クスコからプーノへ行くには、列車か、長距離バスがあります。
列車は朝出発して夕方に着く約11時間の
約20ドル。バスは夜行便(夜は相当冷え込むらしい)で約8時間の10ドル未満。なぜバスの方が早いかと言うと、列車の場合、駅に止ま
る時間が長いらしいのです。
しかし、この長距離をただ通り過ごすのはもったいない…と言う方へ。
観光・昼食付バスの旅があります。クスコを朝7時に出て、夕方6時にプーノへ着く約11時間の旅、そして、 気になる値段は約50ドル。高いか安いかは、その人の価値観次第かな?ちなみにこのバスの名前は、 "FirstClass"…金持ちになった気分でした。
行程は、クスコ〜ピキリャクタ遺跡〜アンダウアイリャス村〜ラクチ遺跡〜(昼食)〜ラ・ラヤ〜プカラ〜フリアカ〜プーノでした。
プレ・インカ時代の大規模な都市遺跡と言われているピキリャクタ遺跡は
クスコから車で約40〜50分で着きます。石積みされた壁だけが延々と
続き、段々畑跡も丘に向かって残っていました。
規模が大きい割には、
訪れる人が少ないそうです。そういえば、居たのは私達のバスのツアー客
だけだった…
それから、数十分後、アンダウアイリャス村の広場へと着きました。
ここも、村人が数人、広場の隅で民芸品を売っていただけで、静まり返っていました。
しばらく、村人達をボケッと眺めていたら、2〜3歳ぐらいの男の子が土手に向かってトコトコと歩いていく後姿が
目にとまりました。と言うのは、歩いて行くたび、少しずつズボンが下へずり落ちていっているのです。
半ケツ状態から、とうとうお尻が丸見えになり、その後、座り込んでどうやら用を足しているみたいでした。
真っ青な空の下、小さな白い教会の周りでは、今も時間がゆっくりと流れているように感じました。
それから、しばらく車を走らせて、また小さな村の広場へ着きました。広場の端に"ラクチ"と書かれた
看板が…。入場料5sol(約150円…高い)を払い中へ入ると、これまただだっぴろい敷地のなかに建物がポツンポツンと。
昔は近くに火山があったと説明していたのですが、見渡してみるとそれらしき山は見当たらなく、ただ、
阿蘇火口にあるような防空壕みたいな石造りの平べったい円柱形の建物が並んでました(右写真)。
果たしてこの建物がそういう目的で
作られたのか、ぜーんぜん火山と関係ないのかよくわかりませんでした。しかし、ゴロゴロした石の間に
サボテンが生えていて、雰囲気はペルーと言うよりメキシコの荒野みたいでした。
写真を撮っていたら、どこからともなく2人の地元の女の子がきて、私たちを撮ってとばかりについてまわるのです。
写真を撮られるとお金がもらえると思ってるんでしょうね…。なんかよくない習慣…。
私もFumiも撮りたいと思った時に子供達を撮っていたんで、別に彼女達を撮ろうとは思わなかったんだけど、
あまりにもしつこいんでFumiは仕方なく撮っていました。私はというとFumiが撮ったし、別にいいか…
などと思っていたら、私の周りをウロウロ。撮る気がないのがわかってか、ひとまず近くにいた外国人に
ターゲットを代え、ついてまわってました。
昼食は、どこの町(村?)かわからないけど、道路沿いにポツンと建って いたレストラン(?)で食べました。ペルー料理のコースが出てきて、結構おいしかったです。
レストラン前の道路はだだっぴろいのに、ほとんど車が走ってない状態で、Fumiと道路の真中で寝そべりたい感じやね と話していました(右写真)。
ここまでは、ガイドさんとメイドさん付ですが、ここから先は、運転手さんだけでプーノへ。
やっと、プーノと書かれた看板があったと思ったら、いきなり眼下に湖と街並がひろがり、みんなで 歓声が…。またもや運転手さんが、見晴らしのいいところで車を止めてくれました。 そして、夕日の中のプーノの街とチチカカ湖を堪能いたしました(写真はあまり上手に撮れてなかった…)。
この後、[プーノ]〜[ウロス島]〜[シユスタニ遺跡]と続く。
プーノからリマへ。
飛行機のチケットが取れず、1日遅れとなってしまいました。
プーノにはエアポートがなく、車で約45分のところにあるフリアカの
町まで、オスタルが手配してくれたコレクティーボ(乗合ミニバス)で向かいました。
向かい側にハワイから一人で来ていた男の人(よくしゃべる)、
リマから来ていた女性グループ(みんな同じTシャツを着ていた)で満員状態。
私は車酔いしてしまい、前方をじーと見たまま無言。Fumiがハワイの人やリマの人達の相手をしていたけど、
Fumiも途中から車酔いしてしまい、私同様前方をじーと見たまま無言。2人して、気分わる〜。
エアポートへ着いて、ほっと一息。手続き後、待合室でぼーっとしていたら、ケーナ(縦笛)やサンポーニャ(
細い竹筒を短いのから長いのまで2段にしてつなげたハーモニカみたいな感じ…説明が難しい)などの、
民俗楽器を手にした人達が、フォルクローレ(ペルーの民俗音楽…"コンドルは飛んでゆく"は有名)を
聞かせてくれました。
私たちが搭乗する時には、しっかりチップをもらいに客の間を廻ってましたけど…。
飛行機はフリアカからリマへの直行便ではなく、アレキパ経由の便でした。
フリアカ〜アレキパは40分〜1時間(あまり覚えていない…)だったのですが、山を見下ろす…とゆーより、
ずっと山の合間を飛んでいたような…山々の頂が飛行機の窓より高いような気がしていたのですが…?
