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| 恣意は、選ぶ術を有するが故に、選択をすらしない。 これがニヒリズムの本性なのであった。 そこには何のこだわりも嗜好も必然さえも存在せず、恣意の耳目に対象化されるや遺棄されるという、ニヒリズムに 懐柔された人間の人間らしさがある。人の善性への信仰は、ニヒリズムへの終結を始まりに、遺棄した事象に敢えて も手を差し延べる力の、その原初的所有を、人間の特性であると信じることであった。結果この信仰に至ろうとも、こ れを知るや知らずやという自覚の対立において、その隔たりは深く沈痛である。ニヒリズムの海に泳ぎ出す倦怠を知 らずは健康ばかりである。即自たらんとする健康にとって、恣意が織りなす虚無の暗闇は、光が影を見知せざるよう に、まさに「存在しない」という意味、存在の相克でしかない。 |
| 『一日の方針』 朝はよく考え、昼はよく行動し、夕はよく食べ、夜はよく寝る (韓国三星出張から帰国の折り、ANAの機内パンフで見つける) |
| 心身の動揺が語音を発する。しかれこそ、発語の最奥に心身の細動を見よ。意志薄弱な身体と放恣奔放な感情と が、理性を差し置いて言葉を語ろうなどとは! わたしの活動を阻害しその存在をも危ぶめる、健康ならぬ残影の発 言を、看過し放任してはならぬ。なにより、情動の語りは、情動そのものへの没入の深化、自己陶酔への鼓舞であ ろう、これが悲哀であれば堪らぬ。芸術のプロセスというなら、悲哀が歓喜であろうが憤怒であろうが、いずれ変わ らず作品への昇華を目指すかも知れぬ。だが、日常における悲哀は辛く耐え難い。あまつさえ、しつこいのだ。 |
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