プーノ〜シユスタニ遺跡

[ シユスタニ遺跡 ]


[ プーノ ]

 標高3900m(富士山より高い)に位置するチチカカ湖。広さはびわ湖の約12倍。チチカカ湖の真中には、 ペルーとボリビアの国境があります。

 プーノはチチカカ湖沿いにある町のひとつです。

プーノ(チチカカ湖)
チチカカ湖とプーノの街
プーノの街とチチカカ湖がよく見えるワフサパタの丘から撮った。
この日は、日曜日だったため、アルマス広場(中央下)では式典が行われていた。
ワフサパタの丘とマンコ・カパック
ワフサパタの丘に建つインカの初代皇帝マンコ・カパックの銅像。妹のママ・オクリョとともに湖に現れ、太陽の島に降り立った と言伝えが残っている。チチカカ湖を指差して建っている。 Edgarに連れられ、手前のごつごつした岩山を登ってきた。
ワフサパタからの帰り道で
ワフサパタの丘からの帰りに通った丘からチチカカ湖へ続く一直線の道。
行きは何故か岩山をぜーぜー言いながら登らされたが、最初からちゃんとした道があるならその道へ 連れて行かんかーい!と言いたくなった。いや、言った…。
彼は笑ってた…。

 クスコで旅行会社のおじさんから紹介されたオスタルは、ダブルでU.S.30 $。高い。クスコで泊まったオスタルの方が安くてサービスもよかった…。この 程度のオスタルだったらもっと安くであるはず…と思いつつ、お金も払った ことだし仕方ない…食費を削るか…と言うことで、オスタルの近くの屋台で 夕食を買いました。

屋台の夕食  ヌードルとライスとポテトとフライドチキンをナイロン袋にひとまと めに入れられ45円ぐらい(右写真)。そして、プーノには選ぶのに迷うぐらいたく さんの種類のパンが山のように売られていて、1個が20円ぐらい。2人併せ て夕食が100円ぐらい。節約、節約…と言うより、貧しい…。

 次の日の夜も、「昨日の屋台のおいしかったよねー」と言うことで再び同 じ食事を取りました。

 その後、リマへ帰るチケットを持ってきてくれた旅行 会社の地元スタッフが、最初はスペイン語だったのに急に日本語で話しだし てびっくり!
彼、Edgarは日本語の勉強中で、プーノで唯一日本語が話せるガイ ドらしく、まだ食事を取っていないと言うので、一緒に食事に付き合うこ とになりました。

 Edgarに、「昨日も今日も屋台のを食べた」と言ったら、「お 腹こわさなかった?」と…。「どうして?」と聞いたら、「私はそこの屋台 のを食べてお腹をこわした」と…地元の人が食べてお腹をこわすものを2日 続けて食べたんかーと言いつつ、Fumiと共にどうもないのはなぜ?

 その日はEdgarお勧めの店へ行ってチャーハンみたいなのをおごってもらい ました…と言うのは、その日、彼は日本人の年配夫婦のガイドをしたら しく、チップを100sol(約3000円)もらったそう…3000円といったら、彼のア パートの家賃1ヵ月分(約4500円)の2/3にあたるくらい大金!そのお金で私達 はおごってもらってる…ありがたい。
「日本人はお金持ちねー」と見知ら ぬ日本人に感謝しつつ、彼には「ごめんねー。私達、貧しい日本人でー。 いやいや、実は日本人じゃないのかも?」などとのたまわっておりました…

 おまけに日曜日にリマへ帰るはずが、ペルーでは連休最終日にあたるた めチケットがとれず、もう1泊延期になり、彼に安宿までも紹介してもらいまし た。
一人20sol(約600円)。最初からこの宿だったら、どんなにお金が 浮いたことか!

