「それで、姉さん、どうやって」

「どうするって、こうするの・・・よっ!」

桜の問いに凛は即座に行動で示した。

カレイドアローを展開するや上空へと飛翔、間髪入れる事無く魔力弾を連射。

魔力弾は汚泥を吐き出し続ける聖杯の周囲に次々と着弾、瞬く間に聖杯の周囲と駐車場の外縁に一メートル幅と数メートルの深さの溝・・・と言うよりは堀を創り上げた。

一見すると凛らしい容赦の無い行動に見えたのだろう。

ウェイバーの口から

「うわぁ・・・」

と引き攣った声を発する。

だが、凛を良く知る側からすると違った見方だったようで、疑問の声を上げる。

「リン?何故あのような中途半端な事を?」

アルトリアの言うようにいつもの凛であれば溝だの掘だのする以前に駐車場そのものを巨大な穴に変えてしまう。

むしろその方が時間を稼ぐ事が出来る筈なのに。

それに凛はいささか深刻な表情で

「士郎の事考えればやりすぎは出来ないでしょ」

そう一言だけ口にした。

だが、アルトリア達にはそれで十分過ぎた。

今回の聖杯戦争で士郎は既に『交錯する絶望と希望別つ運命の裁断(スパイラル・フェイト・ブリンガー)』、『神界より集いし愛しき妻達(ブレイド・ワイフ)』、『剣の王国(キングダム・オブ・ブレイド)』を展開した。

そしておそらく士郎はすでに最後にして最強の宝具、否、象徴である『剣神より下賜されし報奨の剣(バウンティ・ソード)』を解放したに違いない。

そうでなければ、切嗣に伝言を頼み自分だけさっさと大聖杯に向かうなど、士郎の性格からしてありえない。

つまり士郎の魔力量と漏洩スキルを考えればこれが精一杯だった。

だが、それでも障害の役割は果たせており、汚泥は周囲の堀に流れ込んでいく。

「多分だけどあの堀も二十分位で満杯になるわ。それでも十分に時間は稼げるけど・・・」

「士郎の言っていた時間はあくまでも最短だ。これより長くなると想定して動いた方が良いだろうな・・・舞耶」

切嗣は舞耶に何かを渡した。

渡された舞耶はそれを見て直ぐに頷いてからその場を離れた。

「キリツグ?舞耶さんは」

「手札は多ければ多いほど良いからね。それを取りに行ってもらった」

そう妻に答えた時だった。

「ああっ!」

突然ウェイバーが焦った声を発した。

「どうした坊主!」

「あ、ああああれ、あれ!あれあれあれあれ!!」

ライダーの問いかけに具体的なことを言わずに聖杯の方向を指差すだけのウェイバー。

「やかましいぞ坊主あれあれと一体何が・・・おい、ちとやばくないか」

焦れたような声を発してウェイバーの指差す方向に視線を向けたライダーの声色は一瞬で切り替わった。

それも無理は無い。

ウェイバーの指さす方向に映るのはこちらの方向にだけ向かってくる汚泥が最初の堀からあふれ出した所だったのだから。

思わず凛が飛翔して確認を取る。

汚泥は聖杯から溢れて周囲の堀に流れ込んでいるが、自分達がいる方向に汚泥が集まっている。

その証拠にそれ以外の方角から汚泥は溢れる所か水面が上がってくる気配も無い

「ど、どう言う事だよ一体!」

その事を降りた凛から説明を受けると言語機能が回復したのか誰にでもなく問い詰めるような口調で吐き捨てるウェイバー。

それにしばしの間だけ無言が支配する。

だが、それを破ったのはアイリスフィールだった。

「もしかしてだけど・・・あの汚泥、生命を探知してこっちに向かっているんじゃ・・・そして」

「そして、もっとも近くにいる生命反応・・・つまり僕達に狙いを定めたと言う事か。状況から考えれば最も合理的だな」

「な、何落ち着いているんだよ!だったら僕達も逃げないと!」

「駄目だ」

ウェイバーの言葉を一言で否定する切嗣。

「ええ、キリツグの言う通りです。推察でしかありませんがあの汚泥に複雑な思考は無いでしょう。単純に自分達の近くに獲物がいるからそこへと殺到しているに過ぎない」

「えっと・・・それってあの汚泥は僕達を狙っているんじゃなくて、たまたま近くにいるから僕達に狙いを定めたって事?」

「そう言う事よ。で、もしもここから私達が逃げればどうなると思う?」

「・・・まさか別方向でもっとも近くの生命反応に狙いを・・・」

「断定は出来ないけどそうなる危険性が高いわ。そしてこの周辺だと新都の住宅街が近い筈。そうなると・・・」

最後まで言う必要も無い。

「じゃ、じゃあ、僕達が踏みとどまってあれを食い止めないとならないって事?」

「食い止める必要は無いぞ坊主、エミヤが決着をつけるまでの間あれが余計な事をせぬようにあしらっておけば良いだけよ」

「そう言う事よ。でも拙いわね。あの堀二つで三十分は時間稼ぎが出来ると高を括っていたのに、計算が崩されたわ。もう少し障害を増やさないと・・・」

思案に暮れる凛に

「姉さん、私も出ます」

躊躇い無く桜が名乗り出た。

そんな提案に迷いを見せていた凛だったが、直ぐに決断を下した。

「・・・士郎への負担を増やしたくないけど時間稼ぐには背に腹は変えられないわね・・・判ったわ桜頼める?」

「はい」

「でも、仕掛けるのはあれが二つ目の堀を越えてから、それと使うのは一回だけ。士郎の負荷を考えればそれが限界よ」

凛の指示に素直に頷いた。

そうこうしている内に、汚泥は二つ目の堀の水位をじわじわと押し上げようとしていた。









一方、転移の指輪を使って柳洞寺まで移動を果たした士郎はと言うと、大聖杯に繋がる円蔵山地下の洞窟内を疾走していた。

円蔵山の結界を越える時若干気だるさを覚えたが、それも一瞬の事、重力や不安定な足場を感じさせないような軽やかさを速さを兼ね備えた走りで駆け抜ける。

程なく地下への入口に到着した士郎は速度を落とす事無く突入、一気に駆け抜ける。

幸い洞窟内はヒカリゴケが自生しているおかげで光源もある。

大聖杯までの道程は頭に叩き込まれており迷う心配も無い。

その最中に

(士郎)

切嗣の念話が送られてきた。

(爺さん?)

