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はじめ通信・緊迫のホットメール8・19
「作者の既成社会への不信と日本衰退への焦り・・にも拘らず、予感の鋭さには拍手を送りたい」(「希望の国のエクソダスを読んで」)
●北大時代の人形劇サークルOB会のインターネットの掲示板サイトでのやりとりがきっかけで、村上龍の「希望の国のエクソダス」を読みました。

 2000年に書かれたこの本の冒頭は、アフガニスタンに義勇兵として飛び込んだ日本の中学生の存在から始まっていて、その後の実際の事件をみれば、作者の予感の鋭さに驚かされます。

●ただ、この中学生(愛称は「ナマムギ」)は単なるきっかけで、その後、インターネットの「ナマムギ」通信というネットワークでつながった数十万の中学生の集団不登校と、さらには集団で学校を占拠し学校改革、中学生のネットワークを生かした情報会社、技術訓練学校の設立、さまざまな企業と結んで金融市場まで介入し、最後は北海道に事実上の独立国を造り上げていくまでを描いています。

●興味深いのは、この一連の中学生の、いわば「革命」劇をほとんど挫折や失敗なく導いていくリーダーとして作者は、脱サラの親をもつ小柄な田舎育ちの少年という設定を与えていることです。
 彼らは支配者とか指導者をもたず、それぞれ地方ごとにグループをつくる形で活動するのですが、インターネットの悪用を防ぎ、しまいには国会での演説まで演出する小柄な主人公「ポンチャン」は作者の日本の未来を託せる理想の人物像とかんがえられます。

●いまのところ日本のどこにもこんな少年は見あたらないのは承知の上で、いずれそれに近い存在が現れると期待しているようです。しかし、残念ながらこんな少年像が誕生してくることは困難としか言い様がありません。理性や知識などは彼らの程度のレベルはいたとしても決定的なのは多くの共通の仲間とつながりあえる経験です。その機会はほとんど保障されていません。問題は知識だけでは絶対得られないこうした体験をいかに育てるかだと痛感します。

●北大先輩のある高校の先生によると、意識のある生徒には、この作品は相当のインパクトを与えているらしい。
 ただ、わたしは、ポンチャン達が造るいわばユートピアがわざとらしく綺麗ごとの世界として描かれているのがとても気になります。日本の国家権力や政党、さまざまな企業や大人の社会が、あまりにひ弱に描かれ、少年たちの国家の離脱劇に無力なのも夢物語に過ぎます。作者は結局のところ、最後はリアリズムをあきらめ、夢のお話で済ませたのではないか。だとすればやっぱり子どもだましではないかと思わざるをえません。

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