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2001.10.16 : 平成13年文教委員会 本文


◯曽根委員 私からは、まず初めに、学級編制の少人数化の取り組みが今全国で進んでおりますので、東京都でもぜひということは私も前々から申し上げておりましたが、この点を幾つか質問させていただきたいと思います。
 県段階では、既に本格的といえるのは山形県、最近、県知事並びに教育長がすべての小中学校に三十人学級導入ということを表明したわけです。年次計画を立てて何とか数年で実現をしたいと、さらに記者会見では、公共事業をある程度縛らなければならないかもしれないが、それでも教育には力を入れたいということも表明されているようです。既にそのほかにも秋田、新潟、広島、愛媛、鹿児島の各県で三十人から三十五人程度の学級編制というのが試みられてきている。最近私ども伺ったんですが、埼玉県の志木市が、市長さんが新しくなりまして、七月ですか、二十五人程度の学級編制をしたい、これは市町村ですから、法律によると県の了解が必要だということになっているそうで、それで今県と交渉中であるというお話を伺ってきました。担当者の方も、市長さんの、これは直接はお会いできなかったんですが、話をいろいろ読んでも、その大きな動機として、国立教育研究所の最近出された二十人学級の研究の報告が大きな動機になっているというふうに、いずれも共通して述べているんですね。市長さんの話にもありましたが、クラス編制が四十人でやれるんだという時代ではもはやないと、子どもたちの生活や心の状態から見ても、単に学習集団として少人数がいいというだけではなく、一日の大半を過ごすクラスの学級、特にこの志木市では小学校の低学年のクラスにおいては、まず何よりもクラス編制そのものを少なくしていく必要があるという強い決意に立っておられるようでした。
 それで、こうした動きが県段階でも市町村段階でも次々とあらわれてきていることについて、都としてはどのように受けとめておられるか、まずお聞きします。


◯神山学務部長 各道府県や市町村によって、学級編制の弾力化につきましてはさまざまな考え方があることは承知しておりますが、都教育委員会は、学級は生徒指導や学校生活の場である集団としての機能を主としたものと位置づけ、児童生徒が社会性を養うための教育効果の観点から一定の規模が必要と考えております。一方、基礎学力などの向上に配慮し、きめ細かな指導を行っていくには学級と異なる少人数の学習集団を構成し、学校の創意工夫によって弾力的に編制し指導していくことがより効果的であると考えております。義務標準法の改正によりまして、都道府県教育委員会が国の基準を下回る学級編制基準を定めることは法的には可能となりましたが、都教育委員会といたしましては、こうした学級の社会的集団としての教育効果を踏まえ、学級編制基準につきましては変更せず、教科等の特性に応じた少人数による授業の実施について拡充が図れるよう支援していくものでございます。都教育委員会は、今年度から導入しました学級維持制度についても引き続き堅持し、計画的、継続的な教育指導や安定した学級運営が可能となるよう配慮してまいります。


◯曽根委員 大変残念な答弁、最初から残念な答弁なんですが、しかし、それにしても今最後にお話のあった学級維持制度というのは、これはもちろん本格的な少人数学級じゃありませんが、小学校の一年から二年になる段階で、それから五年から六年でしたか移行するときに、クラス編制がわずかな人数の転校によって、二クラスあったのが一クラスになってしまうとかいうことがないように維持できるようにしたい。これはごく一部ではありますけれども、学級集団、クラス集団がいきなり大きくなることの、特に低学年と卒業間際の学年における問題点を配慮したんだと想うんです。志木市も、何も小さければ小さいほどいいというふうな考え方を持っていないということも、既にご存じのとおりです。二十人以下の学級というのはかえって逆効果なんだという考えも持っていて、したがって、二十五人程度学級という制度なんですね。ですから、四十人学級になって二つに割ると二十人、じゃ三十五人の場合はどうするのか、十七人と十八人に割るのか、そこはいろいろと考えなければならないというのが市長さんの考え方なんです。現場の先生方とも相当話し合って、市長さんとしては二十人以下にはできるだけしたくない、しかし、二十五人程度まではクラスの編制を下げたいと。今単学級の学年もありますから、そういう場合はなかなか苦労すると、それで学級編制の早見表というのもつくって、もらってきたんですが、こういう場合はどうするかということで一つ一つ詰めている、こういう工夫が始まっているわけです。
 それともう一つは、市の財政負担、県にお願いするにしても半額出してもらえるかどうかもはっきりしない、財政負担はできるだけ無理のないものにしたいという点でも工夫されています。したがって私は、いよいよ単純に四十人学級制度をそのまま数字を三十に置きかえただけの制度では、今財政的にも、資料をいただいたように大変なお金が東京都としてもかかる。しかし、その間にさまざまな制度が可能だしできるということで、それができる、いわば志木市のように十万人程度の人口の、学校が割合少ない、それで何年たてばどこのクラスが多くなるということがもう目に見えているところで、市長さんの決断が始まっている、こういう動きだと思うんですよ。したがって、これから東京都内の区市町村でそういうことを、思い切って移行しようというところが出てくる可能性は、私は大いにあると思います。
 一例として紹介しますと、きょう多分新宿区議会の本会議で三十人以下学級の実施を求める意見書が全会一致で採択されていると思いますが、ここでも、これは東京都に対して学級編制の少人数化を求めている、こういう動きが仮に区市町村段階から出てきた場合、都としてはどのように対処するつもりなのかをお聞きします。


◯神山学務部長 区市町村教育委員会から、区市町村で独自に学級編制したり、教育委員会に四十人基準を下回る学級編制を要望してきた場合でございますが、都教育委員会といたしましては、当該の区市町村のみに都基準以外の学級編制を認めることは、教育水準の公平性に欠けるので困難であるかと思います。


◯曽根委員 その区市町村が、うちはやりたいんだと、それのバックにはもちろんそれを支える世論もあるでしょう。議会だってオーケーしなきゃできないわけですよ、区市町村の判断だけでは。教育委員会もある。それが総意でもってやりたいといったときに、東京都は、ほかの区市町村と不公平になるからだめですよというふうにいうんですか。しかし、そういう結論を出せる時代なのかと、当然要望があれば受けとめて検討して、今、志木と埼玉県でやり合っているように、いろいろなやりとりがあるでしょう、それをある程度は受けとめて、可能なのかどうか、ほかの市町村ではどうなのかということを検討するということはあり得ることなんじゃないですか、いかがでしょう。


