返事をする事なくまじまじと士郎の顔を見つめる二人に苦笑しながら説明に入る。
「聖杯の器がアイリスフィールさんの体内にあるのではと言うのは、俺が経験した『聖杯戦争』時にイリヤ本人の口から聞いた事から推察した事です。お二人の様子から察するにあるんですね?」
二人共揃って頷いてから切嗣が問う。
「エクス・・いや士郎」
クラス名ではなく真名で呼ばれ、士郎の表情がややほころんだ。
だが、それも一瞬で、すぐに表情を引き締める。
「なんだい爺さん?」
「質問がある。何故アイリの体内から器を取り出そうとするんだい?冬木に急行し大聖杯を破壊してしまえば良いだけじゃあ」
「うん、普通に考えればそれで事足りると思う。・・・だけどそれを実行にするには二つ懸念事項があるんだ。だから最初は俺達も通常の聖杯戦争のマスターとして参戦し、しかる後に摘出した聖杯の器と大聖杯を破壊しようと思うんだ」
「懸念事項?」
「それって大聖杯の場所が判らないとか?それなら・・・」
「いえ、大聖杯の場所は既に判っています。師匠とも確認してここの並行世界と俺のいた世界での差異は全くないと確信しました」
「じゃあ懸念事項と言うのは?」
「まず、大聖杯に至るまでの道に遠坂や間桐の警戒の眼があるか否かです。いくらアインツベルンの陣営とは言え戦争の準備もせず、ましてや他のマスターなど眼中にないとばかりに一目散に大聖杯に向かうとなれば、いらぬ疑惑を抱かれかねない」
かつて士郎は何の苦も無く大聖杯に潜入できたが、それとて聖杯戦争破綻の危機に全陣営が大聖杯に向かったから警戒もされなかったし、している余裕も無かったからにすぎず、当時と今ではあまりにも状況が違い過ぎる。
冬木を自身の領地とする遠坂が、聖杯戦争において最重要地点である大聖杯に何一つ警戒をしていないと言うのはあまりにも考えられない。
ましてや遠坂の現当主時臣は娘である凛、桜と綺麗な綺礼(皮肉を込めて凛はこう呼んでいる)から世間話がてら聞いた話だと遠坂のお家芸(と書いて呪いと読む)である、うっかりなど持っていないのではと思わせる程魔術師としても一人の人間としても完璧だったようだし、そんな人間が大聖杯の警戒と監視を怠るなどあり得ない。
監視の目は少なからず存在しているだろうと考えるのが妥当かつ当然の考えだ。
あくまでも奇跡の聖杯を目指して戦うのに、それを無視しての行動から自分達の目的が白日の下に晒される事を恐れての事である。
些細な食い違いから、練りに練って知恵の限りを尽くして描いた計画が、あっけなく瓦解すると言う事を士郎は生前の放浪生活と死後の神霊となった日々から実地で学んでいた。
「そしてもう一つ、これは最初の懸念に関連してだけど、万が一にも俺達の目的が露呈した時下手をすれば全陣営からの攻撃に晒される危険性がある」
その言葉に切嗣は苦い表情で士郎の言葉の正しさを認める様に頷いた。
「なるほど・・・聖杯戦争の根本を破壊しようとする陣営がある。そいつらをのさばらせれば奇跡を手にする事は出来なくなる・・・とでも言えば血眼になるか・・・」
目的は殺し合いではなく奇跡を手中に収める事なのだから、それは十分に考えられる事態だった。
「更に付け加えるならば討伐した陣営には何らかの報酬なり特典でも与えると運営が言えば完璧だと思う。あっという間にバトルロイヤルは一方的な狐狩りへと変貌する」
「えっと・・・簡単に言うと聖杯を破壊しようとする時に邪魔をされない様にしたいと言う事?」
アイリスフィールの言葉に笑いながら頷く士郎。
「そう言う事です。付け加えるなら仮に気付かれても邪魔をする陣営を可能な限り退場させておきたい。そう言う事です」