(士郎、今は?)

(ああ、大聖杯に繋がる空洞を走っている。あと二十分は掛かると思う)

(そうか、出来るだけ急いでくれ。まずい事になりつつある)

切嗣の念話からでも判る声から滲み出てくるに、向こうは文字通り一分一秒を争う事態に陥りつつある事を士郎は理解した。

(判った。幸い邪魔は入らないだろうから足止めされる危険性は極めて低い筈だから、少しは時間を短縮出来ると思う)

(無茶に無茶を重ねているようで悪いけど頼む)

(ああ)

念話が終わると同時に士郎は速度を上げる。

士郎の前に障害は一切無く、程なく士郎は大聖杯手前に存在する空洞に到達する。

ここまで来れば大聖杯までは五分もあれば到着する。

一気に駆け抜けるべく、一歩踏み出そうとしたが、ここで

「!!」

士郎の足が止まった。

ある筈の無い敵意を向けられ、身体が警戒態勢に入ったからだ。

何者なのか思考しようとしたが、相手はそれすら士郎に与える気は無く頭上から重量のあるナニカが振り下ろされる。

だが、衰弱しつつあるとは言え警戒態勢に入った士郎がその様なものを受ける筈も無く、いとも容易く回避する。

すばやく体勢を立て直し手周囲を見渡す。

すると、そこに奇怪な影がいた。

身の丈は三メートル弱、人影にも見えるが足は存在せず、地面から上半身だけ浮き上がったような印象を受ける。

直ぐにそれが何者の差し金か士郎は理解した。

(『この世全ての悪(アンリ・マユ)』の妨害か)

本能でここに近寄る士郎が危険であると察したのだろう。

見れば続々と影の巨人が地面から浮き上がってくる。

普通であれば一度殲滅してから先を進めばいいのだが、今の士郎に余分な事を行う余力など存在しない。

ここはとっとと逃げて奴らを撒くのが最善だ。

だが、巨人らは士郎の状態を見透かしたかのように、大聖杯に続く道を阻み、士郎を包囲せんと迫り来る。

こうなってしまえば士郎が倒れるか巨人らを殲滅するしか術は無い。

(手間は掛かるが仕方ないか・・・)

止むを得ないと『剣神より下賜されし報奨の剣(バウンティ・ソード)』を握り締める。

同時に巨人らが士郎を押し潰さんと丸太のような腕を振り上げると、一斉に振り下ろした。









時はやや遡り、市民会館・・・

「おおい!これだけかき集めればいいか!」

切嗣に向かってそんな事を言うライダーの周囲には、工事で使われているショベルカーやロードローラーなど工事車両が十台前後集められていた。

何の為に集められたのか?

言うまでも無く、まもなく二つ目の堀を乗り越えようとする汚泥をせき止めるための巨大な土嚢ならぬ車嚢とする為であった。

それが二つ目の堀と切嗣達の中間に歪曲状に横倒し状態で並べられている。

ちなみに会館の各所から車両を動かすのに必要な鍵に関しては工事事務所のプレハブ小屋から拝借してきた。

「ああ、感謝するライダー」

素直に礼の言葉を口にする切嗣にライダーは

「なあに礼なら向こうの小娘と大馬鹿娘に言っておくが良い。あの二人がおったからこそ短時間で集められたのだからな」

極めて珍しい事に手柄を譲った。

譲られた相手であるアルトリアとセイバーはと言えばなんとも形容しがたい表情を浮べる。

それは切嗣も同様だったが、それでも

「・・・二人にも感謝する」

素直に感謝の言葉を口にした。

と言うのもセイバーはクラススキルの騎乗で直ぐに、アルトリアは最初こそ苦労しながらも自身の直感スキルでこつを掴んでからは熟練と思わせるような腕前で次々と工事車両を集めてきた。

ライダーも、持ち前の騎乗スキルを駆使して活躍したのだが、一人では用意できる数にも限界がある。

二人がいなければ車嚢の塀は完成しなかった事は間違いない。

だが、先刻まで敵同士だったセイバーが何故こちらを手伝ったのかが気にはなったのだが、同じ疑問を抱いたアルトリアの問いに

「カリヤには許可を貰っています。それに・・・私にも判ります。あれはこの世に出してはならない事位は」

とだけ答えた。

その答えに表情は変える事は無かったが小さく息を一つ吐く切嗣と、苦渋に表情を歪ませるアイリスフィールがいた。

「お義父様!泥が乗り越えます!!」

そんな気まずい空気を打破するようにローラーの上から汚泥の動向を注視していた桜から報告が上がる。

その声に一堂、気持ちを切り替える、苦悩や反省はこの危機を脱してからだ。

汚泥は堀を乗り越えると一直線に車嚢越しの切嗣達に向かって流れる。

直ぐに汚泥は車嚢に堰き止められるが汚泥はその水位と面積をじわじわと押し上げる。

更に車嚢の隙間から汚泥が僅かずつだが漏れだす。

やはり即席の堤防では粗が出てしまっているが、それも仕方ない事。

それでも全体から見れば汚泥は車嚢によって行く手を遮られ、時間稼ぎの役割は十分に果たせている。

このまま上手くいけば・・・と誰もがそう思っていた。

しかし、ここで予測外の事が起こる。

汚泥を受け止めていた車嚢から煙が立ち上がり始めた。

やがて煙は火となり車両を燃やし始める。

「え、ええええええ!な、何なんだよ!あれ!!」

「・・・あの災禍はこれが原因か・・・」

予想外の事にウェイバーは慌てふためき、切嗣は飛行機上で見た大火災の元凶を理解して苦々しく呟く。

そうこうしている内に火は車嚢を包み込む炎となり、それは残り全ての車嚢にも引火する。

それはまさしくここで食い止めなければ冬木は、ひいては世界がどうなるのかを示す暗示にも思わせた。

「おいおいどうする?この分だとあれも長くはもつまい」

「私が食い止めます。幸い光源が出来て影も出来ましたから。でも・・・」

「ああ、そう長くは止められない。最悪士郎が決着をつけるまでひきつけながら逃げるを繰り返すしかないだろうな・・・」

「そ、そうだよエクスキューターは!今どこら辺りに?」

「・・・念話で確認してみよう」

パニックになりつつあるウェイバーを宥める為なのか、自分を含めたマスター陣からの内心から滲み出る不安を払拭する為か切嗣は士郎に念話で声を掛ける。

(士郎)

返事は直ぐに返ってきた。

(爺さん?)