◯神山学務部長 私ども教育委員会といたしましては、ただいま答弁申し上げたとおり、学級の社会的集団としての教育効果を踏まえ、学級の編制基準については変更はいたしませんけれども、教科等の特性に応じた少人数による教育の実施などについては、拡充が図れるよう支援している中で検討していきたいと、そういうふうに考えております。


◯曽根委員 現場の学校に近い基礎的な自治体のところで、今学校の現場では確かに少人数学級は効果を上げている場合もある、しかし、その大もとであるクラス編制も減らしていかなければ、特に低学年のように学校生活にいきなり入ってきたけれども、子どもたち自身がいわば生活習慣その他でかつての時代と全く違う。その親の世代さえ子育ての経験を見たこともやったこともない、先生方が大変苦労する。実は私のかみさんも今一年生を担任しているんですけれども、いや全く大変ですよ。そういう現場に近い自治体ほど考えざるを得ないところに来ていると思うんですね。それで私は、今のところ東京都の考え方は、クラス編制はいじらないよと、それから、要望があっても公平性を重視するんだよというお話ですが、それでは、東京都内でいきなり三十人全部一律といかないにしても、こういう方法はできるんじゃないかということを、区市町村任せでそれぞれ出てくるのを一々だめだだめだという前に、東京都自身がいろんな方法を調査研究してみるということぐらいはできるんじゃないですか。それもやらないとなると、何もしないということになるんですが、いかがでしょう。


◯神山学務部長 集団活動の中で社会性を養う教育効果を考えれば、ある程度の集団の規模が必要であると考えておりますし、また、学級編制基準を引き下げれば著しく小規模な学級ができてしまい、児童生徒間の関係など好ましくない状況も生まれるおそれがございます。したがいまして、学級編制基準につきましては、四十人を維持していくという考え方を持ちまして、その他学習集団の機能あるいは学年の状況等々に応じましていろいろな少人数の教育のための支援を図っていく、そういう考え方でございます。


◯曽根委員 残念ながらなかなか──これから実際に動きが出てきたときに、結局は東京都が慌てて何らかの対応を迫られるということになるのかなといわざるを得ません。しかし、遠からず必ず都内の六十二の自治体のいずれかでそういう話が出てくることは、私間違いない時代の趨勢だと思うんです。学習集団だけいじればそれで事足りる。じゃクラスの集団としての問題は何もないのかと、そんなことあり得ませんよ。それは教科によって少ない方がいい、いや一定の人数がいた方がいいということはありますよ。しかし、クラスの集団の問題が何もないということは絶対あり得ない。その点は強く申し上げておきたい。
 さてそれで、次のテーマに行きますが、実は第三回定例会で私ども養護学校の教室不足を初めとする施設の大変おくれた状況について質問しまして、これは知事に対してぜひ実情を知ってほしいと、知事もいずれ見に行きたいという話がありました。石原さんにしては珍しくこの問題について積極的な答えがあったので、ぜひ一日も早く教育庁の方からも実現するように働きかけていただきたいんですが、もう少し立ち入って、それぞれの養護学校ごとに起きている問題について、きょうはちょっと質問させていただきます。時間の範囲で許す限り、ちょっと絞り込まざるを得ませんが、ぜひお答えいただきたい。
 一つは、知的養護の学校の中で、これは大変今生徒さんの数がふえていて、障害の軽い子どもさんについては普通の学校に入れるならば入ってもらいたいとか、普通の学校に併設の心障学級に入ってもらうとかいろいろやっていて、養護学校に入る知的障害の子どもさんは昔から比べて重度の方が非常にふえているというふうにお聞きして、行ってみると確かにそういう状況でした。しかも、かなり定数オーバーといいますか、かつての定数からいうと相当多く学校に入っている。施設は古い、私は清瀬養護に伺ったんですが、ほとんどの教室で一つの教室を一クラスで使えないわけですよ。教室の真ん中にカーテンをつるすようになっていて、そこで二つに仕切って、細長い教室を二つにしてそれぞれ一クラスというふうに使っていました。それから、特別教室も、あそこは小中高とありますので、本来であればそれぞれ小学校の音楽室、中学校の音楽室、高等部の音楽室とあるんです。それが一個しかないんですよ、全校で一個。それも狭い音楽室です。特別教室が普通教室に転用されているわけです。
 実際のところ教育庁としては、この清瀬養護についてお聞きしたいんですが、教室不足が幾つ現状であるというふうに認識されているんでしょうか。


◯松田施設部長 清瀬養護学校の教室の使用状況でございますが、保有教室は三十四教室でございまして、必要教室は三十六教室でございますので、二教室不足している状況でございます。


◯曽根委員 私、実態と教育庁でつかんでいる数とがこれほどかけ離れている学校はそう多くないだろうと思いますよ。なぜこういうことになっているんだろうと思っていろいろ調べてみて、まだいまだに厳密にはわかり切らないところもあるんですが、一つの要因は、特別教室を普通教室にした場合、それは不足でないというふうになっていることだと思うんです。しかし考えてみれば、養護学校だってもともとつくるときには音楽室や調理室や木工や金工の、知的養護の場合は卒業後の就職ということもありますから、そういう作業の部屋とかもあるわけですよ。各学校ごとにあるというのが本来の姿で、そういうふうに設計してつくっているわけです。それを転用しているわけですから特別教室は明らかに足りないんです。しかし、教室不足の中に恐らくそれが入っていないと思うんです。教育庁は少なくとも、特別教室が三個あるはずのものが一個しかないとか、音楽室が、まあ音楽室がないということはないでしょうけれども、視聴覚室がなくなっちゃっているとか、そういう不足についてはカウントする必要があると思うんですが、いかがでしょうか。


◯松田施設部長 養護学校では、個別の学校について見ますと、児童生徒の障害の重度重複化や入学者の増減によりまして、年度間で教室の必要数に変動があり、従来から特別教室などを普通教室に一時的に転用し柔軟に対応してきているところでございます。なお、増改築の検討に当たりましては、普通教室の不足や特別教室の状況などについても考慮しているところでございます。