「それは判ったわ。でも・・・どうして聖杯の器を取り出そうと」
アイリスフィールの疑問はもっともだ、別に聖杯の器を取り出さなくても聖杯戦争に参戦も出来るし、破壊するのに何一つ支障もないはず。
「それは戦後を考えての事です」
思わぬ言葉にアイリスフィールは士郎が今何を言ったのか判らなかった。
「せ・・・ん・・・ご?」
思わず片言でその単語を口にする。
「そうです。アイリスフィールさんはこの聖杯戦争が終わっても生きなくちゃいけないんです。爺さんの為に、何よりもこの並行世界のイリヤの為に」
「!!」
思わず息を呑んだ。
イリヤを汚れた聖杯の贄にしたくない。
ただ、その一心でアインツベルンへの背信を決心したアイリスフィールだったが戦後の事、ましてやその後のイリヤの事を考えた事など一度もなかった。
だが、それをアイリスフィールの怠慢と弾劾するのは酷な話だ。
この聖杯戦争でアイリスフィールは、切嗣の夢と理想の為に人柱となる事を九年前、イリヤスフィールを産んだ時から既に決心していた。
それがまさしく急転直下とも言える事態の急変に頭も身体も追いつかないのは無理もない事。
何しろ切嗣すらこの状況を完全に把握下には程遠い。
「と言う事なので、アイリスフィールさんには今後の身体に支障を及ぼしかねない聖杯の器を摘出して」
「待ってくれないか?士郎」
そこに切嗣が口をはさむ。
「簡単に言うがどうやって摘出する気だ?聖杯の器はアイリの身体に最も適しやすい心臓と一体化している。いや、心臓どころかアイリの内臓全体に分散して溶け込んでいるとアハト翁からも聞いた。その状態では・・・」
聖杯の器を摘出する事はアイリスフィールを殺す事と同じ事。
そう言い掛けた切嗣の言葉を遮る様に
「それについては詳しく説明するけど爺さん、これだけは信じて欲しい。俺の事を、アイリスフィールさんを殺す真似は決してしない。無事に聖杯の器を摘出する」
常に無い程強き意思を持った士郎の言葉と眼光がそう宣言した。
結局、切嗣、アイリスフィールは士郎の言葉を信じる事にした。
士郎の気迫に圧された事もあるが、摘出の場に切嗣の同席を当然の様に認めた事も大きかっただろう。
「じゃあ始めます」
場所を礼拝堂に移した士郎はアイリスフィール、切嗣に当然の様に告げた。
二人共かすかに息を呑み静かに頷く。
「じゃあアイリスフィールさん・・・大変申し訳ありませんが服を脱いで祭壇に横になって下さい」
突然言われた士郎の言葉に、アイリスフィールは無論の事切嗣も普通なら動揺するなり激昂するなりして士郎に詰め寄っても可笑しくない。
だが、現実は二人共何も言わず、納得したような表情を浮かべる。
移動の際、士郎は二人に器の摘出方法を詳細に至るまで詳しく説明した為だ。
無言で頷くアイリスフィールは来ているドレスを脱ぎ捨て、異性は元より同性でも羨望の眼差しを向けるに違いない肢体を晒して祭壇に横になる。
「直ぐに終わらせます」
「ええ、お願いね」
その言葉と同時に静かに眼を閉じるアイリスフィール。
そしてそれを合図とした様に士郎は己の全てとも言える異能を発動させる。
「投影開始(トレース・オン)」
一小節の詠唱と同時に士郎の手に魔力が集中し、次の瞬間には士郎の手に一本の短刀が握られていた。
いや、短刀と呼ぶにはいささかならず無理があるかもしれない。
何しろそれは黒曜石を研いだだけで短刀らしさなど欠片もない。
だが、今回の目的にこの短刀は最も適していた。
「久しぶりに見るな」
いつの間にか現れたゼルレッチが懐かしそうに呟く。
「万華鏡(カレイドスコープ)あれが・・・」