(士郎、今は?)

(ああ、大聖杯に繋がる空洞を走っている。あと二十分は掛かると思う)

(そうか、出来るだけ急いでくれ。まずい事になりつつある)

短いやり取りだがそれだけでも切嗣達の窮状を理解してくれたらしく

(判った。幸い邪魔は入らないだろうから足止めされる危険性は極めて低い筈だから、少しは時間を短縮出来ると思う)

(無茶に無茶を重ねているようで悪いけど頼む)

(ああ)

念話を終えた切嗣にアイリスフィールが

「キリツグ、シロウ君は?」

「あっちは邪魔も入っていない。もう直ぐ付くそうだ」

その言葉に安堵の溜め息が漏れ出る。

しかし、そんな安堵を吹き飛ばすような爆音が当たりに響き渡り、同時に切嗣達の後方に巨大な何かが落下したような轟音が轟いた。

振り返って見て見ればそれは車嚢の役割を担っていた工事車両の中でも中央部分を担っていたロードローラーが未だ炎上しながら吹っ飛ばされていた。

それが意味する事は考えるまでも無く、いままでロードローラーが塞き止めていた場所には無いも存在せず、障害が消え去った事で汚泥が切嗣達に向かって殺到しようとしている。

「全員下がれ」

緊迫感を漂わせながらも静かな声で切嗣が指示を出すが、それはアルトリア達にと言うよりは急変した事態について来れないアイリスフィール、ウェイバー、そして雁夜に対するものだった。

事実切嗣の声に我に返った三人はゆっくり(雁夜はセイバーに抱えられるようにして)後退を開始する。

その気配を察したのか汚泥が流れる速度を速めて切嗣達に肉薄しようとする。

しかし、そこに数本の矢が工事車両の炎上によって生じた影に突き刺さる。

同時に影は虚無へと続く落とし穴へと変貌し汚泥は次から次へと虚無の狭間へと流れ込んでいく。

この隙に切嗣達は汚泥との距離を取りロードローラーの近くまで後退する。

「助かったよありがとう」

切嗣は虚無の落とし穴を創り出した桜に礼を言う。

「いえ、まだですお義父様、あくまでもあれは一時的な足止めです」

切嗣の礼に桜はニコリともせず険しい表情を汚泥へと向けながら、照明弾を撃ち出した。

「そうね。シャドーホームで創られた落とし穴はずっと出来ている訳じゃない。影が消えたらそこまでよ。照明弾で少しは時間を稼げるけど・・・桜照明弾は?」

「残り三発です」

「拙いな・・・間髪入れずに撃ち出しても五分もつかどうか・・・」

「キリツグ、舞耶さんは・・・」

「間に合えば良いが、いよいよ最後の手段に頼らないとならないか・・・」

最後の手段・・・自分達の命を囮にした誘導も現実味を帯びてきた。

と、そこに

「なあ、ちょいといいか」

今まで無言を貫いていたライダーが口を挟んだ。









影の巨人達による一斉攻撃は士郎に届く事はなかった。

いや、正確に言うならば振り下ろそうとした瞬間には全てが終わっていた。

と言うのも

「王国よ(キングダム)!」

士郎が『剣神より下賜されし報奨の剣(バウンティ・ソード)』を掲げて一言発した瞬間、頭上の光景が『剣の王国(キングダム・オブ・ブレイド)』のそれに立ち変った。

そして

「轟く五星(ブリューナグ)!」

その号令と共に頭上から数百のブリューナグが降り注ぎ、影の巨人を貫き、切り裂き吹き飛ばす。

あっという間に巨人は跡形も無く消滅し、その痕跡すら残っていない。

その有様を見届けた士郎は直ぐに走り始める。

ただでさえ魔力は漏洩状態で少しづつ疲弊している所に『剣の王国(キングダム・オブ・ブレイド)』の部分展開による消耗も軽くは無い。

『剣神より下賜されし報奨の剣(バウンティ・ソード)』解放分を考えれば余剰分は僅か、もはや余計な事はしていられない。

それに『この世全ての悪(アンリ・マユ)』の妨害があれで終わるとはとても思えないし、切嗣達の事を考えれば一刻の猶予も無い。

大空洞を抜けて再び通路を大聖杯目指して突き進む。

現に後ろからナニカが追って来る気配を感じ取ったがそれに構う事無くひたすら突き進む。

そして

「・・・」

ついに終着点に辿り着いた士郎は静かにそれを見上げていた。

そこは先程の大空洞がちっぽけに思えるほど巨大な空洞、奥にはちょっとした高台が出来上がっている構造になっており、そこから負の感情に満ちた瘴気が満ち溢れ、それは意思を持ったように突風となって士郎のコートを生き物のように蠢かせる。