◯曽根委員 ふだんの年次の把握をするときには、特別教室が足りなくてもそれはカウントされない。それはいろんな養護学校において障害の程度によってもやり方が違うから、一時的転用は目をつぶっているんだと、でも改修があればそれは配慮しますよと。そうすると、大規模改修まで待たなければならないとか改築まで待たなければならないということになる。しかしこれは、私は実態に即して考えてもらいたい。例えば清瀬養護では、校長先生がぜひ議会でいってくれというので私も紹介しますが、今、金工室や木工室を普通教室に転用しています、校舎の中で。それを作業棟として、裏の空き地がまだ敷地が広くあいているのでそこに木工室、金工室をつくってくれれば、木工室、金工室が一個ずつ特別教室として校舎にあるんだけれども、それを外につくればもとの校舎の部屋が本当の意味で普通教室にはっきり中も変えて直すことができる、それで教室の不足をかなり補うことができる、特別教室はちょっと広めですから、そういう要望がありました。
 お金も大体このぐらいだということもいっていましたよ。これぐらいのことはそれほど大きな予算ではないし、各学校いろいろあると思いますが、それぞれの学校について、どうしてもここだけはというものについてはぜひ、改修待ち、改築待ちではなく、実現させていくべきだと思いますが、いかがでしょうか。


◯松田施設部長 校舎の増改築につきましては、清瀬養護学校も含めまして各学校について施設調査を行い、さらに、児童生徒数の動向、増改築スペースの有無など、各学校の実情を総合的に判断して計画的に進めているところでございます。


◯曽根委員 そっけない答弁なんで、一言だけいわせてくださいよ。年次ごとに教室の不足数が二だっていうことになれば、それは増設の必要性は二つ足りないだけだということになると思うんですよ、書類上も。実態を反映しない限りは、いやここは本当に足りなくて大変だということにはならないわけで、そういう意味では、一時的転用といいましたけれども、特別教室はもう今の先生が、この部屋は何教室だったのかわからないぐらい昔から転用されちゃっている。もう元音楽教室であったのか何室であったのか札もついていないし、わからない、十年前ぐらいからいる先生でさえよく覚えていないというぐらい転用が固定化されちゃっている。ですから教室不足はそんなにないというふうに扱われている。これじゃ、本当に緊急的に増改築が必要だという必要性も局の方では把握し切れない、庁の方では把握し切れないとなるんで、これだけは申し上げておきたいと思うんです。
 それで私もう一つ、肢体不自由校で光明養護学校にも行ったんですが、これは教育庁の方から職員の方がわざわざ来てくださったんですけれども、ここはまた別の意味で深刻だなと思いました。一見すると非常に古いつくりですけれども静かですよね、肢体不自由は子どもさんたちが余り動き回りませんから。しかし、一人一人の子どもさんがほとんど寝たきりの状態に近い、車いすというよりはベッドに車がついたような形で移動していますからスペースをとる、教室も少し狭いような感じがしましたけれども、一つの教室に子どもさんがひしめいているという感じです。
 特に私、先生方からもお話があったし、私もそう思ったんですが、一つの教室から子どもさんが一日じゅう出ないということが多いみたいですね。そうすると、そこで授業はもちろん受けますが、トイレもその教室の中で、おしめの交換をやる、食事も同じ場所でやっている、授業と排せつと食事が同じ教室の中で毎日毎日行われている。特別教室も普通教室にほとんど転用しちゃっているので、音楽の時間だからあっちの部屋に行くということもなかなかできないので、一週間で自分のところの担任の教室からほかの教室に動くのが数回しかないと。子どもにとって、確かに非常に体力も落ち、能力も限られているけれども、外に出してあげたりいろんな形で移動して環境を変えるということは大事だと思うんですが、それがやられていない。これは人間として、教育の場であり、人間が生活する場としてもゆゆしき問題だなと、どこをどうすればすぐ直るというものじゃないと思いますよ、学校全体がひしめいているんですから。しかし放置できないだろうと思う。何とかしなければならないというふうに思うんですが、その現状認識についてお聞きしたいと思います。


◯松田施設部長 先生が一番問題にされているところは、教室の中で食事や勉強とあわせて排せつも行われている場合があるということだと思いますが、排せつの場所につきましては、個々の障害の状態が極めて多様でありますことから、学校からの要望も聞きつつ、児童生徒の実態に配慮したスペースの確保について工夫してまいりたいと思っております。
 なお、今後、改築や大規模改修をするに当たりましては、平成十年度に策定されました盲・聾・養護学校施設整備基準によりまして、小学部低学年及び重度重複学級については各教室に隣接してトイレを設置することとしております。


◯曽根委員 なかなかトイレの問題というのは、子どもたちにとって生活のスタイルが一つのことをするのにすごく時間がかかりますから、授業と同じぐらい食事そしてトイレに時間をかけているし、それは非常に大切な生活行為、訓練であるというふうに位置づけられると思うんです。そういう点で、そのトイレの場が、なかなか遠いトイレまで移動できない、授業が中断されてしまう、それを避けるために今の施設基準、東京都の施設基準はなかなかすぐれていると思うんですが、教室と教室の間にスペースをとってあって、そこにトイレがある、各教室の間に入っている、これはなかなかすぐれた設計だなと思います。新しい学校は確かにそれは実現されていました。清瀬もたしかそうなっていました。光明は戦前からのずうっと歴史のある学校ですが、逆にいうと設備が非常におくれているということで、それが可能になる方法をぜひ学校の校長先生を初め教職員の方々と相談して、それにかわる方法を考えていただきたい。
 それから、給食を配膳する厨房が余りにも狭くて消防署の方からも注意をされているほどひどいらしいですが、それから、トイレの場所が悪くて保健所からも注意されているということで、これは直ちに改善が必要だと思いますが、いかがでしょうか。


◯松田施設部長 光明養護学校からは十四年度に向けました改修要望として、厨房の床の改修について聞いているところでございます。施設設備の改修につきましては、光明養護学校も含めまして各学校について施設調査を行い、児童生徒の安全の確保、保健衛生や建物管理の観点から緊急性を配慮しつつ改修を進めているところでございます。