話こそ本人から聞いたものの実際は半信半疑であった切嗣が言葉少なげに尋ねる。
「ああ、あれが士郎の唯一無二と言っても過言ではない士郎だけの力だ」
そんなやり取りを尻目に士郎は静かに短刀の切っ先をアイリスフィールの胸部の中心に軽く突き立てた。
当たるか当たらないかそんなギリギリの位置からゆっくりと胸部から腹部へと移動し、最終的には臍の少し手前で止まりゆっくりと引き上げた。
それと同時にアイリスフィールに異変が生じる。
まず、短刀が移動した胸部から腹部までに一本の線が開かれるや一気に切開され祭壇を礼拝堂の床をも血で汚す。
だが、当のアイリスフィールは苦痛に悶えて・・・いなかった。
それどころか
「んんっ・・・はぁ・・・」
その頬は紅潮し時折開かれる瞳は何処か潤み、悦楽に満ちているとしか言えないそんな表情をしていた。
そうこうしている内に今度は切開された場所から心臓を始めとした主要臓器が見えない手で引き出される様にアイリスフィールの体内から引き出され、それに呼応するように、
「あっああああああ!!」
アイリスフィールの身体は仰け反り、その口からは悲鳴にも似た嬌声が礼拝堂に響き渡る。
やがて、引き摺り出された臓器はゆっくりと床に下される。
それを確認するや
「投影開始(トレース・オン)」
士郎の手に生前より最も縁深き鞘が姿を現し、それに魔力を通しアイリスフィールの体内に埋め込まれる。
その瞬間、傷口は瞬く間に消え失せてしまった。
まるでいままでの事は全て幻であったかのように・・・
しかし、礼拝堂を汚す夥しい鮮血と血に塗れた臓器がそれは幻でない事を如実に指し示していた。
「ん・・・ぁ・・・終わったの?」
「ええ、摘出しました。どうですか?体調は」
士郎に問われてアイリスフィールは今しがた、斬り裂かれた筈の場所にゆっくりと指を這わせる。
そこに傷口はおろか傷痕すら微塵も存在していない。
あたかも全てが幻であったかのように・・・
「ええ・・・特に違和感はないわ」
「よし・・・ならもう心配ないな・・・じゃ、もう良いですよ」
そう言って今度は切嗣の方を振り返り
「爺さん、さっき言った通りここの始末は俺と師匠とでやっておくからアイリスフィールさんを」
「ああ」
頷いて切嗣は血に塗れたアイリスフィールに手にしていたタオルで血をふき取り抱きかかえる様に礼拝堂を後にした。
「さてと・・・後は」
「この血については私に任せろ士郎。一滴残さずこの並行世界から消してやる」
ゼルレッチが懐より愛剣を取り出し一歩前に進み出る。
「はい、お願いします」
と二人の視界の片隅で摘出されたばかりの臓器に変化が生じる。
見る見るうちに臓器が萎み霞の様に消えていき、それを反比例するように有機物の山から無機物の物体が姿を現し、最終的に臓器は跡形もなく消え失せ、臓器があった所には黄金に輝く器がそこにあった。
「こいつが聖杯の器か・・・」
「その様だな」
「しかし、これはどうするか・・・俺が持っても大丈夫そうだが・・・」
そう言って器を手に持ちつつ思案する士郎。
「まあ、今考えても仕方あるまい。聖女の末裔と話し合うよりないだろう」
「確かに、言われてみればそうでしたね。ちなみに師匠この血どうする気ですか?」
ふと気になった事を士郎が口にした。
「ああ、これか。このまま地べたにぶちまけるのももったいないからな、肉体維持に少し頂いて残りはコーバックの手土産にさせてもらう」
「そう言えば師匠もコーバック師も死徒でしたね。すっかり忘れていました」
「忘れるな」
「ははは、すいません」
「ああ、それと士郎」
そう言ってゼルレッチは士郎にケースを差し出す。
「先程頼まれた奴だ。受け取れ」