一般人であれば発狂してしまうほどのそれを受ける士郎だが、眉一つ動かす事無く無言で剣を上段に構える。

その剣に危機を覚えたのか瘴気の突風が激しさを増し、人一人であれば軽く吹き飛ばす勢いになる。

だが、士郎は微動だにしない。

その様子に焦ったのか、それとも予定通りなのか今度はあの巨人が士郎の周りを二重、三重所かこの空洞を埋め尽くすほどの数が現れ士郎一人に目掛けて殺到。

士郎を押し潰そうと迫り来る。

だが、それも関係ない。

士郎は静かに、この地の聖杯戦争に幕を下ろす一撃を真名と共に解き放った。

「・・・『剣神より下賜されし報奨の剣(バウンティ・ソード)』」

その瞬間、鋼色の烈風と化し、大聖杯目掛けて突撃を開始する士郎。

それを押し潰そうと巨人達が殺到するが、その全ては紙切れよりも脆く引き裂かれ、埃よりも軽く吹き飛ばされ、高台目掛けて疾走する。

巨人がどれだけ密集してきてもそれは変わらない。

そして鋼の烈風は巨人を薙ぎ払いながら高台ごと大聖杯を中のそれ諸共切り裂き、消し飛ばした。

『!!!!!!!』

同時にまだ生き残っていた巨人らは声にならない声を発し溶けるように消滅していき、全て消えた時周辺に満ち溢れていた瘴気もまた綺麗に消え失せていた。

「・・・終わったか・・・」

乾燥した声で士郎はそう呟いた。

それを合図としたように

(士郎)

切嗣から連絡が届いた。









時は遡る。

突然のライダーの発言に切嗣は自然体で

「何か考えがあるのかライダー?」

「考えと言うか、余の見立てだが、おそらく逃げの一辺倒じゃ耐え切れぬぞ」

思わぬ言葉に絶句する。

「へ?ライダー、それって・・・」

「あの泥、少しづつだが知恵を付け始めておる。見てみろ」

ライダーの指差す方向を見たウェイバーはその意味を理解した。

炎と照明弾の明かりで良く判るが、汚泥の動きが変わりつつある。

車嚢があった場所でその動きが顕著に見て取れる。

大半は一直線に突破した箇所を流れて虚無の落とし穴に消えているが、一部の汚泥が左翼、右翼に分かれて車嚢を迂回、こちらに向かいつつある。

速度も遅いのか未だ車嚢を超えてはいないが、今までは切嗣達の元へと我武者羅に殺到していた事を考えれば、その動きは劇的なものだった。

幸いにも今は更に回りこみ切嗣達の退路を絶とうとする動きは無いが、いずれはそんな思考を持つようになったとしてもおかしくない。

いや、それ所か切嗣達よりも餌食にしやすい住宅街に標的を変更すると言うことをしても驚かない。

「流石にあんたは気付いていたか」

「まあな。貴様もこうなる可能性は考慮していたのでは無いか。だからこそあのような壁を設けて時間を稼ごうとしていたのではないのか?」

「・・・低いが可能性としては考慮していたよ。当たっても嬉しくないがね」

「全くだな。だからこそ、ここは逃げよりも可能な限り踏み止まってあれを食い止めねばなるまい。そうすればあれもこちらから狙いを変える事はすまい」

「何で、そんな事が判るんだよ?あれが知恵をつけているんなら、僕達が下手に食い止めてしまったら住宅街に向かう可能性だってあるだろう」

ウェイバーの言い分はもっともなもので、抵抗が頑強であるならばこちらは諦めて抵抗が微弱な方へ向かうと言う考えを抱いても不思議ではない。

「心配はいらん、坊主。あれは確かに知恵をつけてはいるが、あくまでも『いかにして目の前の獲物を捕らえるか』の知恵に過ぎん、時間が経てばどうなるか判らんが、今はその心配をする必要は無い」

「それでライダーどうやって食い止める?」

「ん?そんなの簡単だろう、あの開いた穴にまた壁を作って塞き止める」

開いた穴・・・

「塞き止めるって言っても・・・もうこの近辺に壁になりそうな車両は無いわ」

「何を言っておる。あるだろう、ここに立派な壁が」

そう言うライダーが叩くのは吹っ飛ばされたロードローラー。

「まさかそれをあそこまで持って行くって言うのかよ!」

「それ以外に何がある?」

「いや、それはそうだけど・・・持って行くのは良いけどまた吹っ飛ばされる可能性もあるんだぞそうなったら」

「だからそうならんように、持って行ったものがそこで押さえ込んでおくしかないだろう」

あっけらかんと言うライダーだが、それがどれだけ危険な役割なのかは誰もが理解していた。

ロードローラーを押さえ込むと言う事は汚泥に誰よりも間近にいる事を意味する。

あの汚泥を浴びればどうなるのか判らないが、生身の人間は無論の事サーヴァントもただで済むとは思えない。

だが、汚泥の狙いを自分達に向けつつも時間を稼ぐにはこれがベターと言えた。

「でも、誰がこれをもっていくの?」

「余に決まっていよう」

アイリスフィールの問いにライダーはさも当然と言わんばかりにあっさりと言ってのけた。

余りにもさらりと言われたが為全員、ライダーの言っている事が理解出来なかった。

やがて我に返ったウェイバーが慌てて問い詰める。

「お、おい!ライダーなんでお前が!!」

「ん?不思議な事か?至極当然の事だと思うが」

それに対する返答も何を驚いているんだと言わんばかりのものだった。

「こんなものを持って行くには人間の手には到底不可能。そんな事が出来るのはサーヴァントのみ。だが、エミヤの嫁達には無理はさせられそうにない。であれば残るは余か馬鹿娘しかいないだろう」

「そ、それはそうだけどセイバーに任せるのも手だろう!」

「ああ、確かに馬鹿娘に委ねる事も考えた。だがな」

「も、もしかしてセイバーがまた裏切るとかを恐れて・・・なのか?」

ウェイバーの問いにセイバーと雁夜の表情が罪悪感に歪み、アルトリア達は曇る。

「そうではない。余も多少は人を見る眼はある。もはやこの馬鹿娘は裏切らん。そう断言してよいさ」

「じゃあ、何で」

「もっと単純な話さ。いざと言う時には聖杯を吹っ飛ばしてもらわないとならんがそれが出来るのは馬鹿娘しかおらぬからさ」

その言葉に全員はっとする。

ライダーの言うようにマスター達はロードローラーを動かす事が出来ないので論外。

アルトリア、凛、桜は士郎の磨耗を考えれば動く事が出来ない。

そしてライダーはと言えば宝具である『神威の車輪(ゴルティアス・ホイール)』、『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』、両方を失い残るのは愛馬ブケファラスのみ。