◯曽根委員 施設改修についてはぜひ、これは全体の予算がかなり厳しいことは重々承知の上ですが、教育施設全体の予算の配分もぜひ検討をしていただきながら──この間養護学校の施設改修費が全体としては非常に落ち込みが激しいと思うんですよ。ひところの半分以下になっていると思うんですね。これはもとに戻すということによって随分改善が進むと思うんです。そのことを強く要望しておきます。
 同時に、光明養護の場合、この施設の不足に輪をかけて先生の不足があるというふうにお聞きしました。それで、それはなぜそういうことが起きるかというと、クラス編制の基準が、単一の障害、肢体不自由だけの場合の子どもさんと重複障害、つまり知的障害も肢体不自由もあわせ持っている子どもさんの場合ではクラス編制基準が違う、これは国の基準です。重複障害であるということはだれの目にも明らかでありながら、実際にはそういうクラス編制になっていない子どもがいるという現場の声がありました。それでその数はどうなっているんですかというふうに聞いたら、光明養護は今五十三学級ですか、それが実際は六十学級以上必要なはずだと、そうすると十学級ぐらい足りない。それは要するに、重複障害の子どもさんをそういうふうにちゃんとカウントしていないからなんじゃないかというふうなお話なんですよ。これはなかなか難しい問題で、どこで詰まっているのかというのは私もよくわかりません。しかし、どこかで詰まっているから実際は六十学級以上必要なのに五十学級しかおらず、先生の数はそれに合わせて配当されますから足りないという現象が起きているんだと思うんです。この実態の問題について教育庁としてはどういうふうに認識をされているんですか。


◯中村人事部長 養護学校の教員の定数でございますけれども、小中学部は六人それから高等部は八人で一学級、重度重複児の場合は三人で一学級を編制しております。学部ごと、学級の数に応じまして国の基準に準じて配当を行っているところでございます。今後、都教育委員会では児童生徒の障害の重度化、重複化、多様化に対応するため、国の改善計画を踏まえまして養護学校の教職員定数の改善に努めてまいります。


◯曽根委員 国の基準そのものもできれば改善してくれれば、三人で一クラスというのをもっと減らすかどうかはわかりませんが、六人、八人でクラスを改善するとかいろいろ方法があると思います。ただ現在の基準さえ守られていないとすれば、これは直ちに改善が必要だと思う。それで私、どうしてそういうのが起きるのかなというときに、例えばクラス編制を今より十ふやさなければならないというふうになったとした場合、クラスは、教室はどこにつくるのか、施設をふやさなければならないという問題に直面すると思うんです。その展望がないのにクラスだけふやしてどうなるのか、廊下で授業をやるわけにいきませんから。そうすると、この場合、クラス編制をふやさなければならない実態が重度化、重複化によって生まれたときに、それは施設を拡充するとか教室をふやすとかいうことの展望とあわせてやらないとできないと思うんですよ。それがなかなか実際には難しいんじゃないかなと。学校の敷地はもうほとんど、光明養護は世田谷のいいところですから目いっぱい使っています。その点でだれかが板挟みになっているか、現場で把握している重複障害児の数が教育庁まで届いていないか、届いているんだけれどもそこでとまっているのか、私はこれはだれの責任というふうにするのは非常に弊害が大きいのであえていいません。
 しかし、教育庁がこの間、クラス編制をどんどん今ふやさなければならない、重度化が進んでいるわけですから、それがたしか九九年度の予算までは四十学級ぐらいふやすということで出されているんですよね、知事側に、学級編制をふやしたいということで。それが査定で切られてしまっている、認められたのはたしか十学級ぐらいだと思う。翌年から、二〇〇〇年度の昨年度、今年度と学級編制をふやすという要望を知事に出していないんですよね。ですから、教育庁さんの志の問題というのはあると思うんです。
 ここで私ぜひお願いしておきたい、お答えいただきたいのは、学校長が、クラス編制が必要だからこれだけクラス編制を認めてほしい、その分先生を配当してほしいという要望を出した場合は尊重してもらいたい、それに伴ってどうしてもクラスをふやさなければならない場合には、最優先でクラスの施設をつくるために手を打ってもらいたい、これを要望したいんですが、いかがでしょう。


◯神山学務部長 重度重複学級のあり方についてのことでございますけれども、児童生徒の推移あるいは児童生徒の状況等を十分把握して対応して考えていきたいと思います。


◯曽根委員 私もうちょっと具体的にお聞きしたので、これは学校ではどの子が重複障害か全部調査書類が来ますからはっきりしているわけですよ。それがきちんと把握されていて、それに基づいてクラス編制が来年度はこれだけ必要だ、教室も足りない場合には足りないということで、ぜひということで要望が校長さんから出れば、これは受けとめてもらいたいんですが、これは教育長にぜひ伺いたい。


◯横山教育長 教育条件の整備というのは私ども親身になって考えておりまして、別に養護学校に限らず、高等学校につきましても、都立の学校につきまして、ご案内のとおりの非常に厳しい財源の中ではございますが、そういう中で精いっぱい努力をしているということでございます。


◯曽根委員 高校も小学校、中学校もこういう事態は余り私は起こっていないと思うんですが、養護学校に限って今子どもたちの数がふえているわけであります。矛盾の大半が養護学校の児童の、子どもたちの数の増加にある、ですから、精いっぱい頑張っているということなので、今後この点、この分野については特に注目して取り組んでいただきたい、要望しておきます。
 養護学校の問題の最後に、かねてから要望が強く出されております病弱養護の問題について、特に高等部設置の要望について、これはたしかことしの春にも私どもの会派の議員が取り上げたと思いますが、私からも一言質問をさせていただきたいと思います。
 前々からの運動でありまして、きちんとした学校における高等教育が病弱養護で行われていないのは数県と限られております。東京や大阪の場合は全国の病弱養護の中で寄宿舎をつけた養護学校を持っているという点では特殊な存在だということはよくわかっていますが、しかし、現に小中学校に子どもたちが通っており、高校進学に当たって寄宿舎がついているからこそ通える子どもたちが、その高等部に進学したいという願いは余りにも当然な願いであって、これにこたえるのが教育行政の基本中の基本だろうというふうに思います。その点で、東京都も取り組み、検討を行っていると思いますが、現状はどうなっているかをお聞きします。


◯神山学務部長 病弱養護学校の高等部の設置につきましては、病弱養護学校中等部、中学部卒業生の進路状況の把握などを行い、その検討をしてきましたけれども、現状では卒業生の大部分が高校への進学をしている状況があること、病弱養護学校中学部を卒業後も引き続き六カ月以上の医療または生活規制を必要とする生徒は多く見込まれていないこと等のため、現在のところ高等部の設置は予定しておりません。今後とも国の特殊教育の動向を踏まえ、生徒の進路状況等を十分調査しながら研究してまいりたいと考えております。


