はじめ通信・子どもと教育のはた4−715 長崎の事件・・その後におきたさまざまな出来事をどう捉えるか(その1) 長崎で6年生の少女が同級生を殺害する事件が起きてから1ヵ月半がたちます。この間、膨大な報道と論評、またこの事件をめぐるさまざまな動きがありました。その中から、今後に残すべき教訓や私自身が気にかかった問題をいくつかピックアップして考えてみたいと思います。 (1)あまりの非常識・・政治家の暴言や事件の政治的悪用 事件が報道された直後から、事件に関する政治家の発言が相次ぎました。 ●井上防災担当大臣の「女性が元気になってきた」ことの現われかのような発言に、またかと思った人は多いでしょう。ちょうど1年前の幼児投げ落とし事件の際に、加害児の親を「市中引き回しに」すべきという趣旨の発言をしたのが、やはり当時防災・危機管理担当大臣だった鴻池氏でした。井上氏はマスコミの追及や関係者からの抗議にも「間違ったことは言ってない」と開き直り、なかなか撤回しませんでした。小泉首相もとがめだてせず、官房長官も「誤解解く努力を」求めただけ。結局、国会質問で追及され撤回したのは1週間後でした。他にも事件に関連して谷垣財務大臣の「放火は女性の犯罪」などの暴言もありました。 ●もっとひどいのは、阿部幹事長が事件に触れて、人を愛する心や国を愛する心を教えるよう、早く教育基本法の改正が必要だという発言をしたことです。まさに、事件の政治的悪用であり、これには日の丸君が代の押し付けとたたかっている保護者の会の皆さんなど各界から非難轟々のありさまでした。これもいまだに正式に撤回したという話を聞きません。 ●6月8日・9日の都議会代表・一般質問では、いっせいにこの問題を各党が質問しましたが、自らの提案などを明確に述べたところはありませんでした。むしろこの問題での国のやり方を反映して、再発防止のためには、学校でも家庭でも、さらに徹底して「命の大切さ」を教え込み、子どもの行動や心理を監視していく流れが強まりそうです。 石原知事が「大人も子供もこらえ性がなくなっている。」「耐性、我慢を教えることが必要」 と答弁すると、「我慢を教えろ」の大合唱になる都議会の現状にはあきれました。いずれにせよ必ずこうした事件を国家への忠誠や排外的民族主義の高揚に利用しようとする動きが強まるでしょう。警戒が必要だと思います。 ●私自身は、この事件に直接対応しようとして類似事件の再発を防止するために子供を監視したり、「生命の価値」を上から一律に押し付けたりすることは最もおろかな対応だと思います。 6月11日には「教育ビジョン」の質疑の中で、初めてこの事件に触れながら、いま我々に出来ることは限られているし、むしろ教育諸条件のベーシックな部分の充実を急ぐべきだという観点から発言しました。 (2)加害少女や、被害少女との人間関係の何が異常なのか ●事件の直後、マスコミは加害少女と被害少女の自宅に殺到し、その家庭環境についてあれこれ取材し、その中に事件の原因を探ろうとしました。しかし、そこには教育熱心な家庭像があるだけで、両親は加害少女のクラブ活動を勉強の支障になるからとやめさせたことなど、一般的に「子供に無関心、しつけが弱い」などといわれているのに比べ、むしろ子供の生活に干渉的なほど積極的にかかわっていたようです。非行の原因としてよく言われる「ひとり親家庭」や「一人っ子」でもありませんでした。こうした外形的・表層的な要因から推し量ることが出来ないことだけが浮き彫りになったのです。昨年の幼児虐待事件の加害児のように動物虐待の性癖があったわけでもありません。 ●学校での教育内容に原因を探る動きもありましたが、明確なことは出ていません。 学校長は、昨年の事件以来、県の指導などもあり、道徳教育には力を入れてきたと述べていましたが、過激なやり方をとっていたということはなかったようです。 一方で30代の男性の担任教師が未だに長期休養中です。30代で最高学年を担任し、おそらく張り切っていただろうし二人の少女を教え子として誇りにしていたに違いない担任のショックの大きさは、想像するに余りあります。 周りのクラスメイトは、少女がいらいらしていたことに気がついていたといわれますが、それがこれほど残酷な事件のサインだったなどと誰が判断できるでしょうか。この事件の深刻さは、まさにそこにあるのだと思います。 ●私はこれまでの膨大な報道を可能な限り調べてみました。まだ発見されたり報道されていない重要な事実があるかもしれませんが、加害少女個人の生い立ちや環境に取り立てて異常がないかぎり、やはりインターネットの世界へののめりこみが彼女を異常な心理と行動に追い込んでいったということを考えざるを得ません。 前回の「子供と教育のはた0602」で、私は子どものインターネット使用に制限がかかるのではないかと指摘しましたが、不思議なことに「インターネットのモラル教育」などの取り組みはあっても、未だにパソコン教育を一時やめるとか、子供のパソコン利用を制限するという話はありません。私も、学校などで制限するだけでは本質的な解決にならないとは思いますが、小学生の低学年からパソコン教育の普及促進の立場を無反省に続けていることには、一体誰の利益のために教育をやっているのかと、疑いたくなります。 ●ネットによる掲示板やチャットなどが、大人でさえ異常な心理を引き起こす危険があることは、専門家には以前から知られていました。 8年ほど前、共産党がホームページを開く少し前に、党の幹部でパソコンに詳しい人たちが集まったことがあり、私もなぜか参加しました。 その参加者の一人から、当時の日本で唯一とも言うべきインターネットの政治・社会問題の討論掲示板にのめりこみ、論争相手を論破するために昼夜の別なくメールを打ち続けて、仕事も生活も投げ出してしまった人物の存在を聞きました。ましてや子どもの心理を占領してしまう力が、ネットの世界にはあるということを、もっと深刻に知っておくべきだと思います。 (つづく) |