何日かたって修行を終えて、いよいよ太陽となるため燃えさかる火の中に身を投じるときがきた。
ひとりの神はいさぎよく飛び込んだ。もうひとりの神は怖がってなかなか飛び込まなかったが、
あとずさりしたあと結局火の中に飛び込んだ。
暗闇の中神様たちは、どの方向から太陽が昇るのか今か今かと待っていた。
最初の太陽が姿を見せたのは東からだった。
同じ方向に2つの太陽が昇ってしまって「これは困った」と神々は話し合った。
太陽と月ができたのはよかったのだが、両方とも一向に動く気配をみせない。
両方の神とも死んでしまったのだ。
神々は考えた。そして自分たちも犠牲になり太陽と月を生き返らせようということになり、
みんな死んでいった。
神々の犠牲によってできた「動く太陽」を永遠に動かせるためには、人間も神々のように
犠牲にならねばならないという信仰のもと、生贄の祭りはアステカ人の生活に欠かせないものになった。 ≪引用;地球の歩き方−メキシコ2001〜2002版−≫
自分たちの体を犠牲にして人間と植物を創ったアステカの神々は、次は太陽を創りだそうと
暗闇のなかテオティワカンに集まった。
太陽の候補に2人の神が選ばれ、選ばれた神たちは太陽になるための苦しい修行を始めた。
他の神々はこの2人の修行のために、それぞれに対して大きなピラミッドを建ててやった。
ところがしばらくしてもうひとつの太陽も
東から姿を現した。火にすぐに飛び込まなかった神の太陽である。
そのうちにその中のひとりが「火の中になかなか入らなかったのは実にけしからん」と言って、
その太陽に向かって、ウサギを投げつけた。そのときからその太陽は光が薄れてしまって、
表面にウサギ形のあざが残った。これが今日の月なのだ。
すると、太陽が動きだし、しばらくして別の道をたどって月も動きだした。
こうして、太陽と月は別々に現れるようになったのだ。
2人の神が修行に使ったピラミッドは、今もテオティワカンに太陽のピラミッド、月のピラミッドとして
残っている。