それに比べて、セイバーは両肩の怪我は既に癒され既にその手には聖剣が戻っている。

マスターからの魔力供給も微弱ではあるが継続されている。

そう考えていけば、ライダーがその役目を受け持つのは至極当然の結論と言えた。

全員が無言になったのを異論無しと受け取ったのかライダーは不敵な笑みをセイバーに向ける。

「と言うわけで馬鹿娘、美味しい所は貴様に譲る。よもや出来ぬとは言わぬよな?」

挑発じみたそれを耳にしたセイバーに清廉とした覇気が戻る。

「出来ぬ訳が無かろう!我が存在全てを賭してもあれを消し飛ばしてやる!」

「ははははっ!それで良い!それでこそ余と異なる時代において異なる王道を貫いた、余と同じく真なる王よ」

セイバーの様子に満足げな表情を浮べたライダーに何かを言い返そうとした時、上空から観察していた凛から警告が飛ぶ。

「話は決まったの!そろそろ虚無の落とし穴が消えるんだけど!」

「と言う事だ。では行くとするか。おおい!後どれくらいだ!」

「二十秒位!!」

「よし!では坊主、残り五秒で余はこいつを押し出す。同時に令呪で使ってくれ」

ウェイバーとして言いたい事が山ほどあったが、口論している時間も無い。

渋々だが頷いた。

それを見て実に満足そうに頷いたライダーは両手でロードローラーを押す体勢を作ると同時に

「では・・・行くぞ!!アーーーーーーーラララララララララララララッライィィィィィ!!」

裂帛の気合の声を発しながらロードローラーを押し出すやウェイバーも

「我、令呪を以って命ずる・・・ライダー!!あの汚泥をその壁で押し留めろ!!」

令呪によるブースターも発令された。

同時にライダーの全身に力が漲り十トン前後はするロードローラーを軽々と押し出し、虚無の落とし穴が消えて突き進もうとした汚泥の道を再び塞いだ。

「ぬ!!」

と、直ぐに圧力がライダーを襲う。

明らかに汚泥の押す力が一点に集中している。

「ぐおおおおお!」

丸太のような腕に渾身の力を込めてロードローラーを支えるがそれを上回る圧力によって押し出される。

「これは・・・ダレイオス大王と取っ組み合いした時・・・以来だな」

口元に不敵な笑みを絶やす事無くだが、額からは汗が滴り落ち、こめかみに血管が浮き出る。

間違いなく力を振り絞って押さえ込んでいるはずなのに汚泥はそれを問題ともせず、逆にライダーを押し潰そうとロードローラーを押し返す。

ここまま為す術なくライダーが押し潰されると思われたが、そこへ巨影が嘶きを上げながらライダーの下に駆け寄ってきた。

そしてロードローラー目掛けてその巨影・・・ブケファラスが蹄の一撃をぶちかます。

その威力はライダーの体勢を立て直させるだけに留まらず、ロードローラーを数メートル押し出すほどの成果を見せる。

「おお!相棒か!お前の力を借りるとなれば百人力だな!!」

そんなライダーの声にブケファラスは行動で応えるかのように、全身を押し付けるようにしてライダーと共にロードローラーを押し返す。

それによってロードローラーを更に数メートル押し込んでいく。

これならばと誰もが思った。

しかし、

「やばっ!まだ来るわよ!」

上空から発せられた凛の警告と同時にロードローラー目掛けて先程のを上回る一撃が加えられた。

その一撃だけで優勢だったはずのライダー達の体勢は再び、劣勢に追い込まれる。

傍目から見てもライダーはもちろんブケファラスが渾身の力を振るっているのは明白なのだが、それをものともせずに汚泥は車嚢ごとライダー達を押し潰そうとする。

「まずい!あれだと潰される!何をしている、令呪を重ねろ!」

切嗣から叱咤を受けて我に返ったウェイバーは慌てて

「あ、ああ!令呪を以って我、王に命ずる!ライダー!踏ん張れ!」

「おおおお!」

ウェイバーの手から令呪が消費されると同時にライダー、そしてブケファラスから更なる力が漲りロードローラーを押し返す。

しかし、それも長くは続かずロードローラーは再び傾き始める。

「もう一度!!」

「ライダー!!そんな泥なんかに負けるな!!勝て!」

最後の令呪が発動され三度ロードローラーは持ち直される。

令呪三画による重ね掛けの効果は絶大で拮抗した押し合いが続けられる。

だが、それも長くは続かない。

汚泥は後から後から溢れ車嚢目掛けて殺到する。

それに対してライダー達への令呪のブーストには当然だが時間制限がある。

あっという間に形勢は汚泥に傾きロードローラーは一気に押し返される。

「こ、これじゃあ・・・」

ウェイバーが顔を青くして呟く。

もはや令呪によるブーストも出来ない事を考えればそれも当然と言える。

流石の切嗣も打つ手が無いのか苦渋の表情で黙りこくっていたが

「・・・やむをえない。僕達自身を囮にする。覚悟は・・・」

その時だった。

切嗣達の後方から重低音の爆音が轟いてきたのは。

それは見る見るうちに近付いてきたかと思えば直ぐ近くで止まる。

それは一台のタンクローリー、切嗣が開戦前から用意していた隠し球だった。

「遅くなりました」

その運転席から降りてきた舞耶は開口一番でそう詫びるが、切嗣達にとって舞耶は救いの女神同然だった。

だが、今は時間の猶予も無い切嗣が本題に入る。

「舞耶、遠隔操作は?」

「既にセットしています。これが」

そう言ってラジコンのコントローラーを差し出す。

それを頷いて受け取るとエンジンを空ぶかしさせながらウェイバーに

「直ぐにライダーを下げさせろ!」

「あ、ああ!ライダー!もう良い!下がれ!」

その呼びかけに対して

「よし判った!!・・・・おおおおおおお!!」

そう言うとライダーとブケファラスは最後の力を振り絞って一瞬だけ押し返すや、すばやくブケファラスに跨ると宙を舞い、それを追う様に車嚢が吹き飛び汚泥は吹き出るようにあふれ出した。