 結局、日曜日はEdgarが朝から迎えにきて安宿に連れて 行ってくれて、ワフサパタの丘へ行って、彼が毎日のように食事する店で 地元料理−Caldo blanco(具だくさんスープ)、Seco de pollo(ゴハンの上に大きな鶏肉とスープがかけてあった)を またまたおごってもらいました。

 この時、彼から"お守り"といって、 彼が身に付けていたマリア様のペンダント(ペルーはカトリック教徒が多い)を、私の首に 掛けてくれました(Fumiは既に持っていたので)。 私は無宗教なんで、マリア様のペンダントは今だにお守り代わりに 身に付けさせてもらってます。Edgarの気持ちがとてもうれしかった…。

 その後、私達はシユスタニツアーへ参加するため、Edgarと別れ、そして再び夜に会って、夕食を食べに行 き(にわとりの足がそのまんま入ったスープを食べた)、そのあと、彼のアパ ート見学へ。

 プーノのアパートなんて、そうそう、見れるもんじゃないので興 味しんしんでした。
冬はちょっと寒そうだけどトイレ、シャワー、キッチンは共同 で外にあり、部屋は2間、暖房器具は何もないのになぜか暖かい。 テレビがあって、コンポがあって…そう、サザンのテープがあり、お気に入りの 曲を歌って聞かせてくれました。

 彼の友達も遊びに来て、4人でお茶を飲みに。
Edgarもサルサを踊るのは大好きだそうで、ディスコへ行こうかと誘われたものの、 なんせ標高4000mに近い町。なんとか体は慣れてきたものの、1曲でも踊れば 酸欠で倒れるんじゃぁ?…踊りたくても踊れない心境でした。

 しかし、プーノへ来てからコーヒーやティーを頼むたび、大きなカップになみなみと 注がれてきて(日本で飲む量の3杯分ぐらい)、水分でお腹がタポタポ状態でした。

 ほんと、Edgarにはいろいろとお世話にな って感謝、感謝です。
プーノから去る時も、仕事の合間をぬって見送り に来てくれました。また、いつか会える日を誓って…

市場の一角にて アルマス広場での式典 桟橋の売店
メルカード(市場)。ありとあらゆる物が並んでいる為、ぶらぶら見て歩くだけでも 楽しい。ただし、観光客と思ったら必ず、すられるぐらいスリが多いらしい。 食べ物をちょっと買うぐらいの小銭をジーンズのポッケに入れて手ぶらで歩いていたにも かかわらず、私達の後をおじさんがつけていたらしい。たまたま、立ち止まった店の おばちゃんが「気をつけなさい。後つけてる人がいるよ」と教えてくれた。 ("写るんです"で撮影) 朝から音楽が鳴り響いていた。アルマス広場を囲むようにたくさんの人が整列していた。 警察、学生、医者、銀行員などの企業関係の人等だそう。中央カテドラル前にはプーノ市長をはじめ お偉い方々が立っていた。
毎週日曜日は式典があっているとEdgarが話してくれた。
チチカカ湖畔の桟橋に並んでいた売店。
お菓子や果物や飲物が、 色鮮やかに並べられていた。しかし、若干レイアウトが違っているだけで、どの店も同じようなものを売っていた。 どの店で買うかはきっとレイアウトで決まるのかな?
あまりにもの鮮やかさに写真を撮らなくてはと思って撮った写真。
("写るんです"で撮影)
アルマス広場
朝の式典がうそのように静かになったアルマス広場。木の形がおもしろい。
ベンチでひなたぼっこしていたら、 10歳前後の男の子が靴磨きにきた。「Por favor!Por favor!(お願い!お願い!)」 と一生懸命言ってる。できるなら磨いて欲しいけどスニーカーをどうやって磨くんだーと思いながら 「No gracias.(ごめんねー)」とお断りを。しかし男の子はその場から離れない。結局、3人の靴磨きの 男の子が集まってFumiとお話を。
私がガイド本を開いて見ていたら、「シユスタニ!」とうれしそうに写真を 指差した。そして、「これなんて書いてある?」と指差した字は "Mercado(市場)"と書かれたスペイン語。そう、彼らは字が読めない=学校に行っていない…。 悲しかった…。「ペンか日本の記念のもの何か持っていない?」と言われたが、ガイド本以外何も持って きていなかった。
プーノやウロス島へ行く時は、使いかけや使っていないペン等を持っていくべきだと つくづく思った。子供達にとってペンは字を書くために必要なものだから…。

