神聖暦358年、『聖魔大戦』終戦の時期において最もインジェラ・ルーシエラ両陣営を揺るがせた出来事を挙げるならば一に魔道砲(ルーシエラ側ではエルラン砲とも呼ばれる)によるインジェラ軍、ボルボレード攻略部隊壊滅、二にボルボレード再攻略戦・そしてエベルザードの戦いおける戦いの帰趨。
そして三に・・・先の二つの戦いにおいて最も大きな功を成さしめた者・・・それ以前はお荷物としか見られなかった者。
インジェラ軍第七聖部隊隊長、第七聖騎士ヒューイ・エルザード・・・かつて『昼行灯』と呼ばれ今ではインジェラ随一の智将・・・彼のルーシエラ投降だった。
彼の投降によりこのまま終戦に向かうかと思われた戦局は再び流動化した。
だが、長い目で見ればもはや戦争の終末は判りきっている。
ルーシエラがどれだけ押し返したとしてもそれは一時的なもの。
いずれは押し戻されそして戦いの決着は着けられる。
人一人が加わった所で大勢が覆せる訳が無いのだ。
だが、ヒューイはそれでもインジェラに背を向けた。
敗将として、そして裏切り者の汚名を受ける事を全て承知で彼は今まで共に戦ってきた仲間にも部下にも友とも袂を別った。
この永き戦いの真実を敗亡した者からの視線で見る為に。
そして永き目の通りルーシエラは一時的だが勢いを取り戻したが結局は押し返され、全戦域で瓦解し首都決戦も避けられぬ事態となった。
敗走したルーシエラの各部隊が首都リュートに結集し、後の無いそして勝ち目の無い最終決戦に挑もうとする中、未だ着けぬ者もいた。
「で、あとリュートまでどの位なんだ?」
そう尋ねるのは水色と蒼を基調とした鎧を身に纏った青年・・・ヒューイ・エルザード。
そして、その質問に答えるのは打って変わって黒の鎧に身を包んだ女性・・・
「そうだね。このペースなら後、三日と言った所だよ」
ルーシエラ将軍、そして投降してきたヒューイを客将として迎え入れた張本人、そして彼と想いを通じ合った女性・・・ジュディ・アンヌマリーだった。
「げっ、まだそんなにあるの?」
やや・・・いやかなりうんざりした口調で再確認するヒューイに
「仕方ないじゃないか。何しろ夜の内しか移動出来ないのに加えてインジェラ軍に見つからない様にかなり迂回している。むしろこれでも早い方だよ」
小言にも慣れたのだろう。
笑いながら言うジュディ。
「へいへい、で今夜はここで野宿か?」
「そうだね。まあ仕方ないけど」
そう言って残り少ない保存食で食事を済ませ、二人は横になる。
「じゃあ、お休み」
「はい、お休み」
一方・・・インジェラ教国首都パルミラから東方にある小さな町。
そこの私塾に一人の騎士が訪れていた。
「・・・そう、じゃあ」
「はい、既に第一聖部隊はルーシエラ首都リュートの最後の障壁エスタシアを攻略。もはや終戦も時間の問題です、アルテア先生」
車椅子に座る女性に敬語で話しかける騎士。
女性の方はかつてインジェラ軍南方方面軍参謀長を勤めたアルテア・フェリア。
もう一人はかつての教え子で今ではインジェラ軍首都防衛隊総司令官の要職を務めるグリーザ。
「それにしても良いの?グリーザ君、首都防衛隊総司令官がこんな辺境で油売っていて」
いたずらっぽく、笑いかけるアルテアに
「ははっそうですね。ですがもう首都防衛隊は用無しですよ。前線はデュシスが押さえていますし、アルビダブも結局はエスタ防衛隊のシルエラ様が攻略に成功なさいましたから」
自嘲するでもなく自然に笑うグリーザ。
だが、かつては張子の虎、愚連隊などと呼ばれ軽蔑されていた首都防衛隊を本来の姿に立ち戻らせた最大の功労者がこのグリーザだった。
人員を整理し、編成を建て直し、不適応者を除外する・・・それこそ山のように積み重なった課題を一つ一つ確実にこなしていき、今では彼が手を出さずとも部隊として機能するまでに回復していた。
だからこそ、総司令官がこの様な辺境にいる事も出来るのだが。
「そう・・・でも出世したわね、グリーザ君も。私の教え子がいろんな部署で活躍していると聞くと嬉しいわ」
「俺なんかはまだまだですよ。それに多くの同期がもういませんから素直に喜べません」
「そうね・・・」
七年前のアリハト方面に出撃したカリオス学徒隊の時もそうだった。
あの時はアルテア自身が指揮を取り被害を最小限に食い止めようと努力したがやはり犠牲は出た。
それが戦争なのだと抗弁するのは簡単だろう。
だが、それで割り切れるほど彼らは悟りきってはいない。