◯曽根委員 この春までのお答えと同じなんですが、大部分の子どもたちが高校への進学をしている。ただここ二年ぐらいは高校進学は難しい子どもさんの卒業があって大部分は養護学校の高等部に行っていますよね。私その方々に直接お会いしたり、かねての卒業生、かつての卒業生にもお会いして、またお母さん方にもお会いして、いろんな方にもお話を聞きました。それで確かに高校に進学して、少し頑張って背伸びをして進学していくという子どもさんはいます。しかし、その後どうなっているかなんです。いろんな関係者の方が調べているわけです。追跡調査をしているんですが、ここ十年ぐらいの期間を調べてみると、養護学校の高等部に行った子どもさんはほとんどやめることはありませんが、普通の高校、一般の高校に行った子どもさんの半分ぐらいがやめているというデータが出ているそうなんです。この点については教育庁は把握していますか。


◯神山学務部長 病弱養護学校中等部を卒業した生徒の追跡調査でございますけれども、学校からの情報によりますと、都立病弱養護学校を卒業した生徒で高等学校等へ進学した者のうち、約三割程度の者が転学、就職等、何らかの理由によって進路変更しているように伺っているところです。なお、詳細について十分に把握することはプライバシーの問題もあることから難しい状況でございます。


◯曽根委員 数字は少し私の聞いたのと違いますが、これはプライバシーの問題はあるにしても、今高等部をつくる必要がないということの理由の一つに、ちゃんと高校に進学しているからということがありましたので、その後どうなっているかを、ちゃんと高校生として三年間もしくは四年間定時制などに通えているのかということを調べる責任は東京都にあると思います。正確につかんでいただきたい。もちろんプライバシーのことは考慮する必要はあります。同時に、どういう思いでやめる子はやめているのかということを、私はぜひ知ってもらいたいんですよ。
 私が会った人は、もう二十ぐらいになっていましたね。腹膜透析という非常に腎臓の重い治療を受けていて、久留米養護に行かれていたんですが、寄宿舎にさえ住むことができない、つまり親が絶えずそばにいないと、腹膜透析の必要な手当てが緊急事態のときにできる技術が当時の学校にないということで、寄宿舎に入ることが前提でなければならなかった例外中の例外として自宅から通っていたんです。それくらい重い状態で、しかし、学校にはちゃんと通っている。その子は結局普通の高校には行けないということで肢体不自由の養護学校に行ったんです。友達もできて三年間すごくよかったとはいうものの、その子が参加できない授業というのは肢体不自由の養護学校ですからありますし、絶えず違和感を感じなければならなかった、それでも友達ができたのがすごく自分にとっては人生の経験になったと話していました。しかし、もっと同じ障害や同じ病気、つまり病弱の子どもたちが一緒に通う、もしくは寄宿舎生活を送る養護学校があれば、もっとその子どもさんの高校生活は充実したはずだと、勉学、生活ともに充実したはずだというふうに思います。
 そのご家庭というのは、三重県から出てきているんですよ。当時、つまりもう二十年ぐらい前ですよね。当時は清瀬小児病院というその病院しかその子の手術ができる場所が事実上なかった。したがって家族そろって三重から東京に出てきて、その子の命を助けるために腎臓移植手術をやったらしいんですが、そこまでして家族は支えてきた。その清瀬小児病院が今度統廃合で大問題になっているわけですが、それはともかくとして、久留米養護に入ってそして卒業する、しかしそこには高等部がないという、その子の成長を願う親としては痛切な思いだというんです。その一人一人の思いを受けとめる必要があるんじゃないかと思う。
 本来なら高校生活をちゃんと通い続けたかった子どもさんが、東京都の把握でも三割ぐらいはやめているわけです。やめた後どうなったかというのは私いろいろ聞いていますが、結局いじめに遭ったり、病気で続かなくなったり、家庭に問題があったりいろいろなんですね。私はそういう点で寄宿舎つきの病弱養護学校は、かつては例えば小児結核それからぜんそくなどの転地療養的な、片浜のようにですね、意味合いがあったろうし、いわば長期療養という形での病気の子たちのためのものだったかもしれませんが、そういう病気は減って、今は心臓疾患や腎臓疾患もしくはさまざまな難病がふえてきている。赤ちゃんの十人に三人から四人がアレルギーを持っているという時代に、病弱養護の役割というのはますます重要だと思うんです。そういう点で私はぜひこの高等部設置を検討してもらいたい。
 東京都は、人数的に必要な人数がごく限られているから、つくる規模に達しないというようなことも父母の方々に、保護者の方にいっているそうなんですが、久留米養護のように病弱養護出身じゃない子どもさんが高校へ通いながら、病気でやめたりいろいろな事情でやめている場合があると思うんです。そういう病弱養護の中等部卒業でない子どもたちがいろんな高校で苦労している、またはやめている、フリースクールに行ったりしている、そこもすくい取れば相当な数の子どもたちが高等部を必要としているんじゃないかと思うんですが、例えばそういう子どもたちがどういう状態に置かれていて、それに対して東京都はどういう教育を行っているのかをお聞きしたいんです。


◯神山学務部長 養護学校中学部を卒業した生徒以外の、例えば委員のご指摘のフリースクールあるいはその他病弱な生徒の把握というのは私ども非常に困難な状況にございます。私ども病弱養護あるいは養護学校への入学に当たりましては、区市町村教育委員会あるいは私どもの就学相談室等々の相談に来る中で、それぞれの生徒児童の実態を把握して区市町村立の教室あるいは養護学校あるいは都立の養護学校に入学を措置する、そういうふうな形で現在進めているところでございます。高校進学後に病弱、病気等で進路変更が必要になった場合につきましては、とりあえずは高校を休学して病気療養に専念するということになろうかと思いますけれども、都立養護学校におきましては、養護学校の中に病院内教室あるいは病院への訪問あるいは自宅への訪問等に教員を派遣する、そういうふうな形でこれらの児童生徒に対応しているところでございます。