 アンデスの冬の乾燥した強い日差し、そして水も凍るぐっと冷える夜。
1週間いただけで、全身が粉を吹き、 パサパサヒリヒリ。髪は静電気で宙を舞ったり、顔に張り付いたり、収拾つかず。顔は日に焼け、パリパリシワシワ。
悲惨でした…全身用ローションと日焼止めとヘアトリートメントかヘアクリームは絶対持参すべし!と思う…。




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[ シユスタニ遺跡 ]

 
シユスタニ遺跡
シユスタニ遺跡のチュルパ
シユスタニ遺跡のチュルパ(墳墓)。磨き上げた巨石を積み上げて円筒状に 造られている。見事なぐらいの曲線を描いている。
シユスタニ遺跡の墓守り
ここシユスタニでは、ヤモリ(トカゲ?)が墓守りだったらしく、チュルパには 彫刻が施してある。上の写真のチュルパの墓守りをアップで撮った写真。

 プーノから車で30分ぐらいのところにあるシユスタニ遺跡。

 プレインカからインカにかけて造られた墳墓群で、いろいろな形のチュルパ(墳 墓)がありました(文末に写真あり)。磨き上げた巨石を積み上げたものや、丸石を積み重 ねたものや、丸石を積み重ねた上に白い粘土を塗っているものなどな ど。白い墳墓
  白い粘土が塗ってある墓は、そこだけに雪が積もった感じでとても きれいだったので、思わず石の隙間に手を突っ込んだら、手が白くなっ てしまいました。これって石灰?と思いつつ、墓に手を突っ込んでしまっ たことに気づき、「ごめんなさい…」と謝っておりました(右写真)。

 チュルパには東側下方に小さな窓があり、6月21日の冬至(日本と逆)に なると窓にきっちりと太陽が差し込むそうです。太陽が差し込むことに より、生命が蘇ると信じられていたらしいのです。
大きなチュルパの窓は 人1人が這って入れるくらいの大きさがありました。やはり好奇心大盛 な外国人男性が這って入っていってました。

 チュルパとは別に、石に囲まれた大小2つのサークルが造られている場所が ありまして、それがまた不思議な空間でした。
ストーンサークルの中では、方位磁石が使えない、針が北を指せ ないのです。サークルを囲む大小不同の石達(?)が磁気を持っていると言われており、何のために造られたの か…んー肝心なことを聞き逃してしまいました。たぶん、何らかの儀式が行われていたと思いますが…
ちなみに小さい方のサークルは月または女性を、大きい方のサークルは太陽または男性を意味するらしく、インカの 時代は男尊女卑だったみたいです。

 ここシユスタニは、標高4000mあり、遺跡の裏にはウマヨ湖があります。
住居など墳墓群以外の建物は なにもなく(博物館があるのみ)、とてーも静かです。
音のない世界…澄みきった空気、鏡のように水をたたえたウマヨ湖…私の目にも耳にも「静寂」という 空間を与えてくれた場所でした。

シユスタニ遺跡のチュルパ 墓守り ウマヨ湖
シユスタニ遺跡のチュルパ。上の写真のチュルパの反対側。 雨が多い地域らしく、完全に近い形で残っているものはほとんどない。 人と比べてみてもチュルパの大きさがわかるが、これが一番大きなチュルパだったと思う。 遺跡の博物館の入口そばにあった墓守りの彫刻。全長1m以上はあったと思う。 博物館には、墓から発掘されたミイラが何体も置いてあった。足を抱えて座っている女の人や、 ちっちゃな子供までもいた。写真を撮ってもいいと言われたが、さすがに誰も撮る人はいなかった。 シユスタニ遺跡の裏にあるウマヨ湖。この遺跡周辺には、 ウマヨ湖上の島(写真中央)に研究者2家族が住んでいるだけで、ほかに人家はない。 この地にたたずんだ湖は、この世のすべての音を吸い込んで、静寂の世界を創りだしているかのように 感じるくらい不思議な魅力をもっていた。

 いろいろな墳墓があったのですが…墓にもたれかかったり、登ったり、 「生首じゃ〜」と顔出したり…まともな写真がなくて、一応、紹介がてら 載せてみました。

墓にもたれるなぁ!  墓に登るなぁ!  生首…?  丸石で積上げた円柱墳墓

 

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