標高3900m(富士山より高い)に位置するチチカカ湖。広さはびわ湖の約12倍。チチカカ湖の真中には、
ペルーとボリビアの国境があります。 プーノはチチカカ湖沿いにある町のひとつです。
クスコで旅行会社のおじさんから紹介されたオスタルは、ダブルでU.S.30
$。高い。クスコで泊まったオスタルの方が安くてサービスもよかった…。この
程度のオスタルだったらもっと安くであるはず…と思いつつ、お金も払った
ことだし仕方ない…食費を削るか…と言うことで、オスタルの近くの屋台で
夕食を買いました。
ヌードルとライスとポテトとフライドチキンをナイロン袋にひとまと
めに入れられ45円ぐらい(右写真)。そして、プーノには選ぶのに迷うぐらいたく
さんの種類のパンが山のように売られていて、1個が20円ぐらい。2人併せ
て夕食が100円ぐらい。節約、節約…と言うより、貧しい…。
次の日の夜も、「昨日の屋台のおいしかったよねー」と言うことで再び同
じ食事を取りました。 その後、リマへ帰るチケットを持ってきてくれた旅行
会社の地元スタッフが、最初はスペイン語だったのに急に日本語で話しだし
てびっくり! Edgarに、「昨日も今日も屋台のを食べた」と言ったら、「お
腹こわさなかった?」と…。「どうして?」と聞いたら、「私はそこの屋台
のを食べてお腹をこわした」と…地元の人が食べてお腹をこわすものを2日
続けて食べたんかーと言いつつ、Fumiと共にどうもないのはなぜ?
その日はEdgarお勧めの店へ行ってチャーハンみたいなのをおごってもらい
ました…と言うのは、その日、彼は日本人の年配夫婦のガイドをしたら
しく、チップを100sol(約3000円)もらったそう…3000円といったら、彼のア
パートの家賃1ヵ月分(約4500円)の2/3にあたるくらい大金!そのお金で私達
はおごってもらってる…ありがたい。
おまけに日曜日にリマへ帰るはずが、ペルーでは連休最終日にあたるた
めチケットがとれず、もう1泊延期になり、彼に安宿までも紹介してもらいまし
た。 結局、日曜日はEdgarが朝から迎えにきて安宿に連れて
行ってくれて、ワフサパタの丘へ行って、彼が毎日のように食事する店で
地元料理−Caldo blanco(具だくさんスープ)、Seco de pollo(ゴハンの上に大きな鶏肉とスープがかけてあった)を
またまたおごってもらいました。 この時、彼から"お守り"といって、
彼が身に付けていたマリア様のペンダント(ペルーはカトリック教徒が多い)を、私の首に
掛けてくれました(Fumiは既に持っていたので)。
私は無宗教なんで、マリア様のペンダントは今だにお守り代わりに
身に付けさせてもらってます。Edgarの気持ちがとてもうれしかった…。
その後、私達はシユスタニツアーへ参加するため、Edgarと別れ、そして再び夜に会って、夕食を食べに行
き(にわとりの足がそのまんま入ったスープを食べた)、そのあと、彼のアパ
ート見学へ。 プーノのアパートなんて、そうそう、見れるもんじゃないので興
味しんしんでした。
彼の友達も遊びに来て、4人でお茶を飲みに。
しかし、プーノへ来てからコーヒーやティーを頼むたび、大きなカップになみなみと
注がれてきて(日本で飲む量の3杯分ぐらい)、水分でお腹がタポタポ状態でした。
ほんと、Edgarにはいろいろとお世話にな
って感謝、感謝です。
[ プーノ ]
彼、Edgarは日本語の勉強中で、プーノで唯一日本語が話せるガイ
ドらしく、まだ食事を取っていないと言うので、一緒に食事に付き合うこ
とになりました。
「日本人はお金持ちねー」と見知ら
ぬ日本人に感謝しつつ、彼には「ごめんねー。私達、貧しい日本人でー。
いやいや、実は日本人じゃないのかも?」などとのたまわっておりました…
一人20sol(約600円)。最初からこの宿だったら、どんなにお金が
浮いたことか!