「ありがとうございます。わざわざ」
「気にするな。私も志貴や姫様達の事を聞く事が出来たからなささやかな礼だ。最後だが・・・士郎」
「はい」
ゼルレッチの声に背筋を伸ばす。
それだけの威厳と迫力があった。
「改めてだがお前に命ずる。士郎、大聖杯を破壊せよ。並行世界とはいえこの世界の大聖杯も同じだ。礎となった冬の聖女を辱め汚す。何よりも気に食わん。容赦も慈悲もいらぬ。完膚なきまでに破壊し尽くせ」
「判りました。俺もこの世界の俺があの災禍に巻き込まれるのを見るのは堪えます。爺さん達が決めた以上こちらも遠慮する理由もありません」
「ああ、では私はこれで失礼する。志貴達にもよろしく言っておいてくれ」
「はい、師匠もコーバック師、蒼崎師によろしく言っておいて下さい」
「わかった。ではな士郎。志貴共々また会えることを楽しみにしておる」
「はい」
その返事を返してから士郎はゼルレッチに一礼してから礼拝堂を後にした。
切嗣達の自室に士郎が戻るとそこには切嗣とすっかり身体を清めたアイリスフィールが戻っていた。
「ああ、士郎礼拝堂は」
「問題ないよ爺さん、師匠が後片付けしてくれたはずです。それとアイリスフィールさん」
視線を向けられたアイリスフィールはつい数時間前とはうって変った穏やかな笑顔で
「ええ、問題ないわ。むしろ前より調子が良いくらいよシロウ君」
彼女もまた士郎の真名を呼びかけ、士郎もアイリスフィールの返答に安堵したように頷く。
「良かった。器の方も脳髄には溶け込ませていなかったですし」
そう言ってアイリスフィールに器を差し出す士郎。
それを受け取りながら、いささか憂鬱そうな表情に変わると静かにため息を吐く。
その理由を切嗣は無論の事士郎もよく判っていた。
「それにしても・・・今回の摘出でシロウ君の・・・正確にはシロウ君が使う魔術の異常性がよく判ったような気がするわ」
「ああ、まさか宝具を魔力で創り上げるなんて異常も良い所だ」
臓器を摘出する短刀もそうだが、その後創り上げた鞘らしき物もそうだ。
一瞬で傷の治癒はもちろんの事、失われた臓器の再生までやってのけるなど想像すら出来なかった。
「うん、そう思うのも無理はないと思うよ。俺も生前イリヤ達には散々言われましたから『異常』だとか『本当に人間?』とか。ただこれでもランクは折れに課せられたハンデで更に下落しているんですよ」
「ああ、『神霊束縛』だったか」
「そう、これによって俺自身のステータスもダウンしているしいくつか保有スキルも封印されている。おまけに宝具に関しては・・・」
「ああ、かなり厳しいな。宝具一つにつき一回しかこの聖杯戦争で使用できない。おまけに使用には令呪を使わなくてはならない」
「そこまでハンデを・・・」
正式なマスターではないアイリスフィールにとって初耳の事だ。
あまりのハンデの多さに言葉を失う。
「だけど士郎本来のステータス、幸運以外は総じて高い。特に魔力は束縛を受けて最高ランク、束縛から解放されれば測定不能って・・・」
切嗣がため息をつくのも無理はない。
現状の士郎のステータスは魔力だけは段違いで耐久がやや秀でているが、他は総じて低い。
特に幸運に至っては最悪を通り越している。
だが、元々の士郎は一級品の実力を持ち、その技量も実力に比例して高い、
ステータスはハンデを負っても数値には出てこない技術。
本来の宝具が最大で三回しか使えない以上、士郎はこれらで聖杯戦争を戦うつもりでいた。
「それに、投影で創造した宝具はランクが落ちる以外は問題なく行使できますからまだ戦えますよ。後は他の陣営の情報を伝える事も出来ませんが・・・情報の共有が出来ないのは痛いですけど他の束縛に比べればまだましですし」