そしてこの数年でその数は激増した。
かつて学徒隊で第六戦隊を指揮していたジェイは第五聖部隊の一隊を指揮していたが『双頭の竜』作戦が失敗した退却戦で味方を逃がす為殿となった部隊の更に殿となり奮戦空しく戦死した。
また、第三戦隊を指揮し、デュシスと共に聖騎士に任命された第四聖騎士グロウは、先のアルビダブ防衛戦で戦死した。
その他にも多くの同期が既に死に、生き残っている方がもはや少数派となっている。
アルテアの知る限り生き残った彼女の最初で最後の教え子は目の前にいるグリーザ、いまや英雄となったデュシス、そして退役し今はこの私塾を経営しているマユラ。
それと・・・
「それとグリーザ君」
アルテアが躊躇いがちに尋ねる。
「はい?」
「ヒューイ君はやっぱり・・」
「・・・」
その質問に聞いた方も聞かれた方も表情を曇らせる。
「はい・・・事情は不明ですがルーシエラに投降し現在は消息不明です」
風の噂に聞いていた。
ヒューイがルーシエラに投降したというのは。
だが、実際にその事実を耳にするのとでは衝撃もまた違う。
「・・・」
沈んだ表情で俯くアルテア。
「アルテア先生・・・」
グリーザもまたどういって良いのかわからず言葉を失う。
「ごめんねグリーザ君。せっかく来てくれたのに変な事聞いて」
「いいえ・・・俺の方こそすいません」
今でも信じられない。
ヒューイがインジェラを裏切ったのが。
何が彼を裏切りに追い込んだのか?
それは誰にもわからない。
ヒューイは夢を見た。
最初そこが何処なのか?
彼にはわからなかった。
だが、直ぐに思い出した。
『あんたは逃げちゃいけなかったんだ。どんな事があってもあの人の傍にいてやらなくちゃいけなかったんだよ!』
かつての自分の声によって。
七年前アリハト地方ハンザのあの場所。
かつての自分が一人の敵将を討ち取った時。
『それが・・・それが守るって事だろ?アインマール』
かつての己の言葉が胸に刺さる。
『ふふふふ・・・そうかもな・・・だが貴様にそれが出来るのか?』
『してみせるさ』
『ふ・・・ふはははは!!・・・無理だな。貴様は俺と同じ眼をしている。いずれ俺と同じ様になるさ』
しかし、それもアインマールの言葉に比べれば衝撃も軽い。
ヒューイの未来を正確に言い当てていたからだ。
『俺はあんたのようにはならない!!俺はそんな弱い人間じゃ』
かつての自分の言葉も虚しい。
『いいや同じだ。お前の眼は優しすぎる。いずれこの国の過ちに気付いた時お前は』
『黙れ!!!』
深く剣がアインマールの身体を抉る。
『がはっ!!』
『俺は・・・俺はきっとあの人を・・・』
『ふっ・・・期待してい・・・る・・・』
力尽き息絶えるアインマール。
その瞬間意識が反転する。
グリーザが帰ってからもアルテアは静かに佇んでいた。
そこに一人の少女が近寄る。
「アルテア?」
「マユリ?」
七年前、アルテアが後見人となった少女。
「どうしたの?」
口数も少なく尋ねる。
「ええ・・・少しね」
ぎこちなく笑う。
「・・・ヒューイ、ルーシエラに降ったって本当?」
「!!」
思わず見上げる。
「いろんな人が言っている」
「そう・・・」
人の口に戸は建てられない。
ヒューイの投降は最重要機密となっているが噂と言う形で漏れていた。
「ええ、本当よ」
感情を抑えようと躍起になっていた。
「・・・ヒューイ見た時に思った」
突然マユリが話し出す。
「??」
「ヒューイ、アインマールに似ているって」
アインマール・・・かつてインジェラの一軍を率い、アルテアと同じ師に学び、そしてヒューイと同じくルーシエラに降った男。
七年前アリハト方面でアルテアはアインマールと激闘を繰り広げアインマールは戦死した。
その時アインマールに実際に殺めたのが学徒隊にいたヒューイだった。
「似ている?まさか、ヒューイ君とアインマールとじゃタイプが全然違うじゃないの」
その意味を明確に判っている筈だが、アルテアはあえてその意味を曲解した。
「アルテア判っている。ヒューイとアインマール同じ空気を纏っていた。同じ眼をしていた」
「・・・」
そうだった。
マユリはアルテアの庇護下に置かれる前はアインマールの庇護に置かれていたのだ。
ヒューイとアインマール、片方の事を良く知っている者は多数いても、この二人の事を良く知っているのはアルテアとマユリだけ。
アルテアに判る事が彼女に判らない筈がない。
「・・・そうね・・・」
暫くして頷いた。
