雑記



『 あくる朝 』

あくる朝、
いつにもまして日射しが明るい。
新緑がきらめいている。
木漏れ日の明暗が草立ちに落ち、タンポポが黄色く花弁を揺すっている。
美しき自然の営為は、ニヒリズムに介在を許す寸暇も惜しんで、
変わらず、迷うこともなく、一日をただ一日として、
いつまでも健康であることをやめない。
それは根底から暗くくすんでしまったかに思われたわたしの目にさえ、
まばゆく、いとしく、憧れであり続けていた。

慰めや愛おしみは、その人の苦難を排することでは、為しえない。
その人の心底にはまだ、ニヒリズムの浸潤を阻むべく、
自然の健やかさと響き合う、自然体ともいうべき一片が、
いまは見失ってしまったその人にも、たしかに在ることを気付かせればよいのだと、
そう思われる。
心の軋みであれ、生命の向ける眼差しとまで混じり合うことはない。
また身体の存する限り、世界が絶えて無くなることはない。
してみれば、哀しみ暮れる時間を誰と共にあるのか、
わたしは眼前に顕わなる自然に寄り添い、今は過ごしたい。

恣意に無為は説き伏せられぬから、哀しき心の鳴動は、どこかうつつに届かぬ。
うたかたのごとく、返るべき土もなく、ただその出ずる所に漂い、やがては弱り消える。



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