それと同時に、タンクローリーが爆音を轟かせて突進を開始、車嚢と真正面からぶつかるが逆に弾き飛ばす。

普通なら運転席は大破してもおかしくなかったのだが、運転席部分は切嗣が特注で複合装甲へと改装を加えている。

加えてフロントガラスには、防弾ガラスが三重ではめ込まれており、防御力なら戦車にも匹敵する今のタンクローリーにこの程度で運転に支障など出る筈が無い。

そのまま速度を緩める事無くタンクローリーは健在であった車嚢を弾き飛ばし、押し寄せる汚泥を蹴散らすように掻き分け、そして勢いに任せて堀を越えて器目掛けて突き進む。

「凛ちゃん!悪いがタンクローリーが二つ目の堀を超えたら合図してくれ!」

「判ったわ!義父さん!」

凛がそう返事をしたすぐに

「義父さんすぐでごめん!堀を超えた!」

「よし!」

すぐに急ブレーキが踏まれる。

タンクローリーは汚泥にタイヤを取られたのか惰性で進んでいたが器の手前で完全にストップした。

「よし・・・全員物陰に隠れろ!凛ちゃんも降りて来て!早く!」

舞耶以外何が何だか判らなかったが、切嗣の指示に従い各々、木の陰に隠れる。

「そ、それでどうするんだよ?」

偶然にも切嗣と隣り合わせに隠れたウェイバーが切嗣に尋ねる。

「ああ、こうするのさ」

そう言うと懐から携帯電話を取り出すと手早く番号を打ち込み、通話ボタンを押す。

次の瞬間、仕掛けられたC4爆弾が時間差で起動、タンクローリーの運転先が、続いて燃料タンクに、最後に荷台のタンクが爆発、数瞬遅れて中のガソリンにも引火した事で大爆発を引き起こし、至近距離にあった器諸共、辺り一帯の全てを吹っ飛ばした。

轟音と光、そして熱波に汚泥が周囲に飛散する。

しばらくしてウェイバーが恐る恐る物陰から覗くとタンクローリーは炎上を続けており、地面は大きく抉れてクレーターを形成している。

あのタンクローリーに何が積まれていたのかウェイバーには知る由もないが、あの光景だけで洒落にならないものだったと言う事だけは理解出来た。

「どうやら聖杯は消し飛んだ様だな」

呆然としているウェイバーを余所に切嗣は冷静に状況を把握する。

「え?で、でも・・・それだとセイバーは・・・」

「出番はある。あれを吹っ飛ばしてもらわないとならないからね」

「あれ?」

と切嗣の指さす方に視線を向けたウェイバーは今度は己が目を疑った。

今まで聖杯があった場所の頭上に暗い何かが現れていた。

それは例えるならば黒き太陽だった。

「な、なあ・・・あれって・・・」

「あれが聖杯本来の姿だ。あの太陽・・・正確には孔なんだろうがその先に士郎が始末をつける為に向かった大聖杯がある」

切嗣の説明が終わるよりも先にその孔からあの汚泥が再び流れ始める。

しかもその量は聖杯から流れていたそれの比ではない。

まさしく滝の様に孔から流れ落ち、タンクローリーの残骸を呑み込む。

しかも汚泥は堀を満たして今度は四方からあふれ出てくる。

このまま行けば汚泥は程なく二つ目の堀も満たして市民会館から外へと流れ、最終的には冬木全域に広がるだろう。

「えええええ?な、何で?聖杯は吹き飛ばしたんだろう!」

「ああ、確かにあれで消し飛んだ。があの孔をも消し飛ばすには至らない。そして制御装置でもあった聖杯が無くなった事で垂れ流し状態になっている」

「じゃあその為に」

「ああ、後はあれ・・・いや、セイバーに託す」

そう呟く切嗣の視線の先には聖剣を構え迫る汚泥、そしてその先にある孔を見据えるセイバーの姿があった。









「・・・」

静かに聖剣を構え、迫り来る汚泥を真っ直ぐに見据えるセイバーの脳裏に過ぎるのは悔恨だらけの聖杯戦争だった。

自分の誇りばかりを重視して同盟相手を蔑視し、裏切り、その挙句には己がマスターすらも裏切った。

清廉なる騎士王の名には遠くかけ離れた無様かつ薄汚い戦いぶり。

自分を取り戻した今であれば己に酔いしれた自分が周りを見ていなかった事が良く判る。

エクスキューター、そして切嗣が見限るのも当然の事だったと思う。

これで全ての罪が贖われる筈もない。

だが、一つでも償いの意思を示さなければならない。

しかし、問題が皆無と言う訳ではなく、現状自分の魔力量には大きな不安があった。

マスターである雁夜からの供給量はお世辞にも豊富とは言えず、現状、雁夜経由で綺礼から渡された宝石を飲み込んだ事でようやくライダーとの戦闘による傷は癒せたが、そこで精一杯、宝具の全力解放にはまだ足りない。

であれば雁夜を切り捨てアイリスフィールと再契約すればとも思えるし、それを舞耶にアルトリア、更には雁夜本人からも提案されたがセイバーは感情的な理由と根本的な理由から首を縦に振らなかった。

感情的な理由としてはこちらの身勝手な理由(と言うよりは子供の我が儘)で一方的に切り捨てたと言うのにまたもやマスターを捨て、更には捨てたマスターの元へと出戻るような真似など到底許される筈もない。

そして根本的な理由としては雁夜との契約を断ち切る方法が最終手段・・・マスターの殺害以外存在しない事だった。

前回は綺礼が用意した破戒の原典宝具を使い、アイリスフィールとの契約を破棄したが、それも役目を終えた後、綺礼に返却している。

であれば最終手段を取るしかないがいくらなんでもそれは非道に過ぎる。

(切嗣から見ればこの非常事態にとも思えるのだが、ここで意見の対立をしてしまえば貴重極まりない時間を浪費する事に繋がりかねないので止む無く無言を貫いた)

