼井人事部長 宿泊を伴う学校行事の取り扱いでございますが、昭和四十七年三月に現行条例を制定した際に、同年二月に職員団体とこの調整措置について協議をしましたけれども、調整措置は可能な限り早く実施すべきであるという合意をしたことを踏まえまして、行事を実施した週のうちか、遅くとも翌週には調整することとし、修学旅行については実施した週を含めて四週のうちに調整することとしたものでございます。 ○曽根委員 教員の組合からは、毎年調整休がとれないという実態は、訴えがあるというふうに聞いています。これを放置しておいて、かつて昭和四十七年ですか、制度をつくつたときに、教員組合の主張があったからということで、その後三十年ぐらいにわたってこのままにしてきた。 すると、特別措置法で辛うじて認められ、ほかの分野もいっぱい残業はあるけれども、実際には四%の調整給には入れられるということで認められていない。 わずかに認められたこの宿泊学習行事の調整休もとり切れず、週四十時間を超えて超過勤務させられている実態があっても、しようがないということですか。 ○臼井人事部長 教員の勤務には、自主的、自発的取り組みが求められる面があり、超過勤務手当制度になじまないために、教員の勤務を包括的に評価し、給料の四%を教職調整額として支給しているところでございます。 ○曽根委員 そんなことわかっていますよ。そういう制度があるにもかかわらず、しかしなおかつ修学旅行や宿泊学習は余りにも超過時間が長い。もう完全に拘束されますから、だからこの四項目に認められているわけですよね。 これ、わずか四項目しかないんですよ、教員に認められているというのは。しかも一般の学校では修学旅行よりも長い宿泊学習なんてないんですよ。だから養護学校に特有の行事なんです。高等部で三泊四日ですよ。ですから、私は、こういう問題の実態を放置して、しかし決まりだからということで教員の側を処分するということのやり方が、非常に問題があると思います。 村山養護では、宿泊をしなかった教員に勤務時間の調整をしたというふうに報告されていますが、私の調査では、やはり校内の宿泊学習のときに、重度重複の子どもたちの夕食と朝食を、一人一人に合わせてすりつぶしたり再加工をするために、通常の給食時間並に人手が必要なため、夜間や早朝の一定の時間だけ応援の勤務に入った教員の勤務時間を調整したというものです。学枚行事に関する業務四項目の一つに当たらないのか。 むしろ当たらないのであれば、都が実態を認めて調整給の対象に加えるべきでありませんか。 ○臼井人事部長 束京都教育委員会は、調整措置につきましては、拘束時間に勤務の割り振りによる調整の余地のない修学旅行など、宿泊を伴う行事等、極めて限定的に認めておるところでございます。 今ご案内の、校内宿泊行事についてどうかということでございますけれども、超過勤務につきましては、修学旅行など、今申し上げた宿泊を伴う行事等、極めて限定的に命ぜられるものでございまして、こうした場合のみ調整措置を認めているものでございます。 したがいまして、校内宿泊等で宿泊を行っていない教員には、超過勤務を命ずる余地はなく、調整措置の対象とならないと考えております。 ○曽根委員 それでは、この教員は、もし必要だということで宿泊すれば、調整給の対象になるわけですよね。しかし考えてみれば、教員の手が必要な時間というのは限定されているわけで、それ以外の時間、もちろんいた方がいいに決まっているけれども、しかしぎりぎりの人数でやらなきやならないということから、泊まりはしていないわけですよね、夜間だけ行って。 そういう、いわば能率的、効率的な働き方をしているから、逆にいうと認められないというのは、私はちょっと理不尽だと思う。 これは実態をきちんと把握して、都が認めれば、場合によっては独自に手当をしなきやならないことかもしれませんが、私は認めるべきだと思います。 城南養護は、やはり泊まりの学習に参加した看護士の勤務時間を調整したら違反とされたものです。 実際は、この方の勤務の状況をお聞きしましたが、三日間泊まりの学習があって、何人もの重度の子のたんの吸引や体温測定、投薬、看護と、記録を見ますと、三日間で三十分ほどの睡眠を断続的に数回とれただけです。 しかし規定では宿直扱いで、夜間の勤務は認められていません。私は、これは、勤務実態があるのに勤務時間と認めていないケースであって、実態と乖離していると思います。これは勤務と認める方策はないんでしょうか。 ○臼井人事部長 都立学校の看護士でございますが、これはほかの行政系の看護士と同じ取り扱いですけれども、正規の勤務時間は、通常の教員と異なりまして、通常の教員は一週間で四十時間というふうになっていますけれども、看護士は四週間を超えない期間について、一週間当たり四十時間となるように割り振ることとされております。宿泊を伴う学校行事における勤務時間の割り振りは、宿泊目については十二時間の正規の勤務時間を割り振りまして、同一の四週間の割り振り期間内に、宿泊日と同じ日数分だけ正規の勤務時間を四時間とすることによって調整をするというふうになっております。 この措置は、正規の勤務時間の割り振りであることから、教員に認められている、いわゆる調整措置とは異なるものでございます。二日間以上十二時間の正規の勤務時間を割り振られた日が生ずる場合、一日勤務しない日を設けるといった扱いは認められておりません。 ○曽根委員 看護士さんなしには泊まり学習はできないものであって、教員と同じか、もしくはそれ以上にどうしても不可欠の存在です。 同じ仕事をしていながら教員は認められるが、どうして看護士さんは四時間分しか、丸一日泊り込みで仕事をしても四時間しか認められないのか、私は、本当に実態を反映していない制度だと思います。 私は、おととしになると思いますが、府中病院でお医者さんが三十二時間連続勤務を実際上やっているという問題で、立川の労基署から厳しい勧告、是正勧告の指摘を受けたということを質問で取り上げました。 この看護士さんの例もまさにそれに当たると思います。 こういう点で一定の改善がされた例もあるわけですから、その後府中病院については改善されましたので、こうした例も参考にして、ぜひこの間魔の制度の改善を取り組んでいただきたいことを申し上げておきます。 いずれも、今の制度が、養護学校の実態、特に障害児にとっては学校生活の最も楽しい時間である宿泊学習の勤務実態に合っていないこと、これと直接に結びついた問題が大半です。 処分だけ押しつけて学校現場の矛盾はほうり出したままの姿勢こそ、私は根本的にただすべきだと思います。 以上、三つの柱に沿って質問してまいりましたが、今回の都教委の盲・聾・養護学校経営調査委員会の報告を通じて、私が率直に感じるのは、やっぱり障害児の今の教育、学校の実態、大変な状況に置かれていると、これは前々から私たち指摘してきましたが、その矛盾を都教委は本当に解決する、解決していこうという姿勢ではなく、むしろ現場にさらに高圧的、権力的なやり方で指導、管理を押しつけるという形で切り抜けようとしている、その姿が本当に見え透いていると思います。 こういうやり方で障害児教育が前進するとは絶対に思いません。現場で頑張っている先生や、また期待を寄せている父母、子どもたちの成長を考えて、少しはまともな教育行政としての姿勢に立ち返ることを強く求めて、質問を終わります。 |