◯曽根委員 いろんな方のお話を聞きますと、病弱養護学校に高等部をつくるというのは長年の願いで、いまだに実現しないものではありますが、病弱児教育を前進させるためのほんの入り口にすぎないということをだんだん私も学んできました。病弱児というのはいわば知的障害とか肢体不自由などに入らないさまざまな病気があります。それを全体をくくっていっているんであって、物すごく千差万別であり、病気の程度というものも普通の学校に何とか通える状態から病気入院が余儀なくされている状態の間のグレーゾーンというのは物すごくあるわけです。学校に行ける場合、通院しながらでも通える場合、寄宿舎が必要な場合、入院しながら学校に通う場合、それからたびたび通院はするけれども学校で普通に授業を受けられる場合など、さまざまな場合があって、それぞれに教育の場をどう保障するのかという課題の最初の入り口の第一歩が、高等部の教育をどんな状態の子どもにも保障するということだと思うんです。そういう点でこれからも折を見て私はこれを求めていきたいと思いますが、あるお母さんの話ですけれども、久留米養護学校はすごく立派になりました。すごくスペースもあるし立派なんですよ。それの建てかえが行われたときに、じゃ高等部ができるのかと思ったと、しかしできなかった。本当に一つの教室があれば、今一学年一学級二十人が定員ですから、その一つの教室があれば高等部ができる、施設的には十分にハードルが低い、私はそういう意味で教育長の決断を強く求めておきたいと思います。
 さて最後に、もう大分時間もたちました。私の予定は一時間ぐらいというつもりでおりますので、あとそんなに時間はないんですけれども、八月七日に決定をされました都の教育委員会による教科書の採択の問題について質問をしたいと思います。
 石原知事も賛同者になっております、新しい歴史教科書をつくる会の歴史、公民の教科書を採択させようというさまざまな動きがありまして、全国もそれから都内の区市町村も教育委員会ではこれは選ばれませんでした。県段階でも東京都と愛媛県だけであります。しかし私が重大だと思うのは、この間教科書の採択のやり方自体が大きくゆがめられてしまったのではないかということ、そして、都の教育委員会がわざわざ都立の養護学校に、このつくる会の教科書を選んだことであります。知事や教育長はこの間繰り返し、教科書は専ら教育委員会の権限と責任において選ぶように殊さら強調してきたと思うんです。それで四月と五月に都内の校長先生や教育委員を集めた会議がありましたが、その中で石原知事は、とにかく先生が選ぶんじゃないんだ、教育委員会が選ぶんだというようなことまでいっております。非常に乱暴な発言だと思います。教育委員会が権限と責任を自覚して教科書を選ぶのは当然で、事務を担っているという法律の根拠もあります。しかしこの間少なくとも、戦後ごく最近までは一貫して政府のさまざまな教育上の方針、私たちが反対している臨調だとか中教審だとか、それから橋本内閣の行革推進だとか規制緩和だとか地方分権とか、いろんな会議の場で教科書問題については、ほとんどすべての文書の中に、学校や先生や父母の意見を反映させるべきだと、橋本内閣のときには将来は学校ごとに教科書を選ぶことを目指すべきだとまでちゃんと書いてある、ところが、にわかに最近になって閣議決定などで教育委員会の権限と責任だということが強調されている、それに乗って知事や教育長が盛んにそういうことを繰り返しいう、で、先ほどのような発言までいう。しかし、じゃ学校や先生の意見を聞くなとか、聞かなくていいとかいうことは一言も政府も閣議でもいっていないし、本来そんなことは、教科書の選択にとって先生の意見を聞かなくていい、学校の現場の声を聞く必要はないということはあり得ないと思うんですが、いかがでしょうか。


◯斎藤指導部長 教科書採択に当たって、採択権者である教育委員会が各学校の意向を聞いておりましたけれども、学校の意向を聞くことについての法令上の規定はございません。特別区立の小中学校におきましては、昨年四月に廃止されました地方教育行政の組織及び運営に関する法律第五十九条により、平成十一年度までは都教育委員会が採択事務を行っていたところでございまして、特別区立学校の教科書採択を行うに当たりましては、短期間に採択地区ごとに教科種目別教科書を採択する必要がございましたから、各学校から意向を聴取し、都教育委員会の都教科用図書選定審議会の答申を踏まえて採択していたという経緯がございます。


◯曽根委員 去年までは都教育委員会が最終的な責任で各区の教科書も選び、決めていた、だから技術的に大変だからそうなって学校の意見を聞いていたんだというようなお話ですけれども、じゃ橋本内閣に至る戦後ずうっと文部省が出してきた、また政府が出してきた学校の意見を聞きなさいよというような通達なり指示なりの意味がなかったということですかね。そういうものが出ていたことはご存じでしょう。法的な根拠ではないけれども政府の方針として出ていた。それを受けとめてやっていたという面は全くないわけですか。


◯斎藤指導部長 教科書採択に当たりまして、その事前の研究資料を作成する場合に、専門家である関係者あるいは学校関係者、教員等の方に委員を委嘱しまして、その中でその専門的な事項について調査研究をお願いし、結果として意向を聞くと、そういうことはございます。


◯曽根委員 どんな形にせよ学校の意見を聞き、それを反映させる努力をするということはきちんと行われなければならないというふうに私は思います。今当然、教科書採択のやり方、さらには文部省の検定制度そのものについても見直すべきだという声が各方面から出ているのはご存じのとおりです。最近朝日新聞などにも、佐藤学氏を初めとして教科書検定制度は時代が古いと、余りにも問題が多い、マル適マークじゃないけれども、そういった緩やかな基準に直していくべきだと、何よりも教科書は一番生徒たちのことを、子どもたちのことを知っている学校の現場の教職員の方々がよく吟味していくべきなんだという意見、これは極めて常識的な意見として出ていると思う。私もその方向に進むべきだと思う。
 それで、都の教育委員会が、こういった知事や教育長の発言だけではなくて──私ちょっと問題だなと思って資料をお願いしたんですが、学校に意見照会をする文書が毎年出されていたと思うんですが、きょうの資料にもありますけれども、ことしも出てはいるんですけれども、去年までの、新しい教科書にどういう教科書を推薦するかという照会文書ではなくて、ことしからは、今使っている教科書の問題点を書きなさいという文書に内容がすりかわっている。ですから、新しくどういう教科書を選ぶべきかという趣旨の文書じゃなくなっているわけです。それは全く意味が違ったものになります。例えば、はっきりいいまして、新しく参入した教科書会社である扶桑社の教科書については、意見はいう場ではないわけです、今使っていないわけですから。そういうような意味合いの文書が出されている。しかも、発行してから一週間で回答せよという期限が書いてありますけれども、非常に非常識な文書だと思う。これ、資料作成に当たって私前回のものを比較のためにお願いして、四年前のものはないけれども去年のがあったのでつけてもらうようになっていると思ったんですが、きょうのやつを見ますと、資料にことしのしかないんですよね。私はこれは委員会資料から落としていいというふうに教育庁さんとの調整でいった覚えないんで、今後はこういうことがないようにしてもらいたいんですけれども、去年までの文書では間違いなく新しい教科書にどういうものを選ぶべきかという問い合わせがある、ことしは今使っている教科書の問題点だけいえとなっている、これは明らかに現場の声を聞く一つのルートを遮断しているということになりませんか。