冬はちょっと寒そうだけどトイレ、シャワー、キッチンは共同
で外にあり、部屋は2間、暖房器具は何もないのになぜか暖かい。
テレビがあって、コンポがあって…そう、サザンのテープがあり、お気に入りの
曲を歌って聞かせてくれました。
Edgarもサルサを踊るのは大好きだそうで、ディスコへ行こうかと誘われたものの、
なんせ標高4000mに近い町。なんとか体は慣れてきたものの、1曲でも踊れば
酸欠で倒れるんじゃぁ?…踊りたくても踊れない心境でした。
プーノから去る時も、仕事の合間をぬって見送り
に来てくれました。また、いつか会える日を誓って…
アンデスの冬の乾燥した強い日差し、そして水も凍るぐっと冷える夜。
1週間いただけで、全身が粉を吹き、
パサパサヒリヒリ。髪は静電気で宙を舞ったり、顔に張り付いたり、収拾つかず。顔は日に焼け、パリパリシワシワ。
悲惨でした…全身用ローションと日焼止めとヘアトリートメントかヘアクリームは絶対持参すべし!と思う…。
[ シユスタニ遺跡 ]
プーノから車で30分ぐらいのところにあるシユスタニ遺跡。
プレインカからインカにかけて造られた墳墓群で、いろいろな形のチュルパ(墳
墓)がありました(文末に写真あり)。磨き上げた巨石を積み上げたものや、丸石を積み重
ねたものや、丸石を積み重ねた上に白い粘土を塗っているものなどな
ど。
チュルパには東側下方に小さな窓があり、6月21日の冬至(日本と逆)に
なると窓にきっちりと太陽が差し込むそうです。太陽が差し込むことに
より、生命が蘇ると信じられていたらしいのです。
チュルパとは別に、石に囲まれた大小2つのサークルが造られている場所が
ありまして、それがまた不思議な空間でした。
ここシユスタニは、標高4000mあり、遺跡の裏にはウマヨ湖があります。
いろいろな墳墓があったのですが…墓にもたれかかったり、登ったり、
「生首じゃ〜」と顔出したり…まともな写真がなくて、一応、紹介がてら
載せてみました。
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シユスタニ遺跡
シユスタニ遺跡のチュルパ(墳墓)。磨き上げた巨石を積み上げて円筒状に
造られている。見事なぐらいの曲線を描いている。
ここシユスタニでは、ヤモリ(トカゲ?)が墓守りだったらしく、チュルパには
彫刻が施してある。上の写真のチュルパの墓守りをアップで撮った写真。
白い粘土が塗ってある墓は、そこだけに雪が積もった感じでとても
きれいだったので、思わず石の隙間に手を突っ込んだら、手が白くなっ
てしまいました。これって石灰?と思いつつ、墓に手を突っ込んでしまっ
たことに気づき、「ごめんなさい…」と謝っておりました(右写真)。
大きなチュルパの窓は
人1人が這って入れるくらいの大きさがありました。やはり好奇心大盛
な外国人男性が這って入っていってました。
ストーンサークルの中では、方位磁石が使えない、針が北を指せ
ないのです。サークルを囲む大小不同の石達(?)が磁気を持っていると言われており、何のために造られたの
か…んー肝心なことを聞き逃してしまいました。たぶん、何らかの儀式が行われていたと思いますが…
ちなみに小さい方のサークルは月または女性を、大きい方のサークルは太陽または男性を意味するらしく、インカの
時代は男尊女卑だったみたいです。
住居など墳墓群以外の建物は
なにもなく(博物館があるのみ)、とてーも静かです。
音のない世界…澄みきった空気、鏡のように水をたたえたウマヨ湖…私の目にも耳にも「静寂」という
空間を与えてくれた場所でした。