その上、離陸から着陸までずっとジェットコースターに乗ってる気分で、上昇したかと思えば、ヒュン!と
下降し、上昇したかと思えばまた、ヒュン!と下降して生きた心地がしませんでした。
なんせ、私の苦手なプロペラ機(よく揺れる)。
いつ墜落してもおかしくないような状況の中で、私はFumiの腕にしがみついたまま固まってました。
おまけに
私の隣に座っていた現地の男性は、自分の胸に掛けたマリア様のペンダントにキスをし、十字を斬っていました…。
なんとか、無事アレキパへ着陸。アレキパで半数の人が乗降し、私達は飛行機を降りることなく
リマへと。今度はあまり揺れなかったんでホッとしました。
しかし、この飛行機のおかげで、私はかなり寿命が縮んだと思うのですが…?
ふっふっふ〜♪の追記1;
中南米の男性陣はエスコートが上手とゆーか…誰もがさり気なく、そして当然のようにエスコートしてくれる
のです。なんか、女性として居心地がいいですよね?ちょっと、味しめた感じ…。
んー、日本人男性には耳が痛いかな?
ラッキー(?)な追記2;
帰りはアトランタでトランジットの為1泊しましたが、空港内やホテルの行き帰りでは、バックパックを
よいしょっと担ごうとするたび、誰かが後から荷物を持ち上げて担ぎやすいように支えてくれるのです。
米国で、小柄(156cm、当時43kg)な私がでっかいバックパックを担ごうとするのは、見るに見かねる
光景だったのでしょうか??理由はどうあれ、ありがたかったです。Thank you!
オイオイの追記3;
アトランタの空港から、私が泊まるホテルまでの行き方がわからず、タクシーとバス乗場にあった案内窓口(だと思う)
へ行きました。そこで2人の男性スタッフがいて、1人の人に行き方を聞いたら、すごい早口でベラベラと
説明したので、「Would you speak more slowly please?(もっとゆっくり話してくれませんか?)」と
ゆっくり言ったら、
「Okey!」と言ったにも関わらず、再び変わらぬ速度でベラベラとしゃべってる…お〜い、どこがゆっくりじゃ〜!
と思ってたら、もう1人の人が「Are you a Chinese?(あなた中国人?)」
と聞いたんで、「No. Japanese.(いえ、日本人)」と言ったら、「Oh!Chinese!(お〜!中国人!)」
ズコッ!…あなた達、いったいなんなんだ?状態で、ひとまず行き方がわかったんで、
お礼を言いその場を去りました…。
怒りのあまり私も愚痴っちゃった追記4;
あまり日本人観光客が少ない時期に行ったためか、ペルーにいる間ほとんど日本人を見かけることが
ありませんでした。ただ、1度だけシユスタニ遺跡のツアーに乗っかったとき、2人の日本人男性といっしょに
なりました。バスの中で2人がベラベラと日本語で話していたんで、聞きたくなくとも話しの内容は
耳に入ってきました。
どうやら2人はよく一人旅をする仲間同士らしく、他の仲間のことや、これからのお互いの旅先なんかを
話していたんだけど…まぁそれはいいとして。
ペルーへ来てからの話になると、お互いに「こうゆうところはさぁ、もうちょっとさぁ、〜すればいいん
だよね」、「だいたいさぁ、〜なんだよね」などと、知ったかぶりなのか、いちゃもんなのか…
そんなん話ばっかりで、聞いてるうちに、ムカムカ〜と腹が立ってきて、
「おまえら、そーゆーふうな考え方しかできんのかー!(お下品なお言葉ですみません…)」
と言いたくなりました。だって、つまらなさそーな旅をしているみたい…
ホント、ただ旅してるだけって感じで、旅を楽しんでな〜い!
きっと、日本に帰っても「俺、今度はどこどこを1人旅してきたんだ。あそこは、○○でつまんないよ」
とえらそうに愚痴ってそう…(想像力豊か…?)
おまけに、その2人、ツアーに同行してるだけで参加してるって感じじゃなかったんです。
本来なら、日本人同士、「どこからですか?」などと声掛け合うぐらいしてもよかったんだけど、
あなた達とは話したくない!!そう思っていたら、Fumiも同じ気持ち(ムカついている)だったらしく、
私も絶対話したくない!!と…。
Fumiはガイドにスペイン語で話し掛けていたんで、私が日本語を話さない限り、彼らは
私たちのことを"日系ペルー人"と思うだろう…よって、彼らも私たちに話し掛けてこないだろう…
などと思っておりました。まぁ、そうしなくとも、向うから話し掛けて来そうな雰囲気もなかった
んですが…。
まぁ、旅するにあたって、人それぞれのカラーがあるでしょうから、ひとえにどうこうは言えないの
ですが、ラテン気質(占いにも書いてあった…)の私としては、やっぱ何事も楽しむべきでしょう。
どう思います??