◯斎藤指導部長 都教育委員会といたしまして現場の声を聞くということを拒否したということではございませんで、今年度新たに都立盲・聾・養護学校小中学部用教科書調査研究資料を作成しまして、そこに調査委員として、先ほどちょっと申し上げました盲・聾・養護学校関係の教員の方をそこに委員として委嘱して研究していただいたということでございますので、学校の意向を全く無視するとかということではなくて、方法を今回は新たな方法というか、新たな資料を作成して対応してきたということでございます。


◯曽根委員 そうすると、この照会文書というのは何なんですか。


◯斎藤指導部長 お尋ねの照会文書は学校の意見を聞くという文書でございます。


◯曽根委員 私、残り時間が余りなくならないようにしたいと思っているので、何度も聞かせないでほしいんですけれども、何の意見を聞くんですか。


◯斎藤指導部長 各学校で使っております教科書の現状について調査しまして、教科書に関する基礎資料とすることを目的としております。


◯曽根委員 現状調査にすぎないわけですよね。去年までやっていた新しく採択すべき教科書を推薦させるというのと全く意味合いが違う文書になっているわけです。似て非なるものというのはこういうものなんです。
 それともう一つは、今新たに都立盲・聾・養護学校の教科書調査研究資料及び採択資料を選定審議会につくってもらった、それを参考にしたというふうにおっしゃいましたけれども、確かにそういう分厚い資料を私たちも見させてもらいました。この採択資料の中には各社の教科書について比較をするために、イデオロギー的なことを排除して全く客観的な物差しで選ぶといういろんな努力はやってます、それ自体がいいかどうかはともかくとして、図表を多く使っているかどうかとかね。それなりの参考にはなるかもしれませんが、星印をつけてどれがすぐれているかというランクをつけているわけです。総合ランクで確かに中学部の社会科、歴史、公民以外はその評価ランクで一位もしくは二位がほとんど選ばれています。小学部、中学部、ほかの科目、学科はね。ところが中学の歴史、公民だけが、歴史は第六位の扶桑社のつくる会の教科書、公民では第五位の下位の方に評価されている教科書をわざわざそこだけ選ばれている。盲・聾・養護学校の先生を入れたり、いろいろ現場の専門家を入れたというのは事実でしょうけれども、その人たちが評価をした、中身についてのイデオロギー的な評価は避けても、なおかつ、つくる会の教科書は評価が低かった。にもかかわらず、ほかの教科や学年については高い方から選ばれているけれども、一位か二位を大体選んでいるんですが、五位と六位の扶桑社をわざわざそこだけは選んだ。現場の声を聞いたことになるんですか。


◯斎藤指導部長 まず、今の順序の問題でございますけれども、順序は付しておりません。特徴は付しておりますけれども、順序立てたということではございません。それから学校の意向を聞かないでと、最終的に教育委員会が教科書の内容とそれから障害の特性に応じて総合的に判断されるものでございますので、それぞれの調査委員の段階ではその特徴を障害者の特性に合わせながら、その特徴を付したというところでございます。


◯曽根委員 評価のランクつけていないといいますけれども、そんなことありませんよ。私、教育委員会の議事録全部読みましたけれども、やっぱり、はっきり議事録残っているからいいますけれども、教育委員長は選定審議会の評価で高い方を選ばしてもらいましたというふうにおっしゃっているわけですよ。それに対して、横山教育長も教育委員の一人ですが、いや、これは内容的に扶桑社のつくる会の教科書が適切なんだと主張されている。明らかにそのランク、選定審議会の出したランクというものがあって、それは相手が障害児なんですから、その現場にいる先生たちですから、その障害の程度やさまざまな現場の実態に応じてこれが必要だという角度で出してきている、そのことを教育委員長はある程度配慮している、こういうことが記録としてはっきり残っているんです。
 私は、教科書採択の手続が東京都においていかに大きくゆがめられたのかというふうに思うんです。まず一つは、政府さえ一貫して学校教員、保護者の意見の反映を是としてきたものを、いきなり教育委員の権限と責任のみ強調する方向に切りかえた。それから次に、学校への問い合わせは、今の教科書への意見しか聞かず、扶桑社には批判が出てこない仕組みに変えてしまった。三つ目に、専門家や教員が参加した選定審議会がいわば客観的な基準で評価順位を示せば、他の学年や教科はこの評価基準の上位を選ぶが、中学校の歴史と公民だけあえて低い順位の扶桑社を選んだ。つまり中学校の歴史と公民だけは何があっても教育委員の判断で扶桑社のものが選ばれるように、それ以外の意見はすべて排除されるような仕組みができている。
 しかも、この教科書を選んだ病弱養護学校、結果として選ばれた病弱養護学校がどういう実態なのか、先ほど紹介をしましたけれども、はっきりいいまして、障害児とは違うとはいうものの、長い闘病生活のために、または学校の長期欠席のために、学校でいじめに遭ったり、実際には勉学が非常におくれている場合が多いわけです。しかも、病気の種類や程度、家庭環境などで子どもたちの学力は千差万別です。ですから、現場に行って先生たちの使っている教材を見ますと、教科書だけじゃ到底済まないんで、さまざまなプリントを使ったり教材を工夫しています。これはもちろんほかの障害児の学校でも同じです。だからこそ養護学校というのは学校ごとに三種類の教科書を選ぶ道があるわけですね、きょう資料出ていますけれども、文部省本、この検定本、それからそのほかの教材も選べるようになっている、いろんな道がきめ細かく選べる、教科書一つ選ぶにしてもきめ細かい対応がやれるようになっているんです、養護学校というのは。それを無理やりそこに押し込んでいくということは、いかにひどいことかと思うんです。養護学校の教科書こそ現場の先生方の声を無視しては選択はあり得ないんじゃないですか。


◯横山教育長 先ほど来、今回の教科書採択に当たりまして、るるご議論がございましたけれども、私は、従来の方針を変えたと盛んに強調されておりますが、今回の採択に当たりましては教科書採択の本来のあるべき姿に戻して公正かつ適切に、まさに採択権者でございます区市町村教育委員会が採択すべきだという指導をしてまいりましたし、東京都教育委員会の権限に属することにつきましては、そういう姿勢で適正かつ公正に行ったつもりでございます。