であれば自前の魔力で如何にかするしかない、そう決意を固めかけていた矢先に

「セ・・イバー・・・俺に考えが・・・ある・・・お前は・・・迷わず宝・・・具を撃て」

突然発せられた雁夜の言葉に戸惑ったが、その言葉を信じた。

それがせめてものマスターに対する礼節だと感じた。

「・・・!!はあああああ!!」

自身に残されたありったけの魔力を聖剣に注ぎ込む。

余分な魔力消耗は不要だと言わんばかりに甲冑も解除して無駄を極限まで省く。

だが・・・其れでも足りない。

万全の時と比べるまでも無く圧倒的に足りない。

だが、そこへ

「我・・・令呪を以って我・・・がサーヴァ・・・ントに命ず・・・る・・・」

弱々しいだが、明確な意思に満ちた声が背中から掛けられる。

全員雁夜の意図・・・令呪で威力を底上げするつもり・・・を理解したが、いくら令呪のブーストを借りたとしても限界がある。

だが、次に発せられた言葉は全く違うものだった。

「そし・・・て我・・・令呪三・・・画束・・・ね、之を以っ・・・て、勅命とす・・・る」

その言葉と同時に雁夜の手に刻まれた三画の令呪が一画に集い、令呪はかつてないほど強い光を放ち始める。

「勅命・・・だって?なあアインツベルンあんた知らないのか??」

聞き慣れないと言うか初めて聞く言葉に、ウェイバーは戸惑った声で問うが問われたアイリスフィールはウェイバー以上に戸惑った表情を浮べるだけだった。

それも当然の事で、この勅命とは第四次開戦直前、臓硯が極秘に編み出した秘中の秘とも言える鬼手で、令呪複数画を一つに纏め上げてそれにより令呪の効果を爆発的に跳ね上げると言う単純だが強大なシステムだった。

当然だがその効果は重ね掛けよりも強大で、臓硯の見立てでは同じ三画使用でも重ね掛けが三倍だと仮定すれば、勅命は実に三乗まで届く。

このような事など本来出来る筈が無いのだが、第一次から御三家として聖杯戦争に関わり、一から令呪システムを創り上げた臓硯だからこそ出来た反則だったとも言える。

本来は臓硯自身が本命と位置づけていた第五次に備えての切り札だったものを、雁夜に教えたのは開戦前の事で、それは雁夜に勝利の可能性を見出した・・・訳は当然無く、無用の長物を教えられ屈辱に震える雁夜を見たかったと言うこの怪老らしい理由だった。

現に勅命の事を教えた時、臓硯は最後に侮蔑と加虐に満ちた笑みで、『最も貴様のような死にぞこないのゴミ風情に勅命を使えるような実力も戦局も、なによりも幸運にも恵まれるとは思えぬがな。精々足掻いて老いぼれを愉しませてみよ。出来るのであればなぁ』

そう言って言葉の毒刃で雁夜を存分に甚振り、雁夜は反論を返す事無く憎々しげに臓硯を睨み付けるだけだった。

しかし、現実としてどうだ、紆余曲折があったが雁夜はこの最終局面まで生き延びた。

令呪も雁夜がセイバーとの再契約時には一画しかなかったが、その後、綺礼の手によって令呪を補充されておる。

全てが彼に味方した。

「セイ・・・バー・・・足りなければ俺の命も全て持って行け!!お前の全ての力を使ってあの孔を消滅させろ!」

その命令が下された瞬間令呪が消滅し、同時に雁夜の身体から魔力と同時に残り僅かな命までも根こそぎ奪わる。

雁夜の体内にいた刻印蟲は勅命によって根こそぎ魔力を奪い取られた事で瞬時に潰された。

これによって生命維持の術を失った雁夜は自分の身体が倒れるのを、自分の視界が今度こそ永久に闇に沈み込もうとしているのを、そして・・・そんな自分に慌てて駆け寄ろうとする凛と桜の姿を何処か他人事の様に認識していた。

(ざまぁ見ろ・・・臓硯・・・俺は・・・貴様に勝った・・・そして・・・貴様に初めて・・・感謝する)

(ごめん、葵さん・・・貴女を誰よりも・・・大切に・・・幸せにしたかったのに・・・俺は・・・貴女を・・・最期の最期まで傷付けた・・・)

(凛ちゃん、桜ちゃん・・・ごめん君達から父親も・・・母親も奪って・・・)

(そして・・・違う世界の凛ちゃん・・・桜ちゃん・・・あ・・・と・・・は・・・た・・・の・・・む・・・)

それが間桐雁夜と言う、情愛故にその身も未来も他人の為に捧げ、情愛故にそれを穢してしまった愚かな、しかし、誰よりも真っ直ぐだった男が最期に抱いた思考だった。

一方でセイバーは自身の四肢にかつて無いほどの力が漲るのをはっきりと自覚していた。

これ程の迸り、アイリスフィールがマスターであった時でも感じた事は無い。

何が起こったのかは判らない。

しかし、雁夜が全てを・・・魔力は無論の事、おそらくは命までも全て自分に注ぎ込んでくれた事だけは理解出来た。

この期待に応えられなくて何が最優か、何が騎士王か。

「おおおおお!!」

その決意に触発されたのか手に握られた聖剣も柳洞寺で見せたそれよりも輝く。

その双眸に迷いも恐れもなく、足元まで迫る汚泥など関心もなく、ただただ、汚らわしき汚泥を吐き出し続ける孔から視線を外さない。

静かに上段に剣を構える。

後悔も未練もある。

だが、今だけはそれを心の片隅に追いやる。

今自分が為すべき事を為す為にセイバーは真名を魔力と共に解き放った。

「約束された勝利の剣(エクスカリバー)!」

振り下ろされた聖剣より放たれた光は汚泥を薙ぎ払い、焼き尽くしながら突き進み、孔を消し飛ばし、光の道は後方の木々を吹き飛ばしつつも上方に軌道を変えて光の塔となって夜の闇に消えていった。