「最初ヒューイ君に会った時直感したわ。この子とアインマールは似ているって・・・自分以外の誰かの死や不幸をきっとこの子は背負って行くだろうなって・・・」
本人に面と向かって言えば一笑に付されるだろうけどと付け足す。
だが、アルテアの直感は正しかった。
アインマールはかつて命じられたとは言え軍人でも兵士でもないただの村人を殺しその罪を、ヒューイも罪有りとは言え、権力と世襲制の力によってあえなく自分の腕の中で死んでいったソミア・アルスタの死をそれぞれ背負い、ルーシエラに降った。
状況は違うが二人とも無理に背負わなくても良い人間の事を背負いその結果袂を別つ道を選んだ。
「いわば合わせ鏡だったのよ・・・あの二人は」
俯く。
数年前、首都パルミラを離れる時、彼の教え子だった少女に尋ねられた。
付き合ったのかと。
それに対しての答えは否だった。
好きだったから付き合えなかったとも答えた。
好きであれば互いの嫌な部分も見えてしまうと。
そう・・・アルテアはどうしてもヒューイ・エルザードを見ようとしてもヒューイを通してアインマールを見てしまう。
人の心を読む事には極めて優れたヒューイだ。
それに直ぐに気付くだろう。
そうなればその結果は遅かれ早かれ互いを傷付けてしまうだろう。
だからこそ付き合えなかった。
「・・・私と付き合っていたらヒューイ君、アインマールと同じ道を辿らなくてすんだのかしらね?」
それに明確な答えを出せる者はいない。
ましてや、もう時は巻き戻す事は出来ない。
ただ進める事しか出来ない。
周囲の人間の嘆きをよそとして・・・
視界が反転する。
眼を覚ましたかと思ったが違った。
「小僧、久しぶりだな」
目の前に立つのは
「・・・アインマール・・・」
紛れも無くあの男・・・あの時彼が殺した男・・・アインマールだった。
「夢か・・・」
「まあそんな所だ。どうだ?俺の言葉が正しかっただろ?」
「・・・」
沈黙を通す。
「別に責めはしないさ。お前を見た時直感した。お前は必ず俺と同じ徹を踏むってな」
「!!」
とっさに反論しようとしたが。
「違うと言いたげだな。だが同じだ。上官の命令とは言え民間人を殺した俺と殺される立場の人間に頼まれたとは言えその手で殺めたお前と」
言い返せなかった。
その通りだ。
どんなに抗弁しても彼が目の前の男・・・かつて自分が最低だと斬って捨てた・・・と同じく、全てを裏切り敵に回った事に変わりは無かったのだから。
「リュートに向かうのは死に場所を求めての事か?」
「!!」
「ふん、友を殺した事がよほど堪えたと見えるな」
その笑みはヒューイの内心を見透かしているかのようだった。
「だがな・・・」
アインマールの笑みがここで微妙に変化した。
それは相手を見下すような笑みから
「貴様のような若造が死に場所を求めるなんて百年早い。老醜を晒してでも生き延びて、自分の選択に相応しい結末を見出してから死ぬんだな」
厳しいながらも温かみのある笑みに変わっていた。
「ああ、そうさせてもらうさ」
この男にここまで言われて嘲笑われて死ぬ訳にはいかない。
険しい表情を続けながらヒューイはそう応じ返す。
「そうだ。それで良い・・・期待している・・・」
その言葉に満足げに頷き、アインマールは静かに消えていく。
しかし・・・なんと言う皮肉か、アインマールの最後の言葉があの時と同じ台詞とは・・・
「ヒューイ・・・ヒューイ」
「ん??」
眼を開ければそこにはジュディが怪訝そうに覗き込んでいる。
「どうしたんだい?君にしては珍しくうなされていた様だね?」
「うなされていた?そうか?」
あえてとぼけるヒューイに
「ふふっ、すごい汗だよ」
そういって布を差し出す。
「悪いな」
「どういたしまして。さあ出発しようか。リュートまであと少しだよ」
「そうだな」
二人は再び、歩き出した。
リュートでヒューイが最良の友と再会する二日前の出来事だった。
後書き
今回はキャッスルを書かせて貰いました。
きっかけはやはりアリハト戦記をプレイした為ですね。
これをやってから再度聖魔大戦をプレイしてみると湧き上がる感慨がまた違ってきます。
特に今回の作品でも書きましたがアインマールがヒューイに投げかける言葉には暫し余韻に浸っていました。
本当にヒューイの今後を明確に予言していましたから。
そこからこの作品の骨格が出来上がり、ようやく完成しました。
後、ヒューイ、デュシス、グロウ、マユリ以外の学徒隊の現状については完全な憶測です。