アイリスフィールを安心させるようにそう言っていた士郎だったが、聖杯戦争開戦後、自分が情報の重要性、そして情報の共有の重大性に関してあまりにも甘く見過ぎていた事を知る事になるが、今はまだそれを知る事は無い。
「それにしても・・・」
切嗣が器の摘出に話を戻した。
「あの宝具を使えば全てのサーヴァントもマスターも暗殺できるような気もするな士郎」
「ああ、条件さえ揃えば不可能とは思わない、でも条件が揃う事は今後一切ないと俺は見ている」
軽い調子で言ってきた切嗣にきっぱりと士郎は断言する。
それほど士郎が使用した宝具の使用条件は厳しいものだった。
「今回はアイリスフィールさんが協力いてくれたから簡単に発動出来たに過ぎない訳だし」
「なるほど・・・でもいざ条件が揃えば」
「ああ、ほぼ全てのマスターと一握り以外のサーヴァントは確実に暗殺できる。『太陽の不滅希う生贄(ウィツィロポチトリ)』は」
古代アステカ神話における狩猟、軍、太陽を司る神の名を頂くこの宝具を使えば確実に対象を殺す事が出来る。
しかも『太陽の不滅希う生贄(ウィツィロポチトリ)』の前では耐久が、対魔力や抗魔術がましてや幸運がどれほどあろうとも全て無意味、神性適正を持たぬ限り防げない。
それを持たぬ者は、薄布でも構わないので全身をすっぽり覆いこの宝具の前で素肌を晒さない事しか術はない。
逆に言えばその程度の防衛策でこの宝具に関しては対抗できると言う事でもあるが。
「あ、それと器ですけどどうしますか?万が一他のアインツベルンの人間やホムンクルスに見つかると色々ともめる原因になると思いますが」
「それについては私に任せて上手く偽装しておくから」
そう言って士郎から器を受け取り、それを巧妙に隠蔽する。
「お願いします。じゃあこれで最大の懸念は解消されました。後は・・・」
そこまで士郎が口にした時だった。
不意に士郎の表情が引き締まり口を噤む。
そして切嗣に向かって一言
「爺さん、一旦霊体化してる」
そう言うと姿を消してしまった。
それに入れ替わる様にノックと共にドアが開き、
「失礼します奥様、旦那様、アハト翁がお呼びでございます。至急アハト翁のお部屋までお越しください」
メイドが恭しく一礼しながら要件を手早く告げた。
呼び出しを受けて切嗣とアイリスフィールは連れ立ってアハト翁の部屋に向かっていた。
「キリツグ、どうしたのかしらお爺様、急に呼び出すなんて・・・」
「さてね。何の用かは不明だが少なくとも良い話じゃないだろう。そう予感したからこそ士郎は霊体化している訳だし」
「シロウ君は?」
「念の為に部屋で待機して貰っている・・・正確には士郎の方からそう言ってきたんだけど」
そう言っている間に二人はアハト翁の部屋に到着、ノックをしてから許可を待ち部屋に入る。
その部屋は執念や怨念の混じる陰鬱な空気に支配され、一歩入った瞬間二人は背筋が凍り全身が強張る錯覚を起こした。
今までは別にどうこう思わなかったが、聖杯を、『天の杯(ヘブンスフィール)』を手にする為にアインツベルンが行ってきた所業を知った今ではそれはあまりにも重々しくおぞましい。
何よりも、この部屋の主であるアハト翁より永き時を生きながら、こんな陰に篭った空気など無縁な陽性の活気に満ちた魔法使いを見てしまったからには、その思いは顕著だった。
その思いを表に出さぬように無表情に努めてアハト翁の前に並んで立つ。
「切嗣よ。まだサーヴァントは呼んでおらぬか?」
開口一番口を開いたアハト翁の口から出て来たのは質問の形をした詰問だった。
一瞬口籠った切嗣だったが