◯曽根委員 教育長の今の答弁についての私なりの意見は後でいわせてもらうとしても、私たち日本共産党は今度のつくる会の教科書については検定そのものが誤りだということははっきり申し上げているわけです。明らかに今までの教科書と歴史觀も戦争観も違う、はっきりいいまして、戦後の憲法や教育基本法という教育分野に携わるものが皆心して守らなければならない法律の考え方とも矛盾している。何しろ戦争の呼び方、名前の呼び方そのものが違うわけですから、大東亜戦争という今では世界的に通用しない言葉でわざわざ、太平洋戦争と呼ばないで通しているという考え方、大東亜共栄圈というのだってもう今じゃ、大東亜共栄圈そのものがプロパガンダだということが歴史上確定しているわけですからね。その名前を付して戦争をいわば当時の軍部と同じ呼び方で賛美しているというような教科書を、これだけいともやすやすと反対意見を封じ込めて選べるように仕組みをつくったということが、どうして公正であり得ようかというふうに思います。
 教育長は、お答えの中でいってもらいたいんですけれども、教育委員の一人であり病弱養護にこの教科書を選ばれる上で大きな役割を果たしています。確かに教育長は肢体不自由や知的障害の子どもたちの学校にはさすがにこれは障害の程度やなんかを考えて、つくる会は無理だろう、扶桑社版は無理だろうと、しかし病弱養護は普通の学校と学力的には大差ないんだから、つくる会で大丈夫なんだということもいっています。これは現状認識の全く誤りだと思うんですよ。同時に、石原知事とともに明らかに戦争観、歴史観で政府の見解とも異なる教科書を教育委員の一人としてこれを推薦したという発言は、私は許しがたいと思いますが、いかがですか。


◯横山教育長 実は大変な誤解があるようでございますが、私どもは教育委員会として教科書採択の議論をする前に二つの前提がございます。私どもは国の検定を経た教科書以外の教科書を選んだわけではございません。あくまでも検定を経た教科書の中で、かといってそういう中でも学習指導要領をどう踏まえているか、ただ判断する要素がございますので、その中からまず選ぶ、したがって、検定を経たといいますのは、まず第一に内容についての正誤、ただいまいろいろご議論ございましたけれども、内容についての正誤について教育委員会が個々に判断するのはやめる。もう一点は、検定を経ている教科書である以上、その発達段階に応じた難易度、難しいかどうかでいろんな議論がこの協議会でございましたけれども、発達段階に応じた難易度についての検定の中身である、この二点を前提に私どもは採択の協議を行ったところでございます。


◯曽根委員 しかし、教育長はこうもおっしゃっているんですよね。扶桑社の教科書は新学習指導要領の中にある、我が国の歴史に対する愛情を深め国民としての自覚を育てるという新しい目標に非常に沿っている、その点で適切なんだというふうにおっしゃっているんですね。これは単にこの教科書が難易度やそれから検定を通ったというだけではなくて、いわば最大の問題点として指摘されている戦争に対する見方について、じゃ、あの戦争を賛美することが我が国の歴史を愛するという心を育てるのかというふうに受けとられても仕方がないいい方だと思うんですが、いかがですか。


◯横山教育長 どうもそういう見方をされるのは私自身は非常に不本意なんですが、今委員がおっしゃった目標というのは、今回の新しい学習指導要領であえて歴史教科書に追加をされた目標ですね。先ほど申し上げましたが、国家検定、国の検討を経た教科書の中でも、それぞれの記述によって学習指導要領がどう踏まえられているのか、それは非常に幅がございます。その幅の中で採択する場合に、私としては新たに加わった学習指導要領の目標、それを重視したと、そういうことでございます。


◯曽根委員 教育長が重視したという我が国の歴史に対する愛情を深めるという新しい目標、これが掲げられていると同時に、新しい学習指導要領の中には他民族の文化、生活などにも関心を持たせ、国際協調の精神を養うとか、歴史的事象を多面的、多角的に考察し公正に判断するとともに、適切に表現する能力や態度を育てるとか、単に我が国の歴史を愛するというだけではなくて国際社会の中で生きていく日本人として、また社会の構成というものをきちんと見きわめるべき社会人に育てていかなければならないという教育基本法の立場を踏まえて書かれているわけです。
 私もこの新しい文言についての解釈は云々としても、それでどうしてこのつくる会の教科書が選ばれなければならないのか、この点については今はっきりした基準、教育長なりの価値判断の基準というのは余り話がなかったと思うんですが、私は少なくとも教育基本法を全文読む限りは、不当な支配に屈することなく──これは憲法に基づいて戦争の惨禍からの反省のもとに教育は成り立っているんだという、戦後教育の最大の原点に全く相反する教科書であるというふうにいわざるを得ないんです。教育長は、教育基本法を守らなければならない教育委員の中でも、公務員ですよね。ですから私は、そういう意味では逸脱があるというふうに思うんですが、教育長は教育基本法の立場を踏まえて教育委員としてのこの発言や教科書に対する評価を行ったんですか。


◯横山教育長 今のお話を聞いておりますと、最初に扶桑社の教科書ありきというようなご議論ですが、そんなことは絶対ございません。私どもはすべての教科書を各委員が相当精査した上で、相互比較した上で検定を経た中の一冊である結果的に扶桑社の教科書が採択をされたと、こういうことでございます。


◯曽根委員 最後に意見にしますけれども、今の教育長の答弁ちょっと残念だったんですが、扶桑社の教科書が検定に合格したかどうかというのは、私どもは合格そのものが誤りだというふうに思っていますが、それにしてもこの内容の特徴で、どこが子どもたちに、日本の歴史を愛する心を育てる部分なのか、そういうものに即しているのかというお話、教育長なりの価値基準というのがあると思うんですが、そこは聞けなかったのは残念です。また機会を見つけて議論したいんですが、結果として東京と愛媛で障害児、病弱児にこれが選ばれているんですが、私たちは、障害者、養護学校に通っている子どもたちやその親の方々が一番、かつての戦争の時代には苦労した障害者の方々であり、また養護学校の教育の現実から見てこんな教科書を押しつけられる場所じゃないということを、皆さんは心の底から叫んでいると思います。それから、全国のすべての区市町村、ほとんどの県の教育委員会が扶桑社の教科書の採択を拒否している、この重い事実こそ受けとめるべきだということを申し上げておきたいと思います。
 終わります。
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