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はじめ通信・04なつのたたかい725

40回の節目の慰霊祭に300人越す参加者
山口衆議員、秋田、曽根で参列


○7月25日、恒例となった東友会(東京都被爆者団体)主催の被爆者追悼の集いがおこなわれ、日本共産党から、山口富男衆議院議員とともに、地元の秋田かくお議員、私が参加しました。
 川沿いで、少し風が渡ってくるとはいえ、連日の猛暑の中で、最前列の役員席の藤平のり会長や飯田マリ子副会長(北区の会「双友会」会長)などは直接日差しを浴びてつらそうで、少し後ろでテントの影の下にいる我々は、申し訳ない思いでした。

○会場の東海寺の住職を始め、品川仏教会の僧侶の方々の読経がはじまり、この1年間でなくなった被爆者の方々、前会長の田川時彦さんや、伊東壮さんの名前もでており、例年参加している私が聞いていても、非常に数が多かったように思いました。焼香者の列も例年に比べ大変多く、全体で参列者は300人を超えていたと思います。
 山口衆議員は、「戦争の匂いが近づいているときだからでしょうか」と、つぶやいていました。

○残念ながら、私は地元の北区で選挙の報告会があり、どうしても焼香の後で失礼しなければなりませんでしたが、各党からもベテラン都議会議員の参列者が来ていました。

○夜、NHKのアーカイブスで、「失われし時を求めて・ヒロシマの夢」という早坂暁夫のドラマを再放送していました。突然の白血病発病を苦に、妻子を残して海に飛び込んだ男が記憶喪失となって、ほかの女性と同棲を始める。10数年たって記憶の一部が回復して身元が判明し、連絡を受けた広島の妻と自分の両親が訪ねて来る。そこからさらに苦しみが広がります。
 15年前の作品ですが、いま、これだけの役者を集めて、広島を真正面から描いたドラマが創れるだろうかと少し不安になりました。

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