「はい、準備が整いこれから召喚の儀を執り行おうとした所でございます。当主殿」
無表情を続けるのに渾身の力と意思を動員し無表情を装い、乾いた声で返答する。
「ではこれを使え」
そう言って部屋の片隅に視線を向ける。
その視線を二人が追うと暗闇から這い出る様に現れたメイドが恭しく切嗣にそれを差し出す。
それは黒檀の長櫃だった。
受け取ってみるとずっしりとした重さが両手を通して全身に圧し掛かる。
明らかに何かが収められている。
「遅れに遅れていた聖遺物が今しがたようやく届いた」
忌々しげに吐き捨てる様に告げられた。
「この品を媒介に使えば剣の英霊として最高位の者を使役出来るだろう。我がアインツベルンの最大級の援護と思え」
「お心使い恐縮です当主殿」
そう言って深々と一礼した。
思わず歪んでしまった自身の顔を見られない様に。
「時にアイリスフィール器の状態は」
「問題ございません。冬木の地でもつつがなく機能いたします」
その言葉にようやく溜飲を下したのか満足そうに一つ頷く。
だが、それも束の間、その眼光に妄執と怨念を満ち溢れさせ今までにない強い口調で言った。
「此度こそ・・・此度こそは成功させよ。六の英霊悉く屠れ、その贄をもって聖杯を完成させよ。第三魔法『天の杯(ヘブンスフィール)』を成就せよ」
「「御意のままに」」
声を揃え恭しく一礼する夫婦。
だが、夫は苦い表情を隠すのに精一杯で、妻はそんな夫を横目で不安そうに見つめていた。
自室に戻るまでの間、二人は無言で歩を進めていた。
ようやく部屋に戻りドアを閉めると切嗣は大きく肩を落とし、アイリスフィールは深々とため息をついた。
「爺さん」
そこに霊体化を解いた士郎が姿を現す。
「ああ士郎、君の嫌な予感が的中したよ。ご老体が執念を燃やして取りに行かせたようだ」
そう言って力のない笑みを浮かべながらその長櫃をデスクに置く。
「まいった。入国したと連絡が届いた時には迎えをやっていたみたいなんだ。それであの猛吹雪の中ホムンクルスを雪中行軍させたらしい」
「無茶するな。普通の人だったら凍死だぞ」
「量産型だから使い潰しても問題ないと見たんだろうね」
他愛のない事を言い合っていた二人だが、すぐに話を本題に入る。
「でだ士郎。中を確認したんだけど・・・僕の記憶が確かなら・・・全く同じものを僕は今しがた見たような気がするんだ」
そう言って長櫃から中身を取り出し、長櫃の隣に置く。
それは黄金を地金として青の装飾と今の時代に読めるものは皆無であろうと思われる妖精文字を刻印した剣の鞘だった。
補足
宝具
『太陽の不滅希う生贄(ウィツィロポチトリ)』
ランクEX
対人宝具
古代アステカ文明において太陽の延命を願う儀式の際に使われた黒曜石の短刀。
太陽神に供物として生贄の心臓を捧げる為使われ続けた。
この宝具を使用する事により、対象に触れていなくても切っ先を突きつけた時点で効果が発動し、斬り裂いた箇所から心臓を始めとする臓器を体内から引きずり出して対象を殺害する。
また当時、生贄として選ばれた人物はこの上ない名誉とされ、生贄として捧げられる時まで極めて厚遇されたと言う事例から対象は苦痛を味わう事無くむしろ幸福感や性的快楽を覚える。
この宝具を防ぐには『神に捧げる』と言う前提を覆さなくてはならず、神性スキルを保有しなくてはならない。
また薄紙一枚でも間に入るとやはり効果を発揮する事は出来ない。
余談だが、ウィツィロポチトリとはアステカ神話における軍神、狩猟神、太陽神の名である。
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