「春先の冷たさ」2
草色の暖簾をくぐって現れた白鴉に、紅虎は陽気な声をかけた。 「おはようさん。ええお日さんが出てるなあ。」
| 「よく晴れましたね。」
| 軽く表を見やるようにして、白鴉は、暖簾一枚隔てても十分に強い明るさをもった日差しに目を | 細めた。その表情が柔らかかったのか、計らずも彼が背負うことになった日差しが柔らかかった | のか、判然としないが、紅虎たちには彼が今日はとても機嫌がよいように見えた。横向きで上向 | き、という顔の角度も珍しかった。
| 「賃銭(ちんせん)受け取ってきたんか。」
| 「ええ。」
| 白鴉は頷いて、紅虎たちが囲んで座っていたのとは別の卓を前に椅子に腰を下ろし、懐から白い | 紙包みを取り出した。形といい、小振りながら重さのあるらしい厚みといい、思わず、といった | 様子で男たちが立ち上がったのも無理はなかった。ただ、紅虎だけは笑顔を見せたのみで、その | 場から慌てて動くようなことはなかった。
| 「ええ感じの厚みやなあ。」
| にこにこと頬杖をつく紅虎と、包みを広げてみせる白鴉を中心にして男たちは輪をつくる。
| 「今回の報酬の総額は二十六両。わたしの方とあなたの方とで出した戦力はほぼ同等ですので、 | 均等にわけます。お互い十三両ずつ。否やはありませんね?」
| 「おお、ないよ。」
| 紙に乗せて差し出された一両金貨の束を、紅虎は手に取って数えた。
| 「十三枚。間違いなく。」
| 「お頭、どういうふうに分けるんですかい?」
| 両手を卓上について、楽しみを待ちきれない子供のように足元をうずうずさせながら、紅虎の部 | 下のひとりが尋ねた。
| 「こっちから参加したのは、ええと……わい入れて十二人か。そしたらちょうどええやんか。わ | いはお頭やから一両多く貰うっちゅーことで、ほい、この十一両、みんなで一枚ずつ分けえや。」
| 「ひとり死んでますよ。」
| 「あっ、そうか。それやったらその一両を銀に換えて、まあ適当にみんなで分けえな。お前もま | ず、銀に換えてきいや。」
| 後ろを振り返って紅虎は言った。そこには借金持ちの若者が、大金を前にぽかんと口を開けて立っ | ていた。頭(かしら)に急に声をかけられて、慌てて頷く。
| 「それでちょっとでも借金返してなあ。花街に探索に行くんはわいが出したるから。」
| 「い、いいんですか?」
| まずもって若者は、その件を紅虎が記憶していたことに驚いたらしい。
| 「当たり前やんか。そうせんとお前、どうやって行くねん。」
| 「そうですけど……。」
| 紅虎が当然のように言うのが、若者にとってはますます思いがけないことであり、また素直に嬉 | しくもあり、しだいに顔が綻んでいく。「すいません、ありがとうございます。」やがては素直 | な嬉しさと、また想い人に会えるかもしれないという、これまでの経緯はともかくも置いて、目 | 先の単純な期待感から、若者は深く、勢いよく頭を下げた。
| 「おっ、ということは、どのみち今夜はみんなで豪遊というわけですか。」
| 「そんなら、この金はともかく頭に預けときましょう。」
| 十一両を紅虎から受け取っていた男が、それを再び頭の手に戻す。
| 「何や、ええんか?今夜一緒に行かんやつには渡しとくで?」
| ぐるり見渡し、紅虎は確認を取る。が、ひとり残らず構わないといった様子だ。昨日の襲撃に加 | わって、今この場にいないのは、死んだひとりを除けばあと二人いるが、そのふたりも行くこと | は請け合いだとみなが言うので、それならばと紅虎は大金を元の通りに紙に包むと、懐に収めた。
| 一連のやり取りがひとまず収束するのを待っていたように、白鴉が口を開いた。
| 「ところで、わたしがこの店に来た時にあなたが持っていた、今はその懐にある封書のようなも | の。血がついているようですが、昨夜の?」
| 「お前はほんまに目ざとい。」
| 驚きよりは呆れをその顔に表しながら、懐に手を突っ込んで紅虎は一通の封書を取り出した。掠 | れた血の跡がある他に、一度全体に水を吸い込んだようにごわついて見える。
| 「昨日、屋根の上で殺した相手が握り締めとったんや。ここの、特に皺になってる部分をこう持っ | て……。」
| 「何か書いてありますね。見せていただけますか。」
| 「それ名前やねん。差出人の、つまり昨日死んだ男の名前やと思うけど。」
| 「……まだ封を切っていない。これを、どうするつもりで?」
| 「いや、どうしようかなあっていうことをみんなに言うてて……ってあーあ、開けてもうた。」
| 白鴉が姿を見せるまで、紅虎たちはこの手紙をどうしようかということを、内容に関する当て推 | 量など交えつつ、それなりに真面目に話し合っていたのであるが、結論は出ないまま、封を切る | ということもしないまま、要はそれを手に入れた当初の状態のままにしておいたのである。
| 「それをな、お前、そんなあっさりと……。」
| 「名前ひとつでは判断のしようもありませんよ。」
| 「そら、最後にはわいらかて封切ったと思うで。でも仏さんには何となく遠慮するやんか。もし | かして女に宛てた手紙かなあ思(おも)たら、関係ない人間がわいわい言いながら読むのも野暮 | やし。」
| 口を尖らせて何となく消化不良といった様子の紅虎をよそに、白鴉は書簡を広げて、長さ三尺ほ | どもあるそれに目を通す。やくざな稼業をしていた男が、これほどの紙面を埋め尽くすだけの文 | 字を知っていたというだけでも驚くべきことである。
| 「何が書いてあるん?」
| 「…………。」
| 「なあ、なあ。」
| 幾つかの文字は見えるものの、内容は掴めない。同業者に宛てた事務的なものなのか、女に宛て | た艶文なのか。
| 尻の方まで目を通したと思(おぼ)しき白鴉は、思案を巡らすような、心ここにあらずといった | ような表情をほんのわずかの間(ま)見せてから、おもむろに、手紙を元の通りに巻いて状袋(じょ | うぶくろ)にしまうと、紅虎に向かって全体に含みのある調子で言った。
| 「あなた、今夜は花街で豪遊でしたね。」
| 「探索に行くねん。」
| 「わたしはまだこの町の花柳には足を運んだことがないのですが、あなた、飛天屋というのがど | こにあるかご存知ですか?」
| 「おお、知ってるで。あそこは二番目にでっかい店や。一番の売れっ子は十七歳の……。」
| 「その娘に用がありましてねえ。案内していただけますか。」
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