尚、切嗣達は知る由も無い事であるが、この直後、士郎もまた最後の決着・・・大聖杯を『この世全ての悪(アンリ・マユ)』諸共消滅させる事に成功している。









それを見上げるセイバーの心境は晴れやかそのものだった。

後悔に満ち溢れた恥ずべき聖杯戦争だったが、其れでも最後の最後で己らしい事をする事が出来た。

魔力は残らず宝具に注ぎ込んだ。

それによって自分の身体が解かれ光の粒子となって消えていく。

もはや自分に残された時間は僅か、間もなく還るべき場所へと還り、聖杯を求める長き旅路がセイバーには待っている。

果て無き旅路への不安はある。

いまだに救国への思いは潰えていない。

だが、自分は忘れない。

こんな自分を王と認めた臣下達を。

様々な形であっても忠義の形を最後まで貫き通した我が誉れたる円卓の騎士達を。

その思いがあれば自分はこの先自分を見失う事無く正しい意味での救国の答えを得れる筈だ。

であれば後、自分が行う事は唯一つ。

「・・・アイリスフィール・・・」

後背にいるアイリスフィールへと振り返るセイバーの表情と声は召喚当初の信頼と固き絆で結ばれていた頃のものだった。

「・・・貴女に対するありとあらゆる裏切りに謝罪を。そしてもしも許されるならば・・・」

その言葉は最後まで紡がれる事は無くセイバーは完全に光となって消滅した。

セイバーが最後に何を言いたかったのか?

今となっては真相は闇の中だ。

しかし、アイリスフィールにはセイバーは最後に言おうとした言葉が判るような気がした。

『もしも許されるならば、私は再び貴女の為の剣となる事を許してくれるでしょうか?』と・・・

だから散っていった粒子を見上げてその返答を口にした。

「ええ・・・また契約を結んでくれる機会があれば私はまた貴女と結びたいわ。だって・・・誰がなんと言おうとも貴女は最強のサーヴァントですもの」









セイバーの消滅を静かに見つめていたウェイバーに

「やれやれ、逝きおったか、全く散々手を焼かせおって、あの大馬鹿娘は」

直ぐ傍でライダーの声が届いてきた。

「ああ、ライダー、お疲れ・・・えっ!」

その声の方向へと視線を向けると、ウェイバーは絶句した。

ライダーの身体もまた光の粒子となり解けつつあった。

「お、おい!ライダー!」

「ん?ああ、これか、良くも悪くも余らを繋ぎとめていた聖杯が消え去った為だろう。余も長くは無さそうだな」

突然の事に慌てふためくウェイバーとは対照的に、何処か他人事のように言うライダー。

そんなライダーの傍らで佇むブケファラスに至っては半分以上が既に消えてしまっている。

「相棒よ、貴様には此度も助けられた。礼を言う」

それは傍目から見ると、実にそっけないものであったが、長きに渡り苦楽を共にして来た彼らにはこれが丁度良かった。

一声嘶きながらブケファラスは消滅する。

その様を満足げに見届けたライダーは続いてウェイバーに視線を向ける。

「さて、余もこれで終わりの訳だが、一つ問わねばならぬ事があった」

「え?」

「坊主・・・ウェイバー・ベルベッド、お主、余に臣下として仕える気は無いか?」

その言葉に硬直するウェイバー。

だが、それは不快とは程遠い歓喜に満ちた驚愕が故であった。

「なんで・・・僕を・・・臣下として迎えたいんだよ・・・」

だが、彼の口から出たのは了承ではなく疑問だった。

この疑問を解消しなければウェイバーは迷い無くこの男の幕下に加わる事が出来ない。

「お前だって判っているだろう。僕には特出した才がある訳じゃない。優れた所がある訳じゃない。終始お前の足を引っ張り続けてきた大馬鹿野朗だぞ。なのに・・・なんで、僕を・・・」

「だからこそよ」

そんなウェイバーへの返答は単純明快だった。

「前にも言ったであろう。余と同じ身の程知らずの大馬鹿者との契約は実に心地良いと。才覚だの優劣だのそんなのは関係ない。余が召抱えたいと思ったからこそ召抱えたいのだ」

それは最大級の勧誘の言葉だった。

あのライダーが、偉大なる征服王イスカンダルが有能かどうかなど関係無く純粋に自分を・・・ウェイバー・ベルベッドと言う人間を臣下として迎えたがっている。

それを聞いたウェイバーに感情を抑える事はもはや出来なかった。

「あ・・・」

一言口にしようとするがそれよりも早く涙が零れ落ちる。

止め処なく溢れる涙を拭う事もせずウェイバーは自分の思いを口にする。

「お前に・・・貴方に・・・仕える・・・僕の全てを貴方に捧げる・・・だから・・・だから僕にも貴方と・・・貴方の軍勢が見た夢を・・・共に見させて欲しい・・・同じ夢を共有させて・・・欲しい」

「うむ、良かろう。ではウェイバー」

「っ!はい!」

「お主は生き抜け、この先も、そして語り継げ、余の王道を」

「はい!」

ウェイバーは主君の最初の勅命を謹んで承り、ライダーは最も新しい臣下の返事に満足げに頷く。

そして・・・それを合図としたようにライダーの全身は光に包まれる。

「ではしばしの別れだ。追いついて来い。ウェイバー、余らの元まで」

その言葉が終わるや否やライダーは完全に消滅した。

返事を返す暇も無かった。

だが、ウェイバーは声の限りに叫ぶ。

座に戻ったであろうただ一人の王に届けと言わんばかりに、

「御意!!」

その一言を。









第四次にして冬木の地における最後の聖杯戦争はこうして幕を閉じた。

しかし、まだ問題の後始末が残されている。

そしてその後始末の始まりは

「お義父様、すいません、お願いが・・・」

切嗣に掛ける桜の